第151話 きっかけ

 僕は口を開き、口腔魔力を放った。

 橙、黄、緑の三色。魔力の大きさはほぼ同じだ。

 眼前のメルフィが小首をかしげ、笑顔を浮かべると、同じような口腔魔力を出す。

 次も橙、黄、緑と同じ色の口腔魔力を放つ。

 今度は魔力の大きさを僅かに変えた。

 するとメルフィは何度も頷き、橙の口腔魔力を出して笑顔を浮かべる。

 隣に座っていた伯爵が、興奮した様子でパチパチと拍手を始めた。


「おお、おおぉっ! 素晴らしい、素晴らしいですぞ、シオン先生!」


 最早、僕も伯爵も地面に座ることを厭わない。お尻が土や砂で汚れようが関係ないというか気にしてもいない。

 まあ、僕たちは成り上がり貴族だから、品格なんて大して持ち合わせていないけれど。

 現在地は妖精の森、アルスフィア内の妖精の村近く。

 僕たちはいつものようにメルフィと妖精言語の解読と練習をしていた。


「先程の会話『おはよう』の挨拶から、『天気がいいね』という会話まで、妖精言語を巧みに操っているように見えましたぞ!」

「魔力の大きさなどに問題はありませんでしたか?」

「ええ、ええ! 微塵も狂いなく! とはいえ、儂には魔覚がありませんから、視覚的な要素でしか判断できませんが……」

「いえ、それで十分ですよ。普段よく使う言葉に関しては、具体的な言葉はわからずとも把握できますし」

「魔覚がわかればもっと複雑な言葉やその雰囲気などもわかるのでしょうが……」


 魔力色、魔力の数、そして魔力の大小。それは視覚で理解できるが、それだけだと細かい違いまではわからない。

 魔覚では魔力種がわかる。それはつまり視覚的に把握できない、微細な魔力の違いがわかるということだ。

 それぞれの人間が持つ魔力も魔覚がなければ違いはわからない。

 実際、魔覚に気づくまでは僕も他の人の魔力は全部同じに見えた。色も同じだしね。

 しかし今ではそれぞれの持つ魔力の違い、つまり魔力種や口腔魔力まで判別が可能だ。

 この能力は妖精言語を深く理解するには不可欠。

 ただ、ゴルトバ伯爵や姉さんの反応を見るに、誰でもできるようなものではないようだ。


「しかしシオン先生の口腔魔力は流れるように放出できていましたな。魔力色を変えることは難しくはありませんか?」

「魔力色に関しては、意味そのものがわかれば、口腔魔力を放出する際に【魔力そのものに意思や感情を含ませること】で色変化を加えることが可能ですからそれほど難しくはないですね。

 基本は感情想起型の魔力放出と原理は同じなので」

「不思議なものですな。帯魔状態や集魔状態とは違い、色がつくとは」


 身体の外に出す魔力、つまり【体外魔力】に該当する帯魔や集魔は、意思や感情で魔力色に変化が起こることはない。

 しかし【体内魔力】に該当する、口腔魔力は意思や感情で魔力色に変化があるのだ。

 厳密には口腔から魔力を放出しているので、帯魔や集魔と同じ体外魔力のような気もするのだが、発生源が体内であり、そこから魔力を生み出しているので体内魔力と名付けている。

 実際に性質が違うので、区別は必要だし。

 総合すると口腔魔力を放出させること自体は大して難しくはない、ということだ。

 ん? ということは……。

 ふと疑問に思い、僕は口火を切った。


「伯爵も口腔魔力は出せるのでは? 魔覚を習得するのは難しくても、通常の魔力、つまり帯魔や集魔に比べて、口腔魔力は必要な魔力量が少ないようですし」


 妖精たちが口腔魔力を言語に使っていることからわかるように、口腔魔力は大して魔力を使わない。

 魔力そのものの質量も少ない。それは口から出すんだから当然だけど。


「ええ、それは儂も考えまして、何度もやってはみたのですが」

「できなかったのですか? まさかまた気絶したり……」

「い、いえ。できはしたのですが。一度見ていただいた方がいいですね」


 伯爵は姿勢を正して、僕に向き直った。


「ふーっ、よぉし、やるぞ。できるぞ儂。ふぅふぅ!」


 そこまで気合を入れなくてもいいのにと内心では思ったけど、何も言わなかった。

 真剣な人を茶化すべきじゃない。うん、すんごく言いたかったけども。

 伯爵は何度か呼吸を繰り返した。

 そして次の瞬間、カッと目を見開き、口を開いた。

 パクパクと魚のように口を開閉し、口腔魔力が溢れてくる。

 それは僕やメルフィに比べるとやや粗い口腔魔力だった。

 色とりどりの魔力はぷかぷかと浮かび、そして徐々に消えていった。

 伯爵は興奮した様子で、バッと僕の方を向いた。


「い、いかがですかな!?」

「いいじゃないですか、ちゃんと口腔魔力になっていますよ!!」

「おお! おお!! それは誠ですかな!? いやはや、よかったよかった! 一人隠れて魔力放出を行い、何度も魔力が枯渇して気絶したり、怠惰状態になったりしながら総魔力量を増やしていた甲斐がありましたな!

 ちなみにそれは怠惰病治療研修会から帰ってしばらくのことで、最近では一度で怠惰状態になることはなくなりましたが! ふふふ、口腔魔力程度なら多少は魔力放出ができるようですな! いやはや、儂も総魔力量がぐぐんと増えたのですかな! だーっははは!!」


 現在の伯爵の総魔力量は大体150くらいである。

 ちなみに僕の総魔力量は100万。

 姉さんの総魔力量は5000くらいである。

 僕は優しくも生温かい笑みを浮かべた。

 世の中には知らない方がいいこともある。

 だはは、と笑っていた伯爵だが不意に動きを止め、真剣な顔を見せる。


「しかし、先ほどの口腔魔力、意味は通じましたかな?」

「ええ、もちろんですよ。どうせなら一緒に言いましょうか」

「ほう、面白い趣向ですな。構いませんぞ!」


 僕と伯爵は子供のように無邪気に笑って頷きあった。

 せっかく初めて伯爵が口腔魔力を放出し、妖精言語を話したのだ。

 だったらこういう展開も悪くはないよね。


「では!」

「せーの!」


 二人は同時に、勢いよく言い放った。


「火山噴火!!」

「妖精最高!!」


 時が止まった。

 笑顔のまま固まった僕たちは見つめったままだった。

 数秒の後、現実を知った僕たちは徐々に目を逸らし、そして姿勢を正した。


「……やはり、多少複雑な意味を持つと難しいものですね、伯爵」

「……そのようで。見た目はほぼ同じでも、意味合いが全く異なりますな」


 妖精言語は深い。というかどんな言語でもそういうものなのかもしれない。

 外国語の微妙な発音の違いを理解できないことも、似たようなものなのだろう。

 つまり、あれだ。


「練習あるのみ、ですね」

「魔覚がなくとも、感覚で可能な範囲はあるでしょうし。それにそれぞれの組み合わせによってどのような意味があるのか、それをすべて記憶する必要がありますからね」

「言語って大変ですね」

「我々が使っている言葉も、知らない妖精からすれば難解でしょうからな。地道に勉強し、練習する以外にないでしょう」

「地道にやっていきましょう! 妖精言語の解明も順調ですし!」

「ですな! このままいけば妖精と話すのも夢ではありませんぞ!」


 僕たちは頬を緩ませながら、にやにやと笑い合った。

 妖精言語が解読できれば、妖精から色々と情報を聞くことができる。

 魔力を持つ不思議な生物である彼女たちから、何を聞けるのか。

 そして口腔魔力の可能性。

 まだ魔法にどう活かせるのかはわかっていない。

 でもきっと何か方法はあるはずだ。

 その片鱗は見ている気がする。


「あ、ウィノナ」


 川で調理器具を洗って戻ってきたウィノナに手を振った。

 ウィノナは僕に気づくと、慌てた様子で近づいてくる。


「ど、どうかいたしましたか? シオン様」

「ああ、ごめん。驚かせてしまったみたいで。ちょっとお願いがあって。

 今、伯爵と口腔魔力を出せるか試してたんだけど、ウィノナもやってみて欲しくて」

「口腔魔力……ですか」


 僅かに沈んだ顔を見せたウィノナに、僕は少し焦ってしまう。


「無理にとは言わないけど」

「い、いえ! やらせていただきます」

「ありがとう。帯魔や集魔に比べると必要な魔力も少ないし、比較的出しやすいと思うから、あまり重く考えず気軽にやってみて」

「は、はい! では……いきます!」


 ウィノナは何度も深呼吸をすると、意を決したように口を開いた。

 パクパクパク。

 愛らしい唇が何度も開いては閉じる。

 ぎゅっと目を閉じて、必死な様子のウィノナは愛らしくはあった。

 しかし口から魔力が出てくる気配はなかった。

 しばらく口の開閉を続けていたが、ウィノナはそっと目を開けると僕を見た。

 期待するような瞳は、一瞬で落胆の色を見せる。

 僕の反応を見て察したんだろう。


「やはりダメでしたか……実は何度も試しておりまして、魔力が放出されなかったので、もしかしたら見えないだけなのかとも思ったのですが」

「ごめん、見えなかった」

「そうですか。ということは単純に魔力が放出されていなかった、ということですね」


 小さく嘆息して、悲しそうに目を伏せるウィノナ。

 僕の提案で余計に落胆させてしまったみたいだ。

 ウィノナは、はっとすると首をぶんぶんと横に振った。


「シオン様のせいではありません! わたしができないのが悪いので……」

「悪いなんてことはないよ。きっとウィノナにもできるやり方があるはず。それがまだ見つかってないだけだと思うから」

「……はい。お気遣いありがとうございます。それではわたしは、業務に戻りますね」

「う、うん。付き合ってくれてありがとね」


 ウィノナは何度も頭を下げて持ち場へと戻っていった。

 立ち去る彼女の背中は、いつも以上に小さく見えた。


「儂ができたくらいです。やり方が間違っているようには思えませんな。何かきっかけがあればよいのですが」

「そうですね……」


 ウィノナが魔法に使えるように、もっと考えなくては。

 何か、何かあるはずだ。

 頭の奥で引っかかっている。

 もう少しな気がするんだ。

 早く閃け、僕の頭。

 そう思っても頭にもやがかかったように、妙案が閃くことはなかった。

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