第150話 ゴールとスタート

 もうすぐ野営地、というところで突然ゴルトバ伯爵が声を上げた。


「むっ、そういえば所用があったことを思い出しましたぞ!」

「所用? アジョラムに戻るんですか? 魔物がいるかもしれませんし、一応僕も……」

「いえいえ! 先生は研究の続きをなさってください! では!」


 僕の返答を聞く前に伯爵は笑顔で走り去っていった。

 相変わらず元気な人だ。

 少し心配だが、伯爵ならまあ大丈夫だろう。

 野営地に戻ろうと、僕は歩を進めた。


「……はっ!? こ、ここは!?」

「お目覚めですか、ドミニク様」


 ドミニクとウィノナの声が聞こえた。

 野営地はすぐそこのようだ。


「あ、ああ、ウィノナ殿……どうやら私はまた気を失っていたようですね。御足労をおかけします」

「い、いえ! とんでもないです! これもわたしの仕事ですから!」


 僕は茂みの合間を抜け野営地に出ようとした。


「……一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 僕は無意識の内に足を止めてしまう。

 ウィノナの言葉を聞き、会話の邪魔をするのを憚られた。

 神妙な声音だった。

 何か相談事だろうか。

 だとしたら盗み聞きするわけにはいかない。

 僕は音を鳴らさないように踵を返した。


「なぜそこまで努力なさるのですか……?」


 僕は不意に足を止めてしまう。


「なぜ、とは?」

「し、失礼しました! い、いきなりこんな質問。お気に障って当然ですよね」

「ああ、いえ。そうではなく。単純に質問の意図がわかりかねたので。こちらこそ失礼」


 互いの気遣いを感じる。

 僕はなぜ足を止め、背中越しに二人の会話を聞いているのだろうか。

 でも、なぜかそこから動けなかった。


「わたしは……シオン様のお力になりたくても大したことはできません。

 じ、自分なりに努力はしているのですが、何も進展しないんです」

「あなたは我々の世話をしてくれている。それで十分ではないですか?」

「そ、それじゃダメなんです! それはわたしじゃなくてもできることですし。

 わたしはまほ……ま、魔力を扱えるようになりたいんです。

 シオン様が愛している力を、わたしも扱えるようになれば……お手伝いがもっとできるかもしれないから」


 沈黙が訪れる中、僕は緩慢に振り向き、二人の様子を探ってしまう。

 ウィノナは僅かに狼狽え、ドミニクは笑みを浮かべてウィノナを見ていた。

 なぜかその情景が、僕の心をかき乱した。


「あ、あの何か失礼なことを言いましたか?」

「いや、ただ、あなたにとってシオン先生はとても大事な方なのだなと思いまして」

「そ、そそ、そんな、お、おこがましいです。わ、わたしなんて」

「そう卑下しなくとも、シオン先生もウィノナ殿を大切に思っていることは傍から見てもわかります。

 例え魔力が扱えずとも、もっと自信をもっては?」

「……自信を持ちたいから、魔力を扱いたい、のかもしれません」


 僕からは俯いたウィノナの顔は見えなかった。

 ウィノナの背中は妙に小さく感じた。


「それで、なぜ努力をするのか、という質問に至ったと。

 シオン先生やマリー先生との圧倒的な差を感じつつも、なぜ努力を続けるのかと疑問を持ったのですね?」

「そ、それは、い、いえ! あ、あの……も、申し訳ありません」


 しゅんとしてしまったウィノナに、ドミニクが相好を崩す。


「いいのですよ。私も己の未熟さは痛感していますからね。ですが、だからこそ努力するのです。

 だって悔しいじゃないですか。諦めたら必ずできるとは思いませんが、諦めたらもう絶対にできないことはわかる。だから諦めない、それだけです」


 ウィノナはきょとんとしている。

 言葉にしっくりこなかったというよりは、言葉そのものに虚を突かれたのだろう。


「あはは、すみません。思ったよりも単純な回答で驚きましたか?」

「い、いえ! そのような」

「ウィノナ殿は優しい」

「え? わ、わたしが、ですか?」

「ええ、だからこそ考えすぎてしまう。特にシオン先生には特別な思いがあるご様子。そのせいで複雑に考えてしまうのでしょうが。

 もっと単純に考えてもいいかもしれませんよ」

「単純に……」

「そう。自分がどうしたいか、どうなりたいか。それだけです。

 実現するための道が困難でも、その道が明確ならば迷わないでしょう。

 後は覚悟があるか。そしてその道を歩み続けることが自分にとって価値があるのか、です」


 ドミニクの言葉にウィノナは真剣な様子で何度も頷いていた。


「そう、ですね……ドミニク様の言う通りです。

 頑張ってもダメならもっと頑張ればいい。それだけのことですよね」

「ええそうです。仮にその道の先が続いていなくとも、新たな道が見えることもある。

 歩んだ過去は決して無駄にはなりませんからね」

「はい! ありがとうございます! わたし、頑張ります!」

「その意気ですよ、ウィノナ殿!」


 決意を新たに小さな手をきゅっと握るウィノナ。

 ウィノナを奮起させるべく大きくうなずくドミニク。

 そんな二人を見て、僕の胸に去来したのは、小さなもやもやとした思い。

 ウィノナは普通の女の子だ。

 誰と仲良くなろうが、それは彼女の自由。

 だから僕がとやかく言うつもりはない。

 でも、少しだけ心が落ち着かない。


 これは独占欲なのだろうか。

 それともなぜ僕に相談してくれなかったのかという疎外感から生まれた感情なのか。

 いや、そもそもウィノナは僕に何度も話してはくれていた。

 最近、僕は妖精言語にかかりっきりだったし、気を遣ったのかもしれない。

 あるいはドミニクに近しい何かを感じたのだろうか。

 ……毎度のことながら、魔法が関わると視野が狭くなってしまう。

 ウィノナは魔力操作の鍛錬を数か月以上続けているのに、まったく進展がない。

 そんな状態の彼女の心情を考えなかった。

 ウィノナが魔力を……魔法を使えるように、もっと真剣に考えるべきだろう。

 彼女のため、そして僕自身のためにも。


  ●〇●〇


 僕はメルフィと見つめあう。

 僕も彼女も笑顔の状態だ。

 メルフィが口を動かすと、いくつもの口腔魔力が生み出される。

 様々な魔力色、魔力の数、魔力の強さ。

 僕はメルフィが口腔魔力を出したところを確認すると【目を閉じた】。

 暗闇の中で、いくつもの感覚が浮かび上がる。

 大小の魔力。

 微細な感覚を一つ一つ読み取った。


「間違いない……メルフィが言ったのは『おはよう』ですね」

「おお! その通り、正解ですぞ」


 目を開けるとメルフィが変わらずの笑顔で迎えてくれた。

 浮かぶ魔力色は僕と伯爵が、ほぼ挨拶だろうと判断した魔力のパターン。

 数か月に及ぶ研究で、複雑な言葉は解読できないが、ただの挨拶ならば大体は覚えていた。

 ただ、どんな言語でも挨拶のみだけ見ても、様々な種類が存在するものだ。

 だから僕と伯爵は、朝、開口一番メルフィが出した口腔魔力を毎日記録して、そのすべてを記憶するという、非効率なやり方をするしかなかった。

 そこまでしても確実ではない。

 それは妖精語を理解するにあたり、重要な要素が抜けていたせいだ。


 僕たちの感覚では、口語は名の通り【聴覚】によって行われ、手話は【視覚】によって行われる。

 これはあくまで主要素のことで、他の要素が不要ということではないのであしからず。

 しかし、妖精語では聴覚や視覚とは別の感覚を使う必要があった。

 それは魔力を知覚する感覚、つまり【魔覚】だ。

 第六感に位置する魔覚は不安定で掴みどころがない。

 そこにある、という感覚は普段使わないものだ。

 非常に繊細で難しい。

 だができる。

 そこに在ることがわかる。

 魔力の大小は明確に読み取れるが、魔力色を把握するのは難題だった。

 そもそも色は光と密接な関係にある。

 それは視覚的な現象に外ならず、目を閉じて色を判別する、というのは本来不可能なはずだ。

 だがそれはただの色の場合。

 魔力色では魔覚を用いて、その微細な感覚から色を判別する。


 そう、感覚なのだ。

 どういう感覚なのかを言葉で言い表すのは難しいが、確かに魔力色には相違がある。

 例えば赤の魔力色は強い存在感と熱を感じる。

 この熱は温度とは違う。暑苦しい、感情の猛りのようなものだ。

 五感に訴えるものではなく、イメージが浮かぶ、という言葉が最も近い表現だろう。

 それぞれの魔力色にはそういった特徴がある。

 加えて魔力色を魔覚で感知した場合、同じ色であっても違った印象を持つことがある。

 例えば熱を感じるが、やや柔らかな印象があるとか、非常に強い熱で威圧的に感じるなどだ。

 それはつまり、それぞれの魔力色にある様々な意味合いを含んだ感覚と考えていいだろう。

 赤ならば感情は憤怒や強い感情、意味は火、熱などとなっているが、すべては同一、同類の意味合いではない。


 当然、意味の違いがあるため、色だけでは言葉の意味を正確に理解することは不可能だ。

 魔力色の種類、魔力の大小、魔力の数を魔覚で知覚することで、妖精語は完成する。

 だから視覚だけでは断片的で曖昧な意味でしかとらえられなかった。

 本来、妖精語は【魔覚】を用いて行う非言語コミュニケーションだったということだ。

 ただ言語の定義が曖昧になるので、妖精語は言語というままでいこうと思う。


「しかし妖精言語は中々に難解なものですな……魔覚があればすぐに理解できる、というものでもないですし」

「ええ、まずは魔覚のコツを掴むのが非常に難しい。妖精たちは生まれてからずっとやっているからか、簡単にできるでしょうが、人間にとっては至難の業ですね」

「ふむぅ、ということはシオン先生以外にはできないかもしれませんな。

 少なくとも儂にはできませんでしたし……」


 ゴルトバ伯爵だけでなく姉さんもできなかった。

 姉さんはかなり器用で、アクアもすぐに使えたほどだ。

 そんな姉さんでさえ『これは無理ね。全然感覚が掴めないわ』と諦めたほどだ。

 僕もかなり難しく感じているが、今まで多くの魔法を使い、魔力を生み出す対象と接してきたからこそできているのかもしれない。

 伯爵はわかりやすいほどに落ち込んでしまっている。

 そりゃもう見事に落胆していた。

 可哀そうになってくるほどに肩を落としている。


「げ、元気出してください伯爵。これからもっと妖精語がわかるようになったんですよ!」


 伯爵はぴくっと耳を動かし、がばっと立ち上がった。


「確かに! 妖精語がよりわかれば、妖精の調査も進む!

 これは世紀の大発見ですからな! 落ち込んでいる暇はありませんぞぉ!」


 僕たちは互いの意思を確かめるように頷きあった。

 魔覚がなければ妖精の言葉は正確にはわからない。

 ただ、魔力色や魔力の大小だけは見るだけでも判別が可能なので、少しは理解ができるから、他の人にとっても決して無駄にはならないはずだ。

 これからやることは決まっている。

 一つ一つ、メルフィの言葉を聞き、改めてその言葉の意味を記録すること。

 今までの魔力はすべて視覚的な情報しかないため、内容は不正確だった。

 今は僕が魔覚を扱えるため、メルフィの言葉を正確に把握することができるはずだ。

 そうしてすべてを記録すれば……。

 かなりの時間を要するだろう。

 でも僕たちはスタート地点に立った。

 後はゴールに向かって突き進むだけだ。


「では始めましょうか! 伯爵! メルフィ!」

「もちろんですぞぉ!」


 僕は二人に声をかけた。

 伯爵は意気揚々と拳を突き上げる。

 メルフィは僕と伯爵を交互に見て。

 橙、黄、黄緑の口腔魔力を幾つも出した。

 そしてメルフィは僕たちの周りをくるくる飛び回ると、笑顔を返してくれた。

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