第143話 妖精語研究 分析 1

 僕とメルフィの会話が始まる。


「僕の名前はシオンっていうんだよろしく」


 メルフィは瞬きを何度もして、視線を空へ向ける。

 首を左右に傾げると、眉根を寄せた。

 伝わってないなこれは。

 僕は自分の胸に手を当てて、柔和な表情で再び言った。


「僕の名前はシオン。よろしく」


 メルフィは首を傾げていたが、何か思いついたように表情を明るくして、話し始めた。

 時間は三秒くらい。

 発した言葉、文字の数はおそらく二十程度。

 魔力の数は十。大小入り混じっている。

 色は緑、橙、黄色の三色の組み合わせだ。

 口の動きはどうだ。

 読唇術に心得はないが、それでも人間の言葉を話しているわけじゃないことはわかる。

 一文は大体理解した、

 伯爵が書き終えたのを見計らって、僕は次の言葉に移る。

 僕は手を挙げながら笑顔で言った。


「こんにちは」


 メルフィも同じように手を挙げて、答える。

 秒数は0、5秒くらいか。

 今度は発した言葉は三だ。

 魔力の数は八つ。大小入り混じっているが、白が一際大きい。

 色は橙、黄、緑、白の四色だ。

 白は半透明な色で、初めて見たかも。

 口の動きは単純だったように見える。

 なるほど、少しわかったぞ。

 続けよう。


「メルフィは元気かな?」


 今度は少し笑顔で言った。

 メルフィはニコッと笑い、飛び回ると僕の眼前で止まる。

 両手を後ろに回して顔を突き出して、恥ずかしそうにしなを作った。

 そして、話し始める。

 十秒くらい話していただろう。

 発した音は百二十程度。

 魔力の数は……三十五。ピンクが大きい傾向で、ほかの色は小さめだ。

 赤と白とピンク、それと黄緑だった。

 口の動きはかなり複雑で、読み取るのは不可能だった。

 言い終えるとメルフィは元の場所に降りて、再び座った。

 えへへと笑う彼女は可愛いが、言っていた内容まではわからない。

 まだ試行回数が少ないな。

 情報をもっと集めないと。


 妖精の言語がどれくらい複雑なのかはわからないけど、実際に話せる相手がいるのだから解析は比較的やりやすいはずだ。

 あせらず一つ一つの情報を精査し、間違えないことが重要だ。

 正確に正誤を判断して進めることが肝要だ。

 僕は今までそうやってきたのだから。

 必死に書記を続けている伯爵を一瞥する。

 書き終わったようで首肯を返してくれた。

 調査や研究は地味な作業がほとんどだ。

 これができないなら何も理解できないし、何も判明しない。

 こういった作業ができない人は自分で発見することに向いてない。

 よし、続けよう。


「おはよう、メルフィ」


 再びの挨拶だ。

 さっきと言葉は違うけど、動きと表情は同じにした。

 メルフィは同じように手を挙げて、答えた。

 秒数は0、5秒でさっきと同じ。

 今度は発した言葉は三でこれも同じ。

 ただ、魔力の数は五つになっていた。大きさは大体同じかな。

 色は橙、黄、緑だ。

 白がなくなっている?

 もう一回言ってみよう。


「こんにちは」


 同じ仕草で言った。

 メルフィは疑問符を浮かべながら、僕と同じような所作を見せる。

 そしてまた同じように言葉を紡いだ。

 秒数は0、5秒。発した言葉は三。同じだ。

 そして魔力の数は二つ。片方は一際大きい。

 色は紫。

 恐らくは言葉は同じ。

 しかし魔力の数や色は変わっている。

 これは一体?

 もしかして……いやまだ結論を出すのは早い。

 もう一度「こんにちは」と言ってみた。

 明らかに戸惑った様子で、メルフィは首を傾げつつ、答えた。

 秒数と発した言葉はさっきと同じ。

 魔力の数は三つで、紫と紺だった。

 今度は二色。紺の方が大きいかもしれない。

 なるほど……。

 僕は苦笑を浮かべてメルフィに言った。


「ごめんね、同じことして」


 メルフィはよくわかっていない様子で首を左右に振っていた。

 彼女は僕たちのしていることも理解していないはずだ。

 あまり不審な行動をとると信頼もなくなるかもしれないし、気を付けないといけない。

 その後、僕は挨拶や自分の紹介、メルフィのことを知りたい、という風な質問や答え、言葉を中心に会話をした。

 二時間ほど経過して、疲れたのかメルフィは敷物の上で寝てしまった。

 かわいい寝息を立てている姿を見てると、妙な庇護欲がわいてくる。

 伯爵は数十枚の羊皮紙を手に、難しい顔をしていた。


「シオン先生。先ほどの会話の内容と反応をすべて記載しておきましたぞ」


「ありがとうございます、伯爵」


 羊皮紙を受け取り、中身に目を通す。


「色々とひっかかるところがありますな。儂としては一つの仮説が浮かびましたが」

「なるほど。聞いても?」


 僕は感心と共に伯爵を見た。

 伯爵は思考を巡らせつつ、しゃがれた声を発する。


「まず最初の挨拶の流れですが、一度目は『僕の名前はシオンっていうんだよろしく』という文言で比較的表情は薄めでおっしゃり、次に文言を変えて『僕の名前はシオン、よろしく』と柔和な表情で自己紹介なさいましたな。

 あれはおそらく、違う言葉で同じ内容を言った場合、どういった反応を見せるのか、つまり相手にそれは伝わっているのかという部分を確かめるために行ったと考えられます。

 前者は通じず、後者は通じた。

 つまり妖精は表情や仕草から汲み取ることができる知能と知性があるとわかりました。

 次に『こんにちは』という簡単な挨拶。標準的な笑顔でしたな。

 メルフィは先生の意図を汲み、何かしらの挨拶だと理解した。

 まだ情報は必要ですが、同じ所作で同じようなことを言ったからだと判断するのが妥当かと思います。

 そして、その際に得られた情報を挨拶の基本的な考えとすることが可能になりました」


 伯爵はそこまで一息に言って、間隔を置いて、さらに続けた。


「次に『メルフィは元気かな』という言葉。

 やや強めの笑顔で、見た目は好印象でしたな。

 これもやはり言葉を変えた挨拶を試す意味で使った言葉かと思います。

 ですがメルフィの反応は挨拶というより、別の意味合いにとらえたようなものでした。

 メルフィの行動は親密さのあるものでしたから、恐らくは好意的な意味合いでとらえたと推測できますな。

 つまり言葉自体にはあまり意味はなく、所作のみでシオン先生の意図を受け取ったということでしょう。

 笑顔。表情。それが妖精とのコミュニケーションでは重宝されるということがわかります。

 さて、次ですが『おはよう、メルフィ』ですが、これをメルフィが挨拶だと認識していたのは、恐らく挙動と表情のみ。

 言葉は汲み取らず、ただしその言葉の数はおそらく理解している様子。

 優先順位は挙動と表情なので、先ほどと同じように反応した、ということでしょうな。

 しかし魔力の数は減っていた。

 これは気になる部分です。この時点ではまだ疑念の段階でした。

 そして次ですが『こんにちは』と同じ所作と表情で二回おっしゃいました。

 一度目は紫だけになりましたな。

 そして二度目は紫と紺。この二色は前半では見なかった色です。

 そしてメルフィの表情は明らかに戸惑いがありました。

 ここまでの情報を統合した結果わかったことがあります」


 さらにもう一度、一拍置く。


「魔力の色はすなわち……【何かしらの感情】あるいは【意思や意図】の色なのではないかと思われます」


 冷静に慎重に、そして淡々と起こった事実と情報を照合していく伯爵。

 僕は伯爵の見事な解釈に、驚きを禁じ得ない。

 当然なのだ。

 彼は学者。しかもメディフ内では権威と実績と実力のある学者。

 僕程度がわかることは当然、彼にもわかる。

 僕は一人で蓄積した知識と事前情報があるから、アドバンテージがあるだけに過ぎない。

 学者としては伯爵の方が上だ。

 けれど魔法に関しては、魔力に関しては僕は負けない。

 初めてかもしれない。

 誰かに負けたくないって思ったのは。

 僕は密かに胸中で闘志を燃やしていた。

 気づけば右拳を、左手で強く握っていることに気づく。

 僕は冷静さを取り戻すように、緩慢に呼吸した。


「伯爵。素晴らしい洞察力と分析力でした」

「これでも一応は学者の端くれですからな!

 ただ……先ほどの見解はやや早計な部分もありますな」

「伯爵も気づいていましたか。【言葉の数と魔力の数の関係性】が不明な点が気になります。

 それと妖精の言語が、口の動きと魔力の玉の色と大小という要素だけで構成されているとするのはさすがに苦しいですからね」

「そうですな。これでは【あまりに視覚に偏りすぎて】おりますからな。

 そもそも、妖精たちの会話は相手の方をいつも見ているわけではなかったはずですぞ。

 つまり【口の動き自体は会話には必要不可欠ではない】ということも言えます。

 もちろん視覚的な情報は伝達では重要な要素ですが、それだけでは違和感がありますな。

 古く、知識や情報を持たない種族であればそれも納得できますが、妖精はそうではありますまい」

「ええ。音、という部分を排除したコミュニケーションが発達していることは、やはり違和感があります。

 しかしどう聞いても、メルフィは音を発してはいない。

 妖精の聴覚が人よりも発達しているという可能性はあまりなさそうですし」

「そうですな。もしも聴覚が鋭敏なのであれば【儂が普段、茂みに隠れて妖精を観察する】なんてことは不可能かと思いますぞ」

「と、するとやはり音ではなく別の要素によって会話をしている、と考えるべきかな……」

「特筆すべき点は魔力でしょうな。

 しかし普段、儂が観察するときには茂みに隠れておりますが、見つかったことはありません。

 遠くの、あるいは隠れている相手の魔力を判別する能力に長けているわけではないでしょう。

 ですがそれは視力が発達していても死角にいれば見つけられないことと同義。

 発達していてもなんでもできるわけではありませんからな」

「……魔力そのものの色、というよりは色に含まれる魔力の要素そのものを判別している、ということかもしれませんね」

「あるいは儂らに認識できない別の要素があるとも考えられますぞ。

 人間や、シオン先生でさえも理解できない領域の何かを」


 僕は思考の海へ潜る。

 魔力の特徴。

 そもそも魔力に色がある、色を付けられるということ自体、以前の僕は知らなかった。

 魔力は淡い光を放つもので、それは同一のものだと思っていたくらいだ。

 でもそうじゃなかった。

 魔族のエインツヴェルフの魔力は【赤かった】のだ。

 それを思い出すと、魔力は純粋な力の源ではないことがわかる。

 色自体にも意味がある。

 だがそれだけではないのか?

 まだその意味は理解できなかった。


「すぐに答えを求めては足元をすくわれます。ここは慎重に進めましょうか」

「ええ、シオン先生のおっしゃる通りですな。

 功を焦って失敗することは往々にしてありますから。

 まずは着実に進めていくとしましょう」


 僕は最大限の肯定を表すように頷いた。

 まだ始まったばかりだし。

 焦ってはいけない。

 僕は自身を戒め、伯爵と情報をもとに話し合いを続けた。

 これはきっと魔法を進化させる足掛かりになる、そう信じて。

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