第144話 時には休息を

 一週間後の昼。

 いつも通り、アルスフィアに来ていた僕たちは昼食に勤しんでいた。

 敷物に座り、サンドイッチ【?】を頬張る僕と伯爵。


「伯爵、それふぁ、ぼふもおもっふぇいました……もぐもぐ」

「さすがシオン先生ですな! しかし、もふもふ、あれはあれでやふぁりきふにぃ」

「あ、あのお食事中はお話はお控えになった方が……」


 頬を膨らまして、咀嚼しながら妖精語に関しての議論を繰り返していると、ウィノナに窘められてしまう。

 僕と伯爵は顔を見合わせ、ほぼ同時に一気に嚥下した。


「ご、ごめん」

「も、申し訳ないですぞ」


 苦笑しながらウィノナは食器の片づけをしていた。

 僕と伯爵が妖精語の分析に夢中になっていた間に、食事を終えていた姉さんとドミニクは、森の開けた場所で対峙している。

 両者の手には剣が握られている。

 剣呑とした空気感が漂う中で僕と伯爵は、はむはむと料理を口にした。

 ドミニクが先んじて攻撃を仕掛ける。

 練度が如実に表れた所作。

 剣術の腕前は、さすが近衛騎士と言えるだろう。


「しぃ!」


 ドミニクの鋭い一閃が姉さんに向かい走る。

 僕と伯爵は二個目のサンドイッチに手を伸ばした。

 ちなみによくサンドイッチかサンドウィッチなのかという話になるが、僕は別にどっちでもいいじゃないかと思う派である。

 所詮、和製英語なのだから、こだわればすべてがネイティブにしなければならないわけで。ネイティブ風に発生したら、うざいとかなんとか言われるだけだ。

 結局何を言っても文句を言う輩というのはどこにでもいるものなのだ。


 キンキンという金属音が断続的に聞こえる中、僕の思考は別の方向へ割かれ続ける。


 サンドイッチ伯爵がいないのにサンドイッチという料理があるのはおかしいという話も、そもそも、サンドイッチ伯爵がいないという証拠もないのに断言できるのはおかしい話だ。

 それにサンドイッチ伯爵がいなくとも、サンドイッチという料理ができる可能性はゼロではないし、そもそも異世界では日本語が通じているし、あらゆる言葉が、自分の認識している言葉と共通知識として存在しているのだから、サンドイッチという言葉だけに拘泥して、ありえないというのはいささか早計だろう。

 そんなことを言い始めたら、ジャガイモがなぜ中世の欧州っぽい世界にあるのかとか、ジャガイモという名称の発祥はジャカルタのジャガタライモから呼び名が変化した、という説があるが、それならジャカルタがない異世界ではおかしいとかいう話になる。

 ほかにも調べればそういったものは出てくるだろう。

 だが、そもそもここは地球じゃないし、実際に文言として存在しているのだから、根本的にずれた論議であることは明白だ。


「ぐおおお!」


 ドミニクが僕の眼前まで吹き飛ばされて、足を痙攣させながら剣を手に立ち上がると、再び姉さんに向かい疾走した。


 魔物や妖精が存在する世界に、ほかの部分では矛盾があるなどという理論は、どこを根底に考えているのか疑問だ。

 こういう反応をすると、ファンタジーで許される部分とそうでない部分があり、リアリティを持たせるという意味では、やはり現実的な要素を加味すべきだという話がある。

 だが現実的というのはどういう意味だろうか?

 よく言うのは人の心情、心の動きである。今まで無感情だったキャラクターが、いきなり感情的になったり、元気キャラが冷徹になったりすると、このキャラはこんなことしない。矛盾している、リアリティがない、などという反応が出てくるわけだ。

 しかし本当にそうだろうか。人間ほど矛盾で成り立っている生物はいないと思う。ある日突然、性格が一変する人だっている。その変化の理由を描かなければ説得力がない、ということなのだろうが、すべてにおいてそれを描けるはずもないし、理由がない場合さえあるのだ。

 ドミニクはボロ雑巾のように宙を舞うと、地面に落下して、ぴくぴくと痙攣している。しかし、まだやる気らしく、必死で立ち上がると姉さんを睨みつける。


「近衛騎士っていうのはこんなものなの?」


 姉さんの挑発が利いたのか、ドミニクは怒りの表情で姉さんへと走った。


 何事にも正解なんてほとんどなく、理由はグレーな部分に存在していることの方が多いということだ。疑問や矛盾を感じていても、知りえない部分に正解があり、無知であるがゆえに憤慨し、否定し、したり顔で正論ぶろうとするものなのである。

 さて僕がなんでこんなことを考えているのかというと。

 この世界にサンドイッチを発明したサンドイッチさんは存在するし、ジャガイモの発祥は、ごつごつしたという意味を持つジャガとイモが合わさってできた名称であるということだ。

 実際、僕が言っていた同じような発祥と、別の発祥の可能性は実証されたということである。

 ちなみになぜ僕がこんなことを知っているのかというと、僕も同じように疑問を抱いて調べたからだ。だってやっぱり気になるからね。

 案外、こういうことに疑問を持ったり、矛盾が気になるという人は、何かを研究することに向いているのかもしれない。

 好奇心は未知への足掛かり、ということだと僕は思う。


 なんて無駄なことを考えている間に、勝敗は決したらしい。

 ずしゃあ、と見事な滑走音を鳴らしながら、ドミニクが遥か遠くに吹き飛んだ。

 まったく動かない。どうやら気絶したらしい。

 姉さんは嘆息して、ドミニクの様子を確認した。


「ウィノナ、お願いできる?」

「は、はい」


 いつものようにウィノナにドミニクの介抱を頼むと、姉さんがつまらなそうに僕たちのもとへ戻ってきた。

 姉さんの身体には傷どころか、土汚れさえついていない。


「どう?」

「全然ダメね。才能ないんじゃない?」


 きっぱり言ってしまう姉に、僕は愛想笑いを浮かべることしかできない。

 ドミニクは一般的には強い。それは間違いないが、一般レベルからは逸脱できていない。

 姉さんや僕はもちろん、ラフィよりも弱いと思う。

 いや、ラフィも本気で戦ったところを見たことがないから、実は僕たちよりも強いという可能性は否定できないけど、多分それはないと思う。

 ちなみにだけど、恐らくドミニクは近衛騎士の中でも強い方で、ドミニクが弱いわけではなく、僕たちが強すぎるだけだと思う。

 僕と姉さんが比較するのは父さんやグラストさんだからなぁ。

 それと姉さんはドミニクと戦う時、ブーストは使ってない。つまり素の力量で大差があるということだ。


「一週間前から変わってないように見えるね」

「進歩がないのよね。不器用なのか、それとも素質がないのか。やる気はあるように見えるけど、同じことばかり繰り返してるし。

 あたしみたいに直感的に理解するタイプでもないし、シオンみたいに戦略を組み立てるタイプでもないもの」


 前者は天性のものがなければ無理だ。

 僕は姉さんのように直感で戦えない。

 それはドミニクも同じだろう。


「直感で戦うのはもう才能だから、誰にでもできないよ。

 大概の人間は戦略を練って、戦いながら勝つ方法を模索することしかできないよね」

「あのねぇ、シオン。

 普通の人間は【戦いながら戦略を組み立てる】なんてことはできないのよ……。

 歴戦の戦士やよほど頭の回転が速い人間、あとはすっごく肝が据わっている人間くらいよ」

「いやいや、誰にでもできるよ。僕にできるんだから」


 呆れ顔で僕を凝視する姉さんに、僕は首を傾げて応える。

 なんだ、この反応。

 姉さんはこれみよがしにため息を漏らした。


「普通、考えるっていうのは余裕がある時にしかできないのよ。

 あるいはその思考に没頭できる環境があるとか。伯爵もそうでしょ?」

「確かにマリー殿のおっしゃる通りですぞ。

 普通の人間は戦闘中に戦略を練る、ということは無理でしょうな。

 そもそも勝つ算段を練る、という段階に至るということは、相手は同格か格上。

 相手の攻撃を防御し、自身も相手の攻撃を遮るためにある程度の攻撃が必要になります。

 それも刹那の間で行われ、一瞬の隙が生死を分かつのであれば、余計に思考に割く余裕はないかと」

「あら、伯爵って武術の心得があるのかしら?」

「ほほほ。まさか。旧友が多少、剣術を嗜んでおりましてな、色々と聞いておるだけですぞ。

 儂自身の戦闘能力は皆無ですな」


 オークとの戦いでも後方で見守っていただけだし、恐らく伯爵の言葉に偽りはない。

 多分……だけど。


「そ。まあ、いいけれど。

 とにかく、そういうこと。だからシオンみたいに戦略を戦闘中に立てることは難しい。

 だから普通の人間は、訓練であらゆる攻撃と防御の型を知り、経験し、想定して、実践に活かすわけよ。

 あたしも基本的にはお父様との訓練で培った技術で戦っているわけだし」


 自分では難しいとは思わないけど。

 姉さんが言うことなら、正しいんだろう。

 ……でも正しいなら、僕は謙遜風の自慢をしていたということになるわけで。

 なんか恥ずかしくなってきた。

 深く考えるのはやめよう。


「で、でもドミニクも訓練はしているんじゃないの?

 騎士とか余計に、そういう型とか気にしそうだけど」

「そうね。【型は】ね。できているわ」

「含みがある言い方だね」

「よくあるのよ。型ばかりで実践の経験がまったくない、名ばかり騎士ってやつ。

 貴族にありがちな、お綺麗な戦い方しかしたことがない連中ね」

「よくあるって……姉さん、そういう人と会ったことなくない?」

「ないわよ。お父様から聞いただけだもの」


 だろうと思った。

 ま、僕と父さんや母さんから聞いたことを、事実としてそのまま言うことがあるから、何も言えないけどさ。

 あるよね。親の言葉がすべてだって思っちゃうこと。

 ただ父さんや母さんが言うことは、本当に正しいことばかりだと思うのも事実だ。

 二人はきっと多くの経験や知識から言っているだろうから。

 僕たちの両親は何かを僕たちに教えるとき、慎重に言葉を選んでいる。

 僕が魔法を学んでいると知った時、冒険者ギルドへ行った時、怠惰病治療を始めた時に聞いた言葉は今も僕の教訓となっている。


「ドミニクの動きは綺麗すぎる。裏を返せば動きが単調すぎる。

 だから先が誰でも読める。馬鹿にしてるのかっていうくらい、わかりやすいわよ。

 何となくわかってたけど。あいつ、相当な真面目バカね」

「考えは結構柔軟だと思うんだけど……いや、そうでもないか」


 僕たちの行動には賛同的なのに、妙に女性に関しては下に見ていたりするし。

 考えが凝り固まっているけど、部分的には柔軟という感じか。


「ま、しばらくボコボコにしてたら、少しは工夫し出すでしょ。

 こういうのは自分で理解しないと意味ないし」

「それができなかったらどうするの?」

「もっとボコボコにするしかないわね」


 ニッと笑う我が姉のなんと恐ろしいことか。

 僕はドミニクに同情し、合掌する。

 生きろ、ドミニク。

 そうこうしている間に、僕と伯爵は食事を終えた。


「さて、そろそろ業務に戻りましょうか、伯爵!」

「そうですな! そろそろ何かが掴めそうですしな!」


 僕と伯爵は満面の笑みで頷きあうと、昼寝をしているメルフィのもとへ向かった。


「はぁ、あっちは楽しそうでいいわね……」


 姉さんの呟きを敢えて、無視した。

 ごめんね、姉さん。僕たちだけ楽しんで。

 でもそっちは任せるしかないんだ。

 僕たちは僕たちのすべきことがある。

 だからしょうがないんだ。

 そう言い聞かせながら、僕はメルフィを優しく起こすのだった。

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