第140話 メルフィ
本を元の場所に戻して居間戻ると、突如として空腹を感じた。
時間はそろそろ昼を過ぎるころだ。
多分、一時前かな。
色々とあったから余計にお腹が空いているらしい。
「そろそろ昼食をとった方がよさそうですね」
全員が同意するように何度もうなずいた。
ああ、言わなかったけどお腹空いてたんだな。
だめだな、僕は自分のことばかり考えて、配慮が足らなさすぎる。
「ねえ、ここで食べるの? あたしたち歓迎されてないけれど」
姉さんの言う通り、僕たちは妖精たちに警戒されているし、完全なよそ者だ。
彼女たちの住処に勝手に踏み入っている現状。
その上、図々しく食事をするなんてさすがにできない。
「そうだね……外に出ようか。妖精たちにも悪いし」
僕はちらっと緑と桜色の妖精を見る。
彼女たちはまだ僕たちを警戒している様子だった。
よほど人間が怖いのだろう。
調査したいけど、これ以上長居すべきじゃないな。
僕たちが家を出ようとすると、肩に乗っていた青い妖精が僕の眼前へと飛んできた。
何やら口から魔力の玉を吐き出しながら、口を動かしている。
何か訴えかけるようだったけど、僕はその意図をくみ取れない。
何が言いたいんだ?
僕たちが顔を見合わせると、青い妖精は二人の妖精のもとへ行き、言い争い始めた。
青い妖精は必死に何かを言い、緑色の妖精は怯えた様子で桜色の妖精の後ろに隠れながら僕たちをちらちら見て、桜色の妖精は何度も首を横に振っては僕たちを指さしていた。
「これ、多分僕たちを出ていかせるか、留ませるかで喧嘩してるよね……?」
「そう、みたいね。青い子はあたしたちを信用してるみたいだけど」
「しかし、妖精たちは基本的に人間を嫌っていますからな、むしろ青い妖精の反応は非常に稀有だと言えますぞ」
「で、でしたらやっぱり出ていった方がいいのでしょうか?」
最後のウィノナの言葉に、僕は緩慢にうなずいた。
青い妖精が僕たちのために行動してくれるのは嬉しいけど、ほかの妖精のことを考えるとやはり出ていくべきだろう。
僕はゆっくりと妖精たちの視界に入るように、遠目に移動した。
桜色と緑色の妖精は僕を睨み、あるいは警戒して身構えたけど、青い妖精は僕のもとへ飛んでくると、両手で抑えるような仕草をした。
大丈夫って言いたいのかな。
僕は苦笑を浮かべて、扉を指さして、
「ありがとう。僕たちは行くよ。ここにいると悪いからね」
そう言うと全員で外に出た。
青い妖精は悲しそうにして、僕たちを見送る。
扉を閉める寸前で青い妖精の顔が見えて、なんだか申し訳なさを感じてしまった。
家を出ると、青い妖精は家の小さな扉から慌てて飛び出してくる。
僕たちは彼女に手を振ると妖精の村へと向かった。
青い妖精は少しの間、僕に何かを訴えていたけど、やがて元気がなくなりしゅんとしてしまった。
僕たちは何とも言えない気持ちになって再びどうしたものかと視線を交わす。
でもどうしようもない。
少なくとも今は。
僕たちはただのよそ者なんだから。
妖精の村を通り、ゲートへたどり着く。
僕は青い妖精に振り返った。
彼女は僕たちのために色々としてくれた。
青い妖精のこの子がいなければ、僕たちは家に入ることもできなかったし。
強引に入れただろうけど、そんなことをしたら僕たちの評価は著しく下がり、妖精たちと交流を図る機会さえなかっただろう。
今はまだ、妖精たちには警戒されているけれど、この妖精の村に入れたことはきっかけにはなったはずだ。
この子のおかげだ。
「ありがとう。本当に助かったよ。色々とわかったこともあったし」
青い妖精は弱弱しく僕を見て、小首をかしげた。
「伝わってないわね……まあ、この子からしたら引き留めているのに外に行こうとしているわけだし、感謝してるとは思わないかも。
下手したら、気分を害したと感じているのかもしれないし」
「言葉が通じればいいんだけど……」
言って僕は気づいた。
妖精には人間の言葉が通じない。
正確には言語、というものがおそらく彼女たちにはないのだ。
だから魔力の球を口から出すことで、意図を伝える。
身振り手振りで少しは意思の疎通は図れるけど、それも限界がある。
きちんとしたコミュニケーションができればもっと妖精のことがわかるのに。
魔力の玉。
それが何を意味するのかはわからない。
魔力の色、口の動き、それ自体がどういう意味があるのか、僕はまだ把握していない。
でも。
中身がわからなくても、わかることはある。
魔力の存在を感じ取る。
普段の内から込みあがる魔力の気配を外に出し、肌を這わせて手を伝い、そして放出するいつも通りのやり方ではない。
内包する魔力を体内で流動させ、その流れのままに魔力を口腔から吐き出すイメージを浮かべた。
これは【妖精語】だ。
僕は青い妖精に向けて口を開いた。
声は出さない。
ただこの行為に意味がある。
その魔力はきっと何の意味もない。
下手をすると彼女を侮辱する言葉なのかもしれない。
あるいは突飛で、無意味で、稚拙で汚い意味かもしれない。
けれど。
【僕は確かに彼女たちの言葉を使った】のだ。
青い妖精の子は僕の口元を見て、あんぐりと口を開く。
魔力の玉を呆然と見つめ、そして顔を朱色に染めた。
満面の笑みを浮かべて、興奮した様子で両手をぶんぶんと振って、僕の周りを飛び回ると、僕の顔に抱き着いてきた。
何か言っている。彼女の口からは魔力の玉が溢れている。
僕は答えられない。
けれど伝わったことはわかった。
僕が妖精に歩み寄りたいと思っていること。
そのために行動したということ。
そして僕には彼女たち妖精とコミュニケーションが取れる素養があるということ。
本来、魔力放出なんて誰にでもできることじゃないことは、きっと妖精たちもわかっているだろうし。
彼女たちには人間とそん色ない知性があり、人間とは違う独自のコミュニケーション手段がある。
同じだ。僕たちと同じなんだと、僕は実感した。
それが嬉しくて僕も相好を崩した。
その様子をみんなが暖かい目で見守ってくれている。
妖精は僕から離れてゲートを指さした。
出ていけ、ってことじゃなく、あっちに行きましょうってことかな。
表情が嬉しそうだし。
僕たちがゲートに近づくと、外の情景が浮かび上がる。
ああ、出るときは別に魔力の鍵は必要ないのか。
青い妖精は僕の肩に乗った。
さっきとは違って上機嫌の様子で、足をぷらぷらと動かしていた。
「その子、ついてくる気かしら?」
「そうみたい。でもさすがにアルスフィアの外までは連れていけないけど」
妖精を肩に乗せている人間なんて目立ってしょうがない。
リスティアだったらまだいいけど、メディフだと妖精に何かしたと見られて、お咎めがありそうだし。
「あ、あの、その子の名前をつけてはどうでしょうか?
呼ぶ時に不便ですし……あ、あのペットとかそういう意味じゃなくて」
ウィノナがおずおずと言う。
「そうだね。確かに名前がないのは不便か。
……じゃあ、アオイとかでいいんじゃないかな」
青いからアオイ。
うん。安直すぎるっていうのはわかってる。
でもわかりやすいじゃない?
「…………まあ、いいんじゃない? それで」
「よ、よよ、よろしいのですか!?」
姉さんが適当に賛同すると、ウィノナが驚愕の声を上げる。
「だ、だって名前ですよ!? その子、ずっとその名前で呼ばれるんですよ!?」
「ま、まあ、ほら、妖精は言語がないみたいだし……僕たちの間だけで呼ぶ名前だし」
「で、ですがやはり名前は大事なのではないかと」
彼女にしては珍しく、感情を表に出している。
確かに安易に考えすぎたか。
僕はあんまり名前とか名称に頓着ないんだよなぁ。
魔法の名称も直感と今まで聞いたことがある言葉の組み合わせだったりするし。
しかし、ウィノナが僕の意見に反対するなんて、本当に珍しい。
数か月前の彼女は僕に逆らうことなんて絶対になかったのに。
僕がじっと見つめているとウィノナは我に返ったように、はっとすると勢いよく頭を下げた。
「あ、し、失礼いたしました……シオン様のお言葉に異を唱えるなんて」
「いや、大丈夫だよ。確かにちょっと安直すぎたし」
というかちょっと日本的だよなぁ、アオイって。
日本人なら、よく聞く名前だから安直だけどそれでいいとなりそうだけど、こっちの世界じゃ【青い】っていう言葉そのままだし。
まあ、思い入れがまったくないと取られるだろう。
名前か。
うーん、ダメだ。僕、こういうの苦手だ。
鉄雷剣とかもそうだけど、名は体を表す的な漢字で名付けただけだし。
ウィノナは恐縮した様子で視線を落としていた。
ふむ。せっかくウィノナが自分の意思を表に出したんだ。
これはウィノナの自立を考えれば丁度いいのかもしれないな。
「じゃあ、ウィノナに名前を考えてもらおうか」
「わ、わたしがですか!? し、しかし」
僕はウィノナの肩を叩く。
「頼んだよ」
ウィノナは困惑していたけど、少しだけ嬉しそうにしていた。
魔力の鍛錬があまり進んでいないこともあって、最近元気なかったから丁度いいのかもしれない。
ウィノナは自己評価が低いから、何か特別な仕事を任せると自信にもなるだろう。
というか僕には難しそうだからね……。
「で、では……メルフィという名前はいかがでしょう?」
「ほう? 開闢(かいびゃく)神話の清らかな水の乙女の名称ですな」
開闢神話。創世神話ともいわれる、この世界の成り立ちに関わる話だ。
まあ、千年前のルグレ戦争に関してもほとんど忘れられているこの世界の歴史だ。
相当な改ざんがされているだろうし、神話なんて眉唾物だから信じられる内容じゃない。
以前、母さんに教えてもらったけど興味がなかったからあんまり内容は覚えてない。
魔法に関係があるとは思えなかったしね。
ちなみに貴族教育において神話系の知識も必須科目だ。
しかし神話の登場人物の名称をつけるとは。
何となくウィノナにとって妖精への印象が分かった気がした。
不可思議で不可侵で近づきたい憧憬を抱く存在。
僕に近い感じなのかもしれないな。
「うん、メルフィでいいんじゃないかな」
「そ、そうですか。よかったです」
ウィノナは安堵したように胸をなでおろした。
まあ、彼女には今後も他の妖精の名前を付けてもらうつもりだけど。
今は言わないでおこう。
「君の名前はメルフィだ。それでいいかな?」
メルフィはきょとんとしていたけど、ニコッと笑った。
ふふふ、これは伝わってないな。
まあ、いいさ。彼女に伝えるため、というよりは僕たちの間で呼ぶためにつけただけだし。
僕たちはメルフィと共にゲートをくぐった。
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