第139話 調査計画

 なぜ、なぜなんだ。

 どうして日本語が書かれている?

 この本を書いた人物は日本人なのか?

 いや、その割にはかなり拙い漢字だ。

 それにほかの部分には日本語がない。

 とすると、この地球という言葉以外にはあまり日本語を知らないかもしれない。

 しかし誰が、なぜ、日本語を使っているのか、知っているのか。

 この本の書記者はこの家の所有者だろうか。

 わからない。

 わからないが、この著者が日本のことを知っていることは間違いない。


「――シオン?」


 姉さんは僕の顔を覗き込む。

 僕は咄嗟に本を閉じて、強引に笑顔を浮かべた。


「いや、なんでもないよ」


 姉さんは僕の顔をまじまじと見ていたけど、ほんの少しだけため息を漏らした。

 何か隠していることはバレたな、これ。

 話せるはずがない。

 自分が転生する前に住んでいた国の言葉が書かれていた、なんて。


「そう。まあシオンが言うなら、そうなんでしょうね」


 ジト目にも似た怪訝そうな視線を僕に送ると、姉さんは離れていった。

 隣にいた伯爵が疑問符を浮かべながら髭をいじっている。

 僕は慌てて、二の句を継げた。


「と、とりあえずこの本のことは置いておきましょうか」


 家の所有者はいないみたいだし。

 もし、帰ってきたら話してみたい。

 一体どんな人物なのか、それとも人ですらないのか。

 叫ぶ鼓動を隠しながら、僕は平静を装い続けた。


「ふむ、そうですな。解読できる手段もありませんし。

 しかし、さてどうしますかな。まさか妖精の調査をしていたら妖精の村に辿り着くとは思いませんでしたが……。

 今後の方針を決める必要がありますな。

 色々と事情が込み合って参りましたからな」

「そう、ですね……その必要がありそうですね」

「シオン先生、ご意見を賜りたいのですが。これからどうすればいいかと思われますかな?」

「僕ですか? でも、僕は外様なので」

「ご謙遜を。そも、この村を見つけたのも、魔物討伐に大きく貢献したのもシオン先生ではありませんか!

 でしたら、シオン先生のご意見に聞くのは当然でしょう?」


 それは確かにそうかもしれないけれど、ドミニクたちが納得するだろうか。

 僕が視線を送ると、なぜかドミニクを筆頭とした騎士たちは全員同時に頷いていた。

 忘れてた。この人たち、僕に弟子入りしようとしていたんだった。

 姉さんは肩を竦めるだけだし、ウィノナは何度も頷いて肯定するだけ。

 確かに主観を除いても、この状況で色々な情報を持っているのは僕だけだし、魔法関連の知識はみんなにはない。

 一先ず僕が先導するしかないか。


「わかりました。あくまで僕の個人的な意見ですが」

「ええ、ええ。それで結構です。是非ともお聞きしたいですな」


 目を輝かせる伯爵に僕は苦笑を向ける。

 あー、多分僕の意見を言ったら伯爵は賛同するんだろうな。

 まあ、話が進まないししょうがない。

 ここは僕が前に出ることを良しとしよう。


「じゃあ、まず現状をまとめましょう。

 僕たちは妖精の調査をするためにアルスフィアに来た。

 調査が本来の目的でしたが、途中で魔物を発見。

 討伐する必要があると判断し、追跡し打倒しました。

 そして妖精を追って、妖精の村を発見。

 この時点で僕たちは目的である調査の進展が見込めたということになります。

 ですがいくつか問題がありますね」


 僕は一拍置くと人差し指を立てて、みんなに見せた。


「まず一つは、魔物が他にいる可能性があるということ。

 さっきのオーク達だけだと考えるのは楽観的です。

 アルスフィア全体を再調査するか、あるいは妖精の護衛をするべきでしょうね」

「シオン様。質問なのですが、なぜ妖精の護衛をする必要があるのでしょうか……?」


おずおずと手を挙げるウィノナに僕は答える。


「明らかに魔物が妖精を追っていたからだよ。

 魔物は何らかの理由で妖精を殺す、あるいは捕まえることを目的としているみたいだった。

 さっき討伐したオークたちの向かっていた先に妖精がいたからね」

「たまたまという可能性もあるのでは……?」

「あるね。偶然、見つけた妖精に殺意を抱いて追った、みたいな。

 でも結局はそういう敵意を持つ対象になりえるわけだし、護衛や保護は必要だよ。

 僕たちは妖精の調査が目的だけど、伯爵の立場からすれば妖精の保護も重要ですよね?」

「ええ、もちろんですな。儂、というよりは妖精学者や妖精愛護者、国の主義にも言えますな。

 上流貴族であり近衛騎士である者には、身近ではないやもしれんがの?」


 伯爵はちらっとドミニクを見る。

 ドミニクは苦虫を潰したような顔をした後、すぐにいつも通りの精悍な顔つきに戻った。


「以後気を付けます」


 ドミニクは素直にそういうと鉄面皮を見せる。

 伯爵のさっきの言葉って皮肉、なのかな。

 それともただからかっただけかな。

 意外に仲が悪かったりするんだろうか。

 その割には何というか雰囲気は悪くないけど。


「続きです。二つ目ですが……調査が遅延するか、最悪の場合は頓挫するかもしれないということです」

「ふむ……魔物討伐の件があるからですな」


 伯爵は僕の意図を把握したみたいだ。

 ほかの面々は理解していない様子だった。


「ええ。これは僕の憶測もあるんですが。

 仮に街に戻って討伐隊を派遣し、アルスフィア中を捜索したとして、魔物が見つかると思いますか?」

「おそらくは難しいでしょうな。

 なぜならアルスフィア内の哨戒は日常的に行われております。

 その状態であれほど巨体なオークたちを見つけられていないということは……は!? ま、まさかシオン先生は、この場所と同じだと言いたいのですか!?」


 伯爵は興奮した様子で鼻息を荒くしていた。

 落ち着いて、おじいちゃん。


「ええ。さすが伯爵です。僕はもしかしたらこの妖精の村のような場所に、オークたちがいるのではないかと考えています。

 もちろん、確証はありません。

 ですが今まで多くの人員を割いて保護していた森内で、オークのような魔物が見つけられていなかったというのは、やはり違和感があります。

 しかも明らかな成体でしたし。それも複数匹。

 となると簡単に見つけられない場所にいたか、あるいは突如として現れた原因がある。

 何者かがオークを捕まえて森に放ったと考えるのはさすがに荒唐無稽ですし、やはり自然発生した原因があると考えるのが妥当でしょうね。

 ではここで疑問が出てきます。

 一度の捜索では見つけられなかった場合。それでもう捜索は終了し、再び森を開放して、僕たちは調査できる、となりますか?」

「……それもやはり難しいでしょうな。アルスフィアはメディフにとっては重要な地ですから。

 しばらくは警備を強化し、簡単には入れないでしょう。

 仮に魔物を見つけ討伐しても、同じでしょうな」


 うん、そうなるよね。

 一度問題が起きた場所をすぐに開放するなんてことはしない。

 数週間、下手をすれば数か月はそのままかもしれない。

 その間、僕たちは妖精の調査をできないわけだ。

 あるいは制度が変わって、以降は異国民である僕たちは入場できなくなる、なんて結果になる可能性もある。

 それはさすがに困る。

 さて、ここまで来たら僕が言いたいことがわかった人がいるみたいだ。

 伯爵は思案気に、そして我が姉は呆れたように僕を見ていた。


「もう一度確認しますが、僕たちの目的は妖精の調査であって、それ以外の何物でもない。

 そうですね?」

「それは間違いありませんぞ」

「ですね、ですよね!

 じゃあ、僕からの提案です。

 魔物の存在報告するのやめちゃいましょう!

 そしたら、余計な邪魔も入りませんからね!

 僕は魔物を見つけるのは【誰よりも】得意ですし、人海戦術をとるよりも確実です。

 それに、僕や姉さんがいれば魔物討伐と妖精の護衛も同時に行うことができるわけで。

 一石二鳥! 一挙両得ですよ!」


 僕が言うと姉さんと伯爵を除いた全員が『何言ってんだこいつ』みたいな顔をした。

 その反応は正しい。

 普通、問題が起きたら、解決する機関に報告するのが義務だ。

 特にここにいるのは妖精学者とその護衛を担う近衛騎士。

 魔物の存在を知らせない理由はない。

 ドミニクが慌てて僕に詰め寄ってきた


「し、しかし」

「弟子にする」


 僕が言うと、ドミニクはきょとんとする。

 僕は柔和な笑みを浮かべて、姉さんを指さした。


「姉さんの」

「はああああ!? ちょ、ちょっとシオン!? 何言ってるの!?」


 姉さんが叫びながら僕の迫る。

 しかし僕は口笛を吹く振りをしながら視線をそらした。


「いや、だって僕よりも姉さんの方が適任でしょ。

 僕は剣術を使えないし、ドミニクは姉さんにコテンパンにやられたから強さも知ってるし」


 言うと、ドミニクは眉根を寄せて考え事を始めた。

 これはいけそうか?

 対して姉さんは頬を引くつかせながら顔を僕に寄せると、小声で話し始めた。


「ど、どういうつもりよ! どうしてこの馬鹿騎士の世話をあたしがしないといけないのよ!」

「一つ。僕はあまり魔法を人前で使いたくない。だからドミニクを鍛えるのは難しい。

 ブーストだけじゃ限界あるし」

「ぐっ! そ、それはまあ、そうでしょうけど」

「二つ。仮にドミニクや騎士たちを鍛えるとなったら、僕の時間が無くなる。

 妖精の調査が滞るし、その間姉さんは暇になる」

「ぐっ! い、言い返せない!」

「三つ。誰かに教えることで、より自分で理解できてさらに強くなれるって、父さんが言ってたよ」


 言ってないけど。

 多分、父さんなら言いそうだし、未来の父さんに言わせておこう。

 父さんの名前を出したことで、姉さんの圧力がなくなった。

 これいつものやつだ。

 仕方ないなぁ、もうって感じ。

 姉さんはため息を漏らして、目を閉じる。


「わかったわよ。しょうがないわね。シオンの言う通りだもの。

 納得はいかないけど、やるしかないみたいね。

 ほら、ドミニク。聞いたでしょ? あたしが教えてあげるわ」


 ドミニクは難しい顔をしている。

 やはり任に背くことになると危惧しているのだろうか。

 報告義務があるだろうし、部下もいるもんな。


「うーん、やっぱり難しいか……。

 それにドミニクたちを巻き込むのは気が引けるし、ここは伯爵から王様にドミニクの護衛を解くように直接言うしかないかも?」

「むぅ、そ、それはできなくもありませんが、あやつが許すかどうか……」


 伯爵が自由に行動しすぎて制限として護衛兼監視役を付けられているわけで。

 それをやめるように訴えても認められるかは難しいだろう。

 どうしたものかと僕たちが考えていると、ドミニクは顔をあげて、事も無げに言った。


「あ、いえ、報告しないことは問題ありません。

 アルスフィアの周辺は警備が厳重ですし、魔物が外に出ることはないでしょう。

 加えて魔物が出たという報告を怠ったとして、警備兵や哨戒兵が対応できないというのはある種の怠慢ですからね。

 さらに言えば、私たちが訪れるまで魔物の存在が知られることはなかったということは、つまり先ほどシオン様がおっしゃったように、特殊な状況のようですし。

 報告しなければ危険という状況かは曖昧ですし、魔物の追跡が得意なシオン様が調査を続けた方が良い結果があるやもしれません」


 意外に柔軟な意見だな。

 この状況なら大概は報告すべきという答えを出しそうなものだけど。

 まあ、常に哨戒、警備をしているという状況での事態だ。

 その状況で報告をしても、結局は多くの兵士を割いて無駄骨に終わる、という可能性を考えても不思議はないか。

 それにしてもかなり広い視野を持った人間でなければこういう反応はしないだろう。

 ドミニクは案外、器が大きいのか。


「ただ、やはりシオン先生に教えていただきたいのですが。

 やはり婦女に頼むのは――」


 ドミニクが言い終わる前に、姉さんの右ストレートがドミニクの顔の横を通り過ぎる。

 音が遅れて聞こえたと同時に、風が周囲を舞った。


「何か言った?」

「いいい、いい、いえ! な、なな、何もありません、マリー先生!」

「それでいいわ」


 姉さんは満足げに笑う。

 いや、全然柔軟じゃないなこの人。

 完全に女性を下に見てるというか、まあ一般的には女性の方が男性よりも運動能力は低いから、しょうがないけど。

 あくまで全体的なという意味でね。

 すべての男性がすべての女性よりも強いというわけではないので、念のため。

 一連の流れを見ていた伯爵が僕に耳打ちした。


「シオン先生の姉君は中々に剛毅なお方ですな」

「あ、あはは……」


 昔はもうちょっと大人しかったような。

 いや、子供のころの方が活発ではあったのかな。

 今の方が性格は落ち着いているけど、なんて言えばいいのか……母さんっぽさがあるというか。

 ちょっと世話好きっぽいし、周りをよく見ている感じがする。

 それに怒らせると怖いのはやっぱり母さんに似ている気がする。

 姉さんは変わり始めている。

 僕は……きっと今のままだろうけど。

 ドミニクに軽く説教をしている姉さんを見て、そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る