第137話 妖精の村

 濃い魔力の空間に僕たちは入り込む。

 変わらずの森だが、情景はどこか違和感があった。

 僕は不意に後方へと振り向いた。


「嘘だろ……」


 僕は驚愕のままに声を漏らす。

 みんなも僕の視線の先を見る。

 そしてみんな一様に驚きに目を見開き、動きを止めた。

 そこには崖があった。

 恐る恐る下を覗くが、奈落のように何も見えない。

 空しかなく、遠くには陸も海も存在しない。

 相当な高度を誇っているのかとも思ったが、空気は薄くなく、また雲も眼前にはない。

 しかし見下ろすとそこには雲海が広がっている。

 不可思議な場所だと思った。

 僕は何とか状況を飲み込み森の奥へと踏み入った。

 そこかしこにある魔力の残滓を追った。

 そして僕たちはその場所へとたどり着いた。

 木々は消え、そこには広々とした空間があった。

 いくつもの小屋が木の上や地面に建っている。

 しかしそのサイズは人のそれではなく、非常に小さい。

 人の家の三分の一もないその家屋の周辺に、妖精たちが楽しげに舞い踊っている。

 声はせずとも妖精たちの口からは魔力の玉がいくつも現れ、談笑をしていることは明らかだった。

 ここは妖精の村だ。

 数えきれないほどの妖精たちを前に、僕たちは呆然と立ち尽くした。


「妖精が、こんなに……」


 無意識の内に呟いた言葉だったけど、誰もが同じことを思っただろう。

 この世界に来て、何度も不思議な経験をしたけれど、ここまで幻想的なことに出会ったことはない。

 僕は魅了され、そして呆然自失と情景に見入った。

 あまりに想像外のことだったせいで誰もが身を隠すことを忘れた。

 そのせいで妖精たちが僕たちに気づいてしまう。

 妖精たちは慌てた様子ですぐに家に入ったり、別の場所へ逃げてしまう。

 我に返った僕はすぐに自分の失態に気づいた。

 しかしすでに時は遅し。

 そこら中にいた妖精たちはいなくなってしまった。


「これは参りましたな……」

「いきなり姿を現したら、警戒して当然でしょうね」


 伯爵はまだ夢見心地のようだが、比較的早く冷静さを取り戻したようだった。

 ただまだ興奮した様子ではあった。

 僕も同じだけどね。

 姉さんでさえ言葉を忘れて情景に見入っているくらいだ。

 誰でも冷静さを欠いて当然だろう。


「どうしましょうか。妖精たちは隠れてしまいましたし」

「ふむ、とりあえず家を訪ねてみますかな?」

「そうですね……あの怯えようだと応えてくれるとは思えませんが」


 僕たちは家を一軒一軒訪ね、声をかけてみた。

 しかし妖精たちは窓から顔を覗かせ、目が合うとすぐに家の中へと逃げてしまう。

 確実に、僕たちは厄介者として見られているようだ。


「やはり無理でしたか。妖精は人間や魔物を嫌っておりますからな」


 僕たちどうしたものかと途方に暮れた。

 正直、僕たちは妖精の生態を調べに来ているだけで、妖精に危害を加える気はまったくない。

 むしろできれば友好関係を築きたいと思っているくらいだ。

 まあ、妖精の態度を見れば、それは難しいんだとは思うけど。

 そもそも言葉が通じているのかわからないし。

 僕と伯爵が思案し唸っていると、平静を取り戻した様子の姉さんが横に並んだ。


「ねえ、さっき一部の妖精は家じゃなくて森の奥に行かなかった?」

「奥に何かあるのかな? 行ってみようか」


 僕たちは妖精の村を離れて、森の奥へ向かった。

 道がある。不思議な話だがけもの道ではなくきちんと舗装されている。

 妖精たちがしたのだろうか。それにしては人為的なものを感じた。

 道を進むと見えてきたのは家だった。

 しかしその家は妖精たちの家とは違って、人間の家と遜色がなかった。


「これは……どういうことなのでしょうか?」


 ウィノナが戸惑いながら僕に尋ねる。

 言いたいことはわかる。

 ここに来るには、絶妙な魔力操作が必要になる。

 入口のゲートを開くには、妖精の放つ魔力に似た魔力を放出することが必要だったのだ。

 鍵が必要なく、妖精自身が行動をせずに何かが起こった、という事実から、僕は魔力が関係していると判断し、妖精の魔力に似せた魔力を、妖精たちが消えた空間に放った。

 その推測は正解で、ゲートは開き、僕たちはここにいる。


 しかしそんな芸当がほかの人間にできるとは思えない。

 ではもしかしたら……その対象は人間ではないのか。

 魔力を持つのならば、それは魔族かあるいは……ルグレか。

 もしかしたら魔力操作以外でゲートを開く方法があるかもしれないので何とも言えないが。

 しかしこの妖精の村には人間か、近しい存在がいた、もしくはいるということは間違いない。

 不安と警戒心を抱きつつ、僕は高揚を抑えきれない。

 だってもしも妖精に近しい誰かがいれば、その人は魔法の知識があるかもしれないのだ。

 現在、僕は魔法の研究があまり進んでいない状態だ。

 その人が何かを知っているのならば、もしかしたら魔法研究を進めるきっかけになるかもしれない。

 そう考えると期待は自然に膨らんだ。

 家の窓から妖精たちが不安そうにこちらを見ている。

 よくよく見ると、家のところどころに小さな入り口があり、妖精たちが出入りできるようになっているようだった。


「なぜこんなところに人の住める大きさの家があるのですかな?」


 伯爵は僕と同じ疑問を抱いたようだった。

 しかし答える存在はここにはいない。

 わからないことだらけだ。

 やはり妖精たちとコミュニケーションをとれないと始まらない。

 しかし無理やり家に入ったり、話そうとすればさらに距離は開くだろう。

 どうしたものかと考えていると、騎士の一人が背負っていたドミニクが目を覚ました。


「はっ……? こ、ここは?」


 騎士は目覚めたドミニクを地面に下ろす。


「実は――」


 僕は簡単に経緯を説明した。

 信じられないという顔をしていたドミニクだったけど、実際に妖精の村や妖精の姿を見ると一先ずは受け入れたようだった。


「不思議なこともあるものですね……しかし、これからいかがいたしますか?

 妖精は怯えている様子。会話もできないでしょうし」


 ドミニクの言う通りだった。

 この場にいたら、妖精たちを怯えさせるだけだ。

 一旦帰るか?

 しかし帰っても収穫はない状態だ。

 せっかく妖精のことを知るきっかけができたのに、無駄にしたくはない。

 かといって無理に関わるわけにもいかない。

 どうしたものか。

 と、途方に暮れていると、家の小さな扉がゆっくりと開いた。

 そちらを見やると、一人の妖精がちらっとこちらを覗いている。

 僕たちは戸惑いながら妖精の動向を見守る。

 青い妖精は僕を見ると、パチパチと何度も瞬きをして、そして嬉しそうな顔をすると、勢いよく飛び回った。

 僕の周囲を舞い飛び、きらきらと魔力の鱗粉を虚空に残す。


「い、いったい、何が起こっているのですかな!?」


 伯爵や騎士たち、ウィノナは狼狽し、ただただ妖精の姿を目で追っていた。

 妖精は僕の目の前で止まった。

 そしてニコッと笑った。

 瞬間、僕ははたと気づく。

 姉さんを見ると、姉さんも気づいた様子だった。


「「コボルトに捕まってた妖精!?」」


 僕と姉さんが同時に声を発した。

 青い妖精はきょとんとして、僕の肩に座った。


「も、もしかして覚えてくれてたのかな?」


 青い妖精は言葉を発しない。

 けれど口を動かし、何やら様々な色の魔力の玉を出している。

 何か答えてくれている様子だけど、何を言っているのかはわからない。

 僕たちの言っていることがわかるのか、それとも僕と同じように一方的に話しているだけ?

 わからない。けれど好意的ではあるようだ。

 そういえば、さっきオークが追っていた妖精の中に、彼女がいたような気がする。

 遠目だったから確信はないけれど、他の桜色と緑色の妖精が小屋の中に隠れたような気もする。

 ということは三人の妖精は、さっきオークに追われていた妖精かも。

 僕が思考を巡らせていると、青い妖精は家を指さした。


「入っていい、ってことなのかな?」

「多分、そうじゃない?」


 姉さんと曖昧な会話をしながら、恐る恐る僕は家の扉の取っ手に手をかける。

 鍵はかかっていないようで、すんなりと扉は開いた。

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