第134話 お前の相手は僕だ

 複数の足跡は途切れることなく森の中を進んでいる。

 ドミニクは足跡を確認しつつ、慎重を歩き続けていた。

 魔力の残滓が、足跡にあった。

 僕でなければ気づかないほどの、ほんの少しの魔力。

 今まではこんな風に、足跡のような痕跡から魔力を感じることはなかった。

 怠惰病治療と魔力操作に集中していたおかげか、今までは見えない極小の魔力も視認できているのだろうか。

 僕は遠くからでも魔力の光が見えるが、姉さんや伯爵には見えていないようだった。

 視認の度合いも自分で調整できるし、思えば大分、魔力操作に関しては卓越してきたように思える。

 しばらく進むと、遠くから音が聞こえた。

 これは、雄たけび?

 咄嗟に走り出したドミニクと共に、僕たちは地を蹴る。

 木々を縫い、見えた光景。


 伯爵とウィノナ以外の全員が武器を抜いた。

 オークたちの巨大な背中が正面にある。

 奴らは僕たちに気づいていない。

 何かを追っているのか、叫びながら棍棒を振り回し、木々をなぎ倒しつつ走っている。

 僕たちも疾走する。

 轟音と共に闊歩するオーク。

 巨躯ゆえに移動速度は遅い。

 僕たちはすぐに奴らの背中に追いついた。

 一般的にオークは緑の肌だ

 だがその中に、灰色の肌のオークが一体いた。

 そいつはほかのオークに比べてさらに巨大だった。

 だらりと垂れた舌からは唾液を漏らしているオークたちは、みすぼらしい衣服を着ている。

 ドミニクは逡巡することなく跳躍。

 オーク討伐は可能だと言うだけあって、身体能力は尋常ではなかった。

 長剣をまっすぐ後方のオークの背中に突き立てた。


「グギャアアアーーッッ!!」


 一体のオークの悲鳴が上がると、ほかのオークたちが異常に気付き、足を止めた。


「ギギギィッ!」


 オークは全部で五体。

 狭い森の中を、奴らの巨体が埋めている。

 ドミニクが攻撃したオークは倒れる直前で踏みとどまり、暴れる。

 ドミニクはすぐに背中から飛びのき、僕たちの前で着地した。

 攻撃されたオークは、激高しドミニクを睨んでいる。

 背中から血を流しているが、致命傷ではなかったようだ。

 僕が見た限りでは、急所に向けた適切な一撃だったように思えた。

 だが奴はまだ動ける。


「こいつ……普通のオークと違う……!」


 僕もドミニクに同意見だった。

 過去にオークと対峙したことはないけど、聞いていた話ではここまで強靭ではなかったと思う。

 昨今の、魔物関連の異常事態に関係があるのだろうか。


「下がっていてください! こいつらは危険です!」


 ドミニクの叫びに、僕は素直に応じた。

 正直、僕たちが戦った方がいいだろうが、ドミニクの意向がある。

 いざとなった時に、手を貸せばいいだろう。

 相手は強力な魔物。悠長にはしていられないかもしれないが。

 一人の騎士が僕たちの護衛として近くに残り、ほかの騎士はドミニクに並び構えた。


「どう思う?」

「厳しいね」


 ぼそりと呟く姉さんに、僕は答える。

 姉さんも同意見だと思ったのか、緩慢に頷いた。

 いざとなったら助力しようと思っているのは明白だった。

 僕と姉さんなら勝てる相手だろう。

 相手が魔族のエインツヴェルフより強いはずはない。

 オークの魔力量は圧倒的に少ない。

 絶対ではないが、魔力の量はその存在の力を現している。

 特に魔物においては顕著で、魔力量が多ければ多いほど、その魔物は強い。

 普通のオークは魔力量100程度。

 灰色のオークは魔力10000程度だ

 正直、以前の僕ならかなり苦戦する相手だったけど、今の僕なら余裕で勝てるくらいではある。

 ただ異常ではある。

 他に魔物がいないとも限らないし、警戒を怠るべきではないだろう。

 ひとまずは伯爵やウィノナの護衛を優先して、見守るとしよう。


「はああああああ!」


 ドミニクが咆哮と共に先ほど傷を与えたオークに迫る。

 早いが、やはり人間の動きを超越できてはいない。

 当たり前だが、どれほど強靭で、迅速でも魔法なしの人間の力は、想像の域を出ない。

 オークが棍棒を振り下ろす。大振りな一撃は、ドミニクに掠りもしない。

 ドミニクは敵の攻撃を右方に回避し、すぐにオークの懐へ飛び込むと心臓に向けて、剣を突き立てた。


「ギャアアアア!?」


 かなりの速度での跳躍だったためか、剣はすんなりとオークの肉を貫く。

 オークは即死し、意識を失うと同時に前方へと倒れた。

 ドミニクはすぐに後方へ跳躍。

 その手には剣が握られていない。


「オークの筋肉は思っている以上に硬い。だから心臓を狙うよりは首や手首の頸動脈を狙うのが定石らしいわ。お父様の受け売りだけれど」


 冷静に状況を説明する姉さん。

 僕もオーク相手なら、刺突はしない。

 刺すことはできても抜くことは難しいと思うからだ。

 武器が何本もあればいいが、一つしかない場合は悪手となる。

 ドミニクはオークを一体倒した。だが、剣を一つ失った。

 不幸にも彼は他に武器を持っていない。

 そしてオークの巨体が邪魔で、戦闘中に剣を取り戻すことは難しいだろう。

 ドミニクは歯噛みしながらオークを睨んだ。

 さて、さすがに見ているだけにはいかなくなった。

 姉さんは姿勢を低くし、足に力を籠めようとしていた。


「僕が行くよ」


 姉さんは僕を一瞥して、力を緩める。

 姉さんに任せてもいいけど、対応力は僕の方が上だ。

 ブーストは自分に関しての恩恵が多い魔法のため、誰かを守ることに向いていない。

 魔法を見せることは多少抵抗があるが、そうも言っていられないらしい。

 まあ、一応は魔法然とした魔法を使うのは控えようとは思っている。

 ドミニクに向かい残りのオークたちが迫る。

 ドミニクは後方へ下がりつつ、ほかの騎士に前衛を任せるつもりのようだ。

 ただ、あれだけの猛攻を抑えることが騎士たちにできるとは思えない。

 僕はブーストを使い、一瞬でドミニクの隣まで移動する。


「な、なにぃ?」

「は?」

「なんと……!?」


 騎士たちとドミニク、伯爵の声が耳朶に届く。

 それに構わず、僕は倒れているオークの巨体を蹴り飛ばした。

 オークの死体はほかのオークたちの移動を妨げる。

 オークの巨躯は300キロを優に超える体重があるだろう。それを蹴り上げたのだ。

 その異常な光景を見て、平静を保てる人はあまりいないだろう。

 姉さんは嘆息し、僕は苦笑する。

 フレアやボルトを使うよりはいいだろ、と表情で言い訳をして、宙を舞うオークの身体から剣を引き抜いた。


「受け取って」


 僕はドミニクに剣を渡すと、オークに向き直った。

 灰色のオークだけは仲間の死体を避けて、僕たちに迫っている。

 あの巨体であの速さ。

 通常、体重が重ければ重いほど動きは鈍く、一歩一歩も遅い。

 大股で歩けども、人間のように連動した動きは不可能なはずだ。

 しかし灰色オークはその動きを可能にしている。

 巨体に俊敏。それは普通の人間に対応できる動きではない。

 ドミニクが咄嗟に僕を守ろうと、僕の前に躍り出る。

 だが僕はさらにその前に移動して、灰色オークが振り下ろす棍棒の一撃を雷火で受け止めた。

 僕の足は地面に埋まった。

 大した一撃だ。ブーストがなければ僕の身体は潰されていただろう。

 あまりに一瞬の出来事。

 姉さんと僕以外の人間には状況を呑み込めていないはず。

 ここまでするつもりはなかったんだけど、灰色オークは予想以上に強いようだ。

 やはりドミニクたちには荷が重い。

 僕は力任せに灰色オークの棍棒を弾き飛ばした。

 オークは後方に倒れそうになるも、たたらを踏み態勢を整える。

 やっぱりこいつ、結構強いな。


「あいつは僕が引き受けるから、他のオークをお願い」

「し、しかし!」

「さっきのでわかったでしょ。僕の実力とあいつの強さが」


 端的に言い放つと、ドミニクは苦虫を潰したような顔を見せる。

 守る立場の人間が守られる。その悔しさは理解できるが、残念ながらこれ以上任せっきりにできる状況ではない。


「……わかりました」


 ドミニクの声は低くくぐもっていた。

 僕は小さくうなずくと灰色オークに視線を向ける。


「さあ、お前の相手は僕だ」

「グギャアアアア!」


 怒り心頭に発している灰色オークは青筋を立てながら、僕へと迫ってきた。

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