第133話 深き森の不穏

 しばらく森の中を歩くと、伯爵が姿勢を低くした。


「ここからは小声でお願いしますぞ」


 伯爵に従い、僕たちも中腰になって声を発しないようにする。

 数分ほどゆっくりと進むと伯爵は足を止める。


「ここですぞ」


 伯爵は嬉しそうにぼそぼそと言うと、大きくうなずいた。

 僕たちも応えるように頷くと、伯爵はゆっくりと茂みから顔を出した。


「む!?」


 伯爵は唸るような声を出すと、茂みから飛び出す。

 僕たちは慌てて伯爵の後を追った。

 そこには驚くほどに澄んだ湖があった。

 トラウトの住む湖よりも、さらに濃い魔力が浮いては虚空に溶ける。

 温かな光を放つ玉は無数に漂っている。

 だが、それだけだ。

 そこにはほかに何も存在していない。

 慌てた様子の伯爵に、僕は声をかけた。


「普段はここに妖精が?」

「え、ええ。いつもならば数十以上の妖精がここにいるはずですぞ。

 人間の気配を感じるとすぐに逃げてしまうのですが、いつもは隠れて見ておりまして、気づかれたことはあまりないのですが」

「妖精は遠目でも魔力が見える、ということはありませんか?

 隠れていても、魔力を持つ僕たちの存在に気づいて逃げたとか」


 ちなみに僕は魔力を抑えている。

 だから傍から僕の魔力を視認することは難しいはずだ。

 僕が魔力を抑制しても、伯爵や姉さんの魔力は丸見えだけど。

 ただ魔力量自体はそんなに多くないから、僕でも遠くにいれば見えないと思う。


「い、いいえ。魔力放出を習得してからも、妖精に気づかれたことはありませんぞ!

 数日前にも足を運びましたし、その時は確かに妖精はしましたぞ!」

「ということは、僕たちが来たから逃げたって可能性は低いわけか。

 ほかに原因があるのかも。調べてみましょう」


 僕たちは手分けして湖周辺を調べた。

 人の手が入っていないため目立った特徴はない。 

 あるのは自然物だけだ。

 湖には何もいないし、周辺の植物にも気になる点はなかった。


「シ、シオン様!」


 ウィノナか湖畔で手を振っていた。

 全員が集合する中、ウィノナはおびえた様子で何かを見ている。

 足跡だ。

 人間のものではない。

 明らかに魔物の足跡が複数、そこにはあった。

 ゴルトバ伯爵が屈んで足跡を確認すると、再び立ち上がる。


「これはオークの足跡ですな」


 この世界での魔物の三大勢力はゴブリン、コボルト、オークの三種類だ。

 ゴブリンとコボルトは家の付近にもいたので戦った経験はあるが、オークはない。

 冒険者ギルドの依頼でもゴブリンかコボルトが多かった。

 もちろん上位種とも戦ったことはあるけれど。

 たしかオークは大柄の魔物で、その膂力は目を見張るものがある。

 ただし巨躯ゆえに鈍重で、対処は比較的簡単でもあるとか。

 ラフィがオークを倒したことがあると話していたことを思い出す。

 ラフィは強いが、僕以上に戦えるわけじゃないと思う。

 討伐は難しくはないだろう。

 だが疑問は生まれる。


「しかしどうして魔物が妖精の森に?」

「わかりませぬ。森の周辺は厳重に監視しているはずですし、哨戒もしておりますからな……。

 外から入り込む余地はほとんどないはずですが」

「まさか、森の中で生まれた、とか?」

「それは……ありえなくもありませんな。

 オークは長寿の魔物。成長も遅く、個体数も少ない。

 人間が立ち入らないからこそ、外敵が存在せずに、成体となったのかもしれませんな。

 この時期に、突然活発になったことに関しては疑問が残りますが」

「しかも複数です。見たところ五体はいますね」

「昨今の魔物が活発化した上に、新たな魔物が現れたという報告もありますからな。

 もしやそれに関係があるのやもしれませんぞ」


 赫夜の影響か。

 それとも魔族が顕現したことで、魔物たちにも何かしらの影響が及んだのか。

 レイスは赫夜に初めて現れた魔物だった。

 今後、ほかの魔物が現れないとも限らないし、赫夜を皮切りに世界中の魔物に変化が起きても不思議はない。


「ゴルトバ伯爵。一度、アジョラムに戻った方がよろしいかと。

 魔物がいるとなれば、対策を練る必要があります。国から討伐隊を派遣すべきです」

「ふむぅ、ドミニクの言う通りではあるんだがのぉ。

 妖精の森に入れる兵士自体少ない上に、申請には多くの時間を必要とするはず。

 妖精学会や自然派の連中やら、貴族連中がすぐに首を縦に振るとは思わんなぁ。

 彼奴ら、妖精を特別視しておるし、儂も森に入れるまでに色々あったからのぉ。

 ドミニクもよぉく知っておるだろう?」

「確かに、それはそうでしょうが」


 二人は顔を強張らせながら思案している様子だった。

 そんな中で僕が緩慢に手を上げる。


「あの。僕たちで討伐してしまう方がいいんじゃないですか?」

「儂らで、ですかな? い、いや、それは……その方が色々と都合はいいですが」


 伯爵は戸惑いながらドミニクに視線を向けた。


「私たちだけでもオークを討伐することは可能です。

 しかしオークの数も正確ではありません。他に魔物がいるかもしれませんから。

 その上、皆様がいらっしゃいます。私たちの任務は皆様の護衛と身の回りの世話です。

 敢えて渦中に飛び込むべきではないと存じます。皆様を危険に晒しますから」

「僕たち、結構戦えるので大丈夫ですよ」

「……イストリアでの出来事は聞き及んではおります」


 信じてはいない、という感じか。

 イストリアでの魔族襲来は、未だ世間では噂や眉唾物程度の認識だ。

 それはそうだろう。魔族や見えない魔物なんて異常な存在が襲撃してきたと言われて、鵜呑みにする人は少ない。

 現に、リスティア国内でさえ、あの場に居合わせた人以外では、信じている人は少ない。

 その事情があるせいか、僕の価値は怠惰病患者治療の発案者程度に収まっている。

 もしも僕がいなければ魔族に対抗する手段は少ない、と理解すれば、僕への重要度は一気に高まる。

 そんなことになっていたらミルヒア女王は、僕を自由にさせなかっただろうけど。

 とにかくドミニクを説得する必要がありそうだ。


「一応、冒険者ギルドでシルバーランク手前に行くくらいは強いですが」


 本当はそのレベルはとっくに超えているけど、他に説得できる功績はないしなぁ。

 魔法を見せようかとも考えた。

 しかし伯爵ならともかく、ドミニクや騎士たちに見せると危険かもしれない。

 少なくとも今はやめておいた方がよさそうだ。


「シルバーですか……それならばオークと戦えるくらいには腕に覚えはありそうですね。

 ですが……やはり危険です」

「ねえ、そもそもあなたたちの任務って伯爵の護衛でしょ?

 そこにあたしたちは含まれていないんじゃない?」


 姉さんが言うと、ドミニクは僅かに戸惑っていた。

 彼の言を鵜呑みにするのならば、伯爵の客であるの僕たちはついでに守られているだけで、本来はドミニクたちの護衛対象ではない。


「……確かに、王の命に、あなた方のことは入っておりませんが」

「だったら、あなたたちは伯爵を守ることを優先すればいいわ。

 あたしとシオン、ウィノナのことは気にしないでいい。

 あたしとシオンは強いから、自分たちだけで戦えるし、ウィノナを守ることもできるもの」

「お、お二人が強いのは間違いありません!

 メディフに来るまでの道中で盗賊二十人ほどを、一瞬で撃退なさいましたから!」

 

 ウィノナの後押しもあってか、ドミニクは何も言えないようだった。

 数秒の沈黙を僕の言葉が打ち破る。


「ということで、オーク討伐をこのメンバーでやりましょう。

 早く討伐しないと妖精も危険ですし、ドミニクが止めても伯爵は一人で妖精を探すかもしれませんよ?」


 僕は横目で伯爵を見ると、伯爵は僕の意図に気づいたようだった。


「う、うむ! 儂は一人で妖精を探すぞ!

 いいのか!? 儂、行っちゃうぞ!?」


 下手な演技だったけど、妙な真剣さはあった。

 ドミニクは熟考していたが、やがて嘆息する。


「ふぅ……わかりました。では我々で討伐しましょう。ですが、条件があります。

 まず皆様は後ろに下がり、極力戦わないように。何かあってからでは遅いですから。

 そして危険だと私が判断した時は、すぐに撤退します。

 よろしいですね?」


 これくらいが妥協点かな。

 正直、僕一人でもどうにかできるだろうけど、僕は伯爵のおかげでアルスフィアに入れているだけで、勝手に動き回ることはできない。

 それに何か不測の事態が起きた時、責任を取るのはドミニクと伯爵だ。

 オーク程度ならどうにでもなるけど、それ以上の何かが起きた時、僕と姉さんですべて解決できるなんて確証はない。

 魔物に起きている異常事態に関して、不明な点が多いし。


「それで問題ありません」

「うむ、儂もそれで構わんぞ」

「あたしも異論はないわ」

「わ、わたしは、皆様に従います」


 全会一致でドミニクの案に従うことになった。

 何かあった時に撤退されるのは困るけど、仕方がない。

 まあ、僕と姉さんがいれば大概の危機は回避できるはずだけど。

 対象が魔物のような、ただの敵であれば、だけど。


「では、そのように。ゴルトバ伯爵。オークの行き先はわかりますか?」

「ああ。オークは巨体ゆえにその体重から足跡が深いからの」


 ドミニクは足跡を確認して、ほかの騎士に目配りをする。


「私が先頭を行きます。皆様は私についてきてください」


 騎士たちは僕たちを囲うように左右と背後に回った。

 練度がわかるほどに俊敏な動きだ。

 僕が思っている以上に強い人たちなのかも。

 さすがに父さんやグラストさんレベルではないと思うけれど。

 これは彼らを侮っていたかもしれない。

 彼らに任せていれば討伐できるかも。

 僕たちが無駄に目立つ必要はないし、ドミニクたちで対処できるならそれが一番いい。

 僕たちは再び深い森へと踏み入る。

 さっきまでの幻想的な雰囲気は、どこか不穏に変わっていた。

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