第123話 君はどうしたいの?

 自室で、僕は鞄に荷物を詰めていた。

 とはいっても中身は服やお金、それと本が主だ。

 それ以外の私物は一切ない。

 元々、この屋敷にあったものはそのままにするつもりだ。


「――さてと、これで全部かな」


 行きと同じくらいの量になったな。

 結局、あまり変化はなかったんだろう。

 だけど多くの経験をすることができた。

 理解できたことも知ったことも沢山ある。

 この三ヶ月あまりの時間は無駄ではなかった。

 僕は鞄を手に、自室を出た。


「じゃあね」


 短い間だけど世話になった部屋に別れを告げた。

 部屋を出て玄関前のホールへ。

 そこにいた人物達に僕は声をかける。


「やあ、フレイヤ」

「シオン。本当に行くのかい?」


 フレイヤは複雑そうな顔をして僕を見ていた。

 彼女の後ろには部下達が並んで、同じような顔をしていた。

 思わず僕は苦笑を浮かべる。


「なんて顔してるの。住む場所ができたよかったじゃないか。

 この家は一応、僕の持ち物のままだから、家賃はいらないしさ。

 掃除と管理さえしてくれればいいんだから」

「そ、それはありがたいと思ってるよ。でも甘えていいのかなって」


 僕はフレイヤの肩をぽんっと叩いた。

 それは信頼と親愛の証。


「フレイヤ達だからだよ。他の人なら任せられない。

 みんなの仕事ぶりはきちんと見てきた。だからフレイヤ達のことはわかる。

 しっかりしているみんなだから、安心して任せることができるんだ」

「シオン……ああ、わかった! そこまで言ってくれるんなら、言葉に甘える!

 安心して行ってきな! ここはシオンの家なんだから、いつでも帰ってきなよ!」


 フレイヤが手を差し出してきたので、僕はすぐに握手をした。

 力強く互いの意志を確認する。

 そしてフレイヤの隣にいる人物に声をかける。


「エゴンさん、お世話になりました」

「いえ、大したことはしておりません」

「そんなことはないですよ。色々と助けてもらいました。本当に色々と」

「いえ、あなたの活躍のおかげで女王も肩の荷が下りた部分もあるかと思います。

 ですがどうやら最近では別の悩みが出てきた様子。

 よくため息を漏らしておりますが」

「そうですが。それは大変ですね」

「ええ、大変なご様子ですが、以前と違い楽しそうでもあります」


 エゴンさんはほんの僅かだけ口角を上げた

 少しだけ愉快そうだ。

 彼にはすでに話は通っているらしい。

 一体、どれほど女王から信頼されているのだろうか。

 未だに謎が多いなこの人は。

 油断ならないが、頼りになる人でもある。

 彼に任せれば問題ないだろう。

 今度はエゴンさんの隣にいる人物に声をかけた。


「ウィノナ」

「シオン様……」


 彼女は眉を八の字にすると目を伏せた。

 胸の前で両手を握っている。

 僅かに震えているように見えた。


「昨日も話したけど、僕は自宅に帰るよ。その後、メディフに向かう。

 そこで伯爵と妖精の調査と研究をするつもり」


 ゴルトバ伯爵には話を通してある。

 すでに彼は一足先にメディフに帰国している。

 僕もしばらくして向かう予定だ。

 ウィノナは僕の言葉を聞いても、顔を上げない。

 きゅっと唇を引き絞ったまま、視線は地面に向けられている。

 以前の彼女に戻ったかのように思えた。


「シ、シオン様……わ、わたしはどうしたらいいのでしょう?

 わたしはシオン様がいないと……だ、ダメなんです。

 シオン様がいたから、ま、毎日が新鮮で楽しくて幸せで。

 だ、だから」

「ウィノナは、僕に残って欲しいの?」


 言うとウィノナは、はっと顔を上げた。

 そして僕の顔を見てくしゃっと顔を歪めて、また俯いてしまう。

 スカートの裾を思わず握ってしまったようだ。

 彼女の心情がそこに現れているように思えた。

 けれど僕は何も言わない。


「急なことだと思う。

 けれど三ヶ月という期間は、何かを決めるには決して短くなかったはずだよ。

 君はこの期間で変わった。成長した。前に進んだ。けれどまだ自分で決めてはいない。

 僕はほんの少しの間、君の休む場所を与えたつもり。

 そしてウィノナ。ある日突然、決断を迫られることもある。別れも出会いも同じなんだ。

 だから、僕は君にあえて言わなかった。君が僕に依存しかけていると思ってもね」


 ウィノナは僕の言葉を聞くと、ビクッと身体を震わせた。

 依存。

 人は何かに依存し、縋って生きている。

 それが物か言葉か概念か人かそれはそれぞれ違う。 

 彼女は父親の命令に従い生き続け、そのことから解放されることを望み、しかし道を失った。

 その時、僕が現れた。

 彼女は僕に縋った。

 けれどそれは永遠ではない。

 僕は彼女自身にそれを気づいて欲しかった。

 僕は彼女の人生のすべてではないし、僕は彼女こそが人生のすべてだと思えるような人間じゃない。


「ウィノナ」

「………………はい」

「君はどうしたいの?」


 三ヶ月前に言った言葉をもう一度。

 同じ質問をした時、彼女の変化がわかる。

 そこに彼女の意志があるのならば。

 僕はできるだけそれに応えたいと思う。

 これは善意ではない。

 姉さんに言われたからでもない。

 ただ僕はウィノナを気に入っているだけ。

 彼女を助けたいと思っているだけ。

 同情ではなく、ただ好きな人を助けたいだけだ。

 その好意は異性へのものではないけれど。

 ウィノナはゆっくりと顔を上げた。

 迷いはあったはずだった。

 しかし顔を上げた彼女には逡巡は見えなかった。

 僕は息を飲んだ。

 これが三ヶ月前、自分の生き方がわからなかった人の顔なのか。

 まるで子供のようだった少女の顔なのか。

 まるで年相応の女性に見えた。

 あるいはそれ以上の。

 ウィノナは整った唇を動かす。


「わたしは……シオン様のお傍にいたいです。

 い、依存ではなく、シオン様のお傍で色々な物を見たいのです!

 色々なことを学び、経験して、もっと成長したいのです!

 わ、わたしは変わったと思います。それはシオン様のおかげで……わたし自身が選んだ道からだと思います。

 け、決断を先送りにするために現状維持をしようとしたということは間違いないです。

 けれどそれでもわたしは自分で初めて決めたことだから。

 ですから、そ、その……お、お傍にいさせてください……ぐすっ……」


 後半は鼻声で、途中から涙ぐみ、最後には泣いてしまった。

 勇気を振り絞ったのだろう。

 彼女が誰かに自分の望みを言ったことは多くない。

 僕には彼女の気持ちが痛いほど伝わった。

 だって数ヶ月一緒にいたから。

 ずっと傍にいたから。

 わかってしまうんだ。


「どうして泣くのさ」


 それでもちょっとだけ茶化してしまう。

 それは彼女を見下しているからではない。

 信頼感、親近感があるからだった。


「ううっ、すみません……」

「いいよ。一緒に行こうか。ウィノナの気の済むまで一緒にいたらいいよ。

 でもずっとはいられない。それだけは覚えておいて」


 僕はウィノナの頭を撫でる。

 彼女は涙を抑えようとぐっと顔に力を入れていたけど、それがふにゃっと緩んでしまう。

 その拍子に涙が溢れてしまった。

 顔中が涙で濡れている。 

 けれどその涙はきっと、あの時とは違う。

 悲しさはない。 

 きっと、そこにあるのは安堵と――。


「は、はい……え、えへへっ…………うう、ぐすっ……」

「泣くか笑うかどっちかにしなよ」

「だってぇ、えぐっ、う、嬉しいけど……な、涙が止まらないんですよぉ……」


 僕は思わず笑ってしまった。

 泣き笑うウィノナを前に、心が温かくなる。

 他の人達も温かい視線をウィノナに送っていた。

 彼女は変わった。

 これからもきっと変わっていくだろう。

 そしていつかは僕の下から飛び立つ。

 その時まで僕が彼女を見守ろう。

 この危なっかしく、放っておけない少女が成長するまで。


「じゃあ、行こうか、ウィノナ。準備は出来てるんでしょ?」

「は、はいっ!」


 ウィノナはタタッと走り近くの部屋まで向かうと、すぐに戻ってきた。

 手には鞄が握られている。

 やっぱり最初から答えは決まっていたらしい。


「それじゃ行ってきます!」

「行ってきな!」

「「「「「家、ありがとー! またな、シオンさーん!」」」」」

「お身体にお気をつけて。また会う日を楽しみにしております」


 みんなに手を振り、僕とウィノナは屋敷を出た。

 いつもの光景。

 けれど少し違うその情景。

 僕達はどこか爽快さを感じ、地面を踏みしめる。

 それは新たな旅立ちへの第一歩だった。 

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