第116話 予測できる範囲外

「――あーーっ! 今日は特に疲れた」


 僕は自室に入ると同時に叫ぶと、ソファーに倒れ込んだ。


「おつかれさまでした。シオン様」

「うん。ウィノナもおつかれさま」

「い、いえわたしは何もしてませんので。

 それより……その、やはり、貴族と平民の意識の差はありますね」


 ウィノナは僕の正面にある椅子に座った。

 通常、侍女は主人の前で寛いだりはしない。

 しかし以前、座りながら話した出来事があったからか、彼女は二人きりの時は椅子に座ってくれるようになった。

 まだ恐縮している部分もあるけど。

 一応、僕の命令だという建前があるから、彼女も多少はリラックスしているようだ。


「そうだね。彼等は若いからかまだ差別的な考えは強くない気がするけど。

 大人の貴族だと、もっとひどいよね」


 若いからこそ素直なのだ。

 最初は、確かに貴族としての価値観に凝り固まっているため、大人よりもあからさまだろう。

 しかし若い人間は柔軟な発想があり、出会いや経験で考えを変えることもある。

 大人になれば凝り固まった価値観は中々、変えることはできないものだ。


「そうですね……根っからの貴族ですと、平民を家畜か何かと勘違いしている方もいますから」

「平民がいるから貴族がふんぞり返っていられるんだけどね。

 働き者の平民がいなければ、貴族は何も得られない。

 食事も、服も、家も、文化も何もかも」


 貴族のみで営まれている文化はもちろん存在するが、それは生きるために必要なものではない。

 衣食住の大半は平民がいるからまかなわれている。

 お金は天から降ってくる。魚や肉は最初から切り身だなんて本気で思っている人間もいる。

 これは極端な話だが、肉があるということは牛や豚、鳥を育て、屠殺し、さばいている人がいるということだ。

 彼等がいるから僕達は食事ができる。

 それを知ってはいるだろうが、まったく実感しておらず、感謝もしておらず、むしろ見下す連中さえいる。

 それがなぜ存在するのか、どうして自分達が享受できているのか、本当に理解している人間はあまり多くはないのではないだろうか。

 その点においては、彼等と貴族との意識の差はないのではないのではないだろうか。


「……そうですね。それを貴族はわからないのです。

 私も侍女になる前は何も知りませんでした」


 ウィノナは自分を責めるように言う。 

 無知は罪という言葉がある。

 僕はそれは違うと思う。

 人は何も知らない。

 知らない人間ばかりで、知っていると勘違いしている人間ばかりだ。

 無知は罪ではない。

 無知であると理解していないことが罪なのだと思う。

 無知な人間を笑っている人間こそが無知なんじゃないだろうか。


「何も知らなかったということがわかれば十分だと思うよ。

 これから知ることができるんだから」

「……シオン様」


 ウィノナは嬉しそうに笑った。

 以前の彼女からは考えられない、自然な笑顔だった。

 僕も自分がすべてを知っているとは思わないようにしよう。


「格差問題は僕がどうこうできるものじゃないね。

 それこそ王様にでもなって国の制度自体を変えない限りは難しいかな」

「そうですね……人の考えは簡単には変わりません。

 それが自分の立場を危うくするとなれば余計にそうでしょう。

 貴族は高貴な存在だと思っている人が、考えを変えることはとても難しいと思います」


 貴族達は現状に不満はないのだ。

 それなのに立場が下だと思っている平民のためにへりくだり、自分の立場を下げるようなことをするはずがない。

 平等とは、いずれかの立場の人間が、下るということだ。

 不利益を被るのに、それを良しとするはずがない。

 正しさは人を動かさない。

 使命感を伴わない正義は、欺瞞としか捕えられない。


「今のまま、やっていくしかないのかな……。

 少しは考えが変わると思って今のグループにしたんだけど」

「他国同士で組ませたことについて、ですか?」

「うん。同国だと連帯感は生まれるかもしれないけど、他国との壁みたいなものはなくならないからね。

 まずそこから取っ払わないと、怠惰病治療に弊害があるから」


 ウィノナは思考を巡らせているのか、小さくうーんと呟いていた。

 少しして、はっと顔を上げる。


「あ、なるほど。怠惰病治療をする相手の多くは平民ですし、自国の人間だけを治療するわけではないから、ですか?」

「そういうこと。同国相手だと抵抗は少ないからさ、心境に変化がないじゃない?

 その状態だと他国の人間の治療を断るかもしれない。

 結束が固まるってことは、他と距離が開くってことでもあるからね。

 それに当然ながら、そんな状態で平民を治療しようとは思わない。

 半ば強制的に治療を命じられて、渋々したとしても、彼等の本意じゃないわけだし。

 結局、自分は貴族であるからという理由で治療をしないかもしれない」

「だから他国の人間とグループを組ませて、その『抵抗感を薄れさせた』わけですか」

「うん。いきなり平民を治療する、ってなるよりは、少し抵抗がある相手と接して、抵抗感をなくせば対応しやすくなるからね。

 まあ実際は他国の人間との連携は取れだしたけど、平民に対する偏見はそのままだったけど」

「そうでしょうか……?

 みなさん最初よりは平民の方に対しても、距離は近くなっているかと思いますが」

「そう、かな?」

「はい。少なくともマイス様に対して、違和感はあまりなくなっている様子ですし。

 それにイザーク様の行動があったとしても、以前の皆さんなら決して触れようともしなかったと思います」


 ウィノナの言う通りなのだろうか。

 もしもそうならば、僕のやってきたことは無駄ではなかったのかもしれない。


「ありがとう、ウィノナ。そう言ってもらえると救われるよ」

「い、いえ。た、大したことでは」


 ウィノナは顔の間で手をぶんぶんと振る。

 その謙虚な反応を僕は好ましく思う。

 ウィノナとも大分、打ち解けた気がする。

 最初は、本当に怯えてるばかりで、大変だったしなぁ。

 貴族と平民もこうやって仲良くなれる日がくるんだろうか。

 なんて考えていると、どこからか物音がした。

 遠くの方で、何かを叩くような音がした気が。


「どなたかいらっしゃったみたいです」


 夕刻。そろそろ日が落ちそうな時間だ。

 夕飯には少し早いけど、誰かが訪問するには遅い時間かもしれない。


「僕も行くよ」

「で、ですが」

「いや、何となく行った方がいい気がするし」


 嫌な予感はしない。

 何となく、行こうと思っただけだ。


「わかりました。それでは……」


 ウィノナが部屋の外に出ると、僕も彼女の後に続く。

 玄関まで行くとやはり戸を叩く誰かがいたようだった。

 姿は見えないけど、コンコンと断続的に聞こえる。

 声を出してはいない。ちょっと怪しい。

 普通は何か言うものだ。

 この世界にはインターフォンなんてないし。

 ウィノナは怪訝そうにしながらも玄関の扉を開けた。

 すると。


「マイス君?」


 そこにいたのはマイスだった。

 彼は大きなカバンを背負い、汗を流して、玄関先に立っていた。

 疲労感が顔に出ている。


「どうしてここに?」

「す、すみません、シ、シオン先生……あ、あの……」


 彼の状況を見るに、どうやら何かあったことは間違いなかった。

 事情はわからないけど、回答は何となく浮かんだ。


「宿から出てきたんですか?」

「……はい。その、実は……お金を……その……ぬ、盗まれました」

「盗まれた!? ど、どこで?」

「わ、わかりません。お金は常に身体に身に着けていたんですが……。

 その、袋に穴が開いていて……」

「それで盗まれたと?」

「多分、はい、そうです……」


 落とした、ではなく盗まれたと言ったということは、その穴は人為的にできたものだったのだろうか。

 彼が常に身に着けていた財布に穴を空けて、わざわざ盗んだ?

 少し気になるが、嘘を言っているようには見えない。

 嘘だとしても別段問題はない、か。

 僕にとって不利益はないし。


「残りのお金は?」

「ほ、ほとんどありません……」

「それで宿から追い出されたと?」

「はい……すみません…………」


 なんてこったい。

 マイスは所持金のほとんどを落としてしまったようだ。

 ここは日本じゃない。

 親切な人がお金を拾って、警察――この世界では官憲だけど――に届けるなんてことは絶対にない。

 むしろそんなことをすれば届けた官憲が懐に収めるだろう。

 お金を落としたら戻ってこないと思うものだ。


「あ、あの……本当に……申し訳ないんですが、け、研修期間中、泊めて頂けないでしょうか?」

「いいですよ」


 あ、即答しちゃった。

 即座に答えてしまったためかウィノナもマイスも驚いていた。


「え? は? え!? い、いいんですか?」

「まあ、部屋も余ってるし、無駄に広いので。

 一人や二人、十人や二十人、泊めても、問題ないですからね。

 ウィノナもいいかな?」

「は、はい。わたしは、シオン様の決めたことでしたら」

「ありがとう。ということで入ってください」

「は、はい。し、失礼します」


 ぽかんと口を開けていたマイスだったが、我に返り、慌てて中へと入った。

 するとまるで観光地を訪れた人間のように、辺りを見回した。


「す、すごい広いですね」

「無駄にね。本当、広すぎるんですよ、ここ。

 えーと、そうだな。入り口近くの部屋でいいですか?

 入口からあんまり遠いと色々と手間なので」

「ど、どこでもいいです」


 ちなみに屋敷は広すぎるので、ウィノナには、毎日掃除はしなくていいと言っている。

 ウィノナは出来る範囲で掃除をしているみたいだけど、普段使わない部屋は一週間に一回程度にしか掃除していない。

 もちろん彼女は寝る間も惜しんで掃除をしようとしたけど、僕が無理やり止めた。

 一人でできる範囲内を二人で決めて、使用頻度が高い部屋は二日に一度、他の部屋は一週間に一度、という風に決めた。

 一応、入り口近くの客間は掃除してくれているはずだ。 

 それにたまにだけどエゴンさんが手伝ってくれることもある。

 そのため何とかやりくりできている感じだ。

 相当に広いから、彼女一人だと本当に大変だと思う。

 ウィノナには申し訳ないけど……改善はされないかもしれない。


「ウィノナ、案内お願い」

「かしこまりました。それではマイス様。こちらへ」

「さ、様!? え、あ、す、すみません」


 ウィノナに案内され、マイスは廊下の方へと向かっていった。

 大分苦労していた様子だ。

 安い宿だったんだろうな。

 国から保証金は出るけど、恐らくその大半は家族に渡したはずだ。

 最低限の金額となると良い宿に泊まれるはずがない。

 貴族連中は別だけど。

 彼等はその大半を移動と生活費に充てているだろうし、むしろ自分で出費して豪遊しているかも。

 ……まあ比べても仕方ないことではある。

 とにかく大事な生徒のことだ。

 研修が終わるまで泊まらせてあげよう。

 一人くらいなら問題ないし。

 そう、一人くらいなら……。

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