第114話 歩み寄るということ

 室内にいた五人の視線が僕に集まる。

 僕はみんなの下へ移動しながら、続きを話した。


「意味はない。言葉には大して意味はないです。

 僕も、元々は名誉貴族の息子で正当な貴族の血統じゃないです。

 今は二侯爵ですが、これは女王の後ろ盾があって頂いた爵位に過ぎないですからね。

 正式に認められた爵位とも言い難い。ある意味では平民と同じ立場だと思います。

 今の話を聞いて、みなさんは僕に対しての評価を変えましたか?」


 狼狽する生徒達。

 冷静なのはゴルトバ伯爵だけだった。


「残念ながらみなさんはこう思ったでしょう。なんだ正統な貴族じゃないのか。

 じゃあ、大したことないじゃないか。自分よりも下だと」

「そ、そんなことは、お、思って……ないわ……」

「エリスさん。無理をしなくていいです。あなたは優しい。

 ですが価値観は平民の持つそれとは違う。その考えを変えることは難しいです。

 どんなことがあろうと、貴族と平民は同等であり平等なのだと思える日はこないでしょう」


 エリスは何かを言おうとしたが、結局言葉を発することはなかった。

 彼女は自覚しているから、嘘を吐けなかったのだろう。

 僕が言っていることが図星だったということを話せなかったんだろう。

 他の人も同じ。

 ソフィアでさえも否定できない。

 これが現実。

 それは感情的なものであり、固定観念。

 それを変えることは、世界や社会を変えることに等しい。

 貴族至上主義社会において、平等を謳うことは、貴族の存在を否定することになる。

 軋轢が生まれないはずがない。

 僕は僕が正しいと思っている。

 平等で民主的で、支え合い、協力し合い、譲り合いそうやって生きていくことが。

 でもそんなのは綺麗事だ。

 日本国内でさえそんなことは不可能だ。

 学校、会社、家庭、あらゆる場所でそんな綺麗事がまかり通る機会は少ない。

 人が複数いれば争いは生まれる。

 格差や上下関係が生まれる。 

 だから仲良く生きていくことは不可能だ。

 絶対に。


 話し合いで分かり合えるなんてことは平和ボケした人間が言う言葉だ。

 話し合いができるのは互いが対等であると、双方共に思っている場合だけ。

 どちらかが自分が上だと、あるいは下だと思った時点で、平等性は失われ、真っ当な話し合いもできなくなる。

 貴族と平民で対等に接することはできないのだ。

 でも、だからこそ。


「貴族と平民を対等に思え、とは言いませんし、できないでしょう。

 ですが僕のクラスではみんな同じように、学び、成長しているはずです。

 貴族と平民であるという事実は消えない。

 しかし同じ学び舎にいる生徒であるということも変わりません。

 そして僕が教師であるという事実もまた変わりません。

 それでもみなさんは僕から学べることは多くあることを理解していますね?

 僕は名誉貴族の息子、でも魔力を扱える唯一の人間であり、魔力操作を教えることができる唯一の存在なのだと。

 マイス君は魔力を学び、怠惰病治療を習得するという目的を持った同じクラスの人間なのだと。

 それぞれの立ち位置は変わりませんが、相手が貴族だから平民だからと、排除するのはもったいないし、それではできないこともあるはずです。

 だから、割り切ってはどうでしょう?

 無駄に争い、拒絶しては得られないものもあるのですからね」


 ゴルトバ伯爵は上半身を起こして、嘆息した。

 その姿には僅かな失望が見えた気がした。

 それは僕に対してか、それとも他の生徒に対してかはわからなかった。


「シオン先生の言う通りですな。争う時間があるのならば割り切って、時間を有効に使った方がいいでしょう。

 それぞれの目的があり、ここにいるのですから、その目的を達成するために邁進すべきですからな」


 僕はゴルトバ伯爵の手を握り、立ち上がらせてあげた。

 ふらついていたがまだ力は残っているらしい。

 完全に魔力を使ったわけじゃなさそうだ。

 僕はすぐにゴルトバ伯爵に魔力供給をしてあげた。

 彼の顔に生気が戻っていく。

 誰も返事はしない。

 しかし、しばらくして、イザークが呟くように言った。


「…………わーったよ。もう喧嘩を吹っかけたりしない。それでいいかよ?」

「ええ、ありがとうございます。イザーク君」

「いいよ。別に。俺もなんつーか大人げなかったし。

 それに先生が何であれ、教えてもらうことは変わらないし、俺も別に気にしない。

 ……尊敬してるし」


 最後の言葉は聞こえなかった。

 僕は思わず聞き返す。


「今、何か言いました?」

「べ、別に! と、とにかく今までいろいろ教えてもらっておいて、実は元は貴族じゃなかったからって、態度を変えるつもりはねぇってこと!

 そもそも年齢とかもうどうでもいいって思ってたし、今さら何を言われても変わんねえよ」


 イザークはちらっとマイスを見た。

 するとマイスはびくっと身体を震わせる。

 イザークは反射的に舌打ちをした。


「あいつが平民だからってのもあるけど、あの態度がむかつくんだよ。

 ビクビクしやがって。俺は魔物かっての!」

「もしかしてそれで?」

「……俺だって、わかってんだよ。

 毎回、目くじら立てて、嫌味ったらしいこと言いたくねぇよ。

 あいつが心細いんだろうなってこともわかるし、俺達に気を使ってんのもわかってる。

 でも、やっぱり、むかつく。そんだけ」


 これは僕が思っているよりも、イザークはマイスを嫌っているわけじゃない、のかな?

 平民の癖にという言葉を出した事実は変わらないし、やはりイザークは平民を見下しているだろう。

 それはどうしようもない価値観だ。

 でもそれでもイザークは彼なりにマイスのことを受け入れようとしていたのだろうか。

 いや、その割には常に喧嘩腰だし、納得できないって言ってたけど。

 ……言ってはいたけど、それだけだったな。

 別に強制的にマイスを排除したり、いじめたりしてない。

 あれは俺はこう思ってるけど、おまえはどうなんだという意思表示だったのだろうか。

 もしもそうなら……面倒くさい子だなぁ。

 悪い子じゃないんだけど。


「あ、あの先生、ごめんなさい。わ、わたしも……その」

「わたくしも……すみません」

「いえ、いいんですよ。色々と問題はありましたが、誰が悪いというものでもないですし。

 イザーク君の口は悪かったですが」

「わ、悪かったって! もう同じようなことは言わない!」

「ふふ、はい、わかりました。信じます」


 正直、迷った。

 マイスに謝って、と言おうかどうか。

 しかしそれは難しいだろう。

 イザークのやり方や態度は悪かったけど、それは彼なりに理由があったのだろう。

 正しくはないし、間違っている。

 でもそれは僕の価値観でのことだ。

 むしろイザークの態度は、他の貴族に比べて真っ当だし、真っ直ぐだと思う。

 その態度をやめると言ったとしても、すぐに謝るようなことはできないだろう。

 そんなことを促せばまた亀裂が生まれそうだ。 

 ここはこれ以上、踏み込むべきではない、と思う。

 話は終わった。

 マイスを除いた、僕を含めた五人の話は。

 今までずっと押し黙っていた。

 恐らくそうすることしかできなかったのだろう。

 平民の立場はそれほどに低い。


「マイス君。何か言いたいことはありますか?」


 ただ聞いただけ。

 しかし、マイスはその一言で萎縮してしまったようだった。

 これは重症だ。

 彼以外の平民もこうなのだろうか。

 ……コールとか言いたい放題だったけどなぁ。

 最初に、ラフィに喧嘩を吹っかけてたし。

 彼は平民でラフィは貴族なんだけど。

 コールが特殊なのかもしれない。

 数秒間待っていると、マイスはおずおずと口を開いた。


「じ、自分は、その……か、家族のために、参加してます。

 き、貴族の皆さんは知りませんが、平民は……研修会参加者として選ばれると保証金が貰えるので。

 それに、怠惰病治療ができれば、それだけで報酬が貰えますから。

 じ、自分の家は家族が多いので、長男の自分が稼がないと食べていけないので」

「なるほど。それで参加を」

「は、はい。偶然、選ばれて……」

「なんでいきなり身の上話を始めてんだ?」


 イザークがなんとはなしに言った言葉に、またマイスが委縮してしまった。

 彼に悪気はなかったのだろうが、受け取る人によっては威圧されていると感じる口調だ。


「もう、イザーク。そんな言い方したら、マイスが怖がるじゃない」

「あ? 俺は別に怖がらせるつもりは……ったく、悪かったよ。黙ってる」


 イザークは呆れたように嘆息した。

 本当に悪意はなかったようだ。


「あ、あの……その、だ、だから、な、何があっても帰るつもりはない、といいますか。

 や、やり遂げないと生きていけないので……だから怖いですけど、だ、大丈夫です」


 声は震えていたし、視線は泳いで頼りない。

 情緒不安定だし、何とも弱気な姿勢だ。

 ただ言葉には強い意志を感じた。


「…………へぇ」


 そう呟いたイザークの瞳にはほんの少しだけ感心したような色が滲んでいた。

 僕とゴルトバ伯爵は、ともすればいじめっ子を説得するような立場だったかもしれない。

 しかしマイス自身はその状況に対して屈するつもりも改善するつもりもなかったのではないか。

 彼は弱気だ。頼りない。しかし心の中では絶対にやり遂げるという信念があった。

 家族のため。

 言葉としては簡単だ。しかしそれは昔ながらの考えとして当然であり、困難な考えでもある。

 現代ではほとんど失われた、長男が一家の大黒柱となり、家族を養うという考え。

 それが彼にはあるのだろう。

 その気概に、僕は驚いた。


「あ、あの、ありがとうございました、シオン先生、ゴルトバ伯爵。

 じ、自分は大丈夫です。頑張ります」


 言うと、彼は離れていき、魔力の鍛錬を始めた。 

 そしてイザークやエリス、ソフィアも思い思いに鍛錬を開始する。

 話は終わったようだった。

 いつの間にか隣に立っていたゴルトバ伯爵に、僕は問いかける。


「余計なことをしてしまったんでしょうか」

「どうでしょうな。そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。

 しかし、今回のことがなければ彼等はマイス殿と話すこともなかったかもしれません。

 そしてマイス殿の事情を知ることもなかったでしょうな。

 イザーク殿やエリス殿、ソフィア殿の平民に対する考えも明確にはならなかった。

 だとすれば無駄ではなかったのではないかと、儂はそう思いますぞ」

「そう、ですね……そう信じましょう」

「シオン先生は素晴らしいですな。教師としても、人間としても、研究者としても」

「と、突然なんです?」

「ほほほ、いえ、不意にそう思ったのです。今度、魔力研究に関して詳しく聞かせていただきたいものですな。

 儂は、妖精学や魔物学には詳しいので、そちらの話はできますぞ」

「両方とも興味があります。時間ができた時にでも是非」

「ええ、もちろんです。では。儂も鍛錬を始めますかな!」


 笑みを浮かべて話を終えた僕達だった。

 しかし僕は笑顔のままにゴルトバ伯爵の手を掴む。


「無理したら倒れますから、ちょっと休憩してください。

 魔力を供給したら完全に回復するというわけでもないので」

「ちょ、ちょっとくらいなら?」

「ダメです。授業開始まで休んでください」


 ゴルトバ伯爵はしゅんとして項垂れてしまった。

 まったく子供か、このおじいちゃんは。

 僕は苦笑しつつ、伯爵を宥めた。

 

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