第113話 意味

 空を見上げる。

 日が出て間もないためか、まだやや薄暗い。

 早朝だ。時間で言えば五時くらいだろうか。

 僕が何をしているかと言えば、すでに学校に到着していた。

 早すぎる。自分でもそう思う。

 しかし最近の出来事のおかげか、僕は次の日が楽しみになっていた。

 魔導具開発ではフレイヤと新たな武器に関してあーだこーだと話をして、楽しんでいる。

 学校では一生懸命な生徒達に教えることに喜びを感じている。

 正直、最初は面倒だなと思うこともあったし、暇つぶしのような意味合いも強かった。

 もちろん適当にやるつもりはないし、必要なことだとも思っていた。

 しかし始める前はやはり、大した意気込みもなかったと思う。

 でも今は違う。

 魔導具開発も、生徒達のための授業も僕なりにこだわりを持っている。

 むしろ楽しみにしている自分がいる。

 ということで僕は年甲斐もなく、遠足を楽しみにしている子供のように自然に朝早く目覚めてしまったというわけだ。

 先週は問題児グループも魔力操作ができるようになったし、ゴルトバ伯爵もほんの少しだけど魔力を放出できた。

 進展が見られ、僕のテンションもうなぎ上りだ。


 足取り軽く、学校に入ると廊下を抜けて、校内の端っこにある鍛錬場に向かった。 

 座学がある場合は講堂を使うけど、ほとんどが鍛錬で費やされるため、大体の授業は鍛錬場から始まるようになっている。

 さすがにこの時間から誰かいることはないだろう。

 ちなみに今日は僕、一人だ。

 普段はウィノナとエゴンさんが一緒にいるんだけど、今日は違った。

 エゴンさんは本業の方、つまり女王関連の業務に戻っている。

 どうやら彼がいないと困る事情があるらしく、今日は城で働いているようだ。

 学校の授業では、基本的にエゴンさんに頼む仕事はない。

 生徒達の世話は他のメイド達がしてくれるから、余程のことがない限りはエゴンさんの手を煩わせることはないからだ。

 最初ならばまだしも、今は僕も生徒達もメイド達も慣れている。

 そのため問題ないだろうとエゴンさんも僕も判断して、彼は一時的に城の勤務に戻った。


 そしてウィノナ。

 彼女は珍しく休日が欲しいと申し立ててきた。

 もちろん僕は即座に了承した。

 何をするつもりなのかはわからないけど、もしかしたら以前、エゴンさんから言われた言葉を気にしているのだろうか。

 ウィノナの存在を疎ましく思ったことはないし、傍にいてくれると助かる。

 しかしずっとそれでは彼女は自立できない。

 もしかしたらいい機会だったのかもしれない。

 本来は僕が言うべきことだったんだろうけど……強く言えなかった。

 まあ、ここまでの考えは僕の想像だ。

 ウィノナがどういう思いで休日をとったのかまではわからない。

 とにかく僕は初めて一人きりになった。

 二人には申し訳ないけど、ちょっとした解放感がある。

 やっぱり一人でいる時と、誰かといる時とでは感覚が違う。

 どっちがいいとかじゃないんだけどね。

 鍛錬場が近づくと、不意に何かの音が聞こえた。


「ん? 誰かいるのかな?」 


 話し声だろうか。

 近づくにつれ、声が大きくなっていく。

 僕はなぜか扉の陰から顔を出して、場内を覗きこんだ。


「んだよ、なんでおまえらもいるんだよ」

「何? なんでいたらダメなの? ここはあんたの家じゃないんだけど?」

「せっかく早く来て、鍛錬しようと思ったのによ。真似すんなよ!」

「へぇ? 朝から鍛錬してる姿を先生に見せて、褒めてもらいたいだけじゃないの?

 あんた、実は先生のこと大好きだもんね? 

 最初に魔力を見た時なんて、目をキラキラさせちゃってさ」

「は、はああっ!? 別にあんな奴、好きじゃねえし!

 ってか魔力を見た時に目をキラキラさせてなんかねぇし!

 おまえこそ、最初は見下すような態度だった癖に、手のひら返しただろ!

 単純にもほどがあんだよ」

「それはあんたでしょ! 一緒にしないでよ!

 あたしは真面目に、授業を受けてるだけだから!」


 この声はイザークとエリスだろうか。 

 同じグループになって少しは仲良くなったと思ったけど、そうでもなかったらしい。

 まあ、その節はあったから、驚きはないけど。


「あらあら、喧嘩はダメですよぉ。シオン先生に怒られちゃいますよぉ?」

「うっせぇんだよ、ソフィア! 自分は真面目にやってますってか?

 ふん、そういう奴が一番、汚いんだよ」

「そ、そんなことはないですよぉ。わ、わたくしはただ、仲良くした方が楽しいと思って」

「ちょっとイザーク。ソフィアを悪く言わないでよね。

 この子、あんたと違っていい子なんだから!」

「へいへい、どうせ俺は悪い奴だよ。それでかまわねえよ!」


 子供か。いや子供なのか。

 僕も彼等と同い年の時、こんなに幼い感じだったかなぁ。

 高校生くらいだと、もう少し大人だったような。

 ……いやそうでもないか。

 なんだろう。覗き見してしまったからか、中に入るタイミングを逃した。

 すぐに入る必要はないし別にいいんだけど。


「ってかよ、なんで平民もいんだよ」


 鍛錬場の端っこにマイスが佇んでいる。

 所在なさ気にしており、なんとも哀愁が漂っていた。

 相変わらず、貴族と平民の格差意識は残っているようだ。

 簡単なことじゃないことはわかっている。

 価値観を変えることは難しい。

 僕が何か言っても変えることはできないだろう。


「す、すみません……」

「謝るくらいならいるんじゃねぇよ。俺は一人で鍛錬しようと思っていたのによぉ」

「イザーク、いい加減にしたら? あんたわがまますぎ」

「は? じゃあ、おまえはそこの平民が同じグループだって、納得してんのか?」

「そ、それは……」


 エリスは答えに窮していた。

 彼女は真面目だし、どこか学級委員長のような実直さを感じる。

 あくまで性格的な部分で、だけど。

 その彼女でさえも貴族である自分と、平民であるマイスとでは住む世界が違うと思っている。

 同じ場所にいることに戸惑いを覚え、もしかしたら不快感を抱いているのかもしれない。

 それはソフィアも同じようでどうしたものかと眉根を寄せていた。

 これは性格の善し悪しという単純な問題ではない。

 僕のように人間は平等だと教えられ、その考えが根付いている時代の人間は、もっと仲良く、手を取り合い協力すればいいのに、と思う。

 でもそれは教育のたまものだ。

 道徳、倫理、摂理、常識、あらゆる考えは生まれてから培うものだ。

 だからこの時代のどれほど優しい人間でも、必ず何かしらの固定観念に囚われている。

 僕も。彼らも。

 同じ人間だけど、考えは全く違うのだ。

 だから僕の正しいという認識がが、この時代でも同じとは限らない。

 善し悪しも同じだ。

 時代が時代ならばそれは悪であり、正義であり、どちらでもない。

 それが人間というものだ。


「ふん、やっぱりおまえも平民と一緒だってことに納得してないんじゃねぇか。

 綺麗事言って、自分は安全なところから口出しするつもりかよ。

 いい子ちゃんでいれば楽だもんな?」

「な、なんですって! あ、あんた、言っていいことと悪いことがあるわよ!」

「へっ! 俺は俺の思ったことを言ってるだけだ。

 誰も言わないから、言ってんだ!」


 どうやらイザークもエリスも頭に血が昇っているようだ。

 睨み合って、今にも喧嘩が始まりそうだ。

 さてそろそろ仲裁にでも入るかな。

 そう思い、僕は鍛錬場に入ろうとした。

 しかし不意に足を止めた。

 バタンという大きな音が聞こえたためだった。

 鍛錬場内から聞こえた。

 一体何の音だ?

 誰か倒れている。

 あ、伯爵だ。


「ちょ! じ、じいさん! 何してんだよ!」


 慌てて真っ先に駆け寄ったのはイザークだった。

 彼はうつぶせに倒れている伯爵の横でおたおたとしている。

 そして言動や態度とは裏腹に、慎重な手つきで伯爵を仰向けにさせた。


「お、おい爺さん。し、死んでねぇよな」

「え、縁起でもないこと言わないでよ。こ、呼吸してるじゃない」


 遅れて走ってきたエリスが青い顔をして答える。

 エリスの後ろにはソフィアとマイスが続いていた。

 天井を仰ぐ、ゴルトバ伯爵は瞬きを何度もしていた。

 それを見て、みんながほっと胸をなでおろす。


「いやはや、魔力を使いすぎたようで、力が抜けましたぞ」

「な、何してんだよ、ったく。」


 ゴルトバ伯爵は心底驚いたというような表情を浮かべた。

 過剰な反応だ。


「おや。心配してくれたのですかな?」

「あ べ、別に心配してねぇよ」

「その割には全速力で駆け寄ってきてくれましたが?」

「そ、そりゃ、近くにいるのに無視はできねぇだろ!

 ほ、放置したら俺が人でなし扱いされるしよ」


 そうかもしれないが、真っ先に走って状態を確認するなんてできる人は少ない。

 それは相手のことを慮り、心配している人物の行動だと思う。


「そうですか。それでもやはりイザーク殿は優しいですな。

 エリス殿も、ソフィア殿も、マイス殿も、儂を心配し、すぐに駆け寄ってきてくれた。

 みんな優しい人達だと思いますぞ」


 イザークはきまりが悪そうにしながら後方にいるエリス達を見た。

 他のみんなも戸惑い、視線を合わすも、すぐに逸らしていた。


「みんな同じ。人は肩書があり、地位がありますが、大した違いはないと思いますぞ。

 現に、ここにいるみなさん、同じように儂を心配してくれた。

 そこに貴族や平民ということを頭に浮かべた人はいなかったのではないでしょうか」


 誰も否定はしない。

 あれだけ短い期間でそんなことを考える余裕はないからだ。

 ゴルトバ伯爵の言葉に、イザーク達は無言で通した。


「儂は今は伯爵となっていますが、以前はただの一学者で、平民でした。

 学者として研究を続けていたところ、なぜか成果が認められ、爵位をいただきましてな。

 いつの間にか伯爵になっておりました。持てはやされる機会が多くなり、やりたいところはやり終えて、今は別の学問を専門としていますが。

 それはそれとしてです。儂は元平民。今は貴族ですが、平民だった時と貴族だった時、儂にどんな違いがあるのでしょうな?」


 ゴルトバ伯爵は横たわったまま、淡々と話していた。

 彼の話を聞き、イザークは戸惑いながらも答える。


「……き、貴族は高貴な存在だからまったく違うし」

「何が違うのですかな?」

「何がって……そりゃ、俺達は生まれながらに高貴な存在で」

「では生まれながら貴族ではない人間は、高貴ではないと?

 これは異なことを。たたき上げの人間は少なくありません。

 何代も貴族でいる家系も最初から貴族であったわけではないでしょう?

 儂のように元平民が貴族になった事例はいくつもございますぞ。

 では儂達は貴族ではなく、高貴な存在ではないということですかな?

 もしもそうならば貴族となる前の平民と、貴族になり何代も貴族でいた家系、その違いはなんですかな?

 後者は生まれながら貴族。であるならば後者は貴族で前者は貴族ではないと?

 では貴族となった世代は高貴な存在ではなく、ただの平民で次の世代は高貴な存在だと?

 貴族は生まれながら貴族。なるほど、では貴族となる前の貴族達は何者なのでしょうな?

 平民だとするならば、貴族の多くは平民の血を受け継いでいるということになりますが」

「……そ、そんなこと言われてもわからねぇよ!」

「どうしてですかな? イザーク殿ご自身がそうおっしゃっていたではないですか。

 貴族は生まれながら高貴な存在だと。平民とは違うのだと。ではその定義は何なのですかな?

 貴族という制度が生まれたのは数百年前。ではその前の人間は高貴ではないと?

 その時の王は貴族以下の存在だと? おかしな話ではないですか。

 人は生まれながらにして人以外の何者でもないのに、肩書を無理やりに与え、それが人の格なのだと考える。その定義は曖昧なまま。

 貴族という言葉にどんな意味があるというのでしょうな?」


 ゴルトバ伯爵の声音には感情がほとんど含まれていない。

 ただ一つ含まれている意志があった。

 疑問だ。

 彼は単純にどうしてたなのだろうか、と考えているにすぎない。

 彼は学者。だから感情を度外視し、常に矛盾や疑問を解決するために思考するのだろう。

 僕も同じだ。魔法を研究、開発するにあたり、何度も壁にぶち当たり、疑問を持ち、試行錯誤して解決してきた。

 だからゴルトバ伯爵の言葉は痛いほどにわかった。

 どうしてなのか。

 こんな理不尽がどうして横行しているのか。

 人であるから、という理由は間違っていない。

 しかしそれはただの思考放棄であり、ゴルトバ伯爵はそれを許さず、疑問を持った。

 その答えを求めて、口にした。

 ではその理不尽な制度の上で胡坐をかき、それが当たり前だとのたまう人間はどのような反応を見せるのか。

 答えは簡単だ。


「う、うるせえ! 貴族は偉いんだ! 平民は貴族のために働けばいいんだよ!」


 思考停止だ。

 誰も自分の言葉に自信を持っているわけじゃない。

 それが正しいと思い込んでいるにすぎない。

 大半の人間は考えない。思考したつもりになっているだけで、その実、それは誰かや何かが出した答えであり、責任を転嫁した回答に過ぎない。

 どうしてか?

 その方が楽だからだ。

 考えれば考えるほど物事は複雑になる。

 だから誰しも、どこかで思考を停止して、自分に都合のいい答えを探す。

 それが大半の人間の思考傾向なのだ。

 現代でもその考えは当然のようにされている。

 自分は優秀だと思いこむ。自分は幸福だと思いこむ。自分は善人だと思いこむ。

 そうしないと生きていけないのだ。

 そうして自分に価値があり、自分は幸せであり、自分は誰かの上に立っていると思う。

 多くの人間は他人と自分を比べないと生きていけない。

 そして自分よりも下の人間を探し続けている。

 どの時代、どの世界でも同じなのだ。

 歴史的な観点から見ても、それは明確に記されている。


 脆く、弱く、汚く、利己的で、身勝手。

 それが人間なのだと、大人になっていた僕は知っている。

 僕だって同じだからだ。

 イザークの感情的な叫びを聞き、ゴルトバ伯爵は何も言わなかった。

 ただイザークを真っ直ぐ見つめるだけだった。

 その瞳は言っていた。

 答えを言えと。

 その叫びは答えになっていない。

 おまえが言い出したことなのだから、おまえが答えろ。

 そう言っていた。

 それは純粋で、率直で、そして容赦がない。

 そんな目をされては、イザークも何も言えなくなる。

 彼は怯んでしまい、ゴルトバ伯爵から距離をとった。

 貴族と平民と奴隷の格差は顕著だ。 

 差別はなくならない。

 だけど。


「意味はないですよ」


 僕は鍛錬場に入りながら、そう言い放った。

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