第110話 悔いはなし
補習授業が始まった。
問題児グループの五人が鍛錬場に集まっている。
早朝から始まる授業ということで、ゴルトバ伯爵以外の生徒はまだ眠たそうだ。
まあ、ゴルトバ伯爵はご老人だし、朝には強いのだろう。
見た目は白いひげを伸ばしてひらひらした格好をしているので、一番魔法が使えそうだ。
ここにいる全員がまだ魔力操作ができない。
できるだけ早く、五人共できるようにしてあげたいところだ。
「では、始めましょう。最初に、みんな知っていると思いますが改めて説明します。
今、みなさんがやっているのは強い感情を抱いた後、その結果として魔力を発動するというもの。
例えば『怒りが限界まで達すると、魔力が放出される』という無意識的な思い込みがあれば、自然に魔力が放出されるということですね」
生徒五人は何度も頷き、肯定を返す。
トラウトの求愛行動を見ていた僕は、無意識の内に求愛行動をすれば魔力が放出されると思っており、姉さんに素直に告白することで自然に魔力が放出された。
魔力は意志の強さ、伴って感情の強さを引き金に働く性質を持つ。
感情は最もわかりやすく最も強く、自身の思いを促すものだから、魔力を放出するための最初のステップとしては適しているというわけだ。
問題は感情が高まると魔力が放出されるという考えが根付いていなければ、ただ感情的になるだけということ。
そのため僕は最初に魔力の存在を見せつけ、魔力は存在し、そしてそれは感情の昂りによって生まれるのだと教えた。
初めて見るものに対して、最初に得た知識は無意識的に記憶しているはず。
だから他の生徒達は感情を抱き、魔力を放出した。
恐らく問題児グループの生徒達も他の生徒と同じように、魔力は感情が昂れば放出されると思い込んでいるはず。
ではなぜ放出されないのか。
「放出されない原因は幾つか考えられます。
まず感情があまり昂っていない場合。
最初の段階で感情を抱くことが上手くいってない場合は魔力を放出できないからです。
これは見た目だけではわからない場合もあるので、本人が自覚するしかないですね……。
みなさんはどうですか? 放出できそうな気配はありますか?」
「オレは熱く叫んでるぜ。ただ、なんつーか、よくわからず熱くなってるっつーか。
とりあえずよくわからない感情は出てるんだけどさ。
それが魔力放出につながるかはわかんねぇ。
魔力の感覚? みたいなのはあんまりねぇかな。
一回だけ、心臓辺りが熱かったことはあった」
イザークは肩を竦める。
彼は確かに叫んでいる。
何かよくわからないけど、熱く叫んでいる。
しかしなぜ叫んでいるのか、なぜ熱くなっているのかわからない。
彼自身もわからないようだ。
じゃあ、僕にもわからない。
「わたしは、す、好きなもののことを考えてるわ。
感情は嬉しい、のかしら……ふにゃっって感じになって、えへへって感じになるし。
なんか魔力というか不思議なあったかい感じは、たまにするけど、すぐに消えるわ」
エリスはもじもじしながら話した。
彼女の肩にはなぜか猫が乗っている。
猫が……は?
いや、なんで猫が乗ってるんだ?
イザークとは違った意味でよくわからない。
彼女の肩に捕まっている小さめの猫は眠そうに欠伸をして、キッと僕を睨むと、じーっと見つめてきた。
そして何を思ったかぷいっと顔を逸らして、また欠伸をしたと思ったら再び睨んできた。
それを繰り返し飽きたのか、やがてそっぽを向いた。
猫だ。あの反応は猫だ。間違いない猫以外の何物でもない。
しかし誰もあの猫には触れない。
だったら僕も無視しておこう。触れてはいけない気がする。
「わたくしはぁ、甘い物が好きなので、そのことを考えてますよぉ。
感情的にはエリスさんと近いのかしらぁ?
思わず顔がほころんでしまう感じですねぇ。
でも魔力はまったく出ませんよぉ。どうしてでしょうねぇ?」
ソフィアはおっとりとした口調で柔らかい笑みを浮かべた。
なんかソフィアと母さんの姿が被るんだよね。
二人ともおっとりしているし、何かあれば、あらあらと言いながら笑っているし。
でも母さんは実はしっかりしている。
ソフィアは天然色が強い感じがする。
「じ、自分は、過去の嫌なことを思い出してます……。
魔力の感覚は、あるようなないような……わかりません」
マイスは俯きながら答える。
暗い性格というよりは単純に萎縮している様子だ。
時折、見せる子供らしい素直な表情もある。
しかし彼は貴族の中では素顔を見せられないのだろう。
しょうがない。
彼の心情を理解できないでもないし。
平民のマイスは、おどおどしながらも普段よりは少しばかりリラックスしている様子だ。
他の生徒がいないからだろう。
それはそれとして、彼の過去の出来事を思い出すという言葉。
黒歴史的なことなのか。
時々、フラッシュバックするあの現象のことなのか。
やめろ。それは自分を殺す呪いだ!
「儂は色々と試してますぞ。しかしまったくもって何も反応しませんが!」
ゴルトバ伯爵だけは妙に元気だった。
彼は生徒の中で唯一魔力がないにも関わらずストイックだ。
魔力がない、正確には僕には見えない人間が魔力を放出できるとは思えない。
しかし前例がないからと言って、絶対にありえないとは言い切れない。
彼自身が望んだことならば、僕もできるだけ手助けしよう。
僕も興味がある。
『魔力がない人間が、鍛錬で魔力を放出できるのかどうか』を。
五人の感想を聞くに、イザークとエリスは魔力の感覚を掴みそうな瞬間はあったようだ。
方向としては間違ってはいないが、あと一歩というところだろうか。
ソフィアとマイスはあまりうまくいってない感じか。
私見だけど、ソフィアもマイスも感情を強く抱くことが苦手なように思える。
ソフィアはおっとりしているし、マイスは萎縮しているし。
ゴルトバ伯爵は置いておくとして。
やはり単純に感情を上手く昂らせていない、ということが原因のようだ。
三週間続けて進展がない人は、このままでは魔力を放出できないだろう。
イザークとエリスはこのまま続ければ魔力放出ができるかもしれないけど、非効率だし、何より向いていないように思える。
さてどうするか。
感情を抱くということは普通に生きていれば簡単なことだし、想像力があればより簡単にできる。
何かの記憶を想起すればそれだけで何かしらの感情を促せるからだ。
しかしそれが不得意な人もいる。
仮に感情の起伏が激しくとも、魔力放出に繋がる感情の想起でない限り、それは意味をなさない。
そのどれが欠けても魔力放出はできない。
彼等は感情を促すことが苦手か、不安定なのだろう。
ここは思い切って方針を変える方がいいかもしれない。
「わかりました。それでは、少しやり方を変えましょう。
今、みなさんは感情を強く抱くことで魔力が放出されるという考えをもとに鍛錬をしています。
そして次の段階では魔力放出できれば嬉しいとか感情を伴わせるという逆転の思考で魔力を放出します。
その二つの段階を飛ばして、強い意志、集中力で魔力が放出されるという段階から始めましょうか。
本来、最初の段階で魔力放出の感覚を掴んで、意志に伴い魔力を放出するはずでしたが、それが苦手な人もいるみたいですし」
「あのぉ、具体的にどんな風にするんでしょうかぁ?」
ソフィアがおずおずと言った。
確かに今の説明だと曖昧だった。
「単純に『魔力よ放出しろ』と強く願いましょう。
本来はその前段階で感情を促して、意志力に変換するんですが、それが難しいなら、単純に強く願う、強い意志を持つことの方が簡単かもしれないです」
人の行動の原動力は欲望である。
寝るという行動を例に挙げると、肉体が疲労し、眠気を催しているから眠る。
この眠いという感情は本能的な欲求である。
必要に迫られての欲か、何もない状態での欲かは別だが、この場合は前者である。
状況によって違うが、基本的にはこの順序により人は行動し、思考する。
感情は何もない状態では抱きにくいし、そこに明確な意思は薄い。
記憶や出来事から感情は生まれるものだ。超自然的な反応は別として。
しかし強い意志を抱くと、そこには感情が伴う。
その感情を言葉に表すならば高揚感に近い。
やる気と言い換えてもいい。
意志とはある意味では目的意識であり、その目的を遂行する際に生まれる思いはやはりやる気である。
欲望、意志、感情はすべて密接に関係している。
つまりそのどれかを強く抱けば他の二つに繋がるというわけだ。
根本には欲望があるが自意識下ではこのような相関図があるということになる。
そして魔力を放出するという能動的な『行動』には『意志』という要素が最も大きく関わる。
魔力放出は基本的に意識的に行うものであるため、意志を用いての操作が最も効率的であり、簡易的であるということだ。
感情は誰でも抱け、そして記憶を想起するだけで魔力放出を促す、最も簡単な方法だと思っていた。
そのため僕は最初に、感情を抱き、魔力放出をするように促したのだ。
ただそれも個人差があるのかもしれない。
その証拠に僕の指示を受けて、魔力放出を始めた生徒達の雰囲気が変わった。
静かに集中し始めたのだ。
うるさく叫んでいた問題児たちは、僕の『強い意志を持つ』という言葉を受けて、本能的に理解したということ。
集中しろと言われて、ぺらぺらと喋る人はいない。
無言になり、目を閉じ、脱力し、一つのことだけを考える。
閑寂とした空間。
その中で僕は気づいた。
彼等は二つのことを同時にできないタイプなのだと。
なぜそう思ったのか、それはこの異常な静けさが漂う空間の中で、張り詰めた空気の中で、静謐な何かを感じ取ったからだ。
それは圧倒的な集中力。
見るだけで伝わるそれは、間違いなく一つのことに集中している様だった。
光が見えた。
彼等の身体には自然的に纏っている魔力の膜がある。
しかしそれは薄く、目を凝らしてようやく気付くくらい。
当然、そのわずかな魔力が見えるのは僕だけだ。
その魔力の膜が徐々に厚くなり、光の粒子が舞い始める。
帯魔状態だ。
間違いなく魔力が放出されている。
早い。
今まで魔力操作が一切できなかったとは思えない程に滑らかに。
イザーク、エリス、マイス、ソフィア。
それぞれが魔力を帯びていた。
ゴルトバ伯爵に変化はない。
しかし彼の集中力は他の四人と同等のもの。
もしかしたら……そう思わせる何かが彼にはあった。
四人の魔力放出はできていた。
たった数分。
一つの助言で、三週間できなかったことができてしまった。
鳥肌が立った。
これはなんだ?
この感覚は。
もしかしてこれが教育者としての強い喜びなのか。
自分の生徒が、自分の言葉で、授業で著しく成長する姿を見て、僕は興奮している。
胸の内から広がる強い感情。
それが喉の上まで込み上がると、僕は強引飲み込んだ。
意味も分からず涙腺が緩み始めて、僕は歯噛みして耐えた。
僕には子供はいない。けれどもしかしたら、子供が成長した瞬間に立ち会った場合、このような心境になるのだろうか。
父さんや母さんはこんな気持ちを抱いたのだろうか。
今まで魔法の研究をして、魔法を使うこと、新たな魔法を開発することだけに喜びを抱いていた。
だけど色々な人と出会い、色々な出来事に遭遇し、乗り越え、学び、僕も変わった。
そして僕はどうやら、人と喜びを共有することの喜びを知ったらしい。
だから思う。
魔力の存在を知り、学ぼうとしている生徒の姿を見て、嬉しいと思う。
ああ、よかった。僕はここに来て、王都に来てよかった。
心の底から、そう思ったのだ。
しばらく魔力放出をしていた四人。
変化はそれだけにとどまらなかった。
「そんな……ま、まさか……」
僕は思わず声を漏らす。
なぜなら、ゴルトバ伯爵の身体にもほんの僅か、魔力が見えたからだ。
他の生徒に比べて薄い、魔力の膜が。
彼の身体を覆っていた。
少ない。圧倒的に。僕が今まで見た人間の中で最も少ない魔力量だった。
100もない。それでも確かにそれは間違いなく、彼の身体から放たれていた。
魔力がない人間が魔力を放出している。
それは僕の思い込みが破壊された瞬間だった。
僕が呆然としている中、生徒達は徐々に目を開け始めた。
「あ、あ、あ! ま、魔力、出てんじゃんか!」
「魔力! これが魔力なのね! これ! このあったかい感じ!」
「ふわぁ、すごいですねぇ。出せちゃった。うふふ、やりましたよぉ」
「や、やれた。じ、自分もやれた!」
四人がそれぞれ喜色を顔に浮かべている。
「おめでとうございます。みなさん。すごいですよ、こんなに短時間でできるようになるなんて。
それとすみません。僕がもっと早く、方針を変えていればよかったですね……」
僕は謝辞を述べて、頭を下げた。
前方から慌てた空気が漂ったけど、すぐにそれは消えてなくなった。
「先生は悪くねぇんじゃね? 結局できたし、それでいいっていうかさ」
「そ、そうね。うん。先生の助言でできたわけだし、結果的によかったわ」
「シオン先生が謝る必要はないですよぉ。むしろできなくて申し訳なかったですしぃ」
「そ、そうです……! せ、先生はよくしてくれてますので……。
あ、じ、自分は、そ、そう思います……」
「みなさん……ありがとうございます」
僕の指示が下手なせいで三週間も不適切な授業をしていた。
それなのに責めないでいてくれた生徒達に、僕は相好を崩す。
良い子達だ。年上だけど。
僕が礼を言うと、気まずそうに視線を放す生徒が二人、嬉しそうに笑う生徒が一人、何度も頷く生徒が一人。
そうだ。みんなもすごいけど、もう一人快挙を遂げた人がいるじゃないか。
「それとゴルトバ伯爵! 魔力が放出できてましたよ!
すごいですよ、魔力がない人間が魔力を出せたことは初めて……?」
僕はゴルトバ伯爵に駆け寄った。
彼はじっと正面を見て、微動だにしない。
視線は真っ直ぐ。僕を見ていない。
魔力はすでに放出されていなかった。
僕が呆気にとられていると、イザークがゴルトバ伯爵目の前で手をひらひらと動かした。
「し、死んでる!」
わなわなと震えながら言ったイザークに向けて、エリスが慌てて叫んだ。
「し、死んでないわよ! 気絶してるだけでしょ!」
「あらあら、本当ですねぇ。立ったまま気を失っているみたいですよぉ」
「……目も開いたまま、ですね……」
現実に立ったまま気絶する人を見るとは思わなかった。
どうやら魔力を消費しすぎて気絶してしまったようだ。
普通は怠惰になるだけなんだけどなぁ。
多分、あまりに魔力がない人が魔力を強引に使ったから、身体が拒絶反応を起こして、失神したんじゃないだろうか。
魔力を放出できたのはすごいけど、結構なデメリットがあるようだ。
命に別状がないようで安心した。
怠惰病ではないし、単純に魔力が枯渇した状態だから、僕が魔力を与えれば戻るだろう。
後遺症はあるだろうけど。
魔力供給は別に、怠惰病患者だけに有効なわけじゃなく、健康な魔力持ちの人間にも譲渡はできる。
ただそれでは生徒達の魔力量は増えないので、基本的には供給をするつもりはしない。
魔力が枯渇したり、怠惰状態になった場合は与えるけど。
僕はゴルトバ伯爵の心臓に手を当てた。
魔力を供給しようと思った時、彼の顔を見る。
「何だか、嬉しそうにしてますねぇ」
ソフィアの言葉通り、ゴルトバ伯爵は気絶しているにも関わらず笑っていた。
その顔は妙に満足気だった。
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