第111話 少しずつ進むために

 補習の翌日、僕達は開発区画に向かっていた。

 王都の端っこにある区画には他の場所とは違った排他的な空気が漂っている。

 四方は壁に覆われており、入り口にいる守衛が侵入者を阻む。

 三週目ということで、何度も区画に足を踏み入れている僕達は顔パスで通れる。

 僕とウィノナ、エゴンさんの三人は守衛達に挨拶をすると、区画に入った。


「ウィノナ。君は毎回、一緒に来てくれなくてもいいんだよ?

 毎日働いて貰っているしさ」


 ウィノナはずっと僕の世話をしてくれている。

 家にいる時も、外出時も、彼女は常に僕の傍にいる。

 何度も休んでいいとは言っているんだけど彼女はそれを了承しないのだ。

 エゴンさんは僕が休日の時は、休みになっている。

 そのため僕は週に一度は休みを貰うことにしていた。


「いえ、わ、わたしはシオン様のお手伝いをしたいんです!」


 これである。

 ウィノナの言葉はありがたい。

 彼女は働き者だし、気も利くし、色々と助かるからだ。

 それにやはり一人よりは二人でいる方が安心できるし、楽しい時も多い。

 ウィノナに対しての心証はよくなっているし、多分ウィノナも少しずつ僕に心を許してくれている。

 だから余計に一緒にいてくれると心強いし、嬉しい。

 でもだからといって休みなしというのはどうだろうか。


「気持ちは嬉しいんだけどね。やっぱり休日は必要だと思うんだ。

 ウィノナに色々とやってもらっているしさ。

 それに休みの日に色々なことを経験したり、見ることで新たに知ることもあるよ。

 今のウィノナにはそれが必要だと思う」


 ウィノナはずっと父親の言う通り生きてきた。

 だから自分の考えがわからないことも多い。

 好きなもの、嫌いなもの、それさえもあまりわからない状態だった。

 だからもっと色々な物を見るべきだ。

 そして自分のことを知るべきだろう。

 そう思うからこその言葉だったが、ウィノナは悲しそうに目を伏せてしまった。

 僕は慌てて二の句を継げる。


「い、いや! 邪魔とかそういうことじゃないからね!

 ただ、休息や自分の時間は必要だからさ。

 僕にだけじゃなく、自分に目を向けた方がいいんじゃないかと――思ったんだけど、ウィノナがいいならそれでいいかな!」


 話している途中で、ウィノナが泣きそうになってしまったので、僕はすぐに話を方向転換させた。


「も、申し訳ありません……も、もう少しだけ……お傍に、いさせてください」

「うん、うん! いいよ! す、好きにしていいからね!

 た、ただの助言だから、うん。僕もウィノナがいてくれると嬉しいからね!」


 本音だけど、白々しく聞こえてしまったかもしれない。

 彼女はまだ自分だけで飛び立てない小鳥のようなものだ。

 彼女には自分の意志はあるし、自分のやりたいことも少しずつ見えてくるだろう。

 まだ一人で歩くには早いのかもしれない。

 生まれてから今までずっと父親という鎖に縛られていたのだが、それはある意味ではレールを引いてくれていたということでもある。

 彼女は自分の意志で何かを決めたことがなかったのだから。

 彼女が独り立ちするまで僕が助けてあげればいい。

 けれどウィノナ、君はわかっているのかな。

 僕はずっと君の傍にはいられないってことを。


「ありがとう、ございます……シオン様……」

「そうかしこまらなくていいよ。ウィノナが僕の侍女になったのは何かの縁だと思う。

 だから僕ができることならするし、それにウィノナには幸せになって欲しいからね。

 ゆっくりでいい。少しずつ進もう」

「は、はいっ!」


 僕が言うと、ウィノナは笑みを浮かべる。

 綺麗な笑顔だ。憂いはなく、純粋で澄んだ笑みだった。

 思わず僕もほころんでしまう。

 そして再び歩き始めると、エゴンさんがふと小さくつぶやく。


「……刷り込み、ですかな」

「え? 何か言いましたか」

「いえ。ただ、オロフ嬢は良き主人に恵まれたと思いまして」

「は、はい! シオン様に仕えさせて頂いてとても幸せです!」


 ウィノナは純粋な目で僕を見る。

 そんなことをされてしまってはむず痒くなる。


「い、いや、そんなことないから。持ち上げすぎだよ」

「そんなことはありません! シオン様のおかげでわたしは救われました。

 今もお世話をさせて頂いて幸せです。本当に、そう思うんです!」


 キラキラとした目を向けられては困惑せざるを得ない。

 尊敬のような感情が真っ直ぐ向けられている。

 彼女はどうやら僕を買いかぶりすぎているようだ。

 しかしどう返答しても、彼女は僕に幻想を抱いている。

 彼女の中の僕は相当に美化されているのではないだろうか。


「しかしオロフ嬢。シオン様のような方は、他にはいらっしゃいません。

 どれほど優しい方であっても、シオン様のように目線を合わせてくださる方は存在しません。

 そのようなシオン様のためにも自身にできること、自身がやるべきことを考えるべきでしょう。

 優しさに甘えた時点で、その相手を侮り、貶め、そして依存する存在になってしまう。

 それは共存でも協調でもなく、ただの寄生です。

 救ってくれた方に迷惑をかけるということに他ならない。

 それは主従の関係でさえないということを、覚えておいてください」


 声音にはほんの少しの侮蔑が含まれているように感じた。

 気のせいだろうか。

 彼の顔を見ても、いつも通りの引き締まった表情のままだった。

 感情を表に出しているようには思えない。

 ウィノナはエゴンさん言葉を聞き、俯いてしまった。

 どうしてしまったのだろうか。


「は、はい……」

「出会いは救いです。学び、成長する機会です。

 今の、この時、この瞬間を逃避に費やすべきではないでしょう。

 すべては永遠ではありません。幸運は続きません。

 大事な何かがあるのならば、失わないように努めることこそ肝要です。

 ……老婆心ながら出過ぎた事を申しました。失礼しました、シオン様。オロフ嬢」


 エゴンさんが綺麗なお辞儀をする。

 僕は何を言っているのかわからなかった。

 ウィノナはエゴンさんに慌てて頭を下げる。


「では参りましょう。フレイヤ様を待たせておりますので」

「え、ええ。わかりました」


 いつの間にか足を止めていた僕達は、再び歩を進めた。

 何か曖昧な空気の中、僕はウィノナに振り返る。

 彼女は先程とは打って変わり、神妙な面持ちだった。

 エゴンさんの言葉に思うところがあったのだろうか。

 僕は、何か間違った行動をしているのかな。

 ウィノナを助けたいと思って、彼女のためにしていることは間違ったことなのだろうか。

 わからない。

 僕は僕の考える彼女のためにできることを続けるだけだ。

 盲信せず、常に考えること。

 それが僕にできることだと思う。

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