第103話 教えてウィノナさん

 羊皮紙にペンを走らせる。

 品質の低いインクは妙に滲み、妙に延びない。

 頻繁にインクを補充しないと書けなくなるし、力加減を間違うと文字の体裁さえ失う。

 現代のシャープペンシルやボールペンの偉大さを感じずにはいられない。

 文句を言っても意味はないけど、たまに考えてしまうものだ。

 日本に未練があるわけじゃないけど、比較はしてしまう。

 まあ、こっちの世界の方が僕としては過ごしやすい。

 愛着も強いし、帰りたいという思いはないかな。

 それはさておき。

 月光に照らされている中庭を何となく眺める。

 夜の帳が下りている中、外は静寂を保っている。

 少しだけ見慣れてきた自室で、僕はどうしたものかと思案していた。

 目の前の紙にはこう書かれている。

 『研修生のグループわけ』。


 怠惰病治療の授業では座学よりも実習が多くなる。

 知識も必要だけど、基本的には体感して覚える感じになるだろう。

 元々、グループをわけるという考えはあった。

 個々で学ぶより、数人単位で学ぶ方が、やりやすいこともあるだろうと考えてのことだ。

 もちろん厄介な部分もある。

 まず研修生は五国出身者で構成されている。

 リスティア、メディフ、ロッケンド、プルツァ、アドン。

 それぞれ特色がある国で、文化も考えも違う。

 そして厄介なことに参加者は各国の貴族だ。

 軋轢が生まれることは必至……だと思っていたけど。


「思ったよりも悪い感じじゃないんだよね」


 他国の人間に対して敵愾心を抱いたり、見下したり、或いは媚びたり、そういう傾向は、今のところはない。

 なんでだろうな、と思っていると、コンコンと扉が叩かれる。


「どうぞ」

「失礼いたします。紅茶をお持ちしました」


 ウィノナがお盆を手に部屋に入ってくる。

 おどおどした態度はあまりなくなっている。

 彼女も少しずつ変わってきている。

 それが嬉しく、僕は思わず笑みをこぼした。


「うん、ありがとう」

「い、いえ。あの、お仕事ですか?」


 少しだけ砕けた言い方を僕は好ましく思う。 

 ウィノナから紅茶を受け取る。

 いい香りだ。心が落ち着く。

 僕は一口すすると、ソーサーにカップを置いた。


「うん。授業内容に関してっていうより、生徒達に関してだけどね。

 グループわけをしようと思って。ただどうしたものかと、ちょっと悩んでた」

「五国の貴族方ですから、気を使いますね……」

「そうなんだよ。僕は国の情勢に疎くてね。少しはわかるけど。

 国同士で仲が悪いとか、それぞれの家柄で相性とかあるのかな、とか。

 事前に貰った生徒達の情報をまとめた紙は持っているんだけど、よくわからなくて。

 そうだ! ウィノナ、悪いんだけど、少し力を貸してくれるかな?」

「は、はい! わたしでできることであれば何でも!」


 ウィノナは嬉しそうに何度も頷いて、鼻息を荒くしていた。 

 そこまで意気込まれるとは思わなかった。

 やる気を見せられると嬉しく思う。

 いやいや手伝われるよりは気分がいい。

 ウィノナは貴族だし、知識も豊富なようだ。

 貴族に関しての勉強もしていただろうし。


「じゃあ、頼むよ。まずそれぞれの国同士の関係を教えてくれる?」

「か、かしこまりました。そうですね、まずアドン。

 大帝国と呼ばれる軍事国家ですが、他国との関係は表向きは悪くはないようです。

 ただリスティアに対してはやや冷戦状態で、圧力をかけているという噂もありますが。

 他の四国すべてが共通して、アドンに対しては大国であり、強国であると認識し一目置いているかと思います」


 アドンの出身者は二十人くらい。

 イザークもその中に入っている。


「見た感じ、アドンの人間が他の国の人達に対して傲慢な態度をとっている感じはなかったような。

 大国という自負があれば見下したりしないのかな?」

「アドンが大国、強国となったのは最近の事ですから。

 元々はリスティアの領地だった土地を半ば強引に奪い、軍力を増したのはここ数年のことですし。

 意識的な影響はまだ少ないのかもしれません。

 ただやはり一部ではそういう面は出てきているかと思いますよ。

 研修生の皆様の中にも、そういう……誇りのような感情は出ていたかと」

「そっか。僕にはよくわからなかったけど。貴族全員が偉そうだしさ」


 僕が言うと、ウィノナが思わず吹き出した。

 何事かと彼女を見ると、慌てて表情を取り繕った。

 恥ずかしそうに俯くと、顔が朱色に染まり始める。


「も、申し訳ございません。き、貴族にそのようなことをおっしゃる方はいらっしゃらないので。

 お、思わず……」

「あはは、いいよ。確かにそうかも。それくらいは僕にもわかってきたよ。

 でも、うーん、アドンの人間はやっぱり立場が上だと思っている節はあるのか」

「た、多少はあるかと。ですが特別扱いはする必要はないかもしれません。

 事前に平等に扱うという契約の元、研修会は行われているので」

「そうだね。そこは僕もそう思うよ」


 強国の人間であろうと、有力貴族だろうと関係ない。

 この研修会を開いた理由は……平等性を保つためだと女王は言っていた。

 アドンの人間もそれくらいは理解しているはずだ。

 アドンは大国だが、一強と言われるほどでない。

 他国が力を合わせればアドンに対抗できるくらいには国力に差はないわけだ。


「他の国、メディフ、ロッケンド、プルツァに関しては特別に敵対している国はないかと思います。

 あくまで今のところ、表立ってはという意味ですが……。

 ただ水面下ではけん制し合い、手を組もうとしているという噂も枚挙に暇がありません。

 我が国、リスティアも同じように言われてますね。

 それとリスティアは小国で、他国よりも国力が劣っているため、少しばかり立場は下でした。

 そのため今回の研修会で地位を向上しようとしているのでしょうね」


 ウィノナには詳しい話はしていないが、貴族である彼女でもこれくらいは知っているということか。

 リスティアは思っている以上にまずい立場にいるのかもしれない。


「聞く限りでは、別にどこと組ませても問題ないというか、問題ないという判断を出すしかない感じか」

「そうですね。恐らく、ですが。その、断定は難しいので。

 ただ、わたしも参加者の皆様を確認させていただきましたが、特に険悪な関係の方はいらっしゃらないかと思います。

 あくまで家柄同士での話ですので、個人同士だとわかりませんが……。

 ですがあまり気にしなくてもいいかもしれません」

「どうして?」

「み、皆様お若いですし、交流会での接点もほとんどないでしょう。

 研修生の大半は十五歳から十八歳。その年齢ならば、まだ内々での催しに顔を出すことの方が多いでしょうし、当主様も現役ですから、公的な催しには個人での参加はないでしょう。

 そうなると最低限の礼節を弁えますから、何かしらの因縁は生まれにくいです。

 縁の深いお家同士での付き合いはあるでしょうが。

 自国同士でそのような感じですので、他国とであれば余計に問題ないかと思います。

 恐らく……ですが……」


 なるほど。だから因縁深い相手はいない、ということか。

 家柄同士で険悪ならば、名前を見ればわかるわけだし、見た限りではグループ分けの弊害になるような関係性のある生徒はいない、ということになる。

 そもそも生徒名簿の情報にもそのようなことは一切書かれていない。

 もしも何かしら問題があるのなら注釈なりがあるはずだろう。


「そ、それに昨日の様子を見た限りでは雰囲気はよろしいかと思います。

 みなさん魔力に興味津々でしたし」

「うん。それに関しては思った以上の反応で驚いたよ」

「平民の方はどうかはわかりませんが、貴族は娯楽に飢えている人が多いので。

 お金や地位がある分、色々なことができますので、新しいことに目がないと言いますか。

 そのような理由があっての、あの反応だったのかもしれません」


 貴族だけでなく、人間というものは新しい何かに惹かれるものだ。

 流行りものとかもその類だろう。

 魔力のように、想像外の新たな存在は特に好奇心をそそられるのかもしれない。

 僕はその気持ちが痛いほどわかる。

 いや、本当、魔力を見つけた時、天にも昇る気分だったし。

 みんなに魔法を見せたらもっと喜びそうだ。

 今はできないけど。

 いつか見せてあげたいな。

 そしてみんなで魔法を愛して、魔法を堪能して、魔法を使えるように……うへへ。

 おっと脱線してしまった。

 ウィノナがどうしましたか、といった感じの顔で僕を見ている。

 僕は慌てて会話を続けた。


「な、なるほどね、それは嬉しい誤算だなぁ。となると問題は大分絞られるね」


 学校や会社でも最も障害となるのは人間関係だ。

 好き嫌いで物事を判断する人間はごまんといる。

 人間、そこに存在するだけで誰かの邪魔になるし、誰かに嫌われることもある。

 理由なく嫌いになり、好きになることもあるということ。

 明確に好き嫌いがわかればいいが、接してみなければわからないことも多い。

 とにかくこれ以上、考えても意味はなさそうだ。

 問題点はまだあるけれど。


「他にも問題があるのでしょうか?」

「うん。まあ、まずは平民の彼だね」

「ああ……あのお方ですか」


 ウィノナも困ったように顔を歪ませた。

 彼女のこういう素の表情を見たのは初めてかも。

 なんか新鮮だな。言わないけど。


「貴族の中に平民がいると、やっぱり目立つよね。彼もかなり萎縮していたし」

「そうですね。他の方も、あのお方を気にしていらしたようですし」

「どんな感じだったと思う?」

「……私見ですが、あまり好印象ではなかったと思います」

「だよね。僕もそう思う」


 周りの視線は明らかに刺々しかった。

 平民のマイス。彼は明らかに浮いていたし、受け入れられるような環境ではなかったと思う。


「昨日と今日はシオン様のお言葉のおかげで、授業に注意が向いていましたが、慣れていくと、何かしらの軋轢が生まれる可能性はありますね。

 それはマイス様だけでなく他の貴族様達も同じかもしれません。

 先程の推察はあくまで得た情報を元に考えたことですので」

「うん。その考えもあってグループわけをしようと思ったんだよね」


 僕の言葉にウィノナは首を傾げる。


「あ、あの……グループわけをすると余計に、マイス様の立場が悪くなるのでは」

「そうかもしれないね。でも、そうならないかもしれないし」

「と、言いますと?」

「まあ見てのお楽しみってやつだね。僕の目論見通りになるかどうかはわからないけど。

 せっかくみんな僕の生徒になったんだから、全員無事に卒業してもらうように頑張るつもり。

 だから大丈夫だよ」


 ウィノナは少しだけ驚いたように目を見開き、すぐに柔和な笑みを浮かべた。


「シオン様はお優しいですね。シオン様の生徒になった皆様は幸せだと思います」

「あ、あはは、ほ、褒めても何もあげないよ」


 自然な笑顔で、思わずドキッとしてしまう。

 いやいや何を動揺しているんだ、僕は。


「と、とにかく平民の、マイス君のことは置いておくとして。

 他にも気になる生徒がいたんだよね。特にゴルトバさん」

「メディフの伯爵候ですね。確か……学者様、でしたか」

「うん。妖精学の権威みたいだ。なんでこの研修に参加したのかは不明だね」


 事前に貰った生徒達の情報によると妖精に詳しい人らしい。

 妖精と聞くと興味が湧く。

 以前、妖精を助けたこともあるし、エインツヴェルフが妖精のことを何か言っていた気がする。

 何となく僕は妖精と縁がある気がする。

 自分でもよくわからないけど妖精が気になる時があるんだよね。

 今まで魔法や怠惰病治療とかで忙しかったし、幼い時は妖精屋に行くことを禁じられていたため、妖精に関しての知識はあまりないんだけど。

 機会があったら話を聞いてみたい気もするな。

 それはそれとして彼の問題は別の部分にある。


「あの人、魔力がないんだよね。それなのになぜか参加しているし」

「そうですね……。

 あのお方は、メディフ内でも有名な貴族らしいです。妖精学以外にも魔物学にも精通しているとか。

 ですから、魔力がないという理由で帰国を促されても、帰ることができなかったのではないでしょうか?」

「メンツの問題ってことか。あり得るね。

 まあ、いるだけならあんまり問題ないけどさ。

 ただ、魔力が放出できない人がいると、やっぱり気になるし、授業の阻害にならないかなぁ」

「確かに周囲が気を遣いますし、ご本人も居たたまれなくなるかもしれませんが……」


 年齢的な面でも他の生徒とは違う。

 そのため余計に悪目立ちしそうだ。


「……今考えても仕方ないか。帰ってくれとは言えないし。

 彼も生徒なんだから、他の人達と同じように扱うことにしよう」


 ただしちょっとした問題児であることは間違いない。

 そういった意味での特別扱いはすると思う。

 他のみんなの様子を見た限りだと、何となくグループわけができそうだな。

 なんか不安だけど、しょうがない。

 僕が思考を巡らせていると、ウィノナがぽつりとこぼした。


「でも、気持ちはわかります」

「うん? 誰の?」

「あ、す、すみません! あの、ゴルトバ伯爵のことです。

 あの方は魔力がないとのことですが、授業では魔力を出そうと懸命な様子でしたので。

 研修会に参加した動機も、真剣な理由もわかりません。

 プライドの問題なのかもしれませんが……魔力を出したいという気持ちはわかります。

 わたしも、その、魔力がないので。

 あ、憧れると言いますか……少し寂しいと言いますか」

「寂しい?」

「は、はい。シオン様は、治療前に魔力がどういうものなのか説明してくださいました。

 けれど、わたしには感じることはできないし、見えないのです。

 信じてはいました。けれど実感はなかったのです。

 ですが昨日、教室でシオン様が生徒の皆さんに魔力を見せた時……皆さんはとても楽しそうにしていました。

 綺麗だと、素敵だと言って、そして興奮した様子でした。

 わたしには見えないので、ただ何もない空間を見上げているようにしか見えなかったのです。

 なんだかそれが寂しくて……無性に羨ましかった。

 もしかしたらゴルトバ伯爵も同じような気持ちなのかなと、そう思いました」


 そうか。

 魔力が見えない、感じることのできない人達には、魔力の存在を実感できないのだ。

 僕が口で説明し、他の人間が見えると言っても、ウィノナには決して認識できない。

 しかし怠惰病治療や研修生の反応を見て、それは確かに存在するのだと理解している。

 だから羨ましいと、自分も見たいと思うのだろう。

 僕が彼女の立場なら焦がれる。

 魔法に憧憬を抱いていた過去の自分と同じだ。

 魔力がない人間は魔力を出せない。

 それは厳然として存在するこの世の理――なのだろうか。


「も、申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました!」


 僕が無言になったからか、ウィノナは慌てて頭を下げた。


「い、いや大丈夫。そんなことないよ!」

「し、しかしわたしは、シオン様の優しさに甘えて、勝手に自分の感想を話してしまって……」

「いいんだ。話してくれていい。

 あんまり遠慮しないで。僕はこんなことじゃ怒らないよ。

 それにウィノナが素直に話してくれると、嬉しいんだ。だから、ね? 謝らないで」


 軽くウィノナの肩を叩くと、彼女はゆっくりと頭を上げた。


「……シオン様……」


 ほんの少し濡れた瞳を見て、僕の心臓が一度だけ跳ねる。

 思ったよりも距離が近かったせいで、動揺が強い。


「……わたし、シオン様の侍女になれて、し、幸せ、です……」


 見つめられながら震える声で言われてしまった。

 そんなことをされたら鼓動が早くなるのはしょうがないと思う。

 僕は何と返せばいいのかわからなかった。

 ほんの数瞬の空白。

 その後、ウィノナはハッとした表情になり、勢いよく再び頭を下げる。


「し、失礼しました! わ、わたしまた!

 あ、し、ししし、失礼いたします!」


 激しく目を泳がせながらしどろもどろになり、ウィノナは慌てて踵を返す。

 勢いよく扉を閉めて、出て行ってしまった。

 一気に静寂に包まれる一室。

 その中で、僕の心臓だけがひたすらに脈動し続ける。

 ああ、もう! なんなんだこれは!

 中身はおっさんなのに、何を若い女の子にドキドキしているんだ。

 落ち着け。分をわきまえるんだ。

 すー、はー、すー、はー。

 よし、落ち着いた。

 心臓はうるさいままだったけど、僕はもう大丈夫だと自分に思いこませる。

 姉さんの顔が浮かんだ。

 首飾りが光った気がした。


「いや、違うから! これは本当に違うからね!」


 誰もいないのに誰かに言い訳をしてしまう。

 自分でも思っている以上に動揺しているようだ。

 こんなことをしている場合じゃない。

 明日の授業でグループわけをする予定なので、夜の内に決めてしまわないと。

 意識を切り替えた僕は、ペンを手に取った。

 しばらく腕が動くことはなかった。

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