第71話 認めること、認められること

 一日を終えた。

 目下の問題は僕の魔力量。

 一日で使える魔力量は決まっていたため、一日で何人治せるのかが問題だった。

 怠惰病は一刻を争うような病ではないため、最終的に治せるのならば焦る必要はない。

 しかしそれはイストリアだけの問題ではなく、もしも女王がイストリアの患者をすべて治療する前に、招へいを命じて来れば、僕は断れないだろう。

 そうなる前に全員を治療したかった。

 しかしその不安は杞憂に終わった。

 なぜならば一人に使う魔力量がそれほど多くなかったからだ。

 姉さんの治療に必要だった魔力量は1500。

 しかし人によって必要な魔力量は前後する。

 大体は100から300程度で、1000どころか500を超える人はいなかった。

 姉さんは特殊らしく、他の患者の魔力量は非常に少なかったのだ。

 魔法の訓練で魔力量が増えていたからかもしれない。


 それにもう一つ、嬉しい誤算があった。

 それは僕の魔力の回復が異常に早くなっているということ。

 以前は完全回復するには一日かかったし、魔力が枯渇したら数日休養しなければ完全回復しなかった。

 しかし今は数時間で数万程度の魔力ならば回復する。

 現在の魔力量は百万ほどだ。あくまで暫定的というか大体だけど。 

 数時間で数万だから、一日完全に休んでも百万は回復しない。

 しかし以前は総魔力量は一万しかなかったにも関わらず、回復に一日を要したのだ。

 回復量が圧倒的に増えているというわけ。

 治療に必要な時間は長くても二分程度。 

 ほぼ休まず治療をしても、百万の魔力を使い切るほどの量を使うことはなかった。

 当然、減った魔力を回復する時間も必要なので、常に全快状態ではない。


 一日目の治療人数は三百人。

 ほぼ休憩なしでずっと治療してこの人数だった。

 しかし夜に治療するわけにもいかないし、僕も寝ないと魔力の回復が遅くなる上に倒れてしまう。

 それでは元も子もない。

 実働時間は十時間程度。

 昼ごろからの十時間だから、結構な時間だ。

 ブラック企業レベルの労働時間だけど、苦ではなかった。

 これくらい社会人ならば体験した人は少なくないだろう。

 それに治療を終えた家族達の嬉しそうな顔を見れば、疲れは吹き飛んだし、もっと助けたいと思ったからだ。

 さすがに夜になると兵士達と看護師達に止められて、診療所は一旦、営業を終了することになった。


 夜半時。

 まだ外で患者の家族達ともめている兵士達の声が聞こえる。

 彼等は一応、八時間程度で交代するようになっているが、昼間の騒ぎを見て、夜も見張りを継続することになったらしい。

 治療をしてくれと頼みにくる人が後を絶たないからだ。

 昼もそうだけど夜に訪れる人もいる。

 かわいそうだけど、さすがに寝ずに治療はできない。

 そういうことから、僕は家に帰ると周りの人や家族に迷惑がかかると思い、仮診療所に泊まることにした。

 本当は家に戻って姉さんの顔が見たい。

 けど姉さんはまだ回復して間もないし、無駄な心労をかけたくない。

 父さんと母さんやみんなが看てくれているし大丈夫だろう。

 心細くはあるし、会いたいという気持ちは大きい。

 せっかく話せるようになったんだし。


 ……ああ、ダメだダメだ。

 考えると帰りたくなる。

 診療所に泊まれば、朝早くから患者の治療が始められるメリットもあるんだから割り切ろう。

 看護師達も夜勤の人を呼び、昼番の人は帰宅し休むことになっている。

 施設には大部屋以外にもいくつか小部屋があるため、僕はそこに寝ることになった。

 部屋数は多くないため、僕とコールが同室だ。

 食事をし、すでに就寝準備は終えている。

 さすがに疲れは出ている。

 早めに寝て、明日に備えよう。

 そう思い待合室から部屋に向かうところで呼び止められた。


「すみません、オーンスタイン……先生」


 野太い声に振り向くと、昼間に僕へ意見をした看護師の男性だった。

 彼は難しい顔をして私服姿で佇んでいる。

 今から帰るところらしい。


「ああ、お疲れ様でした。今日はありがとうございました」

「え、ええ……お疲れ様でした」


 言うと、踵を返すでもなくそこ場に佇んだままだった。

 何か言いたいのだろうか。


「……あ、あの、申し訳ありませんでした。先生を子供だと決めつけ、その上、戯れだのと。

 私達は勝手に先生を見下し、蔑んでいました。

 私達は医療のプロでありながら、何もできず、その状況に苛立ちを覚えていました。

 苦しんでいる人がいるのにただ見ていることしかできませんでした。

 怠惰病患者が増えていく中で、私達医療に携わる人間は無力さを見せつけられ続けた。

 そんな中であなたの噂を聞き、これ幸いと見下して自分達を慰めた。

 私達は努力している。それなのに結果を出せていない。

 だというのに、どこの馬の骨ともわからぬ子供に何ができるのかと。 

 医療を、患者の家族を、私達をバカにするなと、そう思っていました。

 だから先生に八つ当たりをしたのだと思います。最低な行為でした。

 申し訳ありません。私達は…………」


 言葉が続かないようだった。

 まだ何か言いたい。

 自分達の不甲斐なさを。

 しかし、これ以上言ってどうなるのか。

 そんな葛藤が顔に浮かんでいる。

 僕は苦笑を返す。

 そして言った。


「そりゃそうでしょ。そんな風に考えて当然ですし、別に気にしてませんよ」

「は? い、いえ、しかし私達は失礼なことをしました。

 今回だけじゃない。今までも、あなたは医師に看護師に冷たい態度を取られたのでは」

「まあ、確かにそうですね。

 明らかに見下されてましたし、子供だからと馬鹿にされることも多かったです。

 でも、しょうがないと思いますよ。

 みんな真剣に生きているから、そう思うんでしょうし、そう思って当然だと思います。

 だから気にしなくていいと思いますよ。

 それに、みんな目標は最初から一緒なんですから問題ないです」


 バルフ公爵の手回しがあったからか、医学界からの圧力を受けることも嫌がらせをされるようなことはなかった。

 もちろん直接接する医師や看護師から白い目を向けられたが、彼等は自分達のプライドのためだけにそんな態度を取ったわけじゃないだろう。

 患者を助けたい。そんな思いは誰にでもあったはず。

 僕は手柄が欲しいわけじゃないし、誰かが治せるのならそれでいいわけで。

 だから問題ない。

 さすがに邪魔されていたら何かしらの対策を練る必要があっただろうけど。

 僕の返答に男性の看護師は何度も瞬きを繰り返し、僕を見つめる。

 わかりやすいほどの驚きに僕は苦笑を禁じ得ない。


「それじゃ僕は寝ますので。あなたもゆっくり休んでください。では」

「……はい。先生。お疲れ様でした」


 別れの言葉には棘はなく、どこか穏やかな親しみを滲ませていた。


   ●○●○


「――あ、ありがとうございます! 先生、ありがとうございます!」


 患者の家族が僕の手を握り、涙を流しながら何度も礼を言った。 

 怠惰病治療を終えた患者は仮診療所から退院し、別の診療所か自宅へと戻ることになる。

 経過観察は随時していく必要があるが、人数が多すぎるため、この施設で看続けることは不可能だし、以後は本職に任せた方がいいだろうと思ったからだ。

 全員に魔力は戻った。

 とりあえずは問題ないはずだ。

 最後の患者の治療を終えると診療所は嘘のように静かになった。

 看護師達はすでに清掃や整理、後片づけをしてくれていた。


 終わった。

 やっと終わった。

 一週間かかったけど、何とか終わった。

 僕は達成感と共に大きくため息を漏らした。

 ああ、疲れた。

 けれどよかった。

 みんな治せた。

 姉さんだけでなく、他の怠惰病患者をすべて治療し終えた。

 イストリア内だけだけど、それでも多くの人を治療できたというのは大きな実績だ。


「お疲れ、シオン」

「ああ、コールもお疲れ様」


 シャツ姿のコールが僕の肩をぽんと叩いた。

 僕は脱力感に襲われて、力なく笑う。


「これでイストリア内の患者の治療は終わったかな」

「ああ。現時点ではそうだな。また増えるかもしれんが。今回のような騒動にはならないだろ」

「さすがに数千人規模の患者さんを治療するのは勘弁して欲しいけど……」

「そうもいかないだろうな」


 イストリア以外でも怠惰病患者は多くいる。

 現時点ではまだ王都からの書簡が届いておらず、女王からの指示があれば僕は王都へ行くことになるだろう。

 赫夜から十日。

 まだ治療ができてから一週間。

 初日に伝令を送ったとして十日ほどで帰ってくるらしいから、そろそろかもしれない。

 とりあえずは間に合ったということか。

 診療所にはベッドと何かあった時のための医療器具が並んでいる。

 そこには誰もおらず、患者達は一人もいない。


「……シオン、おまえは本当に大した奴だな」


 コールがそんなことを言うもんだから、僕は素直に驚いた。

 彼が率直に褒めることなんてないからだ。


「当然、どうしたの?」

「別に。ただ、そう思っただけだ。言っておくが、今回の件に関してだけだからな。

 調子に乗るなよ? 医学に関しては俺の方が上だ」

「それはわかってるけど」


 きょとんと返すと、コールはハッとして顔を赤くしながら背を向けた。

 なんだ。何が言いたいんだこの人は。

 僕はよくわからず首を傾げることしかできない。


「と、とにかく! おまえのおかげで……救われた。

 患者だけでなく、医師達もな。ありがとな」


 僕が何か言う前に、コールは立ち去ってしまった。

 お礼を言いたいならさりげなく言えばいいのに。

 不器用だな。

 なんて思うと、笑みがこぼれてしまう。

 ありがとう、か。

 人に言われるとやっぱり嬉しいな。

 自分の苦労や努力が、実を結んだと実感できる。


「せ、先生」


 振り向くと、看護師達が全員集まって並んでいた。

 何事かと思い、僕は一瞬たじろぐ。

 なんだろう。

 コールみたいに調子に乗るなとか言うんだろうか。


「あ、ありがとうございました」


 全員が一斉に頭を下げる。

 僕は更に狼狽してしまう。


「え? な、何が?」

「先生のおかげで、多くの患者さんが救われました。

 それに先生は私達が治療ができると信じてない時も、真摯に答えてくださった。

 私達は身勝手な態度をとっていたのに、先生はひたむきに患者さんと向き合い治療をしました。

 そ、その御姿に感動しました! あなたは医師の鏡です!」


 若い看護師達がキラキラとした目を僕に向ける。

 彼等の後方には熟練の看護師達が温かい視線を向けている。

 いや、え?

 なにこれ。

 僕はただの魔法バカで、たまたまそれが怠惰病治療に結びついただけなのに。

 なんでこんな目で見られてるの?


「そ、そんな大したことじゃ」

「大したことです! 他の医師では治せなかった病気を治したんですから!

 すごいです! 本当にすごいことなんですよ!」


 怠惰病だけのことなんだけど。

 他の病気はまったく治せないし、むしろ役立たずなわけで。

 そんな風に持ち上げられると対応に困ってしまう。

 ちなみにまだ僕が魔法を使えるということは彼等は知らない。

 ただ胸に手を当てて何かをしたら病気が治ったということしか知らない。

 それでも治ったという事実があるため、信じるしかなったのだろうか。

 赫夜の日の事件で、僕が魔法を使ったということは噂になっているらしい。

 魔法という文言はなく、不可思議な力を使ったという内容らしいが。

 元々、僕がオカルト的、あるいは怪しげな治療をしているという噂が立っていた。

 今回のことでそれが更に濃厚になったのではないだろうか。

 目撃者は多数いるし、しょうがない。

 魔法のことを周りに話すなと以前、父さんが言っていたけど。

 大丈夫だろうか。


 まあ、今さら隠す必要があるかどうかは疑問だったし、どうしても治療の際には僕がしていることを誰かが見ることになるから、バレるのは時間の問題だっただろう。

 そこら辺はバルフ公爵も承知しているだろうし、女王も同じだろう。

 隠せとは言われてもいないわけで。

 どっちにしても今さら考えても遅いか。

 それに現時点でそうなって困るのは僕よりも国を背負うリスティア国の女王だろう。

 その女王が何もしてこないということは問題ないという考えがあるということ……だと信じるしかないだろう。

 どっちにしても、もう色々と遅いわけだし。

 そんなことを考えながら僕は看護師達の賞賛をやんわりと受け流し続けた。

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