第70話 救える人達

 姉さんを治療して数時間。

 怠惰病を治療できたという情報は、バルフ公爵の手により瞬く間にイストリア中に広まった。

 バルフ公爵が用意した施設で怠惰病患者を受け入れ、治療に励むことになった。

 大部屋が幾つもある施設は、普段は催し物がある時に使う文化会館的な施設らしく、広い。

 それでも怠惰病患者の総数は、イストリア内だけでも三千人近く存在しており、全員は転院させられない。

 重度の患者の上、入院期間が長い順で、数百人程度をバルフ公爵が選び、怠惰病専門の診療所へ運ぶ。

 そして僕が治療すれば随時、受け入れていくという形だ。

 最初の段階ではどの程度のペースで治していけるのかわからないため、一先ずこの方式で進めることになった。

 施設は玄関をくぐると中央に待合室があり、小部屋が幾つかと左右に六つの大部屋がある。

 まず大部屋に患者さんを受け入れ、ベッドに寝かせる。

 その人達の下へ僕達が回って治療を行うという方法を取った。

 その方が治療は円滑に進むと考えてのことだった。

 まだ患者さんは運ばれていない。

 しかし間もなく忙しくなるだろう。

 僕達がいるのは屋内中央にある待合室。

 僕だけが白衣姿だ。

 治療できるのは僕だけだし、この仮診療所に置いては僕だけが医師ということになる。

 僕とコール、他の手伝いの看護師さんも十名ほど並んでいる中、僕は簡単な説明をしているところだった。


「――怠惰病治療に必要な道具は特にありませんし、どこでもできます。

 ですので皆さんにして欲しいのは処置中の患者さんではなく他の患者さんの世話と、治療後の説明になります。

 転院に関してはバルフ公爵から手を借りていますので、移動場所の指示だけお願いします。

 後は重度の患者さんの誘導と軽度の患者さんへの説明などをお願いするかと思います。

 それと、人が行き来して問題が起きることも多々ありますし、その場合の対処もお願いします」


 コールに関しては説明は不要だ。

 彼は僕の助手であり、僕の考えをすべて理解してくれている。

 頼りになる存在だけど、彼以外の看護師さんははっきり言って僕に対して好印象を抱いてはいない。

 それはそうだろう。

 いきなりやってきた子供が、長らく苦しんでいた怠惰病の治療をできるなんて言ったら、疑うだろうし、医療のプロにとっては気に入らない存在だ。

 医師であれば顕著だが、看護師という立場でも同じような気持ちになるだろう。

 この世界の看護師は助手に近い存在。

 男性の方が多く、彼等は医師には及ばないが、一人で多くの処置が可能なほどの知識と経験がある。

 そのためか、かなり怪訝そうにしている。

 別に気に入られたいわけじゃないから別にいいさ。


「何か質問があれば、言ってください。治療を始めると時間がなくなるので、今の内に」


 待合室が僅かにざわついた。

 そんな中、一人の男性が手を上げる。


「失礼だが、あなたはどう見ても子供だ。

 医師としての知識もなく、経験もない。

 この一年ほど、アルフォンス医師の診療所で何やらおかしげな治療をしていると風の噂で聞いた。

 はっきり言おう。私達はあなたを信用していない。

 どこぞの貴族のお遊びかと見過ごしていたが、ここまで大事にして、実は治療なんてできませんでした、ではすまされないぞ」


 賛同の声は上がらない。

 しかしそれは単純に彼等がプロだからだろう。

 患者が運び込まれる寸前で、争う必要性を感じなかったのだと思う。

 その証拠に、ほとんどの看護師達の視線は鋭い。

 彼等は方々の診療所から駆り出された、熟練の看護師だ。

 それぞれの診療所の医師達の姿を見ているし、医療の現場で働いているという自負がある。

 彼等の意見は真っ当で、僕はその考えに感心こそすれ、不満を持つことはなかった。


「ええ。もちろんです。僕も怠惰病患者達を治療するためにここにいます。

 これが伊達や酔狂であるとするならば、僕は処刑されてもおかしくはなりません。

 少なくとも僕は自分の姉を治療した実績があります。彼女も重度の怠惰病患者でしたので。

 もしも治療出来なかった場合、僕を煮るなり焼くなり好きにしてくれて構いませんよ」


 コールは腕を組み、話を聞いているが苛立ちを覚えているように思えた。


「シオンがどれだけ苦労したのかも知ろうともしないくせに……!」


 それは小声だった。

 本当は叫びたいという本音が顔に出ているが、彼は理性的だ。

 今から多くの患者を治療しようとしているのに、ここで争って無駄な時間を使うべきじゃないと考えたのだろう。

 その冷静さがありがたい。

 再びざわめく室内。

 そんな中、コールが小さく舌打ちをして。今度は全員に聞こえるように言った。


「あんたらの言う子供がここまで言っているんだ。

 ご立派な大人が、これ以上愚痴を言うのはどうかと思うが?」


 明らかに棘のある言い方だったが、反論は出ない。

 しかし誰とも言わず、どこか仕方がないという空気が漂う。

 何か言うつもりはないらしく、僕はこの話は一旦、収拾したと考えた。


「それでは準備をお願いします」


 僕の声に、とりあえずは看護師たちは動き始めた。


   ●○●○


 第一の患者が運び込まれてから、診療所内は戦場と化した。

 患者達の家族は長い間、世話をしており、治療できるとなれば我先にと思うのは当然だった。

 運ぶのはバルフ公爵が手配した兵士達のはずだったが、噂を聞きつけた家族達が自分達で運んでくることも少なくない。

 診療所前大通り。人が無数に行き交う場所には人だかりができていた。


「お、俺達が先だ! こ、この娘は重度なんだ! 先に治療をしてくれ!」

「ふざけんな! こっちは正規の手続きを取ってきてんだ! 後ろに下がれ!」

「おねがいよ! もう長い間、息子の声を聞いてないの! 助けて!」

「私は貴族だぞ! なぜ平民どもと並ぶ必要がある! 先に通せ!」

「下がれ! 落ち着け!」

「暴れると危険だ! 下がりなさい!」


 阿鼻叫喚の図だった。

 最終的にみんな治療することは決定している。

 聞いているかどうかはわからないが、聞いていてもいち早く家族を治療して欲しいと考えるのはおかしなことじゃない。

 自分の家族を、大事な人を早く治して欲しい。

 その心境が痛いほどにわかる。

 患者達の身分は関係ない。

 バルフ公爵の裁量で、怠惰病に罹った期間の長さで順番は決められており、平等だ。

 老若男女、平民貴族、貧富の差、それらは一切考慮されない。

 貴族の中にも怠惰病患者はいるが、その数は少ない。

 平民の方が数が多いためだ。

 ある意味では権力を振りかざす存在が少ないのは、バルフ公爵にとっては幸いだったのかもしれない。

 入り口から聞こえる罵倒は診療所内まで届く。

 ここにいるのは悪人ではない。

 誰もが純粋に家族を想っている。

 しかしそれは誰しも同じで、だからこそ諍いを生み出す。

 解決する方法はただ一つ。

 僕がみんなを急いで治療するしかない。


「コール! 奥の方から治療を始めるから、補助を!」

「わかった。おまえは治療に専念しろ」


 コールの落ち着いた声が僕を冷静にしてくれた。

 第一の大部屋には患者達が続々と運び込まれる。

 看護師達は手慣れた様子で患者達をベッドに寝かせたり指示をしている。

 暴動寸前の入り口では公爵の派遣した兵士達が何とか抑えてくれている。

 僕は近くに運ばれた男の子の横に立った。

 ベッドに横たわっている彼の顔は人形のようだった。


「お、お願いします! た、助けてください! 息子を、どうか!」


 母親が僕に向かって何度も頭を下げる。

 彼女からすれば僕が子供だろうがどうでもいいのだろう。

 助けてくれる人がいればそれでいい。

 それほどに切迫していることが彼女の所作と表情からわかった。


「治療の邪魔になりますのでお下がりください」


 コールが淡々ときっぱりと言うと、母親は泣きそうな顔で下がった。

 申し訳ないとは思うが、一人一人の言葉を聞き、答える時間は僕達にはない。

 それに家族の心を宥めることよりも、患者の治療をする方が家族達にためになる。

 早く治療を。

 僕は男の子の胸に手を当てて魔力を供給する。 

 徐々に魔力量を増やす。

 100、105。

 反応を確かめつつ、慎重に。

 母親は何をしているのかわからない様子だったが、それでも何かを期待して見守っていた。

 そして魔力が150に至った時。

 ぴくりと反応が起きた。

 その様子に気づくと母親は掠れた声を漏らす。


「あ、ああ……う、動いた……」 


 魔力量200まで至ると、子供は瞬きをし、手を動かした。

 そして魔力量300に到達したと同時に、胸元の魔力が輝き、彼の身体に魔力が戻る。

 300。姉さんの魔力量の五分の一か。

 予想通り、人によって必要魔力が違うようだ。


「これで大丈夫。

 元のように生活するには時間がかかると思いますけど、静養すれば元に戻るかと思います」

「ほ、ほんと、に? な、治った、んですか……?」

「完全に治ったという断言はできません。ですが確実に完治へ向かっています。

 治療後の説明は看護師がしますので。

 もしも何かあればすぐにこちらへ来てください。ではどうぞ、話しかけてあげてください」


 僕は決めていた言葉を言うと、母親に子供に声をかけるように促した。

 母親は恐る恐る子供に近づくと、子供は彼女の顔を見た。


「お、母……さん……?」

「あ、あ、ああ、しゃ、喋って……ううっ、私の坊や……」


 母親は涙を流して子供を抱きしめた。

 それだけで彼女がどれほど心配していたか伝わってくる。

 子供は戸惑いながらも、母親の抱擁を受け入れる。


「ど、した、の?」

「なんでもない、何でもないのよ」


 彼女は笑顔を見せた。

 恐らくはその笑顔は、息子が病に罹ってから初めて見せた本当の笑顔に違いない。

 僕には彼女の気持ちが痛いほどわかった。


「じゃあ、後を頼みました」

「え? は、はい、わ、わかりました」


 周囲にいた看護師達の視線を集めていた。

 みんな治療の様子が気になっていたのだろう。

 子供の反応を見て、驚きに手を止め、呆然としている人もいた。

 僕は次の患者の下へ移動しようとした。


「あ、あの! せ、先生、ありがとうございました!」


 母親が何度も何度も頭を下げた。


「お大事に」


 僕はそう言って彼女に背を向けた。

 医者は冷酷だ、患者の気持ちを考えていない、身勝手だ。

 そんな声を聞いたことがある。

 しかしそれは本当だろうかと、今なら思う。

 一人の患者に寄り添い時間をかけて治療することも、多くの患者を治療するために一人の患者にかける時間を短くすることも、どちらも間違った方法ではないと思う。

 少なくとも僕は、多くの人達を救うことを、今は良しとしている。

 僕はけたたましく響く悲鳴や怒声の中で確固たる意志を持ち続ける。

 次の患者さんの下へ。

 そう思い、歩を進めた。

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