第69話 その温もりを思い出して

 父さんや母さん、コールそして――姉さんが室内にいる。

 他にもグラストさん、ラフィーナ、ブリジッド、マロン、レッド、ローズもこの家にいる。

 部屋が狭いためラフィーナ達には階下で待ってもらっている。

 グラストさんは気を遣ってくれたんだろう。

 家族と医師であるコールだけにしてくれた。

 コールだけは何かあった時のために立ち会ってもらっている。

 グラストさんに借りている家。

 姉さんが寝ている部屋も見慣れ、第二の実家のように感じていた。

 当然、ただとはいかないためグラストさんには家賃を払ってはいる。

 グラストさんは構わないと言ってくれたけど、僕達の気持ちを汲んで受け取ってくれていた。

 それも今日で終わるかもしれない。


 終わらせるのだ。

 僕のこの手で。

 心を落ち着かせる。

 緊張がないと言えば嘘になる。

 手は震えていた。

 今まで一年半もの間、僕は怠惰病の研究に明け暮れ、ひたすらに治療のために日々を過ごした。

 苦労はあった。辛いと思う時もなかったとは言えない。

 しかし諦めるつもりもなかったし、我慢というほどの辛さはなかった。


 ただ怖かった。

 もしもすべてを手を尽くしても姉さんを救えなかったら。

 そう考えると怖くてしょうがなかった。

 けれど僕は一生をかけても姉さんを助けると決意していたから、心は揺るがなかった。

 今、僕は一年以上の努力が実を結ぶかどうかの瀬戸際に立たされている。

 赫夜とエインツヴェルフの影響によるものか、僕の魔力は以前の百倍以上に膨れ上がっている。

 体内にあふれる魔力は尋常ではなく、それはすなわち治療に十分な魔力を手に入れたということでもある。

 問題は膨大な魔力があれば、怠惰病患者を治療できるという僕の考えが正しいかどうか。

 魔力供給をすれば治療はできるはずだが、多くの魔力を供給する方法が確立できなかった。

 そんな風に考えていたが、根本的に考え違いをしていればすべては無駄に終わる。

 最初からやり直さなければならない。

 ベッドに寝ている姉さん。

 その横で僕は椅子に座っている。

 父さん達は背後で黙して動向を見守っていた。

 僕は右手を抑える。

 微かに震えていた。


 大丈夫。

 絶対にうまくいく。

 そうやって自分に暗示をかける。

 なあに、もしも失敗してもまた最初からやればいい。

 もっと別の切り口を考え、そこから研究を進めるだけだ。

 何もなく、存在さえしない、あの時の状況とは違う。

 ここには魔法があり、怠惰病の治療は確実に存在するのだ。

 治療できない病気などない。そう信じる。


「…………始めるよ」


 誰に言うでもなく、僕は呟いた。

 僕は右手を、姉さんの胸元にそっと乗せる。

 魔力の源は心臓の近くにある。

 僕はそこに魔力受容器官というものがあると考えている。

 魔力を放出する際、心臓付近が熱く脈動するからだ。

 直接魔力を供給するならば胸に触れる必要がある。

 体温は低い。

 姉さんは天井を見上げているが、反応はない。

 僕は不安を振り切り、魔力を込め始めた。


「15、20、25、30」


 最早恒例となった魔力量のカウント。

 5ずつ増やしていき、数に合わせた反応を確認する。


「80、85、90」


 ここまでは今まで何度も試してみた。

 問題はここからだ。

 室内の、緊張した気配が強くなる。


「100、105、110」


 徐々に増やしていく。

 焦らず、ゆっくり、慎重に。

 何か問題が起きた時、すぐに止められるように焦ってはいけない。

 僕は魔力を流しつつも姉さんの身体を注視する。

 僕の右手の光が、徐々に強くなる。

 この部屋で魔力が見えているのは僕と姉さんだけ。

 魔力は一定の量まで増えると光量は打ち止めになり、今度は魔力自体の濃度が増える。

 見た目に変化はないが、色濃く感じることになる。


「200、205、210」


 まだ、魔力を供給しても違和感はない。

 姉さんに変化はない。

 軽度の怠惰病患者ならばとっくに何かしらの反応がある魔力量。

 重度の怠惰病患者にはこれくらいの魔力でも足りないのか。

 以前の僕の総魔力量は一万程度で、一度にできる体外放出魔力量の限界は90まで。

 しかし今は総魔力量は百万程度で、一度にできる体外放出魔力量の限界は未知数。

 すくなくとも現段階では210までは可能。

 もしも僕が一度に放出できる魔力量の限界まで供給しても、姉さんを治療できなければ。

 その考えを払しょくするように僕は魔力を与え続けた。


「500、505、510」


 まだ増える。

 ここまで供給しても変化がない。

 悪影響も好影響もない。

 重度の怠惰病患者には効果がないのだろうか。

 しかしまだ諦めるには早い。

 すべての可能性を潰し、努力して、何もかもを費やし、その上で諦めるべきだ。

 僕はまだやりきっていない。

 そう思った時、姉さんに変化が訪れた。

 瞼がぴくりと動き、指先が微かに震えたのだ。

 背後で父さん達の声が響いた。

 しかしすぐにその声は消える。

 反応はあった。

 軽度の怠惰病患者に魔力供給をした時と同じような反応。

 この時点で、重度の患者にも魔力供給が有効であるということはわかった。

 後はこのまま行けるところまで行くだけ。


「700、705、710」


 相当な魔力量。

 それを供給してもまだ姉さんの身体は僅かに反応するだけ。


「990、995、1000」


 姉さんの瞳が動いた。

 こちらを見て、瞬きをした。

 指が明らかに動き、口がわなわなと震えた。

 僕は泣きそうになる心境に陥る。

 自分でも自分の感情がわからない。

 ただわかっていたことは僕が足を止めてはならないということ。

 僕は魔力を与え続ける。


「1300、1305、1310」

「……あ」


 姉さんの声が響いた。

 そんなことは一年以上なかったことだった。 


「あ、あなた」

「ああ……ああ」


 両親の声。息が詰まったような声が聞こえた。

 僕の手は震える。

 しかし魔力供給の手は止めない。

 ふと現代の医者の話を思い出す。

 医者は自分の家族を手術することを忌避する。

 他人と家族では全く違う。

 どれほどの名医でも自分に近しい存在を手術するなんてことは簡単じゃない。

 今、僕はその状況と同じ立場なのだろうか。


 一歩間違えば、もしかしたら。

 そんな考えがよぎり、動揺が強くなる。

 冷静になれともう一人の自分が僕を励ました。

 左手で右手を抑える。

 そうやって何とか自分を律した。


「1490、1495、1500」


 姉さんの瞬きは、健康な人間と同じくらいの頻度になった。 

 口は動き、指どころか、手首から先が震えながらも動き始める。

 マリーは僕を真っ直ぐ見て、涙を流した。 

 僕の手に、マリーの手が重なる。

 彼女自身の意志で、手を動かした。

 心が震える。


 奇跡が起きたのだと思った。

 そして。


「シ……オン」


 マリーはそう言った。

 そして魔力光が眩く光りはじめる。

 それは一瞬の出来事で、僕が顔をしかめると、すぐに通常通りの光の強さに戻った。

 手元に見える魔力に変化は見られない。

 だが、確実に大きな変化があった。

 『マリーの身体は魔力を取り戻していた』のだ。

 まったく魔力を感じなくなっていたマリーの身体は淡い光で包まれている。

 薄い光の膜は揺らめいていた。

 それは魔力の揺らぎであり生命の証拠。

 僕は思わず、魔力供給を中断した。

 ハッと気づき、慌てて供給を再開しようとしたが、その考えはすぐに消失した。

 供給を止めてもマリーの身体には魔力が波打っていた。


「魔力が……も、戻った……?」


 僕の呟きと共に、離れていた父さん達が近寄ってきた。


「な、何だと!? な、治ったのか?」

「シオンちゃん! マ、マリーちゃんは」


 僕は二人の問いに応えられない。 

 だって。

 姉さんが僕の手を握って、じっと僕を見つめてくるから。

 その瞳には意志があった。

 怠惰病に罹っていた時の人形のような顔ではなく。

 明確に僕を認識し、僕に何かを訴えかけている。


 その視線。

 その思考。

 そして『体温』が。


 彼女がいつもの彼女に戻ったのだと、僕に教えてくれた。


「み……ん、な……ど、した……の……?」


 マリーは動揺している。

 彼女にとってはこの一年半の記憶はないのだろうか。

 もしもそうだったのならばよかった。

 怠惰な状態で過ごす時間は恐ろしいほどに苦痛なものだったに違いないから。

 僕はマリーの手をぎゅっと握った。

 色んな感情が溢れだし、涙と共に地面に落ちた。


「姉、さん……姉さん、姉さん……っ」


 体温を確かめるように僕はずっとマリーの手を握る。

 無駄ではなかった。 

 僕の考えは間違っていなかったのだ。

 治療ができた。

 助かったのだ。

 出口のない道を迷い進み、そして自らで出口を造り出した。

 その達成感よりも、僕はただただ安堵した。

 よかった。

 そんな思いだけが胸を占めた。

 父さんと母さんもマリーの手を握り、僕の肩を抱いて一緒に泣いた。

 この時、恐らく僕達はこの一年余りの期間で始めて心から笑い、泣くことができたのだと思う。

 僕は心の底から思った。

 魔法を使えてよかったと。

 誰かを助けるために開発したわけじゃない。

 でもそれが誰かに役に立つことがある。

 それを証明し実感し、そして大きな幸福感を抱いた。

 姉さんが戻ってきた。

 それだけが嬉しく、そして僕は感情を解き放ち、泣き続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る