第61話 僕がそうしたいんだ

 僕は十二歳になった。

 嗅ぎなれた薬剤やアルコールなどの独特のニオイを感じつつ、僕は集中していた。

 アルフォンス診療所。

 毎日のように訪れている場所で、すでに顔見知りになっているファル夫妻。

 夫のブルーノさんは赫夜より軽度の怠惰病を患っている。

 彼がアルフォンス医師の診療所へ運ばれてからすでに一年以上。

 毎回、僕が魔力治療を施している。

 妻のカミラさんはいつものように後ろで見守っていた。

 しばらくの魔力供給を終えると、ブルーノさんが何度も瞬きをし、ほんの少しだけ笑顔を見せた。

 視線をこちらへ動かし、意志の光を灯す。

 僕の手にブルーノさんの指が触れる。

 何か言いたいのだろうが、言葉を話せないためわからない。

 僕はやんわりとブルーノさんの手を握り、立ち上がった。

 目眩がして、バランスを崩してしまったが、何とか体勢を整える。

 カミラさんが慌てて僕を支えようとしてくれたけど、僕は右手を上げて制止した。


「だ、大丈夫です」


 深呼吸をして佇まいを整える。

 大分、魔力を使ってしまった。

 あくまで感覚的にだけど、一度の魔力放出量は90。

 それを百回ほど継続して行うと目眩がして、後の数回で魔力が枯渇してしまう。

 僕の魔力量は『一万程』ということになる。

 怠惰病の治療には魔力一万を費やしても変化は少ない。

 好調状態を維持するには魔力を供給し続けなければならないけど、魔力量が足りないためか、徐々に怠惰状態へと戻ってしまう。

 それでも、患者の身体に好影響を及ぼすかもしれないし、見えない変化があるかもしれないし、続ければ別の発見があるかもしれないという思いから魔力供給を続けている。

 奥さんのカミラさんの意志もあって、毎日継続中だ。


「……だ、大丈夫ですか!? シオン先生!」

「せ、先生はやめてくださいよ……。

 僕はこの通り、子供なので」


 カミラさんは母さんと同じくらいの年齢だ。

 そんな女性に先生と言われると居たたまれなくなる。


「先生は先生ですから。先生のおかげで夫も良くなってます。

 感謝してもしきれません……アルフォンス先生以外のお医者様は、その……多額の報酬を要求して、その上でまったく治療もできてませんでしたから……。

 それにシオン先生は親身になって、夫を治療してくださっています。しかも、無料で……。

 毎日毎日。ここまでしてくださったお医者様はいらっしゃいません」


 カミラさんは涙を流していた。

 僕はそんな彼女を見て、自分の無力さを感じる。

 僕の治療はあくまで実験的な意味合いが強く、そして僕の最大の目的は姉さんを治すこと。

 それなのに料金を貰うなんてできるわけがない。


「それでも治療には至っていませんから。僕の力不足です。すみません……」

「そんな! 先生はよくしてくださっています! 夫もきっと感謝しています。

 例え、治らなくても、それは変わりません!」


 毎日足を運ぼうが、治療をしようが、親身になろうが、治療できなければ意味がない。

 僕は申し訳なさと共に渋面を浮かべることしかできない。


「先生、お気になさらないでください。もう……もう、十分ですから。

 夫も私も、もう満足していますから。ここまでしてくださって、心は救われました」


 助けられなければ意味はない。

 僕は医師ではないけど、この一年以上の期間で誰かを救う辛さや怖さを知った。

 簡単ではない。

 最初は姉さんを救うためだった。

 でも色々な人と関わって、みんなを救いたいという思いも抱いた。

 それなのに僕は何もできていないんだから。

 僕はお辞儀をして病室を離れ、診療所の玄関に向かった。


「シオン」


 廊下でコールとすれ違う。

 彼はこの二年近くの期間で少し成長した。

 身長も伸びて、顔つきも精悍だ。

 十七、八歳くらいだから当然だろう。

 白衣姿は以前よりも似合っており、医師としての威厳も漂わせた。


「顔色が悪いぞ。寝てるのか? 根を詰めすぎだ」

「寝てるよ。休憩もとってるし、食事もしてる。

 ただ魔力を使いすぎて、疲れてるだけだから大丈夫だよ」


 本当だ。別に自分を追いつめてもいないし、追いつめられてもいない。

 焦燥感はある。だって五百日以上もかけて治療ができてないのだ。

 姉さんや患者を早く治したいという思いは常に持ち続けている。

 怠惰病患者数はあまり増加しないようになっているし、不幸中の幸いにも怠惰病患者で急変した人はいない。

 でも、それは現状維持をしているだけだ。

 どうにかしないといけないと思い、対策を考えてはいるんだけど。

 コールは僕の言葉を聞き、嘆息する。


「……一人で背負うなよ。おまえはよくやってる。

 他の医師や看護師達のことなんて気にするな。奴らは無能な癖にプライドだけは高いからな」

「いきなり何? 気持ち悪いんだけど」

「き、気持ち悪いとはなんだ! せっかく心配してやってるのに!」


 コールは不器用だし、言葉遣いが荒い。

 しかしそれは実直で真面目な性格の表れだと思う。

 彼は自分にも他人にも厳しい。

 しかしそれ以上に優しく、だから弱者や努力をしている人間には手を差し伸べ、背中を押す。

 この一年余りでコールのことはある程度わかっている。

 前みたいに行動を共にする機会は、あまりないけれど。


「あはは、ありがと。大丈夫だから、心配しないでよ」

「……そんな口が利けるなら、嘘はないみたいだな。

 とにかくたまには気分転換でもしろ。毎日診察に来て、怠惰病にかかりっきりだろ。

 いいか。今日はまっすぐ家に帰って休めよ! 食事もしろ! いいな!?」

「わかったよ。そうする」


 コールはまだ言い足りない様子だったけど、看護師に呼ばれて病室へ入っていった。

 僕は診療所を出た。

 通りの人ごみを抜けて、グラストさんの家に向かう。

 かなりの長期間お世話になっている。

 頻繁にお見舞いもしてくれているし申し訳がない。

 本人は「いつまででもいてくれ! むしろそうしてくれた方が借りを返せるからな!」とか言ってくれた。

 もう十分、借りはなく、むしろ貸しができたような気がする。

 街には活気がある。

 レイスの存在はなく、周囲の魔物討伐も安定してきている。

 浮浪者も少なくなり、怠惰病を発症した人も少なくなっている。

 平和だ。

 表面上は。

 どこの世界でも社会でも苦しんでいる人が存在しているものだ。

 日々に生き、自分達のことで精一杯な人達には、そんな苦しんでいる人達のことを気にする余裕はないだろう。

 だから責める気はないし、当然のことだと思う。

 重い足取りで歩き続け、グラストさんの家に到着。

 玄関前には見知った顔があった。


「顔色が悪いな、シオン。大丈夫か?」

「……やあ……」

「ああ、ラフィーナ、ブリジッド」


 しなやかな肢体を見せるラフィーナ。

 彼女は大人の色気を漂わせ始めている。 

 元々整った顔立ちの上、スタイルもいいので人目を引く。

 ただし中身はポンコツだ。騎士バカである。

 対してブリジッドは変わらないままだ。

 彼女の成長は止まっているようだった。

 ある意味では羨ましいと言われるだろうが、本人としてはあまり好ましくないらしい。

 本を片手に、いつものように無表情で佇んでいる。


「どうかしたの?」

「いやな、業務の合間に顔を見に来ようと思ってな。

 本当は忙しくてしょうがないんだがな! 仕方なくな!」

「……第七十五親衛騎士隊は……清掃とか雑務ばかりで……暇だけどね……。

 暇すぎて、頻繁に……シオンのところへきて……護衛とか言いながら時間潰して……」

「な、なな、何を言ってる、ブリジッド! おかしなことを言うんじゃない!」


 慌てふためく姿は図星であるという証拠だった。

 僕とブリジッドは生暖かい視線を彼女に送った。


「ぐぬぅっ! そ、その目を止めんか! そ、それよりもだ!

 ブリジッド、おまえはどうなんだ! 学者様は忙しいんだろう!?」

「……最近は、魔物の生態が変わって、色々と情報が交錯してる……。

 それをまとめるのが忙しかったけど……ようやく一区切り……。

 だから……シオンの様子を見に来た……」


 どうやら二人とも僕を心配してくれて、顔を出してくれたらしい。

 僕は苦笑しつつ、二の句を継げた。


「コールにも言われたけど、大丈夫だよ」

「し、しかしだな……シオン。

 おまえは毎日、この二年近くを治療の研究に時間を費やしているではないか。

 だというのに、治療の目途は立っていないのだろう?」

「……奇病の治療なんて……簡単にできることじゃない……。

 あんまり根を詰めない方がいい……」


 二人の気遣いを感じる。

 心が温かくなり、僕は思わず笑みをこぼした。


「ありがとう。二人とも。本当に大丈夫だから」

「そ、そうか……ならいいんだが」

「……シオンがそういうなら……ボク達はもう何も言わない……」

「うん、ありがとね。よかったら中に入っていって」

「うむ。ではお邪魔するか」

「……うん」


 二人を伴った家の中へ。

 店だった場所から居間へ向かう。


「あら、シオン。帰ったのね」

「よう! 邪魔してるぜ!」

「おかえりシオンくん!」

「シオンちゃん。お帰りなさい」


 マロン、レッド、ローズ、それと母さんの三人が迎えてくれた。

 背後でぺこりと頭を下げる気配がする。

 ラフィーナ、ブリジッドとマロン、レッド、ローズ、母さんは面識がある。

 顔見知り程度の関係だけど。

 ローズ達の身長も伸び、少年少女の成長を感じ取れる。

 ちなみに僕の身長は5センチ程度は伸びたと思う。

 今は145センチくらいかな。

 大きい方じゃないけど、成長期はこれからだから、まだ伸びるさ。うん。


「マリーとシオンの顔を見に来たのだけれど、顔色が悪いですわ。

 ちゃんと休んでいますの?」

「作物が取れたから持ってきたぜ。栄養満点だから、食べて元気出せよな!」

「村の人達からのお土産、一杯あるからね!」


 三人からの優しさが見えた。

 僕達を気遣い、明るくしてくれている。

 冒険者ギルドの知り合いとか、村の人達も見舞いに来てくれたことがあった。

 彼等も同じように僕達を気遣うような言動をしてくれていた。

 僕は恵まれている。

 いい人に囲まれて幸せだった。

 談笑していると玄関から誰かが入ってきた。

 どうやら父さんとグラストさんのようだった。


「あら、あなた。早いお着きですね」

「ああ、今日は早めに家を出たからな。途中でグラストと会ったから一緒に来た」

「よう。お邪魔するぜ。って俺の家だけどな!」

「つまらんぞ、グラスト」

「う、うるっせぇな!」


 にらみ合う父さんとグラストさん。 

 他の面々も挨拶をしたり、談笑したりしている。

 にぎやかな室内。

 誰もが相手を想い、行動してくれている。

 ここに姉さんがいればどれだけいいか。

 そう思わずにはいられない。

 僕はみんなを見て、悲しげに笑った。

 するとみんなの視線が僕に集まった。


「……シオン。少し休んだらどうだ?」

「うーん、特に疲れてはいないよ。魔力があんまり残ってないだけで」

「いや、今日のことではない。これからのことだ。

 母さんと話したんだ。このままではマリーを治す前にシオンが倒れてしまう。

 シオンはまだ子供だ。一人で背負う必要はないし、弱音を吐いてもいい。

 無理なら諦めてもいいんだ。もう十分、頑張った。

 誰も責めはしない。だから……もう休んでいいんだ」


 父さんの言葉は屋内に響き渡った。

 誰もが顔をしかめ、やりきれないという思いを抱いているようだった。

 僕を心配していることはわかっていた。

 いつも気にかけてくれていたことも。


「長い間、おまえは努力した。結果を出して、努力をして、時間を費やし、苦労を重ねた。

 もう十分だ。ずっとずっとやってきた。これ以上は……やらなくていい」

「そうよ、シオンちゃん。もういいの。いいのよ……シオンちゃんが頑張らなくてもいいの」


 父さんと母さんが労わるように僕の肩に触れた。

 僕は視線を流してみんなの顔を見た。


「……みんなもそう思ってるの?」


 誰もが何も言わない。

 その顔が、肯定しているということを表していた。

 父さんと母さんは僕を抱きしめた。

 父さんは力強く、母さんは温かく。 


「辛かったろう。すまない。私達は、シオンに頼りすぎていた。

 もう我慢しなくていい。もう自分ですべてを背負わなくてもいいんだ……!」


 感情をかみ殺したような声音が響いた。

 僕は二人の体温を感じつつ、そっと離れる。

 やっぱりそうだったのか。

 みんなそう思っていたんだ。

 じゃあ僕も言わないといけない。


「いや、全然辛くないけど」


 僕が言うとそこにいた全員が何を言っているかわからない、という顔をしていた。


「ど、どういうことだ? やはり我慢を」

「シオンちゃん……もう気を遣わなくていいのよ……」

「全然辛くないよ、本当に。まったく辛くないから」


 ああ、やっぱりだ。

 何となくわかっていたんだけど。

 なんだか言い出せなくなって言えなかった。

 「大丈夫?」とか「休むんだぞ」とか「気負わないでいいから」とか色々と言われる度に、大丈夫だと返答してきた。

 きちんと休んでるし、無理はしてない。

 しかし魔力が枯渇したり、時には集中しすぎて疲れていたり、目の下にクマができたりするものだ。

 その姿を見たみんなは心配する。そりゃもう過剰なほどに気にかけてくれる。

 みんないい人だから特に、気にかけてくれる。

 それが続くと、みんなの中で、シオンは無理をしているという考えが当たり前になったのだろう。

 そんなことは微塵もないんだけど。


「そりゃ姉さんを早く治したいと思う。毎日考えるよ。

 でもね焦っても成果は出ないし、成果が出なくても焦っちゃ意味がない。

 それくらいはわかってるし、きちんと休むことも大事だとわかってる。

 僕が倒れたりしたら余計にみんなに心配をかけるんだしさ」

「し、しかし、おまえは長い間、ずっと研究と治療をしている。

 かなりの負担になっているのではないか?」

「いやいや、父さん。考えても見てよ、僕はずっと魔法の研究をしてきたんだよ?

 全くあるかどうかも分からないのに、研究して見つけて開発したんだよ?

 確かに怠惰病を治療できるかどうかはわからない。

 けれど何もない状態から魔法を作るよりは、苦労も負担もないよ。

 僕は一生をかけても研究を続けるつもり。姉さんや怠惰病の人達を助けるために。

 これは負担でもなんでもない。『僕がそうしたいんだ』」


 本当だ。

 気負いはある。焦りもある。

 でも我慢なんてしてないし、辛いなんて思わない。

 やめるなんて思ったこともない。

 その場にいる全員が面喰ったような顔をしていた。

 強い戸惑いだけがこの場所を占めている。


「……そうか、そうだったのか。すまんシオン。私達は勝手に勘違いしてしまった」

「ごめんなさい、シオンちゃん。余計なことを言っちゃったわね」

「余計なことなわけないよ。みんなが僕のことを心配してくれていることはわかってる。

 だから嬉しいよ。僕は幸せ者だと思う。本当にそう思うよ。

 でもね、大丈夫だから。僕は我慢してない。

 だからね、みんな心配しないで。安心して。僕が姉さんを救うから」


 根拠はない。

 まだ治療に至る明確な道は見えていない。

 でもきっとできる。僕ならきっとできると信じている。

 自分を疑い、自分を貶めて、誰かを救えるはずがない。

 自信を持ち、前に進み続ける意志の強さを持つ。

 それが何かを達成するために必要なことだと、僕は知っている。

 魔法を作った僕だからこそわかるのだ。

 僕は諦めない。

 僕は逃げない。

 これからもそうやって生きていく。

 みんな僕を見ている。その視線には色々な感情が見え隠れしていた。

 すべてを理解はできないけど、恐らく驚愕が大半だったと思う。

 そんな中、父さんと母さんが再び僕を抱きしめた。


「私達には過ぎた息子だ、おまえは」

「わたし達のところへきてくれてありがとう、シオンちゃん……」

「おおげさだよ。その台詞は僕がみんなを治してからにして欲しいなぁ」


 僕は苦笑しながらも二人の背中を撫でた。

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