第62話 赫夜が来たりて

 数日後の夜。

 姉さんの部屋で、僕は世話をしていた。

 今日は母さんの代わりに、夜の世話を僕がすることになった。

 月夜。

 月の光が姉さんの横顔を照らす。

 動かない間も、姉さんの身体は成長している。

 一年以上の期間で脂肪はかなり落ちている。

 病的に細くはない。

 しかし以前のように健康的な身体ではなかった。

 もし治療ができてもしばらくは普通に動けまい。

 僕は姉さんの頬を撫でた。

 冷たかった。

 姉さんに魔力を流したことはある。

 その際、全魔力を流したけど、結局反応はほぼなかった。

 しかし体温は僅かに残った。

 軽度の患者に比べると反応は少なかったが、魔力は確かに姉さんの身体に影響を与えた。 

 やはり圧倒的に魔力が足りない。

 もっと豊富な魔力があれば、研究が進むだろうが。

 問題はその方法だ。

 何か考えないといけない。


「大丈夫。僕は諦めないからね」


 姉さんの寝顔を眺めながら僕は呟いた。

 早く元気だった時の姉さんに戻って欲しい。

 そう思いつつ、僕はなんとはなしに外を見上げる。

 星々が煌めく空。

 ほとんど明かりがない夜空に変化が見えた。


「……なんだ?」


 黒に生まれた色。

 紅。

 暗く淀んだ空が、禍々しく光りはじめる。

 赤く。紅く、朱く。

 光のカーテンが空を這う。


 赫夜(かくや)。


 間違いない。

 あれは、あの夜に見たものだ。

 そんな。

 一年以上も起きなかったのに。

 どうして今の時期に?

 混乱する思考を強引に立て直し、僕は立ち上がる。

 このままだと危険だ。

 兵士達が、雷光灯を持たない人たちが、

 僕は棚に置いておいた、雷光灯の一つを手にして姉さんの近くに置いた。


「行ってくるよ、姉さん」


 もう一つの雷光灯を手にして、隣の部屋に寝ている母さんを起こすために部屋を出た。

 母さんの部屋を叩くと、すぐに開いた。


「ど、どうかしたの?」

「母さん。ごめん、姉さんのことお願い!」


 僕は言い放つとすぐに走り出した。


「シオンちゃんどこにいくの!?」

「空が赤い! バルフ公爵に知らせないと!

 母さんは外に出ないで、雷光灯をつけっぱなしにしておいて!」


 僕は外へ飛び出た。

 あの空は誰にも見えない。

 魔力持ちの人間しか視認できないのだから。

 僕が知らせないと誰も気づけない。

 見えない魔物、レイスに襲われるまでは。

 今日、父さんは村の方にいる。

 僕が行かないと。

 僕はバルフ公爵の邸宅に向かって走った。


   ●○●○


 空が赤くとも、何かを照らしているわけじゃない。

 あの光は魔力と同様にそのものの存在を主張しているだけで、何かの姿を映し出すことはない。

 僕は走った。

 雷光灯を手に地面を蹴る。

 早くこの事態を知らせなければ。

 被害に遭う人が出てしまう。

 深夜のため道を歩く人はほとんどいない。

 閑静な中で僕の足音だけが響いている。

 遠くの方で小さな明かりが見えた。

 あれは。

 目を凝らすとそれは巡回兵だと気づく。

 二人一組らしく、鎧姿の兵士がこちらへ向かって歩いている。 

 片方はひょろっとして身長が高く、片方は背が低いが肥満の兵士だった。

 彼等が持っているのは雷光灯ではなくランプだ。

 暗闇の帳を振り払うには頼りない。

 すれ違うと誰何されるかもしれないけど、構ってはいられない。

 とにかく無視して公爵家へ。

 その考えは即座に訂正することになる。

 彼等の背後に見えたもの。


 僕は速度を上げる。

 前傾姿勢になり足元の魔力を集める。

 連続魔法の要領で、跳ねる度にジャンプを発動。

 足を踏み出す度に、速度は上昇。

 景色が流れる。

 人間の出せる速度を凌駕し、一歩の距離は三メートルを超える。

 身体が後方に流されないように僕は前傾姿勢になる。

 彼等の姿が鮮明に見える。

 巡回兵達も僕に気づき、明らかに怪訝そうな顔をしている。

 しかし僕は構わず叫んだ。


「後ろだ!」


 言うと片方の巡回兵がつられて即座に後ろを振り向く。

 しかし何も気づかず、こちらに向き直った。

 くそ! 

 いるのに!

 すぐそこに、レイスが!

 やはり見えていない。

 彼等には魔力がない。

 雷光灯も持っていない。

 レイスからすれば恰好の獲物だ。


「止まれ! こんな夜中に何をしている!」


 僕の叫びが彼等に不信感を抱かせたようだ。

 しかしそんな声に応える気はない。

 兵士達の正面すぐそばへ。

 レイスもすぐ兵士達の後ろへ。

 間に合うか!?

 多めの魔力を足元で弾かせ、ジャンプをする。

 内心で小さな驚愕。

 同時に兵士達からも声が上がる。


「うお!?」

「なんだ!?」


 僕も同様の心境だった。

 僕は『兵士達を飛び越えた』のだ。

 ジャンプはあくまで前後左右での移動に使う魔法。

 主に回避に使うもので、上に跳躍しても精々二メートルくらいしか飛べない。

 今までであればそれが限界だったのに、今は『五メートル近く跳躍した』のだ。

 は?

 え?

 なんで?

 自分自身の力に驚きながらも、僕はレイスの姿を視界に入れる。


「キャアアアアアア!」


 魔物の悲鳴も兵士達には届かない。

 幽鬼の爪は飛び僕へと向けられる。

 僕はレイスに向かい滑空。

 魔力を練る。

 一秒で再発動が可能になっているため隙は少ない。

 連続魔法。

 両手には濃密な魔力が集まっている。

 集魔状態。

 空中で方向転換は不可能。

 レイスはそれを知ってか知らずかまっすぐ僕へ手を伸ばす。

 足元に残りの魔力を集め僅かに加速すると、同時に落下角度をずらす。

 直線に突如生まれた斜角。

 レイスの攻撃を避けつつ、僕の腕はレイスの頭に触れた。


「ギャアアア、アアアッ!」


 浄化。

 レイスは苦悶の表情を浮かべながら暴れようとしたが、すでに力が入っていない。


「な、なんだあの化け物は!?」

「ひ、ひっ!? い、いつの間にいたんだな!?」


 雷光灯に照らされたためか、レイスの姿は二人に見えているようだった。

 いや、浄化したからかもしれない。 

 レイスの身体は炭化し、瓦解し、そして霧散した。

 着地すると、同時に衝撃に耐えられなかった雷光灯が壊れてしまう。

 この文明レベルでガラスが生産できるのはすごいが、この世界ではかなり脆い。

 透明度も高くなく、生産数も多くはない。

 最近は比較的一般的になってはいるのだが。

 とにかく壊れてしまったのだから、どうしようもない。

 今回はガラス以外の部分も壊れてしまったからどうしようもないけど。


「お、おい、おまえ。さっきの見えてたのか?」

「ええ。あれが一年くらい前に噂になっていた見えない魔物、レイスです。

 他にも街に侵入してるかもしれません。他の方達に注意喚起をしてください。

 雷光灯であれば相手の姿が見えますし、近づけさせないようにできます! 

 ですが剣のような攻撃は効かないので注意してください!

 では、僕はバルフ公爵家に行って報告しないといけないので!」


 一気に言い放つと、僕は走り出そうとした。


「お、おい! も、持っていけ!」


 振り返るとひょろ長い兵士がランプを差し出していた。

 確かに雷光灯以外の明かりはない。

 まあフレアを使い続ければ見えるんだけど、魔力はできるだけ温存したい。

 ランプを受け取ると走り出した。


「ありがとうございます! では!」

「き、気をつけるんだな!」


 背中から声をかけられ、僕は手を上げて応えながら走った。

 魔力の気配がそこかしこでする。

 まずい。

 街中へレイス達が侵入している。

 やはり奴らは存在したんだ。

 この赤い夜に、現れる魔物だったんだ。

 一年という間にそんな事実は忘れ去られてしまった。

 僕も、もう同じようなことは起きないのではないかと思っていた。

 甘かった。

 僕は怠惰病にかまけてレイスのことを忘れていたのだ。

 一応、雷光灯は生産して保管するようにしていたけど。

 それくらいだ。

 とにかく急がないと。

 僕はジャンプで地を蹴る度に速度を上げる。

 レイスの姿を何度も見たが、倒していては報告が遅れる。

 迷ったけど、まずはバルフ公爵への報告だと思い、僕は走り続けた。

 数分でバルフ公爵家へ到着。

 守衛が二人いたので、話しかけようとしたが槍を突きつけられる。


「そこで止まれ! 何者だ!」

「シオン・オーンスタイン! バルフ公爵に火急の報告があります!

 赫夜が来た! そう伝えてください!」

「赫夜? 何を言っている! そんなことよりこの夜中に無礼であろう! 明日、出直せ!」


 僕が大人で鎧でも来ていれば対応は違っただろうか。

 でも僕は子供だ。

 こんな夜に訪れる子供の言葉なんて信じはしないだろう。

 それでも僕にはそうすることしかできない。


「そんな時間はないんです! 早く、報告を!」


 不幸にも守衛は僕のことを知らない。

 彼等は新人らしく、明らかに融通が利かない。

 それにこんな深夜に訪問する相手を信用できないのだろう。

 ここで問答をしている暇はないのに。

 守衛達は僕を通す気はないらしい。

 むしろちょっとでも怪しい真似をしたら殺す、目がそう言っている。

 僕は彼等に背を向け、門から離れた。

 背後からほっとした気配が伝わる。

 しかし僕はピタッと足を止めて即座に振り向く。


「止まらないと、子供と言えど命はないぞ!」


 彼の声が震えていた。

 明らかに恐れていたが、僕は止まらない。

 速度を上げ、そのまま跳躍。

 五メートル近くある正門を飛び越えようと空を駆けた。

 しかし高度が足りなかったようで、門の先端に足が当たった。


「うわ!」


 悲鳴と共に落下。

 地面に触れる直前で足元にブロウを集めて、衝撃を吸収――できずに明後日の方向へ、僕の身体は吹き飛んだ。

 五、六度転がるとようやく勢いが弱まった。


「い、痛い……ぐっ!」


 身体中、土だらけだったけど、何とか立ち上がる。

 何とか庭の中に入れたようだった。

 正門前にはぽかんとしたままこちらを見ている守衛達がいた。

 僕は彼等に構わず公爵邸の扉を叩いた。


「バルフ公爵! お話があります! 赫夜が――」


 最後まで言い切る前に、扉は開かれた。

 そこにいたのはバルフ公爵その人だった。

 燭台を手にして、寝間着姿だった。


「何事だ騒がしい! む? シオンではないか!? どうした!?」

「赫夜が! 赫夜が訪れました!」

「赫夜、だと!? シオン、詳細を話せ!」


 彼は即座に対応してくれた。

 僕は早口で先程見た情景を含めた説明をした。


「……儂には見えんが、シオンには見えるのか。

 むぅ、しかし部下達がレイスの存在を確認したのならば、存在していたというのは間違いないか。

 マジかぁ、本当に来ちゃったのぉ?

 ううっ、何かの間違いって可能性を信じていたのにさぁ!

 やるしかないのだな……おい」

「はっ!」


 いつの間にそこにいたのか、バルフ公爵の背後に鎧姿の男性がいた。


「詰め所、防壁場の守衛、それと門衛達にも雷光灯の準備をさせろ。

 防衛部隊を招集させ、雷光灯を配っておけ。

 保管庫と特定倉庫に生産しておいた雷光灯がある。それを使え」

「よろしいのですか? 一度、問題なかったと判断した案件ですが」

「よい。何かあれば儂が責任を取る。取りたくないんだがの……と、取るぞ!

 とにかくそういうことだから、さっさと行け」

「……はっ!」


 鎧姿の男性は即座に立ち去っていった。


「あの、よかったのですか? 僕の証言だけで判断してしまって」

「何を言ってるのだ。そなたは長くに渡り怠惰病の研究に尽力し、成果を上げている。

 真摯な人間の言葉はそれだけで信用に値する。シオン、そなただから信じたのだ」

「ありがとうございます」

「シオンは家に戻るといい。雷光灯ならば家にあるな?」

「ええ、ですが僭越ながら僕がいた方がいいかもしれません。

 雷光灯だけではレイスは倒せないと思いますし」

「それは……ありがたいが、いや、しかし、そなたにはすでに負担をかけている。

 これ以上、何かを頼るわけには」

「いえ、やります。

 少なくとも今日は、みんなレイスの存在を信じてないですから、余計に危険です。

 今日の急襲を超えれば、今後は対策を練られるでしょうし」

「…………わかった。すまんなシオン。毎度、そなたに負担をかけてしまっておるの。

 では招集中の防衛部隊と合流。レイス撃退に当たってくれ。

 儂は他にやることがある。防衛部隊の部隊長へ話を通しておくから、そっちに聞いてくれ。

 部隊長の名前はローンドという。特徴はあまりないが、目立つからわかるだろう。

 では、頼んだぞシオン」

「はい!」


 申し訳なさそうに顔をしかめつつも、威厳ある声音で言った。

 僕はバルフ公爵に応えるように頷く。

 これから始まる。

 赫夜の戦いが。

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