第38話 アクア1

 僕とマリーは二人で自宅近くの湖を訪れていた。

 見慣れた風景。

 すべてはここから始まった。

 最近はほとんど足を運ばなかった。


「何だか懐かしいわね。まだ二年くらいだけど」


 そうか。まだ二年なのか。

 もっと遠い昔のように思える。

 それほどに濃密な二年間だった。

 エッテントラウトが放出する魔力の光を発見し、僕達は魔法を知ることになった。

 そして今。

 僕はいくつかの魔法を使えるようになっている。

 まるで奇跡のようだと思った。

 たまにこれは本当に現実なのかと思うこともある。

 でもまぎれもなく、魔法を使える自分は存在する。

 魔法使い。

 憧れだった存在になったのだ。

 でも道はまだ続いている。

 僕達は水辺に移動し、屈んで水面を眺める。


「それで? 今日は何をしにきたのよ」

「うん。試したいことと調べたいことがあってね。

 まずは再確認をしようと思う」


 僕は水中を凝視する。

 水底までは見えないが、意識的に奥の奥を視認しようとする。

 当然ながら見えはしない。

 でも見えるものはある。

 水中で何かが光った。

 僅かな光だが、間違いなくそれは存在している。

 産卵期でなくとも、エッテントラウトは常に微弱な魔力の光を纏っている。

 それは魔力を持っている人間も同じだ。

 昔は見えなかったけど、今は魔力の扱いに長けている。

 魔法の鍛錬を続けるにつれ、僕は対象の魔力を視認できるようになっていた。

 完全にとはいかないけれど、魔力を持っている対象ならばわかる。

 エッテントラウトが魔力の光を発しなくても見えるわけだ。

 そして、確かにこの湖のトラウトは魔力を帯びていた。

 イストリア近くの森にある湖にいたエッテントラウトは魔力を持っていなかった。

 これはつまり、この湖のトラウトしか魔力を持っていないということ。

 もちろん、他の湖、川に生息するトラウトが魔力を持っている可能性はある。

 しかしすべてのトラウトが魔力を持っているわけではないということは間違いない。

 この湖は特別だ。

 その湖は僕が生まれた家の近くにある。

 これは偶然だろうか。

 まるで示し合わせたかのように思える。

 ……いいや、天啓か運命か宿命かなんて考えてもわかるはずもないんだ。

 考えるだけ無駄ならば、考える必要もない。


「うっすら、光ってる?」

「うん。やっぱりこの湖にいるトラウトは特別みたいだ。

 ……トラウトが、なのか、湖が、なのかはわからないけど」

「でも他の生物は魔力を持っていないじゃない?

 ってことはトラウトが特別なんじゃないの?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 人間も魔力の素養がある人間とない人間がいるし。

 特殊な、魔力を持つ何かの要因があっても、素養がなければ無理かもしれない」

「それってどういうことなの?」

「わからない。だからここに来たんだ。調べるためにね。

 まあついでに試したいこともあったんだけど」

「どうせ魔法のことでしょ」


 マリーにはお見通しみたいだ。

 ご明察。

 僕が試したいと言えば、大体は魔法に関することだ。

 僕はブーツを脱いで、湖の中に入る。

 膝まで浸かるところまで移動し、右手のひらを下に向けた。

 そのまま水に向けて魔力を放出する。

 円形の魔力は発光しながら水面に向かう。

 水に触れると、何の抵抗もなくそのまま湖に吸い込まれていった。

 水中でも発光しているが、そのまま徐々に光の量が弱まり、消失する。

 見た目では特に違和感はない。

 ただ『光の玉が空中から水中に移動しただけ』に見える。

 反発力もないため、ただ透過しただけのようだった。

 以前、これは試した。

 その時は水に触れても意味はないと思った。

 だから最初は現象に関連する火魔法、次に雷魔法を試したのだ。

 しかし本当に変化はなかったのだろうか。

 それを僕は疑問に持った。

 きっかけは、魔力が大気に影響を与えられていると気づいたから。

 大気に触れた魔力は、空気の影響を受け、その物質の特性そのものを増幅して、模倣し、継続させる。

 火に触れれば、魔力が火そのものになり、雷に触れれば、空気抵抗を受けつつも電流を走らせる。

 大気に触れた魔力を水に触れさせれば『浮くなり、抵抗があるなりの変化』があってもおかしくはない。

 だがそれはなかった。

 これはどういうことか。

 僕は試しに、肩まで水に浸かり、水中で魔力を放出した。

 そのまま地上へ浮かび上がるように、魔力光に指示を与える。

 水中から空中に。

 移動した魔力の反応は――先ほどと同じだった。

 つまり何の抵抗もなく、何の違和感もなく、すんなりと真っ直ぐ、速度を維持しつつ頭上へ浮かび、徐々に消えたのだ。

 水中で生み出した魔力は、空中に浮かんでも同じ状況だった。

 大気中で魔力を放出した場合、空気の特性を受け継ぐ。

 水中で魔力を放出した場合、大気に触れていないのに、大気中で放出した場合とまったく同じような反応を見せた。


「何か分かった?」

「うーん……いまいち、わからないかな」


 大気を含む魔力。

 水中でも同じようは反応を見せる魔力。

 つまり大気、空気の特性を魔力が持っているのは、大気に触れたからではない?

 それとも元々、魔力はそういう性質を持っているのか。

 大気に触れなくとも、空気に似た性質を持っていると?

 いや、早計だ。

 火魔法、雷魔法の反応を見ると、空気抵抗や酸素供給の反応があると考えた方がしっくりくる。

 空気に触れず、最初からその性質を持っていると考えるとより、触れることでその性質を得たと考える方が筋が通る。

 火や雷に触れることでその魔法が発言しているのだから。

 水中で魔力を放出するともしかしたら水に関連する何かの反応なりを見せると思ったのだが。

 いや待てよ。

 大気中から水中に向かって魔力を放出して、反応はなかった。

 そしてその逆も同じように反応がなかった。

 それはつまり、火、雷と違い、大きな変化がなかったとしたら?

 合成魔法では魔力と魔力を合成させ、その上で魔法を生み出せる。

 同属性の場合は合体できるわけだ。


 大気と水。

 大気には水分が含まれる。

 ……つまり、同じ、或いは近い属性なのか?

 だから大気から水中に魔力が移動しても、大きな変化はないのだろうか。

 反応はすべて同じではない。

 空気に水を触れさせても変化はない。

 温度が上がれば気化熱によって、熱を奪われたり、温度が下がれば凝固するような反応はある。

 でもそれは普通の空気による反応とは違うわけで。

 となると『反応がないことはおかしくはない』ということなのか。

 岩や木、他の物質に魔力を触れさせたことはある。

 しかし透明でないものに触れた場合、魔力の反応は表面上しか確認できない。

 そしてその反応は何もなかった。

 水以外は、本当に反応がなかったと思う。

 とにかく、もう少し別のアプローチが必要だろう。

 まずは水中の水に魔力を触れさせる。

 その後、『水を持ち上げる』という命令を与えて、魔力を上昇させる。

 命令を増やすとそれだけ使用魔力量が増えるため、大きな威力の魔法は生み出せない。

 しかし、現段階で必要なのは水は魔力に反応しているのかどうかの確認だ。

 とにかく、魔力に触れた水が動かせるのかどうか。

 それを確認しよう。

 さて、魔力はどう動くか。

 …………これは。

 浮かび上がった魔力は『水しぶきを生み出しながら』上昇すると消えた。


「ん? あれ? 今、水が動いた?」

「うん。動いたね。魔力に水を持ち上げるように命令与えたから」

「え? ってことは、水にも反応するってこと!?」

「そうだね。そうみたいだ」

「す、すごいじゃない! 火、雷に続いて水魔法も使えるってことなのよね!?」

「ま、まあね、そうなるね。うへっ」


 おっと頬が緩んでしまった。

 だがまだ早い。

 姉さんの言う通り魔力の玉に水が反応したのは間違いない。

 しかし水を持ち上げるというよりは、表面に付着した水が跳ねた程度の反応だ。

 これでは魔法とは言えまい。

 よし、今度は魔力を合成させた状態で水を持ち上げてみよう。

 結果。今度は水風船くらいの量が浮かび上がると、数十センチ上昇し、水面に落ちた。


「う、浮かんだ! み、水が浮かんだわよ!」


 なぜかマリーの方が興奮している様子だった。

 僕の肩を掴んで前後に揺らし始める。


「そ、そう、だね、浮か、んだ、ね、姉さん、揺らすの、やめ、て」

「あ、ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃったわ」


 ガンガンに揺さぶられた三半規管を落ち着かせながら、僕は深呼吸をする。


「どうしたの姉さん、いつもはこんなに喜ばないのに」

「え? 今まで、火とか雷とかだったじゃない? なんかちょっと危ないし。

 でも水はちょっと幻想的だし、ほら綺麗じゃない? だからかしら」


 言われてみればそうかもしれない。

 しかし何となくしかわからないし、そこまでのものかとも思う。

 女の子はわからないな。

 しかし喜色を顔に滲ませている姉を見れば悪い気はしない。

 僕は改めて水魔法の検証に戻ることにしよう。

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