第7話 楽しくなってきた

 朝起きて、勉強。昼ご飯を食べて、勉強し、午後三時程度になるとマリーと湖へ。

 そこで魚を釣って、桶に入れ、夕方を待ち、桶の中で発光するかを確かめる。

 勉強は隔日なので、一日休みの時は、マリーの鍛錬に付き合うこともあった。

 そんな日が二週間続く。

 結果は芳しくなかった。

 色んな魚を調べたけど、無収穫だ。

 光の玉は存在する。

 その正体を突き止めれば、魔法に繋がるかもしれない。

 そう思って、実験を始めたんだけど。

 進捗はない。

 やり方を変えた方がいいのだろうか。

 この世界にはガラスが存在する。

 かなり脆いし高価だけど、あるにはある。

 水圧に耐えるようにどうにか作れば、水中眼鏡ができるだろう。

 それで水中を観察するようにすれば、効率がいいかもしれない。

 しかし僕達は子供。両親にねだるにも限度がある。

 実在しないだろうものを開発するために金を払えとは、言えないし。

 どれくらいかかるのかもわからない。

 どうしたもんか。

 二人で釣竿を持って、水面を眺める。

 見慣れた光景だ。

 はっきりいって退屈だろう。

 それなのにマリーは文句も言わずにずっと付き合ってくれている。

 本当にいい姉を持った。

 感謝してもしきれない。

 何かあった時、いやなくとも、僕はマリーの味方でいよう。

 何があっても。


「あ、かかったわよ!」


 糸が引いている。マリーは後方に下がりながら竿を引っ張っていた。

 綺麗な放物線を描き、魚が湖畔に打ちあがる。

 見たことがない柄をしている魚だった。

 でも形は見たことがある。


「メスのエッテントラウトね」

「メスの?」

「ええ。そういえば、釣るのは初めてね。オスはよく釣れるんだけど。

 メスは普段、深いところにいるみたいで、あんまり釣れないのよ。

 この時期は産卵期だから、結構釣れる方らしいわよ。お父様の受け売りだけれど」

「へぇ、そうなんだ」


 僕は思案する。


「オスのエッテントラウトも釣ろう」


 以前釣ったトラウトは二人のお腹の中だ。

 さすがに飼い続ける気はなかったし、希少な魚でもなかったから。


「え? ええ。それは構わないけれど、釣れるかどうかはわからないわよ」

「うん。もし他の魚が釣れたら放していいから」

「わかったわ」


 マリーは特に何も聞かずに、僕の指示通りに魚釣りを継続した。

 しばらくして、オスのエッテントラウトが釣れたのでメスと同じ桶に入れる。


「これでいいのね?」

「多分。単純な思い付きだけど。とにかく夕方まで待とうか」


 マリーと話しながら夕方を待った。

 赤橙の空間に変わると、湖には光の瞬きが生まれる。

 僕とマリーは顔を見合わせて、桶の中を見た。


「変化はないわね」

「そう……いや、待って」


 じっと見ていると、桶の中から小さな光の玉が浮かび上がってきた。

 ぽつぽつと幾つも浮かび上がり、やがてその数が増える。

 数秒に一個だったのが、同時に二個浮かび上がることもあった。


「で、出たわ! 光の玉!」

「やった! やっぱり、そうか。求愛行動の時に出してたんだ」

「求愛行動って何?」


 産卵期は知っているのに、求愛行動は知らないとはこれいかに。


「オスがメスに家族になりましょうって伝えることだよ。

 人間と違って魚は言葉をしゃべらないから、行動で示さないといけないんだ。

 まあすべての種類に言えることじゃないけどね。

 エッテントラウトは、この光の玉を出すことが求愛行動になってるみたいだ」


 今まで釣ってきたのは別種の魚ばかりだったし、トラウト以外の魚で、しかも一匹ずつだった。

 この光の玉が生まれる原因を調べるという点をもう少し考えれば、早く答えに行きついていたかも。


「なんだぁ、じゃあ、あたしとシオンには不必要ね。もう家族だもん」

「ま、まあ、そう、なのかな」


 なんと答えたものかと困ってしまった。

 マリーが言っていることは間違ってはないけれど。


「でも、あたしは女の子で、シオンは男の子じゃない?

 ってことはいずれあたしが卵を産むのかしら」

「産まないよ!? 人間は、卵を産む生物じゃないよ!?

 というか、血の繋がった家族は結婚できないから!」


 我が姉は常識がないのだろうか。

 というか学校とかないし、こういうことを勉強する機会って中々ないのでは。


「え? どうして? シオンはあたしのこと好きじゃないの?」


 ものすごく悲しそうな顔をされてしまった。

 僕は慌てて首を振る。


「す、好きだよ。好きに決まってるじゃないか」

「だったらいいじゃない。あたしもシオンのこと好きだもん」

「い、いや、だから家族だし」

「オスとメスは家族になりましょうって求愛するんでしょ?

 あたし達はもう家族だし、後は結婚するだけじゃないの?」


 結婚は知ってるんだな。

 あれ、僕が間違ってるんだろうか。

 いやいや、僕は正しい。

 姉と弟で結婚できるはずがない。

 なんか混乱してきた。


「血縁者は結婚できないの!」

「どうして?」

「ど、どうしてって……そりゃ、倫理観とか遺伝子とか色々と問題が……」

「よくわかんない……」


 子供だもんな。

 理解できないことも多いだろう。

 多分、大人になっていけば、わかっていくだろう。

 大人になってもわからないことばかりだけど。


「と、とにかくさ、求愛行動のために光の玉が生まれているってわかったのはよかったよ。

 ありがとね、姉さん」

「…………うん」


 そんな顔しないでくれ。

 僕が悲しませてしまったみたいだ。

 時間が解決してくれるだろう。

 きっと。

 重苦しい空気の中、道具を抱えて僕達は家に戻る。

 その間、ずっとマリーは無言だった。


   ●○●○


 次の日から、観察が始まった。

 湖に行くことはなくなり、自室でじっと桶を眺める時間が増えた。

 マリーはあの日から、僕と顔を合わせてもそっけなくなってしまった。

 なんか、遠回しに、あなたとは結婚できませんって言ったみたいなもんだしな。

 お父さんと結婚する! みたいな現象だろうか。

 時間が経てばわかってくれると思うけど。

 マリーはとてもいい子だ。

 優しいし、わんぱくだし、わがままなところもあるけれど、いい姉だ。

 頼りがいもあるし、一緒にいて楽しい。

 顔立ちも整っているし、将来、美人になるのは間違いない。

 でも、実の姉だし、というか僕は精神的には三十過ぎのおっさんなわけで。

 なんというか異性としては見れないし、見てはいけない。

 ここは大人な僕が、長い目で見るしかないだろう。

 身体は子供だけど。

 しかし一人の時間が長いと寂しいな。

 最近はずっとマリーと一緒にいたし、普段もこんなに一人でいることはなかった。

 早く仲直りできるといいんだけどな。

 僕は頭を振って、邪念を振り払う。

 今は、観察に集中しよう。


 僕の自室は、六畳くらいの広さしかない。

 子供の部屋の割には広いし、僕はまだ六歳だ。

 一人部屋がもらえるだけありがたい。

 ベッド、机、クローゼットがあるだけの部屋だ。

 妖精や魔物に関しての参考書みたいなものが欲しいんだけど、本は高価すぎて買ってもらえない。

 立ち読みもできないし、図書館らしきものも近辺にはない。

 そのため本を読んだ経験はまだない。

 魔法に関する記述がもしかしたらあるかもしれないけど、少なくとも僕の周辺では非現実的なものだ。

 東方の国に図書館があるらしいので、いつか行ってみたいものだ。

 まあ、魔法なんて便利なものがあれば、もっと世間に知られているだろうし、実在はしてないんだろう。

 正確には、実在していると証明されていない、という言葉が妥当かもしれない、と僕は思い始めているけれど。

 実在していれば、良い悪いに関わらず話は流布されるだろうし。

 しかしこのエッテントラウトの現象、どうして周知されていないのだろうか。

 見える人と見えない人がいるとしても、ここまで誰にも知られないものなのかな。

 これは近くの湖に住むエッテントラウトだけが、この現象を起こせるのか、それとも見えている人はいるが極少数だから知られていないのだろうか。

 少数派だと、多数派の人に黙殺されそうだし。

 幽霊みたいなもんか。いや、でも幽霊は別か。信じてなくても怖がる人はいるし。

 まあ、その内わかるだろうし、わからなくても困りはしないだろうけど。


 さて、現実に戻ろう。

 桶の中にはオスとメスのエッテントラウトが優雅に泳いでいる。

 狭いから優雅とは言えないかもしれないけど。

 すでに観察を始めて三日。

 状況は変わらず、ずっと同じ。

 夕方になると求愛行動が始まり、光の玉が生まれる。

 十分ほどでそれは終わる。

 また次の日に同じことが起こる。

 それだけだ。

 産卵にはまだ時間がかかりそうだ。

 求愛行動にも期間があるのかもしれない。

 それが終わって、初めて産卵する生態なのかも。

 というか産卵方法も色々あるし、どういう感じなのかも知らない。

 まあ、生態研究をしたいわけじゃないし、別にいいか。

 湖に帰してあげたいところだけど、僕も必死だ。

 悪いけど、もう少し観察したい。

 桶の中を見つめる日々が続く。

 でも何も進んではいない。

 水を見ても、意味はない。


「……どうしたもんかな」


 僕は正直、この光の玉は魔法に繋がる何か、つまり魔力なのではないかと考えていた。

 あるいは魔法そのものなのかと思っていた。

 魔力を消費し、何かしらの現象を起こすのが、魔法だと思う。

 つまり魔法を使うには、誰か、あるいは何かが、魔力を費やさなければいけない。

 それは恐らくは能動的なもので、その存在が生物とわかり、僕は期待を膨らませた。

 なぜならば生み出した存在が生物であれば、人間である僕も同じようなことができる可能性が高くなるからだ。

 現象と照らし合わせて、共通点が多いと、相似に帰結することもある。

 現状は生物である、という点しか共通項はないけれど。

 ちなみに桶を眺めるだけで時間を過ごしたわけではない。

 まず光の玉を両親に見せた。

 マリーの言うとおり、何も見えないと言っていた。

 ここまでは想定通りで、収穫はなかった。

 だから僕は二人に頼んで、手を出して、光の玉を触ってもらった。

 そして『何も感じない』という結果が出た。


 これはつまり視認性以外にも触覚、温度感知という点においても、差異があるということ。

 見えない人には感触がないし、温度も感じないのだ。

 これに関しては、まだ答えは出ていないが、もしかしたらという考えはある。

 一先ずそれは置いておくとして、そろそろアプローチを変えた方がいいかもしれないな。

 でもどうしたらいいんだろう。

 僕は思考を巡らせる。

 現実に起こりえた結果ばかりに目を向けていてはきっと答えは出ない。

 ならば仮定しよう。

 この光の玉が魔法か魔力だと僕は考えている。

 そこから一歩前に進み、別の観点から実験をした方がいいかもしれない。

 魔法は、僕の中では多少高度な術だという印象がある。 

 魔力を使って何かしらの現象を起こすものだ。

 呪文や魔道具や魔法陣のような触媒を使うこともある。

 光の玉を生み出す程度のことだったとしても、魚にできるだろうか。

 微妙な線だ。でもまずは『できない』と仮定しよう。

 ではこの光は魔力だとする。

 魔力を視認できる人、できない人がいる。 

 それはつまり素質があるかないか、という指標になるのではないか。

 僕やマリーは見える。つまり素質があると仮定を重ねる。

 エッテントラウトには魔力があり、僕達にはその素質がある。

 つまり魔力も、僕達は持っているのではないだろうか。

 魔力を持っているが、その使い方がわからない。

 あるいは知覚できていない。

 つまり魔力を放出する際のエッテントラウトの行動をつぶさに観察し、模倣すれば。


「魔力が出せる、かも?」


 観察から試行へと移行する。

 変化がない状況では、模倣するにしてもきっかけがない。

 まずは夕方まで待つことにした。

 夕方になると、再びエッテントラウト達が光の玉を出す。

 僕はじっと二匹を観察する。

 互いにぐるぐると回り、泳いでいる。

 ふとした時に光の玉が生まれて水面を通り、虚空に浮かぶと消える。

 僕はオスの魚を掴んでみた。

 ビチビチと暴れるエッテントラウト。

 水しぶきが床に落ちるが構わず、観察する。


「魚なのに少しあったかいな。温かいのは光の玉だけじゃない?」


 魔力を放出している魚自体も温度がある。

 水温は低いのに、魚は温かいのだ。

 ただし光の玉よりは冷たい。

 それと求愛時以外では冷たかったことを思い出した。

 これはつまり魔力を放出する生物も発熱しているということだろう。

 僕はじっと魚を見つめた。 

 近距離で凝視する。

 魚の濁った眼が僕を見ている気がしたけど、構わず見た。


 見た。


 見た。


 見ていると、魚の周りに何かが浮かんだ気がした。

 瞬間、魚は一際大きく暴れ、跳ねて、桶の中に落ちていった。

 僕は呆気にとられて、虚空を見つめる。


「魚自体も発光してた……?」


 オーラのようなものが見えた。

 とても微弱な光だったけど、間違いない。

 結果を考慮した仮定。


「僕にも魔力を帯びさせることができるかも」


 いきなり光の玉を生み出すことは不可能だと思う。

 でも、自分の魔力を感知することはできるのではないか。

 トラウトのおかげで、己自身に魔力を溢れ出すことができると知った。

 魔力があるのならば、あるいは。


「でも、どうすればいいんだろう」


 魔力。 

 魔力ってなんだ?

 言葉で知ってるけれど、魔力の具体的な説明は難しい。

 とても曖昧で、何となくで使っているイメージだ。

 そもそも不可思議なエネルギーを使って、どうやって体外に放出するんだ。

 しかもそれを火や風に置換するとか、できるのだろうか。

 待て待て、可能不可能で考えれば、不可能という答えが出るに決まっている。

 疑っちゃダメだ。思い込みもダメ。

 客観的に、すべての可能性を否定しないようにしないと。

 現状、魔力に関して確実なことがある。


 熱と光だ。


 魔力を放出する際に、必ず熱と光が生み出される。

 体温とは違うんだろう。

 そうでなければ、両親が温度を感知できないはずがない。

 魔力と単純な温度は別ということだ。

 それとトラウト達を模倣するならば、求愛行動をする際に魔力が放出されているということになる。

 もちろん、単純な行動に伴う現象ではない。

 能動的なものだから、真似をすれば同じような結果が得られるとは限らないけれど。

 試す価値はあるのかもしれない。

 そこまで考えた時。

 突然、バンッというけたたましい音が聞こえ、僕は振り返った。

 扉が開かれ、廊下にはマリーが立っていた。

 厳めしい顔つきのまま、部屋の中にドカドカと入ってくると、僕の隣に座った。

 ノックくらいしてよ、と言いたいがマリーには通じない。

 というか今の彼女にそんなことを言える勇気はない。

 明らかに不機嫌だ。

 僕は硬直したまま、桶を眺めることしかできない。

 無言のまま時間が過ぎる。

 どうしたものかと思っていると、マリーが口を開いた。


「…………怒られた」

「母さんに?」

「…………うん」


 なぜ怒られたのだろうか。

 よくわからないけど、踏み込まないといけないらしい。


「どうして?」

「シオンと結婚するって言ったら怒られた。シオンと同じこと言われた……」

「そ、そっか」


 子供の戯言とあの母さんなら思うだろう。

 恐らく、にこにこしながら、そうなのねぇ、とか言ってそうだ。

 そんな母さんが怒ったということは、それだけマリーがしつこかったか、本気だと言ったかのどちらかだろう。


「あたし、そんなに悪いこと言ってるの?

 シオンとずっと一緒にいたいだけなのに……」

「僕も姉さんとずっと一緒にいたいよ。でもそれなら結婚しなくてもいいんじゃない?」

「だって、結婚するって特別ってことでしょ?  

 シオンとあたしが結婚しないなら、どちらかが別の人と結婚するじゃない。

 そしたら一緒にいられないでしょ。お父様とお母様みたいになるんだもの」


 結構考えてるんだな。

 確かにそうなる。

 もし、僕かマリーが結婚すれば、その相手との家庭を築く。 

 そうなれば姉と弟の関係は継続するが、一緒に住んだり、ずっと共に過ごすことは難しくなるだろう。

 短絡的な考えかと思っていたけど、マリーはマリーなりに考えてのことだったようだ。

 それだけ好きだと言ってくれるのは嬉しい。本当に。

 それに、幸か不幸か僕はすでに人生二度目だ。

 一度目で色々と経験している。

 そして経験してないこともある。僕は童貞だ。

 そのまま三十年を生きてきた。

 だったらあと数十年も同じかもしれないな。

 目の前で泣きそうになっている姉のためなら、別にいいか。

 だって僕もマリーのことが好きで、大事なんだ。

 異性としてじゃないけど。


「じゃあ、僕は結婚せずに、姉さんと一緒にいるよ」

「…………え? で、でも、それじゃ、お父様が困るんじゃ」


 貴族には跡取りが必要だ。

 そうでなければ領民が困るし、祖先に申し訳が立たないからだ。


「最近だと養子をとって跡取りにすることも少なくないし、そうしたらいいんじゃない?」

「か、簡単に言うわね」

「簡単じゃないよ。僕は本気。僕も姉さんと一緒にいたいし。

 僕はまだ子供だけど、この言葉は嘘じゃない。誓ってもいいよ」

「そ、そんなの結婚するよりも、重い言葉じゃないの」

「姉さんは僕のためにって色々してくれるけど、僕だって姉さんのために色々としてあげたいんだ。

 こんなのは重くもなんともないよ。僕にとっては姉さんが……大事だからね」


 いつの間にか、転生してから、大事なものができた。

 父さん、母さん、そして姉さん。

 魔法を使いたいという思いはある。それはずっと抱いてきた夢だ。

 でも夢と今存在している大事なものは違う。

 それは比べられるものじゃない。

 僕にとって、大切なのは姉の存在だ。

 彼女の望みならば、できるだけ叶えたいと思っているし、それは苦ではない。

 それに、童貞のまま四五年過ぎれば妖精になるとか言うよね。

 六十年なら仙人だっけか。

 どうせならそこまで目指してもいいかもしれない。

 いや、だって実際、こうして異世界にいるし。

 魔法を使えてはいないけど。


「だからね、姉さん。大丈夫。僕は姉さんの傍にいるから」


 マリーは顔を伏せて、肩を震わせている。

 僕達は子供だ

 でも、真剣に悩んで、必死に生きている。

 大人からすれば大したことじゃないことでも、本気なんだ。

 それが子供の身体で生きて、わかったことだった。

 姉さんなりに悩んだことだ。

 きっととても苦しかっただろう。

 その思いは僕にはわかる。

 でも本当の意味では分からない。

 だからできるだけ一緒にいよう。

 僕は姉さんの身体を抱きしめる。

 小さな身体では、二歳年上の姉の身体を覆うことはできない。

 けれど僕の思いは伝わったらしい。


「シオンぅぅ……っ」


 泣きながらしがみ付いてきた。

 僕はよしよしとマリーの背中を叩いてあげる。

 あの日、僕をあやしてくれた姉さんのように。

 それが彼女の感情を促してしまったのだろう。

 より泣き出してしまい、僕はずっとマリーの背中を撫でてあげた。

 しばらくして、ぐすっという水音だけが室内に響く。

 どうやら泣き止んだらしい。

 そう思った時、僕は変化に気づいた。


「……光ってる」


 これは魔力熱?

 僕はガバッと顔を上げて、マリーの肩を掴み、身体を引きはがした。

 彼女の鼻は真っ赤で、まだ瞳は濡れていた。

 なぜかその姿が大人っぽく見えた。


「ど、どうしたの?」

「これ、見て! 姉さん!」


 僕の身体が光っていた。

 ぼんやりと、でも確かに光っている。

 光の玉ほどではないが、間違いなく発光していた。


「ひ、光ってる……こ、これ、何?」

「魔力、だと思う。あ、消えた」


 光は消えた。数秒間しか持たないみたいだ。


「魔力って何?」


 きょとんとしたままの姉に、簡単に説明した。


「そう、トラウトが出してた光の玉と同じようなものなのね」

「うん、多分ね。仮定だったけど、正しかったのかも」

「でも、どうして突然……?」

「さあ、なんでだろ?」


 どんなきっかけで、魔力が放出されたのだろうか。

 僕は首を捻って、記憶を掘り起こす。

 ああ、そうか。


「わかった! ほら、トラウトは求愛行動で光の玉を出してたじゃない?

 つまり魔力を帯びていたわけだ。僕はそれをずっと見ていたから、無意識の内に『求愛行動をすれば魔力を放出する』って思い込んでいた。

 それがきっかけで、身体に魔力を帯びたのかも」

「え、え? きゅ、求愛行動……って、あの、さ、さっきの?」

「そうだと思う。だって、姉さんのために誰とも結婚しないって、最大の告白じゃない?」


 あんぐりと口を開けていたマリーは、徐々に顔を紅潮させた。

 しまいには赤面し、沸騰しそうなほどだった。

 そして姉さんはすっくと立ち上がり、ばたばたと走って部屋を出ていった。

 その反応を見て、僕も恥ずかしくなってきた。

 勢いで言ったけど、改めて、かなり思い切ったことを言葉にしたと思う。

 しかしもう引き返せないし、後悔はない。

 なんか複雑な感じになったような気がしないでもないけど。

 まあでも本心だ。

 この件については深く考えないようにしよう。

 心臓がうるさいから黙ってほしいところだ。

 その理由はよくわからなかった。

 とにかく。

 魔力はあった。魔力は放出された。

 これは現実に起こったことだ。

 そして、魔力が放出されたのなら、次にできることは決まっている。

 異世界には魔法がなかった。

 でもそれは魔法という技術が発見されていなかっただけではないだろうか。

 だったら僕のすることは決まっている。


 魔法を作る。


 ないなら作ればいいだけのことだ。


 僕がその第一人者になるのだ。


 魔法を使いたい。

 それだけのために。

 その夢のために。

 僕は震える身体を強引に手で抑え込む。


「……楽しくなってきたよ」


 退屈でも幸せな日常は終わった。

 これからは心躍る日々が続くはずだ。

 魔法以外でも色々と問題が起こりそうな気もする。

 けれど不安はない。

 きっと、つまらないという未来は僕にはないだろうから。

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