第6話 魔法研究と分析1

 ガチャガチャ、ガツガツ。

 食器の擦れる音がリビングに響いている。


「はぐっ、はぐっ!」

「がふっ! もぐもぐっ!」

「あらあら……」


 僕とマリーは一心不乱に食事をしている。

 パンを食べて、水で一気に胃袋に流し込む。

 二人は同時に食事を終えると、コップをテーブルに置いた。


「「ごちそうさまでした!」」


 呆気にとられている母さんを置いて、僕達は椅子から立ち上がる。


「行こう、姉さん!」

「うん!」


 急いで部屋を出ようとしたけど、寸前で思い出して、食器を洗い場に持っていった。


「うふふ、お利口さんね」

「じゃあ、出かけてくるよ!」

「ええ、いってらっしゃい」


 嬉しそうに笑う母さんに背を向けると、僕とマリーはリビングを出た。

 廊下を早足で通り、中庭にある倉庫に向かう。

 桶を三つと釣竿を抱えて、正門を出る。

 鞄には手ぬぐいや、釣りのための餌などが入っている。

 走って、湖へ。 

 到着すると桶を置いた。


「はあはあっ……つ、辛い」

「もう! シオンはだらしないんだから!

 普段、運動しないから体力がないのよ!」

「い、言い返す言葉もないよ……」


 ずっとだらだらと過ごしていたツケがきたらしい。

 これからは少しずつ身体を動かすとしよう。


「それで? まだ夕方までかなり時間があるけれど、どうするの?」

「湖のことを調べたいんだ。まずはあの光の玉の出所を知りたい」

「出所? 湖から出てるんじゃないの?」

「そうかもしれないし、湖の生物が出してるのかもしれない。

 それをきちんと調べないと、あの玉の正体もわからないからね」

「ふーん、よくわかんないけど、シオンが言うんならそうなのね!

 で、何からするの?」

「うん、まずは三つの桶に湖の水を入れよう。

 それからそれぞれに砂と石、海藻、魚を入れようと思う」

「よっし、わかったわ。よくわからないけど、やることはわかった!

 じゃあ、あたしが海藻をとってきてあげる!」


 マリーは言うや否や、服を脱ぎ捨てようとした。

 綺麗なへそが露わになり、僕は慌てて、姉の暴挙を止める。


「な、何してんの!」

「何って、脱がないと濡れちゃうじゃない。海藻は湖の底にあるだろうし」

「そ、そうだけど、姉さんが脱ぐ必要はないよ! 僕が行くから!」

「シオンが? あんた泳げるの?」


 日本では泳げた。人並みだけど。

 ただ、外にはほとんど出てないし、この身体で泳いだ経験はない。

 まあ、大丈夫だと思うけど。


「何とかできるよ。姉さんは女の子なんだから、人前で肌を晒しちゃダメだよ」

「……そ、そう? で、でもシオンしかいないし……」

「それでもダメ! とにかく、これは僕がするから、姉さんは砂と石、それと魚釣りをお願い」

「むぅ、わかったわよ。そんな怖い顔しなくてもいいのに……」


 マリーはふくれっ面になりながらも、服を整えてくれた。

 納得はしてないけど、理解はしてくれたらしい。

 ちなみにマリーはちょっと厚手のワンピース姿だ。

 よく動くので下着が見えることも多い。

 実の姉なので、何も思わないけど。というか相手は子供だし。

 僕はいそいそと服を脱ぎ、下着姿になる。

 この世界の下着は、現代に近い見た目をしている。

 素材や造りはかなり劣るけど。

 ちらちらと姉さんが僕のことを見ているが気にしてはいけない。

 僕は湖に入る。腰まで浸かると一気に、顔を水に入れた。

 よく見えないけど、比較的近くに緑色のものが見える。

 幾つかの海藻を根っこごと手にして、桶に入れると、身体を拭いて服を着た。

 一つの桶には砂と石と湖の水、一つの桶には砂と海藻と砂と水、もう一つは水しか入ってない。


「魚、中々釣れないわ……」


 太い枝の先に糸が垂れ下がって、その先には歪んだ釣り針がある。

 そんな簡素な釣竿で、餌もミミズみたいなものを使っている。

 淡水魚だし、これで食いついてくれるんじゃないかと思うんだけど。

 引きは悪いようだ。

 早めに来てよかった。

 僕は姉さんの隣に座ると、水面を眺めた。

 この時間には、光の玉は見えない。

 これがどういう意味を表しているのか、気になるがまだわからない。

 しかし、今の僕には無気力感はない。

 姉さんのおかげだ。

 姉さんがこの場所を教えてくれたから、今の僕がある。

 それにどれだけ僕のことを想ってくれているのかもわかった。

 もしも、湖の現象が魔法とは全く別の、ただの不可思議な現象だったとしても、もう大丈夫。

 つまらなくとも、不幸ではない。

 家族がいてくれることの大切さを僕は学んだのだから。


「な、何よニヤニヤして」

「姉さんがいてくれてよかったなぁって思って」

「な、ななな、何言ってんの! そ、そんなの当たり前じゃない!

 お姉ちゃんなんだもん。い、いるに決まってるわよっ!」


 一気に顔が紅潮した。

 わかりやすい。でもその素直さが、可愛らしかった。

 小さいけれどマリーは僕の姉だ。

 それが痛いほどにわかった。


「ありがとね、姉さん。こんなことに付き合ってくれて」

「……暇だし、それにシオンがしたいことなんでしょ?

 だったら付き合うのは当たり前じゃない。

 それに、もしね、魔法みたいなのがあったとしたら、あたしも見てみたいし。

 なんか、わくわくするじゃない?」

「ふふ、そうだね。僕もそう思う。だから……ここにいるんだから」


 それは湖の前に、という意味だけでなく、異世界に、という意味も含む。

 けれどそれを姉は知らない。

 僕は……別の世界で生きていたということを。

 考えるのはやめよう。話すべきじゃないし、話しても誰も幸せにはならない。

 こんな荒唐無稽な話、誰も信じないだろう。

 話しても折り合いをつけるのはとても難しいはずだ。


「魔法、あるといいわね」

「もし存在したら、最初に姉さんに見せるよ」

「ふふ、約束よ」

「うん、約束」 


 僕は姉さんと笑い合った。

 幸せな時間だった。魔法がなくとも、僕には家族がいるのだと実感した。


「あ、来た来た!」


 姉さんは立ち上がり、ぐいっと釣竿を引いた。

 徐々に後ろに下がると、水面から何かが打ちあがる。


「やた! エッテントラウトだわ!」


 満面の笑みを浮かべたマリーはぴちぴちと暴れる魚を手に取り、釣り針を外すと、桶に入れた。


「エッテントラウトって一般的な魚なの?」

「ええ、どこにでもいる淡水魚ね」

「どこにでもかぁ……」


 だったら光の玉の出どころではないのかもしれない。

 こんな現象がどこにでもあるとは思えないし。

 もしあるのなら、両親が知っているはずだ。

 でも、見えなかったし、マリーが説明しても首を傾げていたらしい。

 ということは、やはりこの湖だけの現象という線が濃厚だ。

 そしてエッテントラウトがその原因ではない、という可能性が高い。


「どうする? 何匹か釣る?」

「そうだね。そうしてくれる?」

「ええ、じゃあ続けるわね」


 僕は姉さんと談笑しながら、隣に座っていた。

 残念ながら魚は釣れず結局夕方前になってしまった。

 念のため、現象の邪魔をしないように釣りを中止し、時間を待った。

 夕方になると、再び湖畔には光の玉が浮かび上がり、天空へ昇った。

 この現象は毎日起こるようだ。一年を通して観察しないとわからないけど。

 季節や環境、何かしらの条件下で起きる一時的な現象ということではないのだろうか。


「桶を見てみよう」


 僕は言うと、桶を眺める。

 どれも発光していない。


「光ってないわね」

「……できるだけ湖の中と同じ状況にしてみたんだけど」


 ということはエッテントラウト以外の魚か、湖畔にある別の物質か別の生物が出所なのだろうか。

 僕は思案しながら、姉さんに聞いてみた。


「エッテントラウト以外に、この湖に魚はいるよね?」

「一杯いるんじゃないかしら。全部集めるのは大変よ」


 それはそうか。一つの湖に住む生物を網羅するのは簡単じゃない。

 仕方ない。潜るか。

 僕は再び服を脱いで、湖に近づいた。


「あ、危ないかもしれないわよ!」

「大丈夫だよ。多分」

「だ、大丈夫じゃないかもしれないじゃない! 

 も、もう! あたしも行くわ!」


 マリーは僕が何かを言う前に、服を脱ぎ捨てた。

 キャミソールとドロワーズ姿。完全に下着だ。

 露出は少ない方ではあるけど。


「ね、姉さん、脱いだら」

「ダメって言うんでしょ! でも、シオンを一人で行かせるのは嫌よ!」 


 マリーは強い意志を瞳に灯らせている。

 この状態の彼女には、何を言っても無駄だ。

 絶対に考えを曲げない。

 僕は嘆息して、受け入れるしかなった。


「わかったよ。二人で行こう」

「ふふん! 最初からそう言えばいいのよ」


 ぐっと手を握られると、僕は握り返す。

 最初は恥ずかしかったけど、今は抵抗がない。

 だって彼女は僕の姉なんだから。

 二人で湖に浸かり、少しずつ進んだ。

 光の玉がが浮かぶ中を歩くのは幻想的だった。

 高揚感が凄まじい。この現象にどんな意味があるのかもわからないけれど、僕が望んでいたものが近くにあるような気がした。

 不意に玉に向かって手を伸ばす。


「ちょ、ちょっと!」


 マリーが制止する前に、僕は光の玉に触れる。


「あったかい。それにちょっとくすぐったいかな?」

「あ、熱くない? 大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ。なんかちょっと気持ちいいくらい」


 僕の言葉を聞き、マリーは恐る恐る光の玉に触れる。

 すると表情を柔らかくした。


「ほんと、あったかいわね。お風呂みたい」


 光の玉は手に触れると消失していく。

 これは一体なんなんだろうか。

 光の浮かび上がる場所まで行くと、僕は湖に顔をつける。

 どこから浮かんでいるのかよくわからない。

 比較的綺麗な湖だけど、透明度が高いわけではない。

 水面は波紋や泡があって水中がほとんど見えないし。

 光の生まれた場所を見つめた。

 けれど同じ場所からは浮かんでこなかった。

 少し移動している。

 姉さんも僕と同じように水中を見ていたけれど、同時に顔を上げた。


「ぶはっ! はあ、ダメだぁ」

「ふぅ……うーん、よく見えないわね」

「そうだね。でも一つだけわかった」

「何よ、わかったことって」

「多分、光の玉は魚を含む水生動物が出してるっぽいね。

 植物じゃなくて、移動する生物だと思う」

「どうしてそう思うの?」

「動いてるからね。光の生まれる位置が。でもそれがどの生物なのかはわからないなぁ」

「もっとよく見えればいいんだけど」

「うーん……そうだね。とにかく今日はこれが限界かな。少しはわかったし」

「そうなの? あたしにはよくわからないけど」


 疑問符を浮かべつつ、姉さんは首を傾げている。

 二人で湖畔に戻ると、身体を拭いて服を着た。


「ありがと、姉さん。助かったよ」

「お礼はいいって。そういうのなし! 家族なんだから、改めてお礼はいらないの!」

「そっか。でも、言いたいんだ。姉さんには感謝してるから。

 家族でも伝えたいことは我慢しなくてもいいでしょ?」


 真っ直ぐに見つめると、姉さんは困ったように顔を逸らした。

 でも嬉しそうにしていたのはわかった。

 だって横顔は間違いなく笑っていたから。


「ま、まあ、そうね、そこまで言うならしょうがないわね、うん。

 と、とにかく、帰りましょう。その桶はどうするの?」

「魚は念のため持って帰るよ。観察してみたいし」


 海藻は多分、原因にはなりえないから、湖に戻していいだろう。


「そう。じゃあ、他のは戻してから帰りましょう」


 桶の二つを空にして、魚を入れた桶を持ち帰る。

 収穫はあまりなかったけれど、落胆は微塵もなかった。

 むしろワクワクしてしょうがない。

 楽しい。この世界に来て、ここまで楽しいと思ったのは初めてだ。

 それは魔法の切っ掛けらしきものを知ったから、だけではない。

 共にいてくれる人がいるからだ。

 この時間、生活を大事にしようと、そう誓った。

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