第3話 この異世界には魔法がない

 僕達、家族四人で食卓についていた。

 テーブルの上には皿が並んでいる。

 この世界の食事は簡素だ。

 大体は硬いパンとスープがあり、後は肉か魚があるくらい。

 多少のバリエーションはあっても、ほぼ同じようなラインナップだ。

 かなり飽きる。でも贅沢は言えない。


「むぅ! また同じごはん! もう飽きたよぉ」


 贅沢を言っているのは姉のマリーだ。

 それも仕方ないだろう。

 子供は飽きる。そりゃもうすぐに飽きる。

 毎日三回も行う食事ともなれば、味に変化がないと我慢できないだろう。

 味付けもほぼ同じような感じだ。

 塩と胡椒が基本。たまに香草と共に焼いたり煮たりしているくらい。

 この文明レベルならばかなり真っ当な食事だとは思うけど、僕も飽きてきている。

 あー、お米食べたい。


「あらあら、マリーちゃん。わがまま言っちゃダメよぉ。

 領民さん達の方が質素な生活をしてるんだもの。私達が贅沢しちゃダメでしょう?」

「だってぇ! 飽きたんだもん!」


 僕も飽きてます!

 ああ、カレーが食べたい。

 いやいやと首を振り、文句を言っているマリーと諌める母さんという図を、黙って眺めていた父さんだったが、やがて嘆息しながら言った。


「マリー。贅沢は言ったらダメだぞ」

「で、でもぉ」

「今度、お菓子を買ってきてあげるから、我慢しなさい」

「お菓子!? うん、わかった我慢する!」


 お菓子。それはこの世界では高級な嗜好品である。

 少量でかなりの値段がするらしく、ウチでもあまり出ない。

 数えるくらいしか食べたことがないが、日本のお菓子に比べると甘さが強くて、なんというか砂糖そのものみたいな感じだ。

 ただ、この生活を続けていると、楽しみに思う気持ちはわかる。

 それくらいに変化がない味付けだし、それ以外にも娯楽があまりない。

 僕はまだ中庭までしか出たことがないから、外のことはわからないけれど。

 さて、とりあえずマリーはおとなしくなった。

 食事も終わったし、そろそろ話を聞こうかな。


「父さん」

「うむ、どうした、シオン?」


 柔らかい笑みを浮かべて、僕を見ている父さん。

 母さんもそうだが、この両親はとても穏やかだ。 

 怒ることもほとんどないし。


「領民と母さんが言ってたけど、どういう意味なの?」

「ふむ、シオンには話していなかったか。少し難しい話になるが」

「多分、大丈夫」


 三歳の子供に話すにはややハードルが高い話だ。

 さすがにマリーは知っているだろうが。


「丁度いい。マリーにも、きちんと話しておかないといけないからね」


 話してないんかい。

 横目でマリーを見ると、お腹一杯だぁ、といった顔をしている。

 この姉ならば、話をまともに聞きそうにないし、しょうがないかもしれない。

 五歳って、こんなもんなんだろうか。


「マリー聞きたい! よくわかんないけど!」

「ちゃんと聞くよ」


 僕とマリーが言うと父さんは鷹揚に頷いた。


「マリー、シオン。私達はね、下級貴族と言われる、この辺りを統治している領主なんだ」


 おっと、最初でいきなりつまずいたぞ。

 我が姉は目をパチパチとしているだけで、明らかに理解していない。


「あなた。それじゃわからないわ。もっと柔らかく言わないと」

「む、そうか……噛み砕いて言うと……どう言ったものか」

「近くに住んでいる人達の世話をしてあげる仕事をしているってことだよね?」


 僕が言うと、父さんも母さんも驚いたように目を見開いていた。


「ああ、そうだ。シオンは賢いな」

「うふふ、将来有望ね」

「あ、あたしもわかるもん!」


 両親が僕を褒めると、マリーが負けじと声を上げる。

 別に褒められたくて言ったわけじゃないけど。


「ふふ、そうね。マリーも賢いわ。でも、今はお父様のお話を聞きましょうね」

「むっ! わ、わかったよぉ」


 明らかに不満顔だったが、マリーは閉口した。

 一家の大黒柱である父親は絶対だ。

 父親を蔑ろにしたり、貶める行為は、この家では容認されない。

 多分、この世界では当然のことなんだろうけど。

 現代のお父さん……頑張れ。


「シオンが言った通り、近辺に住む人達の世話をするのが、私の仕事だ。

 その人たちを領民、私の立場を領主と呼ぶわけだ。

 具体的には、領民が困っていたら助けたり、お金を貰って、国に渡したりする。

 貴族というのは、何と言えばいいか……ほんのちょっとだけ偉い人、だな。

 下級貴族は貴族の中でも一番下の、ちょっとだけ偉い人だ」

「じゃあ、父さんは偉いの?」

「少し難しいが、私が偉いわけじゃないな。

 ただ誰かの上に立つ仕事をするには偉くならないといけないんだ。

 お父さんが子供だったら、マリーもシオンも困るだろう?

 お父さんは偉くないといけない。そうじゃないとみんなを養えないからな」


 マリーは、うんうんと頷きながら理解しようとしていた。 

 ただ横顔を見ると、よくわかっていないことはわかった。

 この姉、感情を優先する性格だからな。

 こういう話を聞いても理解するまで時間がかかる。

 母さんはいつも苦労しているし。


「父さんは領主なのに、いつも馬車でどこに行ってるの?」

「うん? ああ、あれは領民の様子を見に行ったり、ついでに作物やらの運搬や、人の移動を手伝ったりしている。

 あとは買い出しだな。馬車を持っている人はあまりいないからね。

 実際に村の様子を見ないとわからないことも多いし、私兵がいなくてな。

 部下らしい部下もいない。だから私が直接、視察しているわけだ。

 それに私は賦役労働を廃止しようとしている。そのため、この地にはそういう農民はいない。

 その分、労働力が足りないし、比較的自由に動ける私が……」


 父さんはそこまで話して、はたと気づいた。

 僕の隣に座っているマリーがあんぐりと口を開けている。

 呆然、いや何言ってるのかわかんないんだけど、という顔をしている。

 母さんがジト目を父さんに向けていた。

 父さんは、こほんと咳をして、姿勢を正した。


「父さんは色々と、頑張ってるんだ!」


 はしょったな。

 しかしその言葉はマリーには適した言葉だったらしく、ようやく我に返ったようだった。


「なるほど! お父様は、すごいのね!」

「あ、あはは、そうだな。そうかもしれないな!」


 あはは、うふふと笑い合う、団らんの空間だったが、僕は諦めたように笑った。

 話が進まん。

 とにかく我が家は下級貴族で、領主で、ある程度裕福であるということはわかった。

 賦役労働って確か、農民とかの階級に対して、無給で働かせることだったっけか。

 もちろん、彼等には普通の仕事があるのに、だ。

 それ以外の仕事をタダでやらせるというブラック思考の経営だ。

 日本と同じだね。え? 違う? 根本的に一緒でしょ。

 とにかく父さんはその体制を是正しようとしているわけだ。

 うーん、我が父ながらいい人だな。

 しかも優秀らしい。

 タダで労働力を得る機会を手放しているのに、僕達の生活は豊かなのだから。

 領民達もしっかりした生活をしているんじゃないだろうか。

 少しずつ、僕の置かれている状況が分かってくる。

 よし、とりあえずの会話の足掛かりはできた。


 もういいだろう。

 いいよね。

 我慢の限界だし。

 もう無理。

 僕は逸る思いを押さえつけつつ、口を開いた。


「あ、あの、父さん。他にも聞きたいことがあるんだけど」


 落ち着け。きっと大丈夫だ。だってここまでお膳立てされているんだから。


「うむ。なんだ?」


 まずは軽いところから行こう。


「えーと……魔物っている?」

「いるな。だからまだ外に出てはいけないな。お母さんから出るなと言われていると思うが」


 いるんだ!

 魔物がいるんだ!

 っていうか外に出ちゃいけない理由だったのか!

 初めて聞いたよ! もっと早く教えて欲しかったけど。


「ど、どんなの?」

「怖い生き物だ。人を襲うし、傷つけてくる。近づいてはいけない。危険だからだ。

 もしも見たら、すぐに逃げて大人に助けを求めるようにしなさい」


 ファンタジー万歳!

 さすが異世界。ありがとう異世界。

 魔物がいるなら、他のものもあるはずだ。

 僕は昂揚感を抱きつつ、震えが込み上がっていることに気づいた。

 なんか緊張してきた。武者震いかこれは。

 汗が滲んできた。心臓がすごくうるさい。

 でも、踏み出したからには進むしかない。

 というか進みたい。

 次に行こう。


「妖精とか、精霊とかいたりなんかして?」

「いるな。精霊は聞いたことがないが、妖精は確かにいる。

 希少だし、中々遭遇しないが。専門の調達屋はいる」


 いるんだ!

 妖精や精霊がいるんなら、もう確定だろ。

 何か不穏な言葉が聞こえたけど、今の僕には魔法のことしか頭になかった。


「ち、ちなみにどういう感じなの?」

「そうだな。妖精は小さな人型の生物、いや、生物なのかどうかもまだわかってない。

 突然消えたり、現れたり、不思議な力を持っているとかなんとか」

「そ、そう……」


 何やら戸惑っている様子の父さんと母さん。

 そして隣のマリーは僕や両親を交互に見て、状況を理解していない様子。

 僕も前後不覚になって、状況がわかっていない。

 早く質問しよう。

 本題だ。


「じゃ、じゃあ、ま、ま、ま……魔法は!? 魔法はあるの!?」


 思わず僕は椅子に立って、そのまま身を乗り出した。

 テーブルに両手をつき、顔を突き出して、父さんの顔を見つめる。

 あまりの勢いに、父さんはうろたえていた。


「ま、魔法?」

「そう! 魔法! 火とか水とか風とか光とか、いろんなものを出したりする魔法!」


 父さんは母さんは顔を見合わせる。

 困惑していることはわかった。

 自分が何かまずいことをしているんじゃないかということも。

 でも止められなかったのだ。

 だってずっと我慢していたのだ。

 この三年間。

 いや、三十年間以上。

 だけど。


「ないな」

「ない……?」


 現実は無慈悲だった。 

 父さんが困ったように首を振る。

 その様子と言葉が、ゆっくりに感じた。

 え?

 ないの?

 魔法が?


「魔法という言葉も聞いたことがない」

「ま、魔術も?」

「魔術という言葉も聞いたことはないな」

「……そ、それはお父さんが聞いたことがない、ということではなく?」

「私が知らないこともあるだろう。だが、私もそれなりに教養がある。

 少なくとも魔法なんてものは一般的には知られていないし、そんな話は聞いたこともない」


 父さんは貴族。

 この文明レベルならば、貴族は多少の教育を受けているはず。

 平民は勉強ができないが、貴族はできる。

 つまり貴族はこの世界ではかなりの識者であるということ。

 もちろん専門的なことは知らないだろう。 

 だがそういう分野がある、という程度はわかるはずだ。

 けれど父さんは知らない。

 ということは。

 本当に、魔法は存在しない?

 嘘だろ。嘘だよな。じゃあ、どうして、僕はここにいるんだ。

 僕が転生したのは、ただの偶然なのか。

 僕が純粋に魔法を使いたいと望み続けていたから、そのご褒美だったのだと思っていたのに。

 それは勘違いだったのだ。

 僕は何の意味もなく、ただ転生しただけ。

 魔法の存在しない世界に。

 僕は落胆し、椅子に座った。


「…………シオン。魔物や妖精、その魔法とやらをどこで知ったんだ?

 エマは話していないはずだが」

「え、ええ。話してない、と思うけれど……」


 三歳の子供。しかもほとんど外に出ていない子供が、知っているはずがない。

 この家には本がない。そもそもこの世界に本が多くあるのかもわからないけれど。

 だから外の情報は母さんか父さんからしか得られない。

 その二人が知らない言葉を知っている。

 その二人が話していないことを知っている。

 そこに疑問を持たないはずがない。


「シオン。どこで話を聞いたんだ? 話しなさい」


 いつもと違い、厳しい口調だった。

 僕は強い落胆の中で、まともに頭が働かない。


「大人と話したのか? お母さんがいない時に、誰かが来たんじゃないのか?

 どんな人だった? 男か女か?」


 父さんが何を言っているのかわからなかった。

 僕は漫然とその言葉を聞き、少しずつ理解していく。

 ああ、そうか。

 母さんも父さんも話していない。

 外の世界の情報を知っているということは、別の誰かから聞いたんじゃないかと思ったのか。

 そう考えてもおかしくはない。

 まずい状況だということはわかった。

 でも気力が浮かばない。

 だって僕は魔法を使えると思っていたのだ。

 この世界に来て、ただ一つの望みだった。

 それが、その唯一の光明が絶たれてしまったのだ。

 僕が呆然としているところを見て、父さんが焦り始めていた。

 話せないことなのかと思ったんだろう。

 それが手に取るようにわかって、申し訳ない気持ちを抱きつつも、心は項垂れたままだった。

 尚も、父さんが詰問しようとした時、パンという乾いた音が聞こえた。

 母さんが手を叩いたようだった。


「そうだわ! 思い出した! わたしが話したんだったわ!」

「君が……?」


 父さんは訝しがりながら母さんを見ていた。

 母さんはいつものニコニコ顔を見せている。


「ええ。外に出る時に危ないからと話したのを思い出したわ。

 それに妖精のことも、話したんでしょうね」

「魔法とやらは?」

「さあ? 子供の言うことなんて、大人にはわからないもの。

 子供はおかしなことを言うものよ。夢にでも出てきたのかもしれないわね。

 いつもわたしと一緒にいるんだもの。他の人と話したなんてことはないわよ」


 半分は本当で、半分は嘘だ。

 母さんは僕をかばってくれたらしい。

 でも、実際、僕が他人と話すような機会はないし、母さんからすれば問題はないと思ってのことかもしれない。

 それでもありがたかった。


「……そうか。ならいいんだが」


 父さんは心配そうに僕を見ていた。

 そう心配していたのだ。

 威圧的に感じたけれど、それは僕のことを思っての行動だ。

 それに胸を痛めても、言葉にはならない。


「ささっ! そろそろお片づけしましょう!」


 母さんは食器を片づける。

 僕は俯いたまま、食卓を離れた。

 隣にいたマリーはおろおろとして、僕の後についてくる。

 リビングを出て、部屋に向かう最中、マリーはおずおずと言った。


「シオン、大丈夫……?」

「え?」

「顔色悪いから……お腹痛いの?」


 言われて、少しだけ感覚が戻ってきた。

 鏡がないのでわからないけれど、僕の顔は青白いらしい。

 ショックだった。

 魔法がないなんて。

 魔法を使うことだけが楽しみだったのに。


「……ううん、大丈夫」

「そ、そっか」


 マリーはそれ以上何も言わず、僕の隣を歩いていた。

 気遣いが伝わる。

 五歳の女の子が、僕を心配している。

 その気持ちを理解しつつも、僕は元気な姿を見せることはできなかった。

 だって。

 この異世界には魔法がないんだから。

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