第4話 透明な日々
それからの二年間。
僕は異世界について勉強することにした。
まず文字の読み書きを覚えた。
この世界の言葉は日本語だ。というか日本語に聞こえる。
だが文字はこの世界のもので、新たに覚える必要があった。
マリーは五歳から始めたらしいが、僕は三歳から始めることにした。
母さんに頼み込んで教えて貰ったのだ。
基本的に勉強は母さんが教えてくれるようだった。
我が家、オーンスタイン家の血脈は長く繋がっており、比較的に歴史がある家柄らしい。
父さんも母さんも貴族として、教育を施されているため、僕達に色々な事を教えてくれていた。
半年で簡単な読み書きは覚えた。マリーはまだ時間がかかりそうだった。
子供の身体だからか記憶力がいい。その上、大人の記憶もあるため、効率よく学習ができた。
読み書き以外には、一般教養を学んだ。
生活に必要な知識を吸収するためだ。
貨幣制度、簡単な法律、地理や歴史などが主だ。
オーンスタイン家は、リスティア国の西部にあるエッテン地方に位置しているらしい。
田舎のため、人口は少ない。その分、領地は広く、農業には向いているようだ。
田舎だが、一応、近くにそれなりに大きい都市がある。
近辺には一つだけしかないし、まだ行ったことはない。
父さんが許可してくれないからだ。危ないとかなんとか。
家の中で知れることはできるだけ勉強した。
そして知った。
この世界には、やはり魔法が存在しないということを。
魔法という言葉自体がない。
父さんや母さんが知らないだけ、ということに望みをかけた。
その可能性はある。世界は広いし、二人が知らない場所で魔法がある可能性もあるだろう。
でも、それは一般的ではないし、父さんは別の国の出で、しかも若い頃に各国を渡り歩いた経験があるらしい。
その上で、魔法というものはどこの国にもないと話された。
二年の間、僕は必死だった。
勉強した。行動した。
それは執着だったと思う。
諦められなかったのだ。
魔法がないなんて、思いたくなかったのだ。
でもわかってしまった。
この世界には魔法はない。存在しないということを。
それらしい情報もなかった。
日に日に、少しずつ理解させられてしまう。
そして。
五歳にして、僕は生きる目標を失ってしまった。
もしも日本でまだ生きていたなら、漫然と生きて、人並みの幸せを見つけようとしたかもしれない。
でも僕は転生してしまった。
転生したから、新たな人生を歩もうと思った。
けれどそれは、今までのすべてをリセットして、この世界を満喫しようとか、人生をやり直そうとか思ったわけじゃない。
だって、僕は別に後悔していたわけじゃないんだ。
ただ落胆していただけだ。
けれど異世界に転生して、希望を持ってしまった。
魔法が使えるかもしれないと思ったのだ。
それが打ち砕かれた。
二度も。
もし他に転生した人がいて、その人が新たな人生を歩もうと前向きになっているとしたら教えて欲しい。
どうしてそんなことができるんだろう。
生まれ変わっても僕は僕だ。
過去の記憶がある。子供の姿になっても、大人の記憶がある。人格がある。
生きるには希望が必要だ。目的が必要だ。
それがなくなったとしたら、リセットされたからといって、再び生きようと思えるのだろうか。
積み重ねたものは記憶しか残っていないのに。
死は終わりだ。始まりじゃない。
死の後に生が訪れても、それは過去がなくなり、新たに出発できるということじゃない。
僕は、僕のままだ。
夢想家の僕のままだった。
魔法がないと理解してしまってから、僕は無気力になってしまう。
何もやる気がなくなり、気が付けばぼーっとしており、表情も乏しくなった。
会話も自分からはしない。
今も、中庭で走る姉を見守るだけだ。
七歳になっても同じことしてるな、この姉は。
肉体的には成長しているはずなんだけど。
僕も二年でかなり背が伸びた。
身体も思うように動くようになっているし、身体能力もあがっている。
でもそれがなんだというのか。
そんなことに喜びを感じない。
不便じゃなくなったな、程度のことだ。
「うおおお! よいしょおお!」
姉は元気だ。
叫びながら走り回り、最近では木剣を持って、素振りをしたりしている。
どうやらマリーのマイブームは剣術らしい。
女の子でも剣術が扱えた方がいざという時に助かるかもしれない、と思ったらしい父さんが、たまに手ほどきをしているようだ。
女の子はおしとやかに、という世界ではないのだろうか。
それとも父さんがそういう考え方をしているだけなんだろうか。
僕は遠くから眺めている。彼女と一緒に動き回る気力はないからだ。
中庭の端に座り、じっとしているだけ。
僕、何してるんだろうな。
深いため息を漏らすと、マリーが駆け寄ってきた。
「大分、早くなったでしょ!?」
「うん、そうだね」
「そうでしょ! あたしね、もっと早くなって、もっと強くなるんだから! 見てなさいよ!」
「そっか、頑張って」
「うん! 頑張るわよ!」
なんでそこまで頑張れるんだろうか。
何を目標にしているんだろうか。
よくわからない。
でも子供なんてそんなものか。
深く考えてたら、僕みたいになってしまう。
何も考えず、感情に従って生きれば楽しいんだろうか。
僕には無理そうだけど。
「じゃ! 行ってくる!」
姉は再び走り始めた。
もう、ずっとこうだ。
マリーが三歳くらいの頃から、ずっと外で走り回っている。
彼女は時代が時代なら陸上選手にでもなっていただろう。
しかしこの世界にはそんな競技はない。
彼女はどこへ向かっているんだろうか。
それは僕にはわからなかった。
●○●○
家族団らんの時間。
全員で食事をしている中で、僕は何も考えずに料理を咀嚼している。
味に対しても不満はあまりなくなった。
どうでもいいと思い始めていた。
黙々と食事を進める中、家族の会話は続いている。
「そ、そういえば、勉強はどうだ? 進んでいるか?」
「マリー、頑張ってるよ! 剣術も、勉強も!」
「ほう、そうなのか?」
父さんはちらっと母さんの顔を見る。
「そうねぇ、頑張ってはいるわねぇ」
「そうか、頑張ってはいるのか」
含みがある言い方だが、マリー本人は気づかない。
確かに頑張ってる。ただ勉強には向いていないみたいで、遅々として進まない。
読み書きや簡単な算術は学んでいるけど、僕の方がかなり進んでいる。
マリーは頭より身体を動かした方が向いている気がする。
運動神経はすごくいいみたいだ。
「シオンはどうだ?」
僕は返事をする気力がなくて、黙して返してしまう。
父さんの困ったような顔を見ると心が痛んだ。
「そ、そうね、シオンはすっごく賢いわぁ。中等部程度まで進んでいるのよぉ」
「そんなにか!? 我が子は天才だな!」
がははと笑う両親を見て、マリーが頬を膨らませる。
「あたしも天才だもん!」
いや、それはどうだろうか。
僕も天才ではない。大人の記憶があるからできるだけだ。
だってさ、三桁の計算程度で、中等部レベルなんだよ。
算術だけなら、多分、僕は天才だ。四則計算ができればいいんだから。
歴史の記憶も、文字の読み書きもただ記憶するだけだし。
受験戦争を勝ち残った人なら簡単だろう。
口語まで一から覚えなければならなかったなら、かなり苦戦したと思う。
「あはは、そうだな。マリーも天才だな!」
「えへへ、そうでしょ!」
すぐに機嫌を直したマリーは満足そうに笑う。
いい家族だ。みんな善人だ。
でも、僕はその輪に加われない。
みんなが気を遣ってくれているのがわかる。
何かあったのかと聞かず、ただ待ってくれている。
励まして、話をして、守ってくれている。
それがわかるのに、僕はただ漫然と時間を過ごすことしかできない。
情けない。
僕はこの中で一番年上なのに。
一番、子供だ。心も体も。
このままじゃいけない。
魔法がないくらいなんだというんだ。
ずっと思い焦がれていたからなんだ。
もう気づく時期なんだ。
もう諦める時期なんだ。
僕は、現実を受けいれるべきなんだ。
このつまらない現実を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます