第119話 始まりのエピローグ

 目覚めると、毛布がかけられていた。

 起き上がり、辺りを見回すとニースはいなかった。

 鞄の中身はほとんど置きっぱなしだが、鞄自体はない。

 朝日が眩しい。

 空を見上げたのは久しぶりだった。

 俺は莉依ちゃん達の墓を眺め、みんなのことを思い出していた。

 結局、それだけしかできず、俺は呆然としていた。

 昼過ぎになってもニースは戻ってこなかった。

 後ろを見ると、メモが残っていることに気づく。


『昼にはこれを食べるにゃ! ちゃんと食べたか確認するからにゃ!』


 そう書かれていた。

 パンと昨日のスープの残りらしい。

 気が進まないが、食べないと何か言われそうだし、ニースはしつこいだろう。

 仕方なくすべて食べると、再びぼーっとした。

 そして夕方になった。


「あ、起きたのにゃ?」


 背後から声がしたので、俺は振り返った。

 ニースはパンパンに膨らんだ鞄と、薪を持っていた。

 中々の重量だろうが、ニースは難なく運搬している。

 俺は何も言わず、ニースの背中を注視した。

 すると、ニースは荷物を降ろしつつ、にゃはは、と笑った。


「これはネコネ族の集落にあったものにゃ。

 ババ様達がハイアス和国に来る時、幾つか荷を置いて来たと言っていたからにゃ。

 持って来たのにゃ。服とか家具とか、食器とか道具とか。食料もちょっとあるにゃ」


 ニースはてきぱきと荷物を取り出し、分類別に置いて行った。

 毛布や衣服類、食器、料理器具、鋸などの木工道具、食料。

 かなりの量がある。

 これを全部持って来たのだろうか。

 運ぶだけで一苦労だっただろう。

 ババ様達は集落にはかなりの荷を置いて行ったらしい。

 面倒くさがりで大雑把なネコネ族らしい。


「……なんで、持って来た……んだ? 集落に、行った方が……いいだろ……」

「にゃ? だってクサカベはここにいたいのにゃ? だったら運ぶに決まっているにゃ?」

「おまえは……いなくても……いいだろ」

「にゃにゃ? にゃにを言っているのにゃ。クサカベがいるならわたしもいるにゃ。

 それとも、わたしは邪魔だと言いたいのかにゃ? ひどいにゃ!?

 あれだけ一緒にいたのに、失礼にゃ! 仲間じゃないのかにゃ!?」


 ニースは大げさに泣くような仕草を見せた。

 俺は無感情に答える。


「……そんなことは、言って、ない……」

「ならいいにゃ!」


 鼻歌を漏らしながら、ニースは荷物を分類し終えると個別に鞄に入れる。

 どうやら鞄も幾つか持って来ていたようだった。

 俺は眺めるだけだった。


「ささ、風邪を引くにゃ、これを着るにゃ」


 ニースが服を渡してきたので仕方なく受け取ったが、面倒なのでそのままにした。


「もう! 仕方ないにゃ!」


 ニースは、愚痴愚痴言いながら、俺に服を着せる。

 ちょっとサイズが大きめなので、中学に入りたての男子学生みたいになってしまった。


「じゃあ、食事にするにゃ。今日は山菜もあるにゃ!

 肉とハーブで蒸し焼きにするにゃ。おいしいにゃー?」


 うふふ、と楽しそうに笑うニースを前にして、俺は不思議な気持ちになった。

 疑念を持ったのだ。

 けれど、そこには感情はない。

 純粋になぜだろうと思っただけだった。


「……おまえ……大丈夫、なのか……?」


 ニースは楽しげに料理をしている。

 水を差すような言動だったが、ニースは態度を変えない。


「大丈夫じゃないにゃ。悲しいし、辛いし、苦しくて、最悪な気分だにゃ。

 何があったのかもわからないけれど、それでもなんとなくはわかるにゃ。

 クサカベ達がどういう立場なのかは知っていたしにゃ」

「じゃあ……なんで」

「ネコネ族は前向きに生きるのがモットーにゃ。泣いて、塞ぎこんで生きちゃダメにゃ。

 悲しいことも、苦しいことも一杯あるにゃ。だけど、だからこそ、前向きになるのにゃ。

 辛くても、前に進むのにゃ。頑張るのにゃ。

 誰かが死んじゃったら、その人のために何ができるのか考えるにゃ。

 そして、自分はどうするべきなのか考えるにゃ。どうしたらいいのか考えるにゃ。

 だからわたしは笑顔でいるにゃ。とても悲しいにゃ。苦しいにゃ。だから笑うにゃ。

 わたしは何もわからないから、せめて目の前にいる大切な人を助けたいからにゃ」


 俺の、ことなのか。

 ニースも悲しいはずなのに、俺のために……。


「それに……にゃはは……何もしないでいると、悲しすぎて、心が壊れちゃうにゃ。

 だからできることをするにゃ。前に進むにゃ。なんでもいいにゃ。何かをするにゃ。

 そうして、時間が経てば、きっと少しずつ受け入れられるにゃ。

 そうやって、わたしたちは生きて来たんだにゃ。これからもそうして生きるにゃ」


 なんて強いのだろうか。

 彼女は、同族が死んでしまったのだ。

 家族同然の人達が死んでしまった。

 それでも、ひたむきに生きようとしている。

 悲しいのは同じだ。

 なのに、俺とはまったく違う。

 前に進むことだけを考えている。

 俺は、ただ立ち止まっていただけだ。

 憂いて自責の念に駆られ、何の意味もない疑問を抱いていただけ。

 無為な自問自答に時間を費やしただけだったのに。

 ニースは時折、陰りのある表情を浮かべたが、すぐに笑顔に変えた。

 彼女も必死なのだ。

 考えれば泣きだして、座り込んでしまいそうだから。

 わかっているのに。

 それでも俺はまだ、その場で足踏みをしている。

 ニースの心を知りながらも、まだ動けない。

 食事を終え、穏やかな時間を過ごしても、俺の心は固まったままだった。

 ならばせめて……。


「あの日……あったことを……はな、す……」

「クサカベ……無理しなくて、いいのにゃ?」

「話したいんだ……俺が」


 ニースは僅かに驚き、グッと唇を引き絞った。

 その後、緩慢に頷いた。


「そう……わかったにゃ。お願いするにゃ」


 すべてをニースに話した。

 どういう経緯で、誰が、どうして、こんなことをしたのか。

 誰のせいでこうなったのか。 

 これからどうなるのか、という俺の推測も伝えた。

 ニースはいつもとは違い、静かに、俺の話に耳を傾けていた。

 じっと何かをすることは苦手なはずなのに、ニースは別人のように真剣だった。

 そして話を終えると、静かにニースは嘆息した。

 静寂が訪れる。

 虫の鳴き声と葉が擦れる音だけが響いた。


「そう、だった、の、にゃ……」


 その言葉しか浮かばなかったかのように、ニースは途切れ途切れに呟いた。

 俺は久しぶりに長く話したためか、身体が怠かった。

 気力も使い果たしてしまった。


「……無理せずに寝るにゃ」


 まるで子供ようだ。

 ニースに頼りきりになっている。

 それでも、何もできない。

 俺はニースに言われるままに毛布に包まり、瞼を閉じた。

 意識を手放す寸前に、


「ゆっくり休むにゃ……クサカベ……」


 その言葉が聞こえ、額に何かが触れた。

 そうして、俺は再び眠りについた。


   ●□●□


 それから、俺の日常は変わった。

 墓の前から移動はしなかったが、寝る時は毛布を被って寝た。

 その内、ニースが革製の寝袋を作ってくれたため、より暖かくなった。

 俺が移動しないため、ニースは集落から小さめの天幕を持って来た。

 二人ならば入れる大きさで、木や石で固定した。

 雨露がしのげるようになり、少しだけ快適になった。

 少しずつ、俺も作業をするようになった。

 ニース一人に身の回りの世話を任せるのは、流石に心苦しく思い始めたのだ。


 山菜や肉を乾燥させる。

 木を切り薪を集めた。

 気力がないからか、素手で木を切ることができなかったので、斧を使った。

 心が鈍重になっていることに伴い、身体も重かった。

 天幕を重ねて、より強固にした。

 ニースが近場の海で魚を釣って来るようになった。

 俺も手伝い、魚を主食とし始めた。

 自然の中で暮らし、人と交わらない生活は続く。

 早朝に起き、朝食後は互いに食料を集めたり作業をする。

 昼食を終え、生活を快適にする作業に移り、集落へ移動して荷を運搬。

 木々を切り薪を作ったり、木製の簡易的な家を作り始めた。

 数ヶ月かけて、ロッジが出来た。

 天幕から、小さな家ができたことでより快適になる。

 日々の作業の流れも慣れた。

 変化は少しずつ訪れた。

 毎日の繰り返し、小さな幸せの積み重ね。

 ニースの言葉通り、俺の心は少しずつだが癒えていった。


 共に生活を続けた。


 やがて。


 一年の月日が流れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る