第120話 レベル100

 俺は鹿を抱えて、家に戻ってきた。

 木造の小屋はもう見慣れた。

 拙い技術でも丁寧に作ればそれなりの物が作れるものだ。

 いわゆるログハウスだが、隙間風もないし、住み心地も悪くない。

 家の周囲には洗濯物を干すための紐、川から引いた水場などがある。

 目の前にはみんなの墓があり、毎日お参りはしている。

 一年前に比べて、俺は普通に暮らせることができるようになっていた。

 ニースのおかげだ。

 この一年、ずっと俺の傍にいてくれた。

 彼女がいなければ、俺は一人塞ぎこんで、腐っていただろう。


「帰ったぞ」

「おかえりにゃさい」


 玄関を開けると、ニースが迎えてくれた。

 今日は人間の姿だった。

 ニースは頻繁に人間の姿になる。

 理由を聞くと、気まぐれだと言われるのだが。

 最近は特に人間の姿が多い。

 変装魔術の使用制限があるが、使用可能になればすぐに使っている感じだ。


「今日は鹿が獲れた。摂れたてだから肝臓は生でも食べられるぞ」

「それは楽しみにゃ!」


 にゃふふ、と笑うニースの顔も見慣れている。

 今まで、共に時間を過ごすことはあったが、二人きりということはほとんどなかった。

 しかし、今ではそれが当たり前だ。

 二人だけ、二人で支え合って生きている。

 これが、どういう関係なのかは……よくわからない。

 俺は亜人に対して偏見はない。

 ニースは優しくていい娘だとは思う。

 だからといって、異性として見るかどうかは別問題のように思える。

 俺は……多分、一生莉依ちゃんを忘れられないし、忘れるつもりもない。

 きっと、死ぬまで女性を好きになることはないだろう。

 そこまで考えて俺は自嘲気味に苦笑した。

 馬鹿な、何を考えているのか。

 ニースの気持ちもわからず、勝手に考えるべきじゃないな。

 考えるのもおこがましい。

 ニースは俺を助けてくれた、大事な存在。

 それでいいじゃないか。

 そう、それでいい。


 でも。

 この毎日を続けていいのか?

 外では戦争が続いている。

 街へ行く機会はたまにある。

 ニースに変装魔術をかけてもらい、買い物に行くようになっている。

 時に、世界情勢の話を聞くことがある。

 エシュト皇国内でも戦争の火種はそこかしこに生まれているらしい。

 隣国、ケセルとオーガスと戦争をし続けている。

 トッテルミシュアもレイラシャも同じだ。

 各国の首脳が消えたことから、世界中の国が混乱した。

 だが、それが余計に戦争を促した。

 国によっては、王がいなくなったことをいいことに、国を牛耳る人間も出た。

 そして、混乱に乗じ、他国を占領しようとしている国もある。

 そうして、世界中が混沌とし、暗黒時代となった。

 だが、俺とニースにはその影響は、まだない。

 失われた都市周辺を訪れる人間はいないからだ。

 比較的近くを進軍する隊はあるが、それだけだ。

 魔物も、幸いにも周辺にはいない。

 ハイアス和国が健在の頃、近場で狩りをしていたからだろうか。

 魔物は住処を追われたのかもしれない。

 穏やかな日々。

 そして、不安な日々を過ごしていた。


「どうか、したのかにゃ?」


 考えごとをしていたらしく、いつの間にか、ニースがすぐそばにいた。

 俺は慌てて笑みを作ると、首を横に振る。


「いや、なんでも」

「そうかにゃ? てっきりわたしの豊満な胸を見ているのかと思ったにゃ」


 ニースは色気の欠片もない仕草をした。

 胸を突き出した格好だが、なぜだろうか、微塵も興奮しない。

 俺がロリコンだからだろうか。

 確かに、大きな胸には興味がない。

 興奮した記憶がない。

 つまりは、そういうことなのか。

 いや、そうに違いない。


 ……何を認めてるんだよ、俺は。


「いや、それはない」

「そ、そうかにゃ……」


 しゅんとしてしまった。

 だが、実際見ていないものは見ていないのでしょうがない。

 鹿の処理と昼食を終えると、二人して手製のソファーに座り寛いでいた。


「食料も貯蓄もあるし寒冷期も越せるにゃ。

 しばらくはゆっくりしてもいいかもしれないにゃ?」

「だな。ここんところ毎日働いてたし。数日休むか」

「それならまた、皇都にでも行くにゃ。おいしいもの沢山にゃ」

「おまえは食べものの話ばっかりだな、ほんと」

「おいしいもの食べると元気になるからにゃ! 仕方ないにゃ!」


 何が仕方がないのかわからないが、ウキウキしているニースを見ていると何も言えなくなる。

 俺は苦笑してニースが楽しげに話している姿を見守った。

 ニースが馬鹿なことを言って。

 俺が笑いながらそれを聞く。

 これが俺達の日常だった。

 変わらない日々だった。


 だった、のだ。


 何か聞こえた。

 扉が叩かれたらしい。

 ドンドン、と乱暴に玄関が震えた。


「だ、誰かにゃ?」


 不穏な空気が流れた。

 この一年の中で、こんなことは初めてだった。

 こんな辺鄙な場所に来る人間はいない。


「座ってろ。見てくる」


 俺は慎重に玄関まで行くと、気配を探った。

 ……だめだ、わからない。

 一人、だとは思うが。

 とにかく確かめないといけない。

 警戒しつつ、俺はドアノブを握る。

 そして、ゆっくりと扉を開いた。

 そこに見えた姿に、俺は凍りついた。


「おまえは……」


 想像もしていなかった。

 いや、恐らくはわかっていた。

 だが、その日は訪れないと思っていたのだ。

 目の前の男は、俺を見ると、


「よう」


 と一言だけ漏らした。


 その男は。


 沼田力だった。


   ●□●□


 テーブルについた沼田と俺、ニースは無言で向き合っている。

 互いに視線を落とし、重苦しい空気を感じていた。

 俺は沼田の姿を覗き見る。

 たった一年、それだけの期間で沼田の風貌は激変している。

 以前はどこか飄々としており、自由な雰囲気の男だったはずだ。

 だが、目の前の男は厳めしく張り詰めた空気を醸し出している。

 右目と頭部を覆うように布を巻いており、顔半分が見えない。

 何か怪我でもしたのだろうか。

 一年前に比べ、刺々しく荒々しい。

 沼田は黙して、目の前にある茶を啜った。


 一体、どうしたのか。

 ハイアス和国が崩壊した日、ケセルの王は神に吸収された。

 それはつまり、ケセルの勇者である沼田にも関わりの深いことであるということ。

 何より、朱夏や結城さんも神と同化した。

 それがどういう意味なのか、明確にはわからないが。

 沼田が、俺同様に生きているということは気になっていた。

 俺は沼田と仲が良いわけではない。

 一時的に手を組んではいたが、それはあくまで利害が一致していたからだ。

 互いに敵対している部分は多く、仲間だとは思わなかった。

 だが、生きていたということに、僅かに安堵したという気持ちもあった。


 複雑だ。

 素直に喜べないし、かといって邪険にもできない。

 だから、こうして互いに無言になっているのだろうが。

 沼田は、何をしに来たんだろうか。

 俺は静寂に耐えきれず、口火を切った。


「……久しぶりだな」

「ああ。一年以上ぶり、か。見ない間に、随分変わっちまったな。お互いに」


 沼田は感情を見せず、目を伏せたまま答えた。

 何を考えているのか、表情からは読めない。

 俺は、何を言うべきか困り果てて、結局曖昧な言葉を口にした。


「知っている、のか?」

「……聖神のことか?

 奴らが神話通り、元の一体に戻り、世界を滅亡させようとしていることか?

 ハイアス和国を滅ぼし、国民を全員殺したことか?

 異世界人、それに各国の王達を吸収したことか?

 それとも……おまえが、何もできず、逃げ延びて安穏と暮らしていることか?」


 辛辣な言葉に、俺は憤りを感じる。

 一気に体温が上がったが、俺は何も言えなかった。

 それはすべて事実だったからだ。


「そ、そんな言い方……ない、にゃ」

「亜人は黙ってろ。これは俺とこいつの問題だ。おまえはただの現地人だろうが」

「わ、わたしも関係者にゃ!」

「ああ、そうだろうな、関係者だ。ネコネ族の奴らも殺されたんだろうからな。

 だが、それだけだ。それはここまでの話でこれからのことじゃねぇ。

 おまえにできることは、ここで間抜けな奴と一緒に暮らすことだけだったんだろうからな」


 明らかにニースは苛立ち、立ち上がろうとしたが、俺が手で制した。


「な、なんでにゃ!? こ、こんな風に言われて黙ってられないにゃ!」

「今は我慢してくれ、ニース」


 俺の心はざわめいている。

 憤りもある、反論したいという幼い感情も浮かんでいる。

 だが、それは今すべきことではない。

 沼田は知っている。

 知っている上で、ここを訪れたのだ。

 ならば、理由があるはず。

 言動は見過ごせないが、それでも問答をする前に聞きたいことがあった。

 ニースは、ぐぬぬ、と怒りを抑えて、座った。

 彼女には後で謝っておこう。


「それで、何をしにきた? まさか、不平不満を言うために来たわけじゃないんだろ?」

「……へ、そういうところは相変わらずか。ムカつく野郎だぜ。

 ああ、そうだ。俺が来たのは、別の理由がある。

 その前に、これまでの経緯を話さなくちゃなんねぇが」

「聞こう。話せ」


 はん、と鼻で笑った沼田は、椅子の背もたれに体重を預けた。

 どこか憂いに満ちた瞳を持ち上げる。

 俺を見ている沼田の眼には、光が薄かった。


「一年前、ハイアス和国が滅亡した日、ケセルの王のナディアは豹変した。

 今まで、ケセルはナディアを中心として団結し、世界統一を目的として準備を整えていた。

 だが、突如としてナディアは己を聖神と名乗り、俺と剣崎を連れ去ろうとした。

 俺は逃げた。直感で、ナディアはナディアでなくなったとわかったからだ」


 そこまで話すと沼田は一拍置いた。

 思い出しているのか、眉が一度だけ跳ねた。

 奴の言動は、以前の同盟会談の時の内容とは違っていた。

 ケセルは内部分裂をしていると聞いていたが、実際はそうではなかったらしい。

 言葉通り受け取ってはいなかったが、軽く演技をされていたことには微細に驚きはあった。

 だが、もう、そんな同盟も形骸化しているが。


「俺は密かにナディアを追った。しかしナディアはいなかった。

 ハイアス和国が滅亡する瞬間を見た。だが、おまえの存在には気付かなかった。

 俺は奴を追った。合神となった奴は、地上に留まったままだった。

 そして奴を見つけた。意外に奴を目撃した人間がいたんでな、奴のことを知ることはできた。

 明らかに異質な存在、奴は聖神の類だろうと俺は思った。

 どうやら、別段身を隠すつもりもないらしかった。『その部分の制約はなくなったんだろ』。

 グリュシュナ、大陸中央に位置する名もなき高山に奴はいた」


 沼田は情景を思い出したのか、僅かに身震いした。

 俺は思わず問いかけた。


「戦った、のか?」

「まさか。一人で、俺だけで勝てる相手なわけがねぇ。それくらいはわかってんだ。

 けどよ、俺は考えた。考えて、考えて、奴の情報を得るために盗んだ」


 沼田の能力は、対象から様々なものを盗むこと。

 物質以外のものも盗めるはずだ。

 また魔物を操ることもできる。


「……何を」


 沼田は右目と右耳を指差した。


「目と耳さ」


 俺は不穏な空気を感じつつも、聞かずにはいられなかった。


「その、右目と右耳は……」


 沼田が黙したまま、顔の半分を覆っていた布を剥いだ。

 露出した部分を目にすると、ニースが小さく悲鳴を上げた。

 俺は僅かに顔を顰めるだけにとどめた。

 沼田は再び、布で顔覆った。


「持っていかれた。ほんの数十秒だけ、視覚と聴覚を奪っただけでこれだ。

 だが、おかげで色んなことを知ることができた。

 過去に見た、聞いたもの、その記憶を覗き見ることができたからな」

「……俺のことを、それで知ったのか?」

「いや、違う。おまえのことを知ったのは、エシュト皇国内で情報を集めていた時だ。

 皇都で色々と聞きまわってな。

 その時、ハイアス和国周辺に住む、若夫婦がいるって情報を入手した。

 そこら一帯には集落も村もないと聞いていたからもしかして、と考えた。

 来てみたら、予感は当たっていた、それだけだ」


 沼田は淡々と語り、再び茶を啜る。

 一瞬だけ、ニースが動揺したようだったが、それ以外の変化はない。


「なんとなく想像はできる。

 ハイアス和国が滅びた理由も、おまえが狙われた理由もな。

 神の記憶から察することはできた。

 ナディアのことを知ったのも、その時だ。

 そして、これからこの世界がどうなるか、もな」

「……世界再創造」

「ああ、知ってるぜ。

 だから奴は『グリュシュナの人間に接することはできないってルールを破った』わけだ。

 世界を管理、運営する必要はもうないし、再創造するには元の一体じゃないとできないからだろうな。

 そこは神話通りだった、ってわけだ。

 神は世界を創造し、五体にわかれたわけだからな。実際は六体だったわけだがよ」

「……おまえが、なぜここに来たのか、理由を聞いてない」

「慌てるなよ、今から話す。俺がなぜ情報を集めていると思う?

 一縷の望みに賭けておまえを探していたからだ。それに神に勝つ方法を模索していた」

「神に、勝つ……?」


 あの化け物という言葉でも物足りない存在に勝つ、だって?

 無理だ。

 勝てるはずがない。

 戦うなんて考え自体がおこがましい。

 対等ではない。

 人間は淘汰されるしかない。

 一瞬で、俺を殺しつくした。

 どれほどの強さを持っても、勝てるわけがない。


「無理だ。おまえは知らないだけだ。神がどんな存在か。

 あれは別次元だ。対峙しただけで終わる。それくらい、俺達とは差がある」

「わかってんだよ。俺も、その一端は垣間見たんだからな。

 だが、考えてみろ。奴の行動には不可解な点が多いだろ」


 沼田の問いに、俺は自然に思考を働かせていた。

 確かに、おかしい点は多い。


 なぜ、奴らは今の時期に地上に降りた?

 なぜ、奴らは各国の王達を憑代にした?

 なぜ、奴らは異世界人を吸収した?

 なぜ、奴らはわざわざ俺の前で合体した?

 なぜ、奴は自分で世界を滅ぼさない?

 なぜ、規範を定めたのに、今更破った?

 なぜ、世界は滅ぼさずに、手ずからハイアス和国だけを滅ぼした?

 なぜ、世界は滅ぼさずに、手ずから俺や自国の人間を殺した?

 なぜ、未だに世界は滅んでいない?


 なぜ、なぜ、なぜ。


 考えれば、考える程に疑問は浮かんだ。

 隣に座っているニースは首を傾げている。

 完全に話についていけていないが、今は彼女に構う余裕はなかった。


「一年、集めた情報。各国の神話、歴史、史実、民話、色々と調べた。

 それと一年前に起きた出来事と照らし合わせて、色々とわかったぜ。

 聖神ってのは俺達が思っているよりも厄介な生き物みたいだ。

 人間も環境や社会、人間関係でルールを守らなきゃなんねぇが、神ってのはもっとがんじがらめだ。

 奴らが定めた法則はそのまま現実となる。

 だから、その規範は逸脱できねぇ。神そのものが地上に顕現することは、ルール違反。

 大原則として、聖神は地上に降りることはできねぇんだ。

 だから王を憑代にした。地上にいる神は、確かに神だけどよ、身体は人間だ。

 借りてんのさ。王や異世界人の身体をな。つまり、だ。絶対的な存在じゃない。

 殺せる。生物、だってことだ」


 では邪神であるリーシュはどうなのか、と思った。

 考えてみればリーシュは聖神達とは違う規範の下、行動していた。

 部分的には同一の規範によって。

 しかし、聖神達に比べて、かなり柔軟に動けていたはずだ。

 それはつまり、聖神ではなくなったからなのだろうか。

 思えば……聖神達の目的も、何か固定観念から築き上げられたもののように思えた。

 リーシュの考えは、聖神とは違うもの。

 だから、ルールから逸脱できた部分もあった、ということか?

 それでもグリュシュナの人間には干渉できない、という点もあった。

 俺が知らないだけで、聖神もリーシュも様々な規範を守りつつ行動していた、と?


「……だけど」

「ああ、確かに化け物じみた強さはある。だが、絶対に殺せない存在じゃないってことだ。

 続けるぜ。奴が世界を滅ぼさないのも、それが理由だ。

 過去にこういう話がある。

 聖神は神託をもたらすだけだが、一度だけ神の奇跡を見せたことがあったらしい。

 自然大災害の時だったらしいぜ。つまり世界規模の大地震だ。

 実際に神の姿を見たわけじゃねぇが、明らかに世界中に広がっていた地震が不自然に収まったらしい」

「それが、神の奇跡だという証拠はないんじゃないのか?」

「死人が一人もいなかったとしても、かよ?」


 俺は絶句した。

 自然に見えて、誰も死ななかったということ。

 それは、俺が一年前、行ったことでもあった。

 山賊と自国民との戦いで、陰ながら助けたという事実。

 規模は圧倒的に違うが、あり得ることだと実証している。


 模倣したようで、怖気が走った。


 あのまま続けていれば、俺は聖神のように試練と称し、国民に無理を強いていたのだろうか。

 神の言う通り、力で抑えつける国を作っていたのだろうか。


「人間に試練を与える聖神は自然災害の際、滅亡するはずだった人間を自ら助けた。

 それはつまり、グリュシュナの人間に直接関わらず、且つ、試練から逸脱した出来事だったからじゃねぇか?

 自然には人間じゃ太刀打ちできねぇからな。

 そして同時に、だ。奴自身は直接、人間を滅ぼせないし、不自然に滅亡するようにはできない。

 だから、災害では助けた。現状を鑑みれば、そう考えられやしねぇか?」


 俺も考えてはいた。

 やはり、神は手ずから人類を滅ぼすことはできないのだ。

 その仮定は、ある程度の確信となって胸に去来した。


「だから一年もの間、人類は滅んでいない。

 ただ、人口は確実に減っているし、世界情勢は無茶苦茶だ。

 各地で戦争が起こっている。内外、問わずにな。

 ここまでの情報はおおまかに言えば、聖神は恐らくは不死身じゃない。人間の身体だからな。

 じゃなけりゃ、おまえを脅威とは思わない。

 だから、おまえを殺そうとしたって部分もあるんじゃねぇかな。失敗しているがな。

 それと、聖神は世界を自ら滅ぼさない。この二つだ。

 だけどよ、奴を殺さないとこの世界は滅ぶ。それは間違いねぇな。

 直接的に干渉できなくとも神託は送れるし、俺達が表立って動いて戦争を止めても、奴が殺しに来る。

 俺もおまえも見つかっていないという、今が絶好の時期だ。

 奴に見つかれば、もう終わりだからな」


 沼田は一人で情報を集めていたのだろう。

 淀みなく、饒舌に語る姿は、僅かに狂気じみていた。

 それでも。

 孤独に、戦おうと画策していたのだろう。

 俺は、安穏と暮らしていただけなのに。


「……倒せる算段があるのか?」

「一か八かの賭けだがよ、なくはねぇ。だがそれにはおまえの力が必要だ。

 だから探していた。一年、おまえをずっとな。

 テレホスフィアで呼びかけても反応ねぇしよ。

 死んだのかとも思ったこともあったけど、必ず生きているって信じてたぜ。

 おまえはしぶといからな。

 まさかハイアス和国の、こんなに近くに住んでいるとは思わなかったがよ」


 テレホスフィアはあの日、なくしてしまった。

 神の攻撃でどこかへ行ってしまったのか、それとも単純に壊れてしまったのか。

 あの日以来、ハイアス和国跡地には行っていない。


 沼田は俺を真っ直ぐに見据えていた。

 俺は沼田には何も言えずに、ふとニースを見た。


「ニースは、すぐ見つけたけど」

「にゃ? わたしは鼻が利くからにゃー」

「へっ、ネコネ族の知り合いでもいりゃ、すぐ見つけられたってか。

 だが、それももうどうでもいい。時間はどちらにしても必要だったからな。

 すぐに準備しろよ。神をぶっ殺す。そうすりゃ、王達も戻って来るからな」

「戻って……来る?」

「ああ。奴の記憶にまだ残っていた。ナディアの心が。だから、生きてる。

 辺見や結城も、多分な」

「生きて……いるのか……」


 生きていた。

 この一年、神の中で、朱夏達は生きていたのだろうか。

 俺が何もせず、ニースと平穏な生活を過ごしていたのに。

 助けるべきだ。

 助けなければならない。


 そう思う、のに。


 俺はその場から動けない。


「どうした? 神を殺しに行くぞ」


 沼田はギラリと光る双眸を俺に向ける。

 危うい程に、精神が摩耗している様子だった。

 簡単に言い放ったが、本当に理解しているのか。

 だが、沼田の常軌を逸した空気に、俺は忌避感を抱きつつも直感した。

 奴は、すべてを受け入れて、なおも神を殺そうとしている、と。

 沼田は何が目的なのか。

 聞くに、ナディアを、ケセルの王を助けたいようだった。

 なぜ。

 そこまで彼女に固執する理由はなんだ。

 だが、俺はその考えを否定した。

 なんて馬鹿な考えだ。

 俺も、莉依ちゃん達との付き合いは一年程度だった。

 沼田がナディアと共に過ごしただろう時間と変わらない。

 それでもここまで大事に思えているのだ。

 それでもここまで心を苛んだのだ。

 だが同時に、一年ほどの時間をニースと過ごした事実がある。

 その間、ずっと二人きりだった。

 特筆すべき出来事はなかった。

 だが、穏やかな日々で、俺の心を癒やしてくれた。

 ようやく、前向きになれたのだ。

 その時間が、今の俺にはかけがえのない時間だった。

 情けないと思う、身勝手だとも思う。


 けれど。

 この一年という間に、俺はニースを大切な存在だと思えるようになったのだ。

 もしも、俺が神殺しのために家を空け、そして死んだら。

 ニースを一人、残すことになる。

 二人きりで過ごした。

 それはつまり、俺もニースも他に親しい人がいないということだ。

 互いに寄り添った。

 互いに必要だと思った。

 今も、それは変わらない。

 明確に、生きてるニース。

 生きているが、神と同化している朱夏達。

 俺の命を懸け、間違いなく死ぬだろうとわかっていても、戦いを挑むべきか。

 それならば、世界が滅ぶまで、ニースと共に過ごすべきなのではないか。


 ……俺は、最低だ。

 もし、もしも、だ、莉依ちゃんを救えるのならば、迷わず行くだろうと思っている。

 天秤にかけている。

 ニースと朱夏達と、莉依ちゃんを。

 非道だと思う。

 けれど、どちらも助けることはできないのではないかと思った。

 どちらかを選ばなければ、どちらも救えないのならば。

 どちらも救えたとしても、その可能性は著しく低いのならば。

 俺は……。


「あ? おい、おまえ……まさか、行かないつもりか? おい、クサカベ。

 おまえ、前のおまえは、悩むような奴じゃなかっただろ?

 俺はおまえのことをよく知らねぇ。けどよ、これくらいはわかるぜ。

 おまえは、臆病風に吹かれるような奴じゃなかったはずだ。

 何を悩んでやがる? 怖いのか? 死ぬのが、怖くなっちまったのか?」


 沼田は、軽快な口調ではなかった。

 必死だった。

 剣呑とした所作で、俺に詰め寄った。

 沼田の、こんな態度を見たのは初めてだった。

 奴も、この一年で色々と変わったのだろう。

 俺は俯き、黙して返した。


「おまえの力が必要なんだよ! じゃねぇと、ナディアを救えねぇ!

 た、頼むぜ、おい、頼む、おまえがいねぇとあいつは殺せねぇ!」


 沼田は俺自身というよりは、俺の力を必要としてる。

 それはつまり、俺の能力ということだ。

 俺は……緩慢に沼田と視線を合わせた。

 苦虫を潰したような顔をし、歯噛みしながら答えた。


「俺のレベルは100だ」

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