第118話 凍った時を……

 どれくらいの時間が経ったのか。

 時間の感覚も麻痺して、ただ呆然と墓を見つめる。

 莉依ちゃんとの思い出、みんなとの思い出を噛みしめる。

 こんなこともあった、あんなこともあった。

 楽しかった、辛いこともあったけど、楽しかった。

 幸せだった。

 生きていると実感ができた。

 このために俺は生まれて来たのだと。

 みんなと幸せになるために、俺はこの場にいるのだと。

 そう勝手に思い込んでいた。

 けれど違っていたのだ。

 俺がいたから、みんな不幸になったのだから。

 みんな、死んでしまったの、だから。


 俺のせいだ。

 俺がいなければ。


 高台は自然の音しか生まれず、静かな場所だった。

 周辺に村はないためか、人通りもない。

 世界中で戦争は続いているのだろうか。

 神は、己の手で滅ぼすつもりはないのか。

 奴が本気になれば、すでに世界は崩壊しているはずだ。

 リーシュが言っていた、無数にあるこの世界の結末。

 戦争により人類は滅亡した。

 その未来を辿らせようとしているのだろうか。

 俺や、みんなを殺した。

 ハイアス和国を滅ぼした。

 それは、俺が深く関わった場所だったからなのかもしれない。

 俺の影響が深い場所だけは手ずから滅ぼしたのか。

 俺が死ねば、世界は正しく滅ぶ、そういうことなのか。


「……ど………いい……」


 どうでもいい。

 何もかも、どうでもいい。

 俺は心を喪失していた。

 五感が薄れ、生きているのかどうかもわからなくなり。

 ただ視覚だけを意識した。

 莉依ちゃん達の墓を見つめるだけが、俺の使命だった。


 何かが聞こえた。


 いつもと違う音だった。

 普段聞こえない音。

 近くの地面が継続的に音を生み出していた。

 それが近づくと、消えた。


「ク、クサカベ……こ、これは一体、どうしたのにゃ!?」


 聞き覚えのある声だった。

 だが、あまりに久しぶりで俺は何も思い出せない。

 誰かの声を聞くのも、その誰かの声を聞くのも懐かしい。

 そんな感覚の中、俺は微動だにしない。

 動く気力もなく、動ける体力もなかった。


「な、何があったのにゃ!? クサカベ!? ど、どうしたのにゃ!?

 こ、こんな、だ、大丈夫かにゃ!?」


 俺の目の前にそいつは顔を覗かせた。

 ああ、そうだ。

 覚えている。


「ニ…ス…………」


 亜人、ネコネ族の少女だ。

 彼女は人間の姿で俺の前に現れた。

 亜人である彼女は、亜人の姿で人目に触れたくはなかったのだろう。

 ニースの顔を見ても、心が動かなかった。

 ただ、少し、ほんの少しだけ。

 よかった、生きていたのか、と思った。

 それ以上、俺の頭は動けなかった。


「そ、そうだにゃ、ニースだにゃ! みんなはどうしたにゃ!?

 こ、このお墓は……まさか、みんなの……と、都市もなくなっていたにゃ!?」

「みんな……死んだ……こ、ろさ……れた」

「そ、そんにゃ……ほんと、に……」


 ニースはその場に座り込んだ。

 呆然とした。

 しばらく動かずにいた。

 そして脱力したまま墓を見渡すと、咽び泣いた。


「……みんな、死んじゃったのかにゃ……ババ様も、莉依にゃんも……。

 ううっ……どうしてにゃ、こんにゃの、ひどいにゃ……」


 ニースは俺の隣で泣き続けた。

 しばらく泣くと、やがて、力なく言った。


「ク、クサカべ……朱夏にゃんと八重にゃんは……途中で、いなくなったんだにゃ。

 だ、誰か、よくわからない奴に、連れて行かれて……し、知らないかにゃ?」

「朱夏……も、結城さん、も……死んだ」

「二人も……にゃ……し、死んだ……そんにゃ……。

 一体にゃにがあったのにゃ……クサカベ……ッ!」


 俺はニースの問いかけに答えようとしたが、口が動かなかった。

 何をするにも気力が必要なのだ。

 俺は、説明することさえできなくなっていた。

 心が、もうまともに稼働しない。

 活動を停止している。

 ただ生きているだけだった。

 俺の様子を見て、ニースがはっとした顔をした。


「い、いや、それより、君のことが先だにゃ! 怪我をしたのかにゃ!?

 ……こんなに、痩せ細って……食事はしてるのかにゃ……」


 俺は何も答えなかった。


「と、とにかく、こんなところにいたらダメだにゃ。ど、どこか家に」

「イヤ……だ。こ、こ……から、離れ……た、く……ない……」

「で、でも……寒いにゃ……わたしは大丈夫だけどにゃ……」


 寒い?

 言われて初めて、雪が積もっていることに気づいた。

 ああ、道理で。

 皮膚の感覚がないと思ったら。

 もう、どうでもいいことだ。

 何度も説得されたが、俺は動くことはなかった。

 ニースは頑なに動かない俺を前にし、移動させることは無理だと判断したようだった。

 鞄を下ろした後、離れて行ったと思ったら、枝を抱えて戻ってきた。

 雪が積もっていない場所に枝を置き、慣れた手さばきで火をつけた。


「ふー、ふー、にゃにゃ……湿気ているにゃ……うう、でもやるにゃ。

 やらないといけないにゃ。ふーふーっ」


 ニースは何度も火打ち石を使って、枝葉に火をつけようとしていた。

 俺はそれをぼーっと眺めただけだった。

 何もしない。

 手伝おうともしない。

 悪いと思う心もなかった。

 長い間、ニースは悪戦苦闘していたが、やがて着火したらしい。


「や、やったにゃ……こ、この火を消さないようにしないとにゃ」


 ほんの少しだけ温かさを感じた。

 気づけば辺りは闇夜に覆われ始めていた。

 そんな中、篝火だけが唯一の光源だった。

 俺とニースの身体を照らす光がそこにはあった。

 ニースは鞄から鍋や野菜と燻製肉、革袋を取り出した。

 革袋には水が入っていたようで、それを鍋に流す。

 何かの調味料と共に素材を煮込み続けると、香りが充満し始める。

 調理の香り。

 長らく感じていなかったにおいだった。

 ほんの少しだけ、ほんの一欠片だけ、俺の心を温めた。

 ニースは味見をして、頷いた。

 木製の椀にスープを入れると、木製のスプーンと共に差し出してきた。


「ほら、食べるにゃ。あったまるにゃ」

「…………いら、ない」

「ダメにゃ、食べないとダメにゃ。

 食事は大事にゃ。食べることで活力が満たされるのにゃ。

 食事をおざなりにしたり、おいしいものを食べなくなると、段々疲れて来るのにゃ。

 毎日、毎食おいしいと思えるものを食べることは、人が生きる上で大切なことにゃ。

 ちょっとした小さな幸せを積み重ねることが、生きるということなのにゃ。

 だから、食べるにゃ。食べないにゃら、無理にでも食べさせるにゃ」


 ニースは強引に、んっ! と椀を渡してきた。

 顔をそむけても正面に碗を持ってきた。

 しつこい。

 これは拒否してもずっと続くのではないだろうか。

 そう思った俺は仕方なく受け取った。

 スープの湯気が顔にかかる。

 同時に肉と野菜の嗅ぎなれた香りが漂ってきた。

 それでも俺の食欲をそそりはしない。

 俺はただスープを見つめるだけだったが、ニースが睨んでくるため、仕方なく手を動かした。

 スープを掬い、ゆっくりと口元に寄せた。

 ズズッと一口、咀嚼する。

 久しぶりに食事をしたためか、胃袋が驚いた。

 だが咳き込むことはなかった。

 絶食を長期間続けた場合、何かしらの弊害があるだろうが、俺には然程なかった。

 そう言えば、転移したばかりの時、食事をしただけで死んだことがあった。

 あの経験から、胃袋が鍛えられていたりするのだろうか。


「どうにゃ?」


 ニースが困ったような顔をして問いかける。

 そんな顔をされては、何も言わずにはいられない。

 俺は率直な感想を言った。


「……う、まいよ……」

「そ、そっか。よかったにゃ。ささ、全部食べるにゃ、残したらダメにゃ」


 全部食べないと何か言われそうだ。

 仕方なく、俺は食事を続けた。

 口の中、喉、胃袋がどんどん温まっていく。

 旨味を感じ始め、舌が滑らかに動いた。

 何度も喉を鳴らし、味を噛みしめる。

 ほんの少しの幸せを感じ。

 目の前にいるニースが俺を心配そうに見つめている。


 その瞳を見つめてしまった。


 俺は。


 それだけ。


 それだけで。


 せき止めていた感情が溢れだした。


「ううっ……うっ、うあ、ああ、あああああ、あああああっ!

 あああああああああっ!! みんな、みんな、朱夏、結城さんも、ババ様も!

 みんな、みんな……うああああ……あ、ああ……り、莉依ちゃん!

 うううっ、ああ……ううっ、うううううっ、ぐぅ……」


 泣いた。

 泣き続けた。

 もう枯れたと思っていた涙は、止めどなく溢れた。

 隣にいたニースも俺と一緒に泣いた。

 泣いて。

 泣き続けて。

 悲しくて、辛くて。

 許せなくて。叫んだ。


「泣いていいんだにゃ……泣いていい……それが当然なんだからにゃ……」


 抱きしめられ、久しぶり感じる誰かの体温に、俺の心は氷解する。

 凍っていた心は鼓動を始めてしまう。


 止まらない。

 止められない。


 慟哭し、赤子のように泣き続けた。

 そして、そのまま、俺はいつの間にか眠ってしまった。

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