第101話 東西同盟2

「――お断りしますわ」


 ナディア王の笑顔と行動、それに対する返答が伴っていない。

 誰もが、同盟に賛同してくれると思ったに違いない。

 驚きの声を発した人数は少なくなかった。


「理由を聞いても?」


 俺の返答を予想していたのだろう、ナディアが一瞥すると沼田は懐から書簡を取り出した。それは俺が沼田に手渡したものだ。

 封蝋はすでに切られている。

 ナディアは、沼田に渡された書簡を開き、中に目を通した。


「率直に申し上げると、同盟という発想には驚かされました。

 同時に感心もしましたわ。ケセルにとって利が多いとも。

 ですが」


 ナディアは深い溜息を洩らした。その所作は妙に演技がかっていた。


「ですが、この条文は頂けません」


 だろうな、と思った。

 彼女の反応は想定してはいた。

 実際、ナディアの考えは理解できた。


「条文一から見て、条文十三まではいいでしょう。互いに利害は一致していますわ。

 エシュト以外の他国への侵攻の際に、協力関係を築くことを義務としないという条文も受け入れます。

 例え小国でも、自国だけを攻撃しない存在は重要ですからね。

 特にエシュトとの戦争の際、共同戦線を構築する、という部分には強く賛同しますわ。

 その後、エシュト皇国に勝利した後、多くの利益を望まないという姿勢も好印象ですわ。

 基本的な国交は利益を優先とした内容とし、互いに補う交易を行う。

 問題はその後の条文です。

 『一定期間、ケセル王国から5000から10000の兵を派遣する。

 その際の物資はケセル王国が負担する。

 その代わり、都市発展に伴い、ケセル王国に物資や技術の提供、好条件の交易を行う。

 その期間は互いの合意によって決まる』とあります。

 これは些か身勝手な内容かと思いますわ」


 ナディアが長く息を吐いた。

 その間に、ハミル達の戸惑いは深くなる。


「……俺は別に問題ないと思うんだけどよ、王は気に入らないみたいなんだわ」


 沼田がフォローを入れる。


「問題しかありません。いいですの? この条文だけ他の条文と違うんですの。

 わかりません? わかりませんの?」


 ナディアが沼田に詰め寄るが、沼田は困ったように顔を顰めるだけだ。

 ハミルを筆頭としたハイアスの人間も困惑している。

 回答が浮かんでいないということだ。

 その反応を見て、ナディアは嘆息した。

 ハイアス国の人間は敢えてそういう条文にしたわけではなく、本当に気づかずに条件として掲げたのだ、と思ったに違いない。

 そんな空気の中、俺は呟くように言った。


「不確実性、か」


 僅かに驚いた表情を浮かべたナディアは俺を真っ直ぐ見た。


「はい、その通りですわ。

 この条文だけ事が起こった後、何の保険もなく、ハイアス和国が一方的に利を得るような内容になっています。

 最初にこちらから兵を派遣しなければならないですし、その上、物資もこちら持ち。

 その後の対価も都市発展に伴いとありますし、保障はないのですわ。

 しかも、同盟に対しての強制力は一切ない。

 つまり、あなた達が都合のいい状況で一方的に同盟を破棄する可能性もあります。

 これはかなり不躾だと思いますわ。

 ケセルでなければ怒りのあまり、国交断絶されるかもしれないほどに。

 元々、聖神教を排除したハイアス和国に対しての心証はよくありませんし」

「仰る通りで、ぐうの音も出ないな」


 内心ではどうかはわからないが、少なくともナディアの表情は穏やかだ。

 仮に、同じような書簡を他国に送れば直後に侵攻されてもおかしくなかったかもしれない。

 敢えての指摘、そして自らの訪問を鑑みれば、やはり彼女は同盟に前向きなのだ。

 ……この状況はまずいな。

 俺達の反応を見て、ナディアは再びニコリと笑う。

 俺はその表情に怖気を抱いた。


「『ですが』、こちらの要望通りに条文を変えて頂ければ考えなくもありません。

 そうですね、こちらの条文、兵の派遣をするという部分は排除してください」

「そ、それでは一方的にそちらへ有利な内容に」


 ハミルが慌てて口を開いたが、後の祭りだ。

 調印前の協議なのだ。

 そこに総合事務局長とはいえ、自国内でしか地位を確立していない人物が発言してはならない。

 この同盟が自国の生命線だった。

 だから、普段は冷静なハミルも焦ってしまったのだ。

 しかし失言に違いなかった。


「おや、今、こちらを貶める発言が聞こえましたね。

 不敬以外の何者でもありませんが、それはわたくしに言ったのですよね?」


 また先手を取られた。

 すでに舌戦は始まっていたのだ。

 綻びを探して、自分達に有利な方向に持っていく手法は交渉として基本。

 どうやらハミルはこういう場の経験はないようだ。

 彼はどちらかと言えば裏方だし、強行的な方法をとる傾向にある。

 相手が格上の状況はあまりなかったのかもしれない。

 さて、どうするか。

 ……選択肢は、ないか。

 俺は鷹揚に頷く。


「わかった、いいだろう」

「わ、和王!?」


 室内がざわついた。

 ほんの少しだけの雑音だったが、静寂な室内では目立つ。

 俺がゆっくりと手を上げると同時に喧噪が止んだ。


「その条文に関してはそちらの要望通りの内容に変更しよう」


 ナディアは薄く目を開く。

 その瞳は鈍く光っているように見えた。

 邪気そのもののように妖しく。


「それは賢明ですわ。それと、そちらの開発したテレホスフィアの設計図。

 それに加えて、他国への侵攻の際に、ケセルの指示に従い動くこと。

 あと一つ、担保としてそちらの方を保護させて頂きたいのですわ」


 ナディアが示した先には莉依ちゃんが立っている。

 莉依ちゃんは驚愕のままに目を見開き、周囲をきょろきょろと見回していた。

 あまりの態度にハミルを初めとしたほとんどの人間が唖然としている。

 その中で、一人、ディッツだけが怒りのままに全身を赤く染め激昂した。


「幾らなんでも調子に乗り過ぎだろうが!」


 ディッツの咆哮に竦むでもなく、ナディアは冷めた視線を向けるだけだった。


「あなたは経緯を見ていなかったのですか?

 それともすぐに忘れてしまう鳥頭なのかしら。

 あなた達の行動で立場が悪くなるのは王ですよ?」


 ディッツは何か言葉を続けようとしていたが、ぐっと堪えた。

 あー、あいつ結構正義感強いからな。

 こういう理不尽な状況は納得いかないだろう。

 沼田は嘆息していたが、何か言うつもりはないらしい。


「なぜ、彼女を?」

「なぜ? 彼女はあなたにとって最も大切な人であると聞いていますのよ。

 王の最愛の人を手元に置けるのであれば、同盟も信用できますものね。

 間違っていますの?」

「いや、正しいな」


 俺が即答すると、莉依ちゃんは複雑そうにしながらも俯いてしまった。

 耳元も首元も赤いのでどういう顔をしているのかは想像できる。


「しかしその提案を飲むとでも?

 大事な人であるからこそ簡単に渡せるはずがない。

 それに他の条件も一方的過ぎるな」

「そうでしょうか? そちらは国とは言えない体制ですし規模も小さい、人も少ない。

 ですのに大国のケセルと同盟を結べる。それだけで大きな利益を得られるのではなくて?

 こちらは同盟を破棄し、エシュト皇国がそちらへ侵攻した場合、敢えて手を出さないという行動もとれますわ。

 それをしない、というだけでも大きな利点ではありませんこと?」

「だが兵を派遣して貰えないのならば、現状でのメリットはそれくらいしかない。

 違うか?」

「違いますわね」


 即答された。彼女に動揺は微塵もない。

 彼女の方が何もかも一枚上手のようだだ。

 俺は冷静に分析し、そして冷静に結論を出した。

 このままでは不利益な同盟を組まなければならなくなる、と。


「わたくしがなぜ、沼田と二人だけでこちらへ訪れたと思いますか?」

「……さてな」

「仮に、そう、今すぐ、そちらの国民を皆殺しにしようとすれば、あなたは回避できると思いますの?」


 この娘、予想以上に胆力がある。

 同盟という発想に驚嘆したと言っていたが、彼女の考えの方が恐ろしく、効果的だ。


「な、何を」


 一国の王がこんな発言をするとは誰も想像していなかったのだろう。

 ハミルは動揺のあまり声を震わせている。


「何をと申しましても、そのために二人で訪れたのだと言っているのですわ。

 考えてもごらんなさい。もし、この話し合いをケセルの領地で行った場合、そちらの王が本気になれば力づくで調印させられるかもしれません。

 なにせ、他国の国民の生死を気にする必要はありませんからね。

 実際、和王はオーガスの兵、数百を一瞬で葬ったと聞きます。

 その驚異的な戦闘力を無視することはできません」

「なるほど、だから事前連絡もなく、自ら訪問した、と」


 対策を打たれないように。


「ええ。そして先ほどの言葉通り、条件を飲まないのであれば国民を殺します」


 彼女は笑顔のままだった。


「……もしこの場でおまえ達を処刑する、となったら?」

「皆を道連れにしますわ。王となった時より、この命は惜しくありませんの。

 幸いにも『わたくしは擁立されて、まだ日が浅い』ので、わたくしが倒れても問題はありません。

 おわかり? わたくしのような幼子が王となり、この場に来られた理由が」


 ケセル内部では複雑な政情があるらしい。

 実情はわからないが、少なくとも『統治者の王と異世界人のたった二人で他国に踏み込んだことは事実』なのだ。

 ならば彼女の言動もまたただのハッタリではあるまい。

 ハミルは彼女が王であることは知っていた。

 偽物である可能性はゼロではないが、彼女が影武者ではないことは全員が理解している。

 ナディアには、絶対的な自信がうかがえた。

 逆説的に言えば、彼女がここまでする価値があった、とも考えられる。

 一応は……ハイアス和国との同盟はケセルにとって意味のあることだったということだ。

 しかしそこまでするものか?

 どんな事情であれ、国王が自らの命を懸けて行動を起こすということは余程のことがなければしないはずだ。

 では、それほどの行動をしているということは……?

 今は、勘ぐっている余裕はない、か。


 ナディアの言動と態度は狂気的だったが、俺の心は冷えるばかりだった。

 他の人間は動揺し、狼狽え、どうするべきかと思案している。

 あるいは怒りを抱き、今すぐにでもナディアを捕縛でもしようと思っているだろう。

 だがそのどちらも悪手だ。

 沼田の戦闘力を見れば、俺か莉依ちゃんしか対抗できない。

 仮にここで戦えば周囲を巻き込むし、何より、ドラゴンは広場に留まっている。

 沼田の指示があれば、ドラゴンは国民を虐殺するだろう。

 瞬時に二人とドラゴンを始末することは可能かもしれない。

 だが、国民の数十、いや百以上の人間が死ぬだろう。

 もっと温和な状況になると甘く見ていた。

 まさかここまで殺伐とした状況になるとは。

 状況とは裏腹に、俺は高揚している。

 見た目とは違い、中々に腹黒な王のようだ。

 そして肚が座っている。

 そうでなくてはならない。

 純粋で素直な王には国を統治できないのだから。

 ナディアの双眸には何か不思議な感情が滲んでいるように見えた。

 そこには問うような色が浮かんでいる。

 こんな状況だ、おまえはどんな判断をするのか、と。

 俺は大きく嘆息し、そして言った。


「まさか、こんな方法をとるなんてな」

「驚いたのかしら?」

「いや、呆れたよ。あまりに無策でね」


 俺は蔑むような視線を二人に送った。

 沼田は眉をピクリと動かすだけだったが、明らかにナディアは苛立ちを覚えている様子だった。

 表情は笑顔のままだったが、頬が一瞬だけ釣り上がった。


「それはどういう意味ですの?」

「そのままの意味だ。沼田から俺のことを聞いたんだろう?

 それでもこんな方法をとるってことは浅慮だって言っているんだ。

 いいか? 俺は一万以上の兵を殺せる。

 単体で、だ。それがどういうことかわかるか?

 俺一人で都市に侵入したら誰も俺を殺せないってことだ。

 そしてどれだけの数が押し寄せようとも、同時に戦う人数は限られる。

 つまり、だ。状況によっては数万の兵も殺せるってことだ。

 その俺が、なぜここに留まっているか考えたか?

 単身他国に忍び込んで統治者を殺せば終わりなのに、だ」


 話が進む毎に、ナディアの顔色が変わる。

 はっとした表情と共に、顔を青ざめさせたのだ。

 こんな単純なことに気づかなかったのは、恐らくは自惚れ。

 それに加えて欲を出し過ぎたわけだ。

 俺を、ハイアス和国を舐めてかかったという証拠だ。


「おまえ達が自国民を殺せば、俺には守るものがなくなる。

 残った少人数なら移動は可能だ。そうなれば、自由に動ける。

 他国を滅ぼせる。ケセルもな。容赦はしない。

 俺が今まで何を成したか知っているだろう?

 脅すなら相手を選ぶべきだったな」


 静寂が訪れた。

 完全な無音の中、外で鳥の鳴き声と子供の声が聞こえる。

 しばしの間隔が開き、俺は再び言葉を紡ぐ。


「じゃあ、話の続きだ。ケセルの兵は派遣しなくていい。

 『元々、そのつもりだったからな』。

 亜人との軋轢や物資の問題から確実に破たんすると考えていたし」

「で、ではなぜ、こんな条文を」

「試したのはお互い様ってわけだ」


 俺がニッと笑うと、ナディアは驚きに目を見開く。

 そして数秒の後に、ふっと笑った。


「なるほど、結果、あなたの方が一枚上手だったということですか」

「そうでもないさ。俺のはただの力技だからな」

「……同盟に賛同しますわ。あなたを敵に回したくはないですし」


 心機を一転したようだ。この僅かな時間でこの変わりよう。

 業腹な心境であったのは間違いないのに、すぐに頭を入れ替えたのだ。

 食えない王だ。

 だが、その聡明さに俺は素直に賞賛を送る。


「ありがたい。慧眼の持ち主で助かった」


 俺達はようやく気を抜いた。

 同時に肩が上下し、表情も落ち着いたので思わず吹き出してしまう。

 その瞬間のナディアは年相応に見えた。

 自国の人間はまだなにが起こっているのかわかっていない様子だった。

 莉依ちゃんは、ちょっと安堵しながらもなぜかちょっとふくれっ面だった。


「面倒くせぇ奴らだな……最初から素直にやればいいだろうよ」


 そう呟いた沼田に、俺は賛同したい気分ではあった。 

 だがそうもいかない。

 王となれば簡単に相手を信用できないし、見定めることが必要になる。

 この時間でナディアは俺に信頼と恐怖を抱いただろうし、その感情は今後、重要になる。

 彼女が裏切る可能性は低くなったはずだ。

 そして彼女も、俺達が裏切る可能性もまた低くなったと考えているはずだ。

 手の内を明かすこと、感情を見せること、その時間を作ったと考えれば安いものだ。

 微妙な空気の中、俺とナディアの間だけ温和な空気が流れた。

 その時から確かに双方に僅かな絆は生まれていた。

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