第100話 東西同盟1

 必死に羽ペンを走らせる。

 羊皮紙には文字の羅列。

 統治者の仕事は、下から上がってきた要望書や報告書に可否の印を押すだけじゃない。

 王にしかできない仕事は多数ある。

 例えば各局で算出される数値の変更。

 収入がないため支出しかないが、過剰な数字の動きがあれば俺が変更しないといけない。

 当然、各局の担当者が確認してはいる。

 それに部下が見られない部分はハミルが見ているはずだ。

 だが、それだけでも気づけない部分はある。

 それに下の者の勝手な判断で内容を変えるにも限界があるようにしている。

 現状、俺の手が回る範囲内では、確認するようにしているためである。

 何より俺の展望のすべては誰にも話していない。

 単純にどこから漏れるかわからないからだ。

 必要に応じてハミルに施策を伝え、実行する方式をとっている。

 だから、現状行われている国政以外には慎重に実行時期を見計らわなければならない。

 さて。

 俺は手を止めて、背筋を伸ばした。

 最初に比べて仕事量は減っている。

 確認事項も少なくなり、部下に仕事を割り振るようになったからだ。

 机上では簡単だが実際やらなくてはわからないこともある。

 どの地位の人間にどこまで任せるのか、というのは存外難しい。

 建国から三週間程度経過し、すでに一先ずのサイクルは出来た、という感じか。

 俺は窓から外を見て、リラックスしようとした。

 コンコンと聞こえてしまったが、無視しようとした。

 だが、相手は構わず扉を開けてしまう。


「失礼します」

「入れって言ってないんだけど」

「毎回許可を頂けば、業務が滞りますので」


 ハミルめ、最初とは態度が全然違うじゃないか。

 まるで小姑。

 これでは気の休まる時間がない。

 ……また脱走しようか。


「王、国民に王が脱走した際、即座に通報するように伝えてありますので。

 逃げても無駄ですよ」


 ちいいいっ!

 なんて手際のいい!

 俺は内心で焦燥感を抱いていたが、表面上は平静を保つ。

 感情的になってはいけない。

 小物っぽく見られてしまうからな。


「逃げないよ」

「そうですか、それならいいですが、それなら」


 乾いた笑みを浮かべるハミルだった。

 俺も乾いた笑みを浮かべた。

 ははは、と奇妙な笑い声が響いた。

 互いに牽制している。

 甘いな、ハミル、俺はないつでもどこでも逃げることができるんだよ。

 そろそろ目の前からでも逃げてやろうと考えた矢先だった。

 ハミルは大きく嘆息した。


「和王、どうやらもうすぐ沼田殿が自国へ到着する模様です」


 俺はピクッと耳を動かす。


「ついに来たか」

「ええ。

 それでお伝えに参ったのですが、どうやら王は仕事を放棄しようとしているご様子。

 これではケセルに申し訳が立ちませんね。どうしたものでしょうか」

「い、行くから、わかってるから」

「そうして頂けると我々も助かりますね。国民に示しがつきませんので」


 おお、これは中々にお冠なご様子。

 しばらく脱走は控えた方がいいかもしれない。

 だって、しんどいんだもの……。


「じゃあ、出迎えるか」

「王自らですか?」

「こっちの立場は下だからな。

 一応の親善大使様に対しての礼節は弁えないといけないだろ」


 ハミルは僅かに悩んでいた様子だったが、小さく頷いた。


「状況的に、その方がいいかもしれませんね」

「見栄を張っても、張りぼてじゃ意味がない。

 しかも見え見えだと滑稽だ。多少はフランクな方がいいだろ」


 国家の当主がへりくだれば、国自体が下に見られるが、実際俺達は弱小国だ。

 同盟は俺達から申し出たわけだし、頼む立場でもある。

 過剰にへこへこするつもりはないが、多少の礼節は必要だろう。

 俺はハミルと共に執務室を出た。

 廊下には総合事務局の副局長達、上位階級の連中が並んでいた。

 体裁を保つため、警備局長のディッツや警備局員が数人いる。

 さらに医療局長の莉依ちゃんもいた。

 心配して参加したのだろうか。

 本来、彼女は畑違いのため、参加の必要はないが、局長のためその権限はある。

 俺はディッツと莉依ちゃんに頷くと、倣って頷き返してくれた。


「行くか」

「はっ」


 ハミルに先導され、俺は総合事務局を出る。

 後方には他の連中が続いている。

 十数人程度だ。

 かなり少ないが総合人口を考えると、多い方だ。というかこれが限界だ。

 出迎えにしては豪華だが、大したもてなしはできない。

 一応、料理や部屋の手配はしているはずだが、どうだろうか。

 毎日の食事も節約しているし種類は少ない。

 専門的な調理師も今はいないので豪華とは言えない。

 まあ、相手は沼田だし、最低限のもてなしで構わないと思うが。

 都市内だと中央広場にしかドラゴンの着陸場所はない。

 そのため俺達はそこで沼田の到着を待った。

 しばらく待つと、羽音が響き始める。


「来たか」


 徐々に影が空に浮かび、やがて広場の真上に到達。

 そのままゆっくりと下降した。

 風圧により、他の連中は体勢を低くしていたが、俺は仁王立ちしたまま時を待つ。

 ドラゴンが地上に降り立つと、やがて風は途絶えた。


「よう、待たせたな」


 竜の背中から聞こえた声に、俺は顔を上げる。

 沼田が飛び降り、地面に着地する。

 服装が前と違う。

 ややひらひらした布地で正装のようだが絶望的に似合っていない。

 手には何も握られていないようだ。


「おい」


 沼田は竜の背中に向けて言った。

 顔を出した人物は戸惑いながら飛び降りる。

 沼田がその人物を両手で受け止めると、慎重に地面に降ろしてあげていた。

 にわかにざわついた。

 その少女はまだ幼い。

 恐らくは12、3歳程度。

 澄んだブルーの瞳と斑のない綺麗な金色の頭髪。

 整い過ぎた顔立ちに華奢な体躯。その上、豪奢なドレスを身に纏っているためどういう人物なのか知らずとも理解させられた。

 俺はほんの僅かに戸惑っていると、ハミルが耳打ちする。


「ケセルの王です、和王」

「……そうか」


 やはりという思いはあったが、理性が疑念を浮かばせる。

 こんな少女が統治者なのか?

 いや、見た目や年齢は関係ない。

 それほどに優秀であるか、それとも世襲制なのか。

 恐らくは後者だろう。地球の歴史的に見ても幼王の存在は確かにあった。

 ならば驚くことはないのだろう。

 名称が王女や姫でない理由はよくわからないが。

 俺は平静を保ち頭を垂れた。


「ハイアス和国へご足労頂き感謝する。ケセルの王。

 俺はハイアス和国王、日下部虎次だ」


 王と同列に沼田の名前は出せない。

 俺の動作に倣い、和国の民、全員が頭を下げる。

 短い一礼の後、俺はケセルの王を見た。

 彼女は微笑を浮かべつつ、スカートの端をつまみ一礼をした。


「私はケセルの王、ナディア・フォン・ケセルですわ。以後、お見知りおきを」


 それは『貴族の幼き娘が行う礼』だ。

 国王がするには些か威厳に欠けた。

 だが彼女のその所作には違和感が微塵もない。


「まず突然の訪問という非礼に対して謝辞を致しますわ。

 加えて簡略的な作法をお許しください。

 わたくしは幼き王。若輩故に王の真似事を敢えて避けておりますの。

 淀みなき瞳により薫陶を賜りたく思いますわ」

「ご厚情痛み入る。俺は王としては未熟。

 不作法な点もあるかと思うが最大限の礼節を以ってもてなそう。

 では中へ。実りある時間になることを願っている」

「ええ、同感ですわ」


 ハミルの先導でナディアと沼田を総合事務局の会議室へ向かった。

 俺は沼田を一瞥する。

 非難の視線を向けたが、沼田はどこ吹く風といった感じだった。

 肩を竦められたので、どうやら沼田自身が謀ったことではないようではあった。

 ……まさか同盟の返答よりも前に、国王自身がやってくるとは思わなかった。

 そのため俺以外のハミルや事務局員、警備局員達も緊張している。

 彼女が幼い容姿をしていようと、醸し出す空気が統治者であると主張している。

 それほどに圧倒的な空気感を纏っている。

 触れてはいけないような、厳粛さを感じさせる。

 そんな存在だった。

 会議室に通ると、そこには円卓がある。

 俺とケセルの王は対面になるように座った。

 ほぼ同時に、俺とナディアと沼田の前に最高級の紅茶と菓子が運ばれる。

 俺の背後にはハミルが立っている。それ以外の連中は扉横、壁の端に直立している。

 ケセルの人間は二人だけ。

 護衛は沼田だけというわけだ。

 間違いなく信頼、じゃないな。

 ……中々に、舐められているな俺達は。

 それとも……いや、そこまで考えはしないだろう。


「早速だが本題に入らせてもらう。

 我が国からの同盟提案文書は沼田殿から受けとり、目を通して頂いたかと思うが」


 ナディアは綺麗にニコッと笑った。

 大概の人間はその笑顔に心を奪われるかもしれない、そう思うほどに魅力的だった。

 その証拠に、一部の人間が魅入られてしまっている。

 だが俺は、彼女のその表情に演技のような嘘くささを感じた。

 この歳で統治者となるだけの人物だ。

 一筋縄ではいかないはず。

 そう思った時、ナディアは鈴の音のような声を発した。


「お断りしますわ」

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