第90話 神殺しへの系譜と異世界への変革

 吟味室には簡易的な椅子が幾つかあるだけだった。

 そこには誰もいない。

 どうやらここは名前通り、客と奴隷を会わせる場所のようだ。

 扉を更に通ると、牢が幾つも並んでいる。

 ここに住んでいるらしく、亜人達が牢屋の中に座っている。

 牢に囚われていたが、今は人間達から身を守るために自ら牢に入っている。

 ……皮肉だな。

 亜人達は俺達の姿を見ると、警戒し距離をとった。

 同時にカンツに向かい責めるような視線を送っている。

 俺達の存在が、カンツの立場を悪くしないといいが。


「こっちだ」


 カンツは更に廊下を進む。

 牢屋は十程度ある。かなり多いが部屋自体は広くはない。

 一つに五、六人が入っている。

 ライコ族以外も様々な亜人達がいるようだが、今は気にしない方がいいだろう。

 最奥の牢屋に到着した。

 そこには二人だけが入っている。

 一人は若い亜人の女性。 

 ネコネ族やライコ族に比べると人間に近いが鼻頭が黒い。

 耳は長く垂れ下がっている。

 部分的に毛が生えており、尻尾も生えている。

 イヌット族らしい。名前の通り、犬に近い容姿だ。

 もう一人は、同じくイヌット族の少年だった。

 彼は若く、恐らく女性よりも四、五歳ほど年下だろう。

 弟、だろうか。

 彼の首は目を覆いたくなる程に肌が焼け爛れている。

 小規模の爆発が起こったような感じに見えた。

 それなのに首輪は健在だ。

 奴隷の首輪は亜人に使うことが多い。

 亜人は人間に比べて頑強だ。

 首輪の効果が発動しても一度では死なないこともあったらしい。

 そこで何度も発動するように改良を重ねた。

 但し、複数回の発動を可能にしたため、一度の効力が弱まったのだ。

 彼にとっては不幸中の幸いだっただろうが、瀕死には変わりがない。

 視線を俺達に移したイヌット族の女性は、恐怖に表情を変えた。


「な、なんで人間がいるの!?」


 少年を守るように抱いたまま、身震いしている。


「安心しろ、こいつらは何もしない。件の王だ」

「王……? ハイアス、って国になったって聞いたけど、ここの王なの?」

「そうだ。俺達は危害を加えるために来たわけじゃない。

 その子を助けに来たんだ。信じられないかもしれないけど」


 イヌット族の少女は訝しげにしながらも、俺達、特にババ様を見る。

 そして、何度か鼻を動かすと、ゆっくりと少年を床に寝かせた。


「ネコネ族は人を見ることに長けているの。

 それに、あなた達はとてもイヤな臭いがするけど、とても良い匂いもするの。

 とりあえずは信じるの。でも何かしたら許さないの!」

「わかってるよ、ありがとう」


 ライコ族とは違い、好戦的ではないらしい。

 だが、ネコネ族までとは言わないが、温和な印象が強い。

 彼女がそうなのか、イヌット族自体がそうなのかまでは俺にはわからなかった。

 莉依ちゃんは少年の近くに座り込む。

 少女はハラハラしながら動向を見守っていた。

 少年は息を荒げ、今にも死んでしまいそうだった。

 莉依ちゃんは手をかざし、スキルを発動する。

 ファーストエイド。

 対象の再生能力を向上させるスキルだ。

 俺の腕も一度切断されたが、彼女のスキルで再生したこともある。 

 かなり強力な能力だ。

 少年の傷もみるみる内に癒え、完治した。

 苦しげな表情も安らぎ、やがて穏やかな寝息が訪れる。


「これで、大丈夫です。よかった、何とか間に合って」


 言葉から少年は死の瀬戸際だったことがわかる。

 わざわざ正面から入らず、無理やり癒やすこともできたが、それでは被害が広がる可能性があった。

 そのため、正攻法で代表であるカンツに許可を貰う必要があったのだ。

 他の亜人は不満を持ちながらも代表者がいるのであれば、納得せざるを得ないからだ。

 それから俺達の姿勢を見せればいい。

 そういう算段だったが、上手くいってよかった。

 不安が一気に解消されたためか、彼女は泣きながら、少年に近寄り抱きしめた。


「な、治った、治ったの?」

「ええ、もう大丈夫です。しばらくすれば目を覚ましますよ」


 子供でも莉依ちゃんの言葉は強く安心感を与える力がある。

 莉依ちゃんの言葉に、イヌット族の少女は泣きじゃくりながら、少年を強く抱いた。

 彼女にとって彼がどれほど大切なのか、俺にも伝わってきた。


「……本当に、治すとは」

「そのために来たって言っただろ」

「そ、それはそうだが。あり……いや、今はやめておこう」


 カンツは何かを言いかけて周囲を見回した。

 他の亜人達が俺達の動向を気にして集まっていたのだ。

 彼等は莉依ちゃんが少年を癒やしたことに気づき、互いに何かを話している。

 そして何を思ったか、カンツは少し大きめの声量で話し始めた。


「こいつはこの国の王、クサカベだ。ジッタの傷を癒やすために来た。

 それと、首輪を取り除いてもくれる。俺の首輪もなくなった」


 カンツは事実だけを口にした。

 彼の感情はそこにはなかったが、だからこそ亜人達はすぐに受け入れられたようだ。

 亜人達は不安そうにしていたが、カンツやジッタと呼ばれた少年を見て、俺に首輪を取り除くように頼んできた。

 俺は快く頷いた。

 恐々と、あるいは居丈高に頼む人達。

 遠くから眺めているだけだったが、多くの亜人達の首輪が外された現実を見て自分も、と頼んでくる人達。

 亜人達の中には傷を負っている人もいたので、莉依ちゃんが治した。

 奴隷になるまで、あるいはなってからも色々あるんだろう。

 ……あまり考えたくはない。

 俺は全員の首輪を壊した。

 そしてやがて、亜人達への対応が終わる。

 表情は様々だが、全員に共通して言えるのは、どこか晴れ晴れとしているということだった。

 ババ様には多少重労働だが、ネコネ族が持って来た、食料の配給をお願いした。

 こうなることを想定し、道すがら頼んでいたのだ。

 人間に手渡しされるのは抵抗があるだろう、と思ったからだ。

 実際、それは正しく、亜人達はババ様から受け取った食料を無心で貪っていた。

 気づくのが遅れていたとはいえ、彼等には酷い仕打ちをしてしまった。

 そして、俺は人間と亜人との軋轢を改めて理解した。


「それじゃ、私は戻りますね」

「ああ、ありがとう、莉依ちゃん」


 莉依ちゃんは仕事を終え、先に医療局となる宿へ向かった。

 彼女もこれから忙しくなる。

 ハイアス和国に残っている老人や病人は少なくない。

 数が増えればより忙しくなる。

 病気に対してスキルは効果を発しないが、傷や体力回復には貢献できるはずだ。

 俺は小さくも頼もしい背中を見送った。


「……クサカベ、こっちに来てくれ」

「ああ、わかった」


 カンツに言われて、俺は吟味室に戻った。

 ババ様や他のネコネ族は食料、衣服の配給にてんてこ舞いだったのだ。

 最初に比べると楽しげな雰囲気が充満している。

 豊富な食料や清潔な衣服、別室で身体を水で拭いたこと、それに首輪が外れたことと、ジッタが完治したこと。

 それらのおかげで気力が多少は回復したらしい。

 だが、それは俺達人間に対しての認識を改めたということではない。

 カンツは腰に手を当て、思い悩んでいた。


「まずは礼を言おう。おまえ達のおかげで助かった。ありがとう」

「いや、王として当然のことだ。むしろこれまでしなかったことがおかしいんだ。

 すまなかった」

「いい、謝罪はもういい。先ほども言ったが、おまえの責務ではない。

 今、ここにいるだけで、おまえへの猜疑心はなくなった。

 だが……信頼しているわけではない。

 仲間達も今は、喜びで人間への憎悪を薄れさせてはいるが、すぐに思い出す。

 『ここに残っているのは全員が奴隷に落ちてから長い亜人ばかり』だからだ。

 その分、人間への怒りや憎しみは強い。私も例外ではない。

 立場上、冷静に話しているが、今も虫唾が走っている。

 貴様がどうというわけではない。人間そのものに対して嫌悪があるのだ。

 この染みついた感覚はそう簡単には拭えない。それでも私はまだマシな方だ」

「わかってる。俺もこんなことで今までの関係がすぐ変わるとは思わない。

 だが、知っておいてほしい。この国は、この世界の他国とは違う。

 亜人と人間との共存を本気で目指しているからだ」

「……その言葉は信じよう。

 おまえには恩がある。だが返さない。それはおまえの義務だからだ。

 王であるおまえは、亜人である俺達を国民として迎える。そう考えていいのか?」

「ああ、そう考えて欲しい。これは一時的なことじゃない。

 国是だ。覆ることはない。今後はこの国での奴隷制度はなくす。

 当然、亜人への差別もなくしていく。根絶はできないだろう。

 けれど、なくす努力は決して怠らない」


 カンツは眉根を寄せ、沈黙した。

 俺には亜人達の気持ちはわからない。

 想像しても、辛いだろうという程度の感想しか抱けない。

 人間同士でも他人の心情なんて慮ることは難しいのだ。

 だから、俺はできるだけ想像し、できるだけ身勝手な言葉を吐かない。

 そうすることが誠意であると信じていた。


「今後、貴様か、貴様が信頼する人間の話は聞こう。

 人間に対し敵意はあるが、無闇に敵対はしないことも約束する。

 だが、従えないことには従わない。

 そして与えられるだけの生活もよしとしない。

 我らには我らの誇りと矜持がある。

 だが、私達は虐げられ続けていた。これからもそれは払拭できない。

 ……若き王よ。貴様に対して、私の願いは二つだ。

 『私達の憎しみと怒りを過去のことだったと思わせるような国にして欲しい』

 そして『この国こそ祖国なのだと誇りを持たせて欲しい』」


 カンツの言葉に俺は力強く頷いた。


「約束しよう。俺のすべてを懸けて」


 その答えは、俺の信念でもあった。

 この世界に転移し、俺達は現代から外れた存在になった。

 日々に生きるために必死だった。

 けれど、それは地球で生きていた時も、根本的には変わらなかったのだ。

 目の前のことで精一杯で、深く考えなかった。

 必要に迫られたから答えを出そうと必死になっていただけだ。

 殺されそうになったから戦い、生きるために逃げ、そして今に至っている。

 結局、俺はその場その場で対応していたに過ぎない。

 だけど大切な人ができた。

 その人達のために戦いたい。

 目の前で苦しんでいる人達を救えるような場所を作りたい。

 そう思ったから、今のような選択したのだ。

 俺は、この異世界で生きていく。

 この異世界を変えていく。

 グリュシュナという聖神に弄ばれている世界を。

 そうだ。

 俺はそのために今、ここで生きている。

 確固たる目的はなかった。

 そしてようやく、その目的は明確になった。


 俺は『聖神達を打倒し、俺自身の意思で世界を統一する』のだ。


 もし他国が同じ指針で世界を治めるならば構わない。

 ケセルとの同盟、それは確かに一時的なもので、植民地も視野に入れている。

 だが、それはケセルの行動をすべて黙認するということではない。

 奴らがもし、この世界を混沌に陥れる選択をしたならばその時は反旗を翻す。

 まずは、この国を栄えさせる。

 そのためには人々の力が必要だ。

 俺は強固な意思を改めて認識した。

 この日を境に、ハイアス和国は歴史を刻むのだ。

 さあ、描き始めよう。

 神殺しへの系譜を。

 異世界への変革を。

 目の前に差し出された手が見えた。

 カンツは人間を忌避しつつも、これからの未来を共に思い描き、手を差し伸べてくれた。

 快さはなかったが歩み寄る姿勢は見えた。

 俺は痛いほどにその心情を理解しつつ、手を握る。

 これが亜人との懸け橋になることを願い、そして同時に確信した。

 この国は間違いなく発展するだろう、と。

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