第89話 軋轢の生んだ結果は

 現状の大きな問題は二つ。

 まずは食料の枯渇。

 半年程度は持つが、日々の食料入手は必須だ。

 農耕はハイアスでは行われていない。

 港町のため、基本的に輸入に頼っていたからだ。

 商業は盛んだったため物資は豊富だが、都市単体での生産性が乏しい。

 その改善をしなければ国家として機能しない。

 狩猟採集にも限界がある。

 周辺に森や平原はあるので、動物や植物は生息しているが、それだけでは厳しい。

 一時的にネコネ族の人達や警備部の一部の人に、狩猟を任せることにするしかないだろう。

 それでも全員分を賄うのは不可能だ。

 徐々に食料がなくなるのは時間の問題。


 二つ目は演説に来なかった亜人達や港に残っている人達。彼等をどうするか、だ。

 病気や障害で演説に来れなかった人達は問題ないが、前述の人達は自らの意思で来なかった人達だ。

 総数で150人程度。330人中の150人は少なくない。

 街からいなくなった亜人は、一部の奴隷でない亜人と、奴隷商人から買われて主人がいる亜人、それと……自殺した亜人だ。

 この世界で亜人が生きるのは難しい。

 奴隷でいる方が生活が安定する場合もあるくらいだ。

 ちなみに残った亜人はほぼ全員が演説に来ていない。

 この街にいる亜人のほとんどは奴隷として扱われていたため、人間に対しての印象は著しく悪い。

 だが、それでも亜人達の協力なくして国の発展はない。

 彼等の状態を確認し、これからどうするかを決定しなければならない。

 ハミルさんから状況は聞いているが。

 ……厄介そうだ。

 食料問題もあり、港の男達の協力は必須だ。

 海産業に活気があれば食料の供給はかなり補填できる。

 並行して農作物の生産をしていかなければならないが人が少ない。

 まずは亜人達のところに行こう。

 俺はババ様と莉依ちゃん共に、街路を歩いている。

 亜人達は裏通りにいる。

 奴隷商人の商い場所に残っているのだ。

 不穏な雰囲気だった通りは、寂れていた。

 どこか後ろ暗い空気は霧散している。

 閑静な街路は主人を失った家屋が建ち並んでいるという証拠だ。

 いつか活気を戻さなくてはならない。


「なんだか、寂しい場所にゃじゃ」

「そうです……そうだな、前はもっと人がいたんだけど」

「沢山の人が街を……国を出ましたからね」


 稀に人とすれ違い、あ、王様だ、と言われるが数える程度だ。

 ほとんどの人間は中央通り付近に住んでいるらしい。

 亜人は裏通りに残り、人間との交流は、事務局の人間が食料を配給する時以外にはない。

 配給時でさえ、亜人の代表が一人出て来るだけらしい。

 その時間もほとんどなく、一言二言交わす程度と……本人の報告を受けていたらしい。

 想定以上に溝は深い。

 俺達は奴隷販売店に到着した。

 外観は普通の店舗だが、規模は中々に大きい。

 入口からは中を覗けない。

 見た目は普通なのに、どこか不穏な雰囲気が強い。


「ふみゅ、あんまり気持ちのいい場所ではないようにゃじゃ」

「そう、だな」


 ババ様はここがどういう場所か知っている。

 この世界の住人であるババ様の方が俺よりも詳しいだろう。

 亜人であるネコネ族も、人間に対して思うこともあるだろう。

 普通に接し、人間も個人差があると理解してくれてはいるが、だからといってすべての人間の所業を受け入れられるはずがない。

 こんな人を物のように扱うことを当たり前と思えはしないだろう。

 人間側からすればそれが日常でも、商品として扱われた方はたまったものじゃない。

 亜人以外に人間にも奴隷がいる

 しかし数は圧倒的に少ないらしい。

 それはエシュト皇国ではある程度整備しているからようだ。

 ……まだマシというのが信じられないが。


 俺達は扉を開けて中に入った。

 室内には正面にカウンターがあり、左右に椅子があるだけだった。

 説明は受付でするということだったらしい。

 左右には扉があり、片方には、吟味室という不快な言葉が描かれた木板が垂れ下がっている。

 物音を聞きつけたのか、吟味室の方から誰かが出てきた。

 ライコ族の男だった。

 ボロ布を身に着け、首輪をつけている。

 ライコ族とは、斑の毛並みで虎に近い見目をしている種族のことだ。

 顔も虎そのもの。

 二足歩行ではあるが、容姿は猛獣だ。

 獰猛ではあるが理知的でもあり、戦士を思わせる冷静さを持ち合わせている。

 彼は大柄で身の丈は二メートルを超えている。

 筋骨隆々。ディッツも大柄だが、それよりも体格がいい。

 アナライズをするまでもなく、中々の強さを誇っているだろう。

 あくまでこの世界では、だが。


「何の用だ」


 喉に引っかかるような声音が響いた。

 獣の唸りにも近い声に、根源的な野性を窺わせる。

 ババ様は俺の隣で佇んでいるが、険しい表情だ。

 同じネコ科なのに、苦手なんだろうか。

 莉依ちゃんも同じようにやや強張っている。

 俺の服の裾をきゅっと握っていた。

 ライコ族の男は明らかに警戒している。

 強い拒絶感を隠そうともしていない。

 わかってはいたが、やはり人間に対して忌避感はあるようだ。

 俺は、ネコネ族以外の亜人と接するのは初めてだったため、少しだけ面食らった。


「俺は日下部虎次だ。あんたは?」

「……私はカンツ」

「カンツだな。よろしく。

 じゃあ、本題だが、リーンガムは今日からハイアス和国に変わったことは聞いているか?」

「……我々は難聴な人とは違う」

「つまり、聞いているってことだな。

 じゃあ、俺がこの国の王となったことも知っているな?」

「……何の用だ」


 同じ言葉でも最初よりも緊張感が増長している。

 この男も、俺の強さは知っているはずだ。

 ハイアスにいる人はすべて、なぜオーガス軍が退却したかということを知っているのだから。


「事務局の人間が何度かここに来たはずだ」


 オーガス軍の侵攻を知り、人が減った時期のことだ。

 ハミルさんが先導して食料などの物資は移送し、何か所かに保管していた。

 現時点を想定していたからだろう。

 亜人に対して人間の多くは見下している。

 だがハミルさんはそれをせず、残された奴隷達の世話もしていたのだ

 もしかしたら彼は、今のような状況を想定したのかもしれない。

 亜人の力が必要になるだろうことを。

 しかし、それはハミルさんだけだ。

 情報ギルドの連中が全員、彼と同じ考えを共有しているわけではない。

 カンツは表情を硬くし、俺を睨んだ。


「……覚えている。何度も来た」


 俺は鷹揚に頷き、言葉を繋げた。


「悪いが確認したい。俺は報告を受けただけだからな。

 まず、ここ数日でここの主人である奴隷商人は数人の高級奴隷を引きつれて街を出た。

 それから自力で牢から出たおまえ達は、この店から出ずに住居としている。

 首輪に魔術が掛かっているから、ここから出ようとすると強力な魔術が発動する、だったか?

 人数は50。食料は商人が持って行ったため蓄えはなかった。

 そして情報ギルドから人間が派遣され、食料を配給されたが10人程度分しか与えられなかった。とりあえず、ここまでは間違いないか?」

「……貴様は何が言いたい、何をしに来たのだ」

「さっきも言ったけど確認がしたい。俺が王になったのは今日だ。

 数日前に話はしたけどさ、その時点ではただの外様だったからな。

 だから『俺は今日までの出来事は知らないことばかり』なんだ。

 言っている意味わかるか?」

「……つまり、過去のことは自分には関係ない、と?」

「そうじゃない。だから、確認したいって言っているんだ。

 言葉通り、事実なのかどうか知りたいんだ。続けても?」


 カンツは訝しがりながらも、俺の意図を何とか汲んでくれたのか、納得しないながら無言を保った。

 それを肯定ととった俺は再び口を開いた。


「食料を配給された際、情報ギルドの人間はかなり横柄な態度をしたらしいな。

 食料も半分腐っていたり、栄養価が低い物ばかりだったとか。

 その上、反抗できないことをいいことに、罵倒した。あるいは暴力を働いた。

 『亜人にはこれくらいで十分だ』そう言ったらしいな。

 次だ。本来食料は50人分与えられていたが、派遣した人間は敢えて、廃棄する分を運搬した。

 これは事実だ。信じなくてもいいが、一応話しておかないといけない」

「だからどうしたというのだ!」

「それは毎日続いた。腐った食料を渡し、口汚く蔑んだ。

 そして……亜人の女性に乱暴をしようとした。間違いないか?」

「殺されたいのか? 貴様は、私達を蹂躙しに来たのか!」


 カンツの怒りはすでに頂点に至っている。

 彼の怒りは最もだ。

 奴隷だからといって何をしてもいいわけでもない。

 だが残念ながら弱く自己意思がない人間は、状況に染まりやすい。

 我を持たない人間は周囲が決めた意見、大多数の意見に迎合する。

 亜人は格下だ、そう思い始めたら、もう歯止めは利かない。

 思考を停止してしまった人間ほど厄介なものはない。

 彼らは正義と常識と正論をはき違えたまま、誤った道を突き進むのだから。

 俺は冷静に話を続けた。


「亜人の女性を守ろうと、亜人の若者が情報ギルドの人間を殺そうとした。

 傷は負わせたが、首輪の力で、強力な呪いがかかり、重傷を負った。

 奇跡的にも生き残ったが虫の息。それが昨日の出来事。これは間違いないか?」

「ガアアア!」


 カンツは怒りのあまり、俺へと襲い掛かって来た。

 彼が人間を攻撃すれば、どうなるか。

 彼自身もわかっているが、それでも憤りを抑えきれなかったのだろう。

 本来ならば、幾度も殺されても構わないとさえ思っていた。

 だが、それをしてしまえばカンツが危険だ。

 俺は寸前でカンツの攻撃を避ける。

 カンツは勢い余って壁にぶつかりかけたが、即座に態勢を整えた。

 尋常ではないほどの速度とバランス力だ。

 戦闘が得意なライコ族らしい。

 続いて、激昂し、殺意を溢れ出しているカンツが身を低くした。


「……事実、みたいだな」


 カンツの表情が言っている。

 俺の言葉はすべて正しいと。

 俺は渋面を浮かべた。

 そして。

 その場に跪き、頭を下げた。


「何を、している」

「すまなかった」


 カンツは明らかに動揺していた。

 まさか突然頭を下げるとは思わなかったのだろう。

 莉依ちゃんもババ様も冷静に事を見守っている。

 彼女達には、何をするのか、何があったのか事前に話していたからだ。

 俺は土下座を保ったまま、言葉を並べた。


「知らなかった、では済まされないことはわかっている。

 だが、知ったからには謝罪をしなければならないと思った。

 だけどその前に、それが事実なのか確認する必要があった。

 まだ初日とは言え、王が簡単に頭を下げるわけにはいかないからだ。

 でも、事実だとわかった。

 だからこの国を治めることになる人間として謝罪する。

 本当に、すまなかった」


 本心だった。

 人間と亜人の共存を謳いながら、その出発から道を間違っていたのだ。

 ハミルさんは自分の責任だと嘆き、謝罪しに行こうとしていたが、俺が代わりにきた。

 建国初日、例え別の人間の責任だとしても、最も重要な亜人と人間との関係の修復と改善を任せるわけにはいかなかった。

 俺が先んじて姿勢を見せなければ、誰もついてこない。

 だから、謝罪した。

 必要であり、そうしたかったからだ。

 そしてカンツの唸り声は徐々に消え去った。

 殺意はなくなり、戸惑いの色が濃くなるばかりだった。


「……もういい。貴様に怒りをぶつけても意味はない……す……」


 カンツは何かいいかけて、言葉を詰まらせた。

 俺は顔を上げ、カンツを見る。

 彼の顔からは考えが汲み取れない。

 多分、人間に謝られるのは初めての経験だったのだろう。

 強い戸惑いが窺える。


「ありがとう……傷ついた彼はまだ無事か?」

「……ああ、だがもう死にかけている」


 俺は莉依ちゃんに向き直り頷いた。

 すると彼女も真剣な表情のまま首肯してくれた。


「会わせて欲しい」

「……何をする気だ」

「彼女は傷を癒やす力がある。助けられるかもしれない」

「……その言葉を信用しろと言われてできると思うか?」

「できないだろうな。だからこうする」


 俺はカンツに近づく。

 警戒しているが、カンツは攻撃する挙動はなかった。

 俺が本気になればどうもできないことを知っているらしい。

 気分はよくないが、今はその関係性で妥協するしかない。

 今の俺達は、言葉で説明して納得してもらえる対等な関係ではないのだから。

 カンツの目の前に移動すると、首に手を伸ばした。


「な、何を」


 そのまま首輪を掴み。

 一瞬で握り潰した。

 『一部ではなく、首輪全てを握りつぶした』ため、魔術が発動する前に、首輪はこの世から消えた。

 ちなみに、これはぶっつけ本番ではない。

 事前に試してみた結果だ。

 もちろん、他人で実験はしていない。自分だ。


「……こ、これは」

「これであんたを拘束するものはなくなった」

「……どういうつもりだ?」

「あんたは俺を信用できない。

 だから、もし俺達の誰かがあんた達に危害を加えたら、俺を殺してくれていい。

 俺は抵抗しない。何をしてくれても構わない。何なら一回くらいは殺してくれていい」

「……知っているぞ、貴様は不死なのだろう」

「ああ、死んでも生き返る。だけど永遠じゃない。

 痛みはあるし、死の恐怖もあるんだ。死にはしないというだけだ。

 殺せば多少は気が晴れるかもしれない。それくらいなら俺は受け入れる」

「……まともではない」

「それくらい亜人には酷いことをしているということは理解しているというだけだ。

 だが……俺以外の誰かを傷つけた場合は、俺はあんたを許さない。

 どんな罪があろうと、大事な人を傷つける奴は見過ごさない」


 カンツは厳めしい顔つきのまま俺を見ていた。

 今までとは違う、何か別の感情が見え隠れしているがその実態は掴めない。

 やがてカンツは小さく嘆息した。


「私が殺したいのは『仲間に危害を加えた人間だけ』だ。

 人間は嫌いだが、人間全員を殺したいわけじゃない。勘違いするな」


 ライコ族は理知的な部分があるとは聞いていたが、このカンツという男は中々に冷静らしい。

 助かった。感情的になりすぎて状況が飲み込めない相手だった場合どうなるか不安があったからだ。


「いいだろう。ついて来い。

 そもそも、おまえの力があれば、こんな回りくどい方法をとらないだろうからな」


 何とか納得してくれたようで、俺は誰にもわからないように溜息を洩らした。

 その後、二人に目配せをして『俺に背を向けるカンツ』に続いて、奥の部屋に進んだ。

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