第80話 幕間 君は、俺が守る

 防壁上で私達は時を待っていた。

 すでに配置についている。

 門担当部隊は継続して侵入されないように作業しているところだった。

 防壁上には弓兵が並んでいる。

 等間隔で傭兵、武器を持った民兵が整列している。

 そして足元には油やお酒の入った樽、岩や煉瓦、それと投擲用の武器が転がっている。

 弓兵の後ろには矢筒が多数ある。

 兵の数は圧倒的に少ないけど、物資は豊富。

 少しは抗えるかもしれない。

 作戦は単純。

 敵兵が近づいて来たら矢を打つ。

 私は銃弾で応戦。

 梯子や縄をかけてきたら煉瓦や岩を落とす。

 登って来たら傭兵、民兵が対応。

 私、朱夏さん、結城さんは戦いの補助をする。

 大砲部隊もいるらしいので、防壁が破壊されないか心配だけど、時間も人員も足りないので補強作業は出来ない。

 とにかく、できるだけ敵を減らさないといけない。

 それに虎次さんがきっと敵兵を倒してくれているはず。

 減らした数はわからないけど、できることなら途中で逃げてくれていたなら……。

 今は、目の前のことに集中しないといけない。

 虎次さんはきっと無事、そう信じるしかないんだから。


「来た」


 誰かが言った。

 その言葉通り、遠くに敵軍の姿が見えた。

 そして誰かが息を飲んだ。


「あ、あんなのと戦うのか」

「む、無理、だろ」


 それは誰しもが思ったこと。

 不穏な雰囲気が一気に押し寄せてきた。

 戸惑い、身体を震わせる兵士達が増える。

 明らかに怖がっている。

 正面に広がる平原が兵で埋まっている。

 創作物の中で、数千の兵が描かれている場面は多くある。

 文字で見れば大したことないように思えた。

 けれど実際に見ると恐ろしい程に多い。

 まるでアリの軍勢。

 虎次さんは戦いを挑んだのかな。

 あの人が逃げるはずがない。

 だったら一人で戦ったんだろう。 

 負けない。

 負けたら終わってしまう。


「怯んじゃだめです! ここで戦わないと、倒さないと!

 街を守らないといけないんです!」


 思わず叫んでしまった。

 けれど、功を奏したらしく、幾分かは逃げ腰の人達が少なくなる。

 緊張は維持したまま、けど奮起した人達もいた。

 そう、ここが最終防衛ライン。

 逃げ場はないんだから。

 ここに残っている人達はそういう人達だけなんだから。

 だったらもう、戦うしかない。

 まだ遠い。

 なのに足音が聞こえ始める。

 多数の兵達の生み出す音が大音量となって私達に届く。


「弓兵、構え! ひきつけて!」


 迫る軍勢。

 自軍の兵は弓を引く。

 そして。


「打てぇぇぇぇぇぇっ!」


 辺見さんの号令で矢は放たれた。

 そして、私は見えた。

 あの姿。

 いつも背中を見ていたあの人の姿が。

 見間違うはずがない。

 あれは虎次さんだ。

 かなり疲弊している。

 一体何が。

 あんな姿は始めて見た。

 あんなに辛そうにしているのに、まだ戦っている。

 私達のために。

 ボロボロになっても抗って、逃げることもしない。

 虎次さんの姿を見た瞬間、色々な感情が込み上がった。

 悲しい、寂しい、悔しい、そして愛しい。

 身体が熱くなり、どうしようもなくなりそうになる。

 彼に迫る兵士が見えた。

 私は反射的に銃を撃った。

 その瞬間、虎次さんと目があった。

 もう無理だった。

 私は自分の身体を止められない。

 気づけば、私は防壁を飛び降りていた。


「莉依ちゃん!」


 辺見さんの制止する声にも振り返れない。

 虎次さん。

 虎次さん!

 私は兵士達を撃ち、矢を気にもせず走った。


「虎次さん!」


 彼の下に。

 自分の命なんてどうでもいい。

 今は、虎次さんの傍にいたいだけ。

 けれど、彼は兵士の凶刃に討たれた。

 私は兵の剣を撃ち壊す。

 そして殺した。

 その瞬間、私はようやく虎次さんの所まで辿り着いた。

 傷を癒やしながら戦ったけど、周囲を囲まれすぐに追い込まれてしまう。


「莉依、ちゃん」


 背中越しに言われて振り返った。

 気づけば、虎次さんの顔が目の前にあった。

 キスされたんだって気づいた時には、状況なんて忘れて体温が一気に上がってしまう。

 こんな幸せなことがあるのかって思うくらいに。

 その場で飛び跳ねたいくらいに嬉しかった。

 けれど、そんなことはほんの一瞬だけ。

 私は虎次さんが泣いている顔を見てしまった。

 その瞬間悟ってしまう。

 彼は死ぬつもりなんだって。

 見ればわかる。

 虎次さんはいつもと違い、明らかに満身創痍だった。

 彼が死に近づいているのは間違いなかった。

 もう一度、死ねば帰って来ない。

 間違いなく二度と会えない。

 そう思ったから、私はまた泣いてしまった。

 虎次さんの前では私はすぐ泣いてしまう。

 私達を殺そうと兵達が迫っている。

 イヤ、イヤだ!

 一人で逃げるくらいなら、私も残る。

 ほんの僅かな時間が永遠に思えた。

 けれどその時は、訪れてしまう。


 ――あれ?


 なに、これ?

 一度の瞬きを経て、虎次さんには強い違和感があった。

 え? 傷が癒えている?

 それに目の前の虎次さんは、先ほどまでと違って悲壮感がない。

 達観しているんじゃない。

 そう、これはまるで。

 『何気ない会話をしている時の虎次さんのような安心感』があった。

 虎次さんは優しく笑い言った。


「君は、俺が守る」


 まるで別人のように見えた。

 逞しく、すべてを委ねても大丈夫、そう思える信頼感があった。

 私は思わず、ぼーっとしてしまう。

 こんな状況なのに、虎次さんに魅了されてしまった。

 はたと我に返ると、兵士達が私達に迫って来ていた。


「死ねええええええっ!」


 激昂している兵士達は一気に剣を振り降ろ……せなかった。

 何か見えない壁に弾き返されたかのように、周囲の兵士数十名が後方へ吹き飛んで行った。

 そのまま近場の兵もなぎ倒してしまう。

 虎次さんは余裕のある態度で立ち上がり、私の頭を撫でる。


「ちょっと我慢してね」

「え? は、はい」


 虎次さんは私は抱きかかえる。


「ひゃ、え? な、なんです?」

「捕まって」


 言われるままに抱きつく。

 恥ずかしさより、虎次さんの言葉に従う言いようのない快感には抗えなかった。

 ぎゅっと首にしがみつく。

 生きているのが不思議だった。

 虎次さんはぐっと膝を曲げると跳躍した。

 シルフィードの力で飛んだ時とは比べ物にならないほどの跳躍力。

 遠距離を一気に飛び越える。


「うおおおお!?」

「なんだああああ!?」

「どいてどいて!」


 リーンガムの防壁上に着地すると、衝撃で地面が抉れてしまった。

 一体、何が起こったの?

 シルフィードの力を使ったようには見えなかった。

 虎次さんは何をしたの?


「と、虎次君!? き、君、生きてたんだね!」


 辺見さんが泣きながら虎次さんに抱きついた。

 私は間に挟まれてちょっと苦しかったけど、辺見さんの気持ちがわかって何も言えない。


「日下部君……」

「結城さん、無事だったか?」

「うん……でも、でも!」


 結城さんは何か言おうとしたけれど、言葉にできなかったみたいだった。

 言いたいことはあるけど、上手く言えなかったんだと思う。

 虎次さんは小さく笑うと辺見さんに言った。


「莉依ちゃんを頼む」

「う、うん、それは大丈夫だけど。戦況は厳しいよ……。

 もうすぐそこに兵達が迫ってるし。援軍が来るまで持たないかもしれない」


 みんな落胆し、諦めの雰囲気が漂っている。

 それは当然だと思う。

 だって、勝てるわけがないんだから。

 屈強な傭兵達も、私達も、民兵の人達もみんな同じだった。

 諦めるか、自棄になるか、考えず戦うかの違いしかない。

 逃げる人がいないのは、逃げ場がないことを知っているから。

 もうこの戦はどうしようもない。

 元々、勝てるはずがないんだから。

 せめて援軍が来るまで持ちこたえようと思っていただけ。 


「援軍は来ない」

「……え? う、うそだよね?」

「本当だ」


 虎次さんは簡単に言い放った。

 みんな、それを頼みの綱にしていた。

 勝てるとは思ってなかったけど、せめて援軍が来るまで何とか耐えればって。

 どうして?

 どうして虎次さんは、こんなことを言ったの?

 いつもの彼ならそんなことは言わなかった。

 そんなみんなの希望を砕くようなことを。

 そう言おうとしたのか、辺見さんは絶望の中で、叫ぼうとしていた。

 けれど、虎次さんの顔を見て口をつぐんでしまう。

 だって、笑っていたから。

 私が感じていた、あの強い安心感。

 あの感情を辺見さんも感じたに違いない。


「大丈夫、俺に任せろ」


 全員が呆気にとられていた。

 私も、辺見さんも、結城さんも、周囲の兵士達もみんな。

 何言っているんだ、と怒る人はいなかった。

 みんな、根拠なく虎次さんの言葉を鵜呑みにしたんだと思う。

 誰も言葉を発しない。

 なぜなら、虎次さんの言葉には真実味しかなかったから。

 たった一言で、大丈夫だと思った。


「みんなはここで戦線維持してくれ」


 虎次さんは、私達に背を向けると、再び跳躍し戦場に戻った。

 まるで別人。

 だけど間違いなく虎次さんだった。

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