第81話 神殺しの片鱗

 軍勢が俺を見上げる。

 矢が昇り、俺に迫る。

 しかし、俺は僅かに身体を動かすだけですべての攻撃を避けた。


「戻って来るぞ!」

「殺せぇぇっ!」

「奴は満身創痍だ、さっさと殺すんだ!」


 口々に気勢を吐き、俺を殺そうと目を血走らせている。

 俺は涼しい顔で悪意を流した。

 シルフィードの魔力は戻っていない。

 だが、俺の肉体は完全に回復している。

 当然、五百の魂も健在。

 仕切り直しだ。

 オーガス軍の数は恐らく、四千近くに減っている。

 だが止まらない。

 指示系統が上手く稼働しているとは思えない。

 奴らは将軍の死、大隊長の昇進、隊長の減少によっても戸惑うことがない。

 その原因は俺にはわかっていた。

 そう、奴らは『複雑な命令をされていない』ということだ。

 だから、隊列は固定で、進軍も変化がない。

 先兵は走り止まることはなく、真っ直ぐリーンガムに向かっているのだ。

 それはつまり、現在の将軍はお飾りの状態だということ。

 恐らく、現将軍が戦死した場合の場当たり的な作戦であるに違いない。

 だが、命令をまったくしていないわけでもないし、檄を飛ばしてもいる。

 統括の地位についているのだ、必ず権限はある。

 退却するか、進軍するかの権限が。


「あそこだな」


 シルフィードの魔力はほんの少ししかない。

 一瞬だけ風を生みだし、方向を変えるくらいはできる。

 矢も魔術も行きつく暇もない程に襲ってきている。

 それは片手で払い、いなし、受け止める。

 俺は目的の場所に下降し、地面に降りた。

 屈強なオーガス勇国兵達が俺を睨み、今にも殺そうとしている。

 しかしそれができない。

 なぜなら俺の目の前に現将軍ルドガーがいるからだ。

 最初の将軍に比べかなり若い。

 勇んでいるのは間違いなく、思慮は浅そうだ。

 馬上から俺を見下し、槍を構えている。

 俺は両手を上げ、無抵抗を表明した。


「ちょっと話がしたいんだ」

「話、だと?」


 ルドガーは額に血管が浮かび、明らかに怒っている。

 それでも攻撃してこないのは、俺を警戒してか。

 奴は理解しているのだ。

 俺が本気を出せば、殺されるということを。

 数メートルの距離しかない。

 他の兵を無視してルドガーを殺すくらいは『さっきまでの俺でもできる』わけだ。


「ふざけるな! これだけやっておいて!」

「将軍! こやつの言うことなど聞いてはなりません!」

「殺せ!」

「生かして返すな!」

「仲間も、こいつも楽に殺してやるものか、なぶって殺す……!」


 周辺の兵達は一斉に殺せ、殺せのコールを始めた。

 俺は嘆息し、将軍を真っ直ぐに見つめる。

 あの瞳。

 ……何か考えているようだ。


「静まれ!」


 ルドガーが叫ぶと、一斉に口をつぐんだ。

 この男、意外に慧眼なのか。


「名乗りもなく、突然の奇襲。その上、礼節なく私の前に現れ、話をしたいと言う。

 これがどういうことかわかるか?」

「さあ、俺は異世界人だからな。知らないな。

 ただ、突然の侵攻作戦を遂行しているあんたらに言われたくはないな。

 知ってるんだ。おまえらがリーンガムに残っている連中を生かしておくつもりはないってな」


 ルドガーは僅かに息を飲んだ。

 この男、やはり若い。

 俺よりは年上だが、生死を懸けた戦いに慣れていない。

 それに渉外には不向きな性格のようだ。

 だからか、表情に感情が出てしまっている。


「……それで、言いたいのはそれだけか?」

「まさか。まず前提としてお互いさまだって言いたかっただけだ。

 それに残っているのはただの市民。それを殺戮しようってんだ。

 対して、俺はあんたらの兵士をかなり殺した。

 ってことは正当性を主張するのはお互いに的外れだろ。違うか?」


 ルドガーは沈黙で返してきた。

 俺はそれを肯定と受け取り話を続ける。


「さて、こっからが本題だ。率直に言う。退いてくれないか?」

「なんだと?」


 喧噪が広がり、静寂は去る。

 仲間を殺した人間の身勝手な提案に激昂している兵が多数、といったところか。

 それは当然の反応だ。

 だが、俺は言葉を続ける。


「受けてくれるなら俺はこれ以上あんたらを殺さない。今までのことも水に流す。

 『今回の一件では、俺はオーガス勇国軍を敵国とみなさない』ようにする」

「ふざけるな! どの口が物を言う!」

「おまえ一人で何ができる!」

「自惚れるのもいい加減にしろ! 異世界人が!」


 兵士達は将軍の指示がなければ、今にも俺に襲い掛かりそうな勢いだった。


「……く」


 ルドガーは喉を鳴らす。

 その反応に、兵達は言葉を止める。


「は、ははははーははっっ! くくくっ!」


 何が面白いのか、ルドガーは大口を開け高笑いする。

 俺は嘆息し、その様子を漫然と見守った。

 そしてようやく、ルドガーの笑い声が収まり始める。


「はは、ふぅ……殺せ」


 冷淡に言い放った言葉を皮きりに、兵達が一斉に俺へと武器を放った。

 剣、槍、矢、魔術。

 逃げる場所はどこにもない。

 避けることは不可能。

 全方位から迫る殺意の塊に俺は嘆息した。

 そして軽く右足を上げて。

 地面を踏む。

 同時に『両足だけ兵装状態』にする。

 左足も変えたのは自分の攻撃で左足も吹き飛んでしまうからだ。

 兵装自体に尋常ではないほどの衝撃緩和の能力があるためである。

 一時的に神にも等しい力が右足に宿り、その力は地面を破壊した。

 同時に周囲に衝撃が走る。

 大気が震え、轟風さえ生み出す。

 表土はひび割れ、岩盤が隆起する。

 それでもとどまらず、大岩が地面から弾かれる。


「ぎゃあああ!」

「ひぃぃっ!」

「じ、地震!?」

「な、何が!?」

「ぎぃいあ、ああっ!」


 周囲の兵達は俺から離れるように四方八方に吹き飛び、もんどりを撃つ。

 紙屑のように宙を舞い、味方同士で衝突し、地面に落ちる。

 数にして百近くの兵達が地面に落ちた。


「あ、が」

「ぎ、ぎぃ、くっ、あ、脚が」

「お、俺の腕ぇ。腕、どっか、いったぁ」


 阿鼻叫喚の図がそこにあった。

 土気色の情景は半分が赤で濡れている。

 一瞬で平地は小さな山岳地帯に変貌する。

 呻き声が絶え間なく続く。

 俺は辺りを見回し、まだ生きているらしいルドガーに近づいた。


「最後通告だ。退却か戦うか。退却するなら良し。戦うなら容赦はしない。徹底的に叩く。

 どうする? 将軍殿」

「ぐ、は……はは、はははっ」


 ルドガーは腕や足を折り、口腔内から血を吐き出しながらも笑った。

 その異様な様子に、俺は眉をひそめる。


「は、バカなことを……これは勇王勅命の任。退くことなどできん。

 さ、作戦など、退却などない。あるのはリーンガムを落とせという命令だけだ。

 わ、私達に選択肢など、ない……。

 私が殺されても、また大隊長が将軍になるだけ。お、お飾りのな」


 ルドガーの顔には自嘲が浮かんでいる。

 オーガスという国について詳しくは知らないが、どうやら実力社会らしい。

 完全に実力で地位が決まり、権限が決まる。

 つまり、勇王の命令は絶対。失敗は死ということなのだろうか。


「こ、この、戦いは……止まらない。どちらかが全滅するまで……は……」


 その言葉を最後にルドガーは息を引き取った。

 覚悟はしていた。

 けれど甘い考えが浮かんでいたのだ。

 もしかしたらこれ以上、血を流さないで済むのではないかと。

 もうどうしようもない。

 頭を殺しても、また将軍が生まれる。

 気味の悪い制度の上で、オーガス勇国軍は死を恐れずに戦うのだ。

 いや、死を恐れているからこそ、戦いの中で生きる可能性を信じているのか。

 狂っている。

 エシュトもオーガスも。

 彼らに交渉は無駄なのだ。

 最後の希望は断たれた。

 ならば、やることは一つしかない。

 敵にも事情があるならば、俺にも事情がある。

 殺さねばならないなら殺す。

 例え、どれほどの屍を作ろうとも。

 俺はもう迷わない。

 そう決めたのだから。

 そのために力を手に入れたのだから。


「や、奴を殺せ!」

「ルドガー将軍が戦士なされた! 次は、ファイナス第二隊長が将軍だ!」

「行け! 行け! 殺せ!」

「敵は殺せ! 殺すんだ」


 よく見れば、全員が狂気にかられている。

 恐れから来る盲信は理性を失わせ、死の恐怖さえも忘れさせる。

 彼等も被害者なのかもしれない。

 ならばとれる手段は二つ。

 今以上の圧倒的な恐怖を植え付けるか。

 今まで以上の圧倒的な力を見せつけるか。

 さて。

 やるか。

 次の瞬間。

 俺は四千の兵士をすべて殺す決意を固めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る