第74話 幕間 残花

 ――虎次さんが出発してから、私は朝まで起きていた。

 一人、戦地に赴く虎次さんを思うと眠れるはずもなかった。

 今は、一階受付前にあるテーブルについている。

 普段は、宿で食事をするスペースだけど誰もいない。

 みんな避難してしまった。宿の人もいない。

 朝、全員が起きてきてから、私は事情を説明した。

 辺見さんは知っていたらしい。

 結城さん、ニースさん、辺見さん、剣崎さんは神妙な面持ちで無言のままだった。


「……じゃあ、日下部は一人で行ったのにゃ?」

「はい、そうです……」


 ニースさんはいつもと違って声音が低い。

 ちなみにみんな変装魔術は使わず、元の姿のままだ。


「そんな、無謀だよッ!」

「何も知らずにボク達は寝ていたなんて……彼に申し訳ないよ」


 結城さんは椅子から立ち上がって怒っている感じだった。

 対して剣崎さんは申し訳なさそうに顔を顰めている。

 私も同じだ。

 一人で立ち向かおうとした虎次さんに何も言えなかった。

 助ける力もない。

 上手く言葉もかけられなかった。


「あたし、今からでも行く!」


 結城さんが叫んだ。

 私も同じ気持ちだった。

 けれどそれはできない。


「行ってどうするの?」


 辺見さんはこの中で一番冷静だった。


「どうするって、日下部君を助けるに決まってるじゃん!」

「どうやって?」

「そ、それは、全力で戦って」

「戦って死ぬの?」


 死という言葉に、結城さんは息を飲んだ。

 その緊張は全員に伝わる。


「虎次君の力は知っているよね? 彼はそれを自覚しているから一人で行ったんだ。

 僕達が行ったら足手まといになる。それに、死ぬよ、絶対に」


 辺見さんの有無を言わさない口調に、結城さんは反射的に口を開いた。

 けれど喉は震えない。

 きっと、何も言い返せなかったんだと思う。

 実際、辺見さんの言う通りだったから。

 私達が虎次さんと一緒に行っても足手まといになる。

 それに、彼と違って私達は一度死んだら終わり。

 虎次さんを軽んじているわけじゃない。

 けれどどうしても隔たりがある。

 人間は一度死ねば生き返らない。

 そんな当たり前のことを、虎次さんだけが逸脱している。

 だからこそ一人で行ったんだから。

 命を投げ打ってでもあの人と一緒に行きたい。

 そう思ったけど、同時にこうも思った。

 絶対、虎次さんはそれを望んではいないだろう、と。

 だから私は強く言えなかった。

 一度、一度だけの懇願でも、虎次さんの心を苛んだに違いない。

 それ以上、私はわがままを言えなかった。


「で、でも、一人に、彼だけに任せるなんて」

「……虎次君にしかできないから。それをわかっているから彼は行った。

 その気持ちを汲んであげるべきじゃないかな」


 辺見さんの言葉は正しい。

 虎次さんの気持ちも理解していると思う。

 けれど、じゃあ私達の気持ちは?

 このどうしようもない無力感はどうすればいいの?

 あの人を失うかもしれないという恐怖心はどう抑えればいいの?

 本当に、虎次さんの言う通り、この街を離れて逃げることが正しいの?

 答えは出ない。

 そして、私が抱いている疑問はみんなも持っていると思う。

 全員が渋面を浮かべているから。

 結局、結城さんは返す言葉が浮かばず、ゆっくりと席に座った。

 けれど納得はできていないみたいだった。

 それは私も同じだ。

 でも何も言えない。


「それで、これからどうするにゃ?」

「どうって」


 ニースさんの言葉に剣崎さんが困惑を浮かべる。

 元々、今日、リーンガムを出立する予定だった。

 虎次さんがいなくなったことで、私達は岐路に立たされている。

 けれど、彼を追わないと決めた時点で私達にできることは決まっていた。

 突然、何を思ったのか、剣崎さんが立ち上がり、手をかざした。


「アカシャ、検索」


 言うと、手元が明滅し、蔵書が出現した。


「オーガス勇国軍の侵攻によって、リーンガムに残っている人間が一週間後に生き残っている確率は?」


 本は反応しない。


「……遠枝莉依、辺見朱夏、ニース、剣崎円花、結城八重の五名がリーンガムに残った場合、オーガス勇国軍によるリーンガムの侵攻で、前五名が一週間後に生き残っている確率は?」


 何かの文字が浮かび上がったけれど、私には読み取れない。

 どうやら一般的な文字ではないみたい。

 私もこの世界の供用語は少しなら学習している。


「確率0%、みたいだね……」

「それは、確実なんですか?」

「確実だよ。絶対。ただ、正確じゃない。完全な0%ではないだろうけど、相当に低い確率なのは間違いないね」


 剣崎さんは淀みなく言った。

 それだけの自信と実績があるということだ。

 仮に、私達が街に残ったら死ぬということ。

 虎次さんと一緒に行くよりは確率は低いと思うけど、大して差はないかもしれない。

 死ぬ、ということを考えると怖くてたまらない

 ここは、グリュシュナは日本に比べて死が近い。

 だから実感がわきやすい。

 怖い。

 けれど、逃げたくもなかった。

 虎次さんを犠牲に生きて、私は満足なんだろうか。

 ううん、そんなことは微塵も思わない。

 逃げるなら虎次さんも一緒、戦うなら、生きるなら彼と一緒じゃないとイヤだ。

 だったら迷う必要なんてない。


「私は残ります」


 自分でも驚くほどに、迷いがない言葉だった。

 まるですでに決めていたかのように。

 なんだ、悩む必要なかったんだ。

 私は虎次さんがいなければ、何度も死んでいたんだから。

 いつも助けられた。

 それが当たり前で、今が当然なはずがない。

 救われたのなら、せめて一緒に居たい。

 命を投げ打ちたいわけじゃない。

 ただ、私は……自分の命よりも虎次さんと共に生きることを選んだだけ。

 苦笑してしまう。

 そんなこと、前からわかっていたのに。


 私は、この世界に来てからずっと、虎次さんと並んで歩きたいと願っていたのに。

 虎次さんは死なないのかもしれない。

 けれど心はそうはいかない。

 虎次さんは辛くても痛くても笑う、強い人。

 でもそんなはずはないんだ。

 辛いに決まってる。

 痛いに決まってる。

 それでも大丈夫だと笑ってくれる。

 どれだけの思いを抱いているのか私には想像もできない。

 だったらせめて、隣にいて少しでも彼の心を癒やしたい。

 私は子供だけど。

 子供を言い訳にして何もしないなんて絶対イヤ。


「で、でも残ったら死んじゃうんだよ!?」

「それがどうしたんですか?」


 結城さんに私は平静を保ちつつ答えた。


「虎次さんがいなかったら私はすでに死んでいます。生きてるのが奇跡だと思うんです。

 ……ううん、違う。私は恩があるから虎次さんと戦いたいわけじゃない。

 きっと、大切だから。自分より、大切だと初めて思えた人だから。

 もう迷わない。逃げない。戦います」


 他人をこんなに想えたのは初めてだった。

 戸惑いもあった。

 けれど、それ以上に失いたくないという思いが強かった。

 これは恋なのか、それとも別の感情なのか。

 けれど何でもいい。

 私は、虎次さんを大事な存在だと思っていることに違いはないんだから。


「……あ、あの、でも彼は死なないんじゃ」


 剣崎さんが恐る恐る口を挟む。

 声が震えていたのは、多分、これからどうなるかを考えてのことだと思う。

 怖気が私にも伝わる。

 彼女の言葉には、死なないのだから虎次さんが戦うのは打倒だ、という考えが見え隠れしている。

 けれど、剣崎さんの心情を私は責める気にはならない。


「今まで死ななかったから、これから死なないなんて言えないです。

 それに……死なないなら、戦わせていいってことじゃないです。

 辛いのも痛いのも苦しいのも私達と同じなんですよ。ううん、私達以上に苦しいはず。

 だって、何度も死んで生き返って、そんな苦痛を私達は知らないんですから……。

 私は、虎次さんに頼りすぎてる……ッ。もうイヤなんです。

 あの人の傷つく姿を見るだけの自分でいたくない……っ。

 それに、この街の人達を見捨てたくもない。だから、私は戦います」


 言い終えると、手が震えていることに気づいた。

 私は手を掴んで痙攣を抑える。

 怖いんじゃない。

 自分が酷く情けなかった。

 みんな無言を通していた。

 それぞれ思うところがあったんだと思う。


「僕は残るよ」


 辺見さんが手を上げて、落ち着いた口調で言った。

 元々、決めていたと言いたげな反応だった。

 辺見さんも私と同じ考えだったのかもしれない。


「にゃ、わたしも残るにゃ」

「……あたしも残る。やっぱり放っておけないもん。日下部君を追えなくても、街に残ってやれることはあるはずだから」

「ボクは……」


 剣崎さんだけは迷っている様子だった。

 彼女は、私達と付き合いが浅い。

 思い入れもないし、長府さん……ううん、長府達から逃れるために必死だった。

 そして辿り着いた場所で、戦いを強いられる怖さは何となくわかる。


「剣崎さん、無理はしないでください。素直に思った通りにしてください」

「……は、はは、情けないなボク。君みたいな小さい子に慰められるなんて。

 僕よりも年上に見えるよ」

「そんなことは……」

「……残るよ。ボクも。ここから逃げても、追手を撒くような力はボクにはないし。

 それにこの街で生きることが、もしかしたら最後のチャンスなのかもしれない」

「最後のチャンス?」

「ううん、何でもない。気にしないで」


 含みのある言い方が少しだけ気にかかった。

 とにかく、全員が残留を決定した。


「これからどうするか、考えはある?」

「やることは一つしかありません」


 辺見さんの問いに、私は即座に答える。

 私達に残された選択肢はほとんどない。

 そしてリーンガムに残ると決めたのなら、たった一つの選択しか残されていない。


「籠城戦です。街に残っている戦える人達に声をかけましょう。

 どれくらい抗えるかわかりません。けれどやれるだけやってみましょう」


 全員が同時に頷いてくれた。

 迷いはないようで心強い。


「相手は五千。こっちはそう多くはないかな。

 ただ五千という数はある意味、運がよかったとも言えるかもしれないな。

 多くも少なくもない……一応、僕達はそれなりに戦えるしね」 

「さすがに海上からの侵攻はないだろうし、籠城なら数日は持つかもしれないよ。

 リーンガムは防壁自体はあまり強固ではないけど、幸い兵糧はあるわけだし。

 問題は人数かな」


 辺見さんと剣崎さんが意見を述べてくれる。


「一先ず、ロルフさんやハミルさんに呼びかけましょう。

 傭兵団と情報ギルドに力を貸して貰えれば多少はやりようがあると思います。

 今日の何時に攻めてくるのかわかりませんし、時間がないです」

「あ、じゃあ! あたし声かけて来るよ! 考えるのは苦手だしさ」

「にゃ、それじゃわたしも一緒に行くにゃ」

「それじゃ、各自分かれて人を集めましょう!

 時間が惜しいので、対応策も走りながら考えましょう!」


 担当場所を決めると、全員が一斉に宿を出た。

 きっと私の判断は、虎次さんの望むものではなかったと思う。

 それに口では何とかなるかもと言っても、心の中ではみんな無謀だとわかってる。

 けれど、私は後悔しない。

 必ず、虎次さんは帰ってくる。

 そして私達は虎次さんが帰ってくる場所を守る。

 強い決意を胸に、私は走る。

 誰も殺させないようにするために。

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