第75話 さようなら

「――おい」


 遠くで声がした。

 何となく気に入らない声だ。


「おい、起きろ! 死んでんじゃねえだろうな……おい!」


 揺さぶられて、俺は目を開けた。

 明瞭になった視界には不機嫌そうな顔をした沼田がいた。

 最低の寝覚めだ。


「おまえ、大丈夫かよ。死んだかと思ったぞ」

「あ、ああ。なんだ俺、いつの間にか寝てたのか」

「……おまえ」


 記憶がない。

 確かドラゴンに乗ってしばらくは起きていたはずだが。

 いつの間にか、意識を失ったのか。

 疲れているのか、頭がまともに働かない。

 そう言えば、リスポーンしてから突然喀血した。

 それからそのままだ。

 傷が癒えるはずもなく、ダメージは残っているということか。

 ドラゴンの鱗にロープが括りつけられ、俺の身体を固定している。

 沼田がやったのか。


「ったく、もうすぐ着くぞ。しっかりしろよ」

「……なんで殺さなかった。いつでも殺せただろ」

「あ? 殺してどうなるんだよ。今は協力関係だろうが。

 まだ、終わっちゃいねえ。最後まで死んでもらっちゃ困るんだよ」


 ただの馬鹿じゃなくてよかった。

 こいつには情なんてないが、打算はある。

 一応、俺には利用価値が残っていると考えたらしい。

 そりゃそうか。

 ケセルの人間である沼田にとって、リーンガムがオーガス軍に占領されるのは困るだろう。


「おい、あそこだ」


 流れる風の中、俺は顔を上げる。

 遠くに見える。リーンガムだ。

 その手前に軍隊の姿が見えた。

 ギリギリ間に合いそうだ。

 だけど、間に合っても進軍を止めるのは難しいかもしれない。


「で? 作戦はなしか? また突っ込むつもりか?」

「そうするしか、ないだろ」

「……まあ、そりゃそうだけどよ。おまえ、本当に死ぬぞ」


 俺は満身創痍だ。

 外傷は少ないが、身体はまともに動かない。

 これで戦えるのか、俺も自信がない。

 だができるできないじゃない。

 やらなければならない。

 弱音を吐いても現状は変わらない。

 だったら嘘でもいい、虚勢を張って、それで立ち上がるしかない。


「死ぬのは怖くない。みんなを失う方がずっと怖い」

「……そうかよ。まあ、俺はどうでもいいけどな。

 さて、じゃあ、準備はいいか? そろそろ時間だ」

「ああ、いつでも」

「なら……行くぜッ!」


 ドラゴンが急降下し軍勢に迫る。


「ドラゴンだ!」

「また、追ってきたぞ!」

「怯むな! 奴らは死に体だ!」


 緑火を吐きながら兵隊達を焦がす。

 硝煙の中、俺は軍隊のど真ん中に飛び降りた。


「く、や、奴だ!」

「勇者達は何をやってるんだ!」

「殺せ! 殺すんだ!」

「奴は疲弊しているぞ! 臆すな!」


 息が荒い。

 周囲の音が聞こえない。

 心臓の音と呼吸の音だけが耳朶に伝わる。

 迫る剣閃の中、俺は無心で初動を終える。


「あ?」


 近場の兵士の首を風刀で斬りおとす。

 止まることなく、一回転しつつ風を生み出す。

 真空の刃が体躯を寸断し、肉塊と化す。

 血飛沫の中、俺はすべてを遅く感じ始める。

 それは思考の加速ではない。

 感覚が鈍くなっているのだ。

 自分の身体をどう動かしているのかさえ、俺にはわからない。

 だが、止まらない。


 殺して殺して、殺しつくして、それでも殺す。

 今どれくらいの数が残っているのかわからないが。

 一先ずは頭を潰し続ければ、その内、動きを止めるはずだ。

 現将軍は、ルドガーとか言ったか、若い男だった。

 奴を殺す。

 上空から探す手もあったが、近くを飛ぶと矢や魔術が飛んでくるため危険だ。

 沼田と別れて戦った方がやりやすい。

 空中では沼田がドラゴンを操り善戦している。

 だが、ドラゴンもかなり手傷を負っている。

 あれでは長く持たないだろう。

 俺は動き続け、兵達の身体を破壊し続ける。

 命を摘み取ることに執心しない。

 行動不能に出来ればいい。

 だが、敢えて加減する余裕はない。

 俺はシルフィードの魔力の限り、攻撃を続けた。

 だが。

 動きが止まってしまう。


「ぐっ……!」


 魔力が枯渇した瞬間、兵の攻撃が俺に当たる。

 槍が腕を貫いた。

 俺は痛みを無視して、兵を強引に殴った。


「あぎぃっ!」


 吹き飛んだ兵が周囲を巻き込んでいく。

 周囲は敵だらけ。

 その中、俺は身体能力だけでなんとか切り抜けようとする。

 シルフィードはもう使えない。

 これはただの小手とブーツになってしまった。

 落ち着け、大丈夫、まだ戦える。

 今までの戦いを思い出せ。

 こんなの大したことじゃない。


「うらああっ!」


 剣兵が剣を振り降ろす。

 俺はその軌道を読み、小手で受け止めると、手首を返し流す。

 勢いを殺さず、踏み込むと肘を放る。


「ぐびぃっ!」


 兵の横隔膜を通し、内臓を破裂させた。

 口から泡と共に血が溢れる。

 その兵を飛び越え、後方の兵に飛び蹴りを放つ。

 首が見事に曲がり、兵は即死する。

 着地と同時に近場の兵を背負い投げし、後ろを見ずに回転しつつ裏拳。

 何人かの兵は殺したが、隙が生まれ、俺の足に剣が刺さる。

 刺した兵の顔面を殴りつけ、頭を吹き飛ばす。

 痛みの中、俺はその場に飛び上がる。

 シルフィードがないため、跳躍は低い。

 その上、脚を怪我している。

 せいぜいが二メートル。

 それでも地球ではあり得ない脚力だ。

 空中で見えたのはリーンガムに向かう軍隊の先頭箇所。

 やはり止まらない。


「止まるな! 速度を緩めるな!」


 将軍らしき姿が見えた。

 奴は軍のほぼ先頭にいた。

 後方から俺達が追っくることを見越してのことか。

 そして、リーンガムの抵抗がないと考えてもいるのだろう。

 その考えは間違いとは思わなかった。

 リーンガムに抵抗勢力は残っていないのだから。

 そう、俺も思っていた。

 だが。

 見えてしまう。

 防壁の上に並ぶ人影に。

 リーンガムの周囲には5メートル近くの防壁がある。

 高さはそれほどなく、その上、衝撃に強い方ではない。

 薄く、砲弾を受け続ければ壊れてしまうだろう。

 その上部に、見えた姿に、俺は動揺してしまう。


「莉依、ちゃん」


 間違いない。

 見間違えるはずがない。

 莉依ちゃんが銃を携え、こちらを見下ろしている。

 莉依ちゃんだけではない。

 結城さんも、朱夏もいる。

 ニースと剣崎さんは見えない。

 別の場所にいるのか、それとも逃げたのか。

 なぜ、なぜだ。

 なぜ残った……!


「もらったあああぁ!」


 気勢を発した兵が、俺の真横にいた。

 一瞬の気の緩みで、俺は虚を突かれた。


「打てぇぇぇぇぇぇっ!」


 朱夏の澄んだ声が戦場に響き渡る。

 次の瞬間、目の前にいた兵が銃弾に倒れた。

 そして空からは矢が降り注ぐ。

 俺の位置までは来ない。

 莉依ちゃんの銃弾だけは飛距離が長いが、矢の有効範囲はそれほど長くはない。

 おかげで俺は巻き込まれなかったが、莉依ちゃんは俺の存在を見つけたらしい。

 目が合った。

 彼女の眼には、確かに強い意思の火が宿っている。

 俺が何を言っても、聞きはしないだろう。

 彼女はきっと色々な想いを抱いて、ここに残ったのだ。

 俺のため、と考えるのは自惚れだろうか。

 心が熱くなる。

 それでも。

 俺の身体は冷めるばかりだった。

 ガクッと膝が折れる。

 攻撃を受けたわけではない。

 突然、力が入らなくなったのだ。


「く、そ……う、ごけ、よ」


 意思を持っても、身体は動かない。

 全身が俺を否定している。

 休みたい。

 眠りたい。

 欲求が容赦なく俺を責めたてる。


「終わりだ!」


 周囲の兵が一斉に俺を攻撃する。


「虎次さん!」


 莉依ちゃんの叫びが聞こえた。

 そして、彼女が防壁から飛び降りる姿が見えてしまう。

 俺達の身体能力ならばそれくらいは容易になっている。

 銃弾が兵達に突き刺さる。

 ここまでの距離なのになんて腕だ。

 兵達の間を縫い、俺の周囲にいる兵士に着弾させている。

 それは彼女がどれだけ努力して来たのかの表れだった。

 ずっと、強くなるために莉依ちゃんも鍛練を積み重ねたのだ。

 そうだ。

 俺がこんな情けない状態でどうする。

 俺は立ち上がり、力を振り絞って、兵士を殴りつける。


「来ちゃ、ダメだ……っ!」


 だめだ、まともに声が出せない。

 莉依ちゃんには聞こえていない。

 莉依ちゃんが俺の下へ走って来ている。

 ここにいては彼女を巻き込む。

 せめて、もう少し前方へ。

 俺は必死で走りながら、兵士を蹴り、殴り吹き飛ばした。


「ど、け!」


 ふらふらになりながら、迫る刃を受けながらも、死ぬことだけは避けた。

 最早何がなんだかわからない。

 それでも莉依ちゃんのことだけを考え走った。

 足が、腕が、腹が血濡れになる。

 至る所を傷つけられ、痛みが走る。

 知らない。

 もう、どうでもいい。

 莉依ちゃん。

 莉依ちゃんだけは。


「に、逃げ、て」


 叫んでも彼女は俺へ手を伸ばすだけ。

 銃を撃ち、兵達を殺している。

 俺は兵を殺して、殺して。

 莉依ちゃんも殺して、殺して。

 互いに人を何人も殺して。

 そして。


「が……ふ……っ」


 腹部に深く突き刺さる。

 背中にゴリっとした感触がした。

 次の瞬間、触感はなくなり、電流が走る。

 痛み。

 激痛だ。


「ふーっ、ふーっ!」


 後ろには鼻息を荒げた男が俺に剣を突き立てていた。


「リカルド様の、か、仇だ、ば、化け物!」


 リカルド……誰だったか。

 俺が殺した人間、だった気がする。

 もう、そんなことでさえ思い出せない。

 頭が働くことを拒絶していた。

 死の連鎖の中で、俺は引きずり込まれつつあった。

 輪廻から外れた俺は、人としての世界に飲み込まれる。

 人外の領海からつまはじきにあい、そして生死の因果に戻される。

 それは直感。

 確信だった。

 俺はこのまま、命を終えれば、二度と生き残れない。

 死ぬ。

 死んでしまうのだ。

 俺が吐血した瞬間、兵が俺から離れた。


「とどめだ!」


 剣を振りかぶった若者は俺に殺意を向ける。

 眼には惑いと憎しみが滲んでいる。

 彼には恐らく俺を殺す明確な理由があった。

 けれど、殺されるわけにはいかない。

 こんなことで殺されてやるなら、単身で大隊に特攻したりしない。

 俺には正義なんてないのだ。

 俺はただみんなを守りたいだけ。

 だから義理も人情もない。

 あるのは独善的な願望だけ。

 死んでたまるか。

 そう思うのに、身体は動かない。

 凶刃が迫る。

 振り降ろされた。

 俺は死を覚悟したが、目を瞑りはしない。

 最後まで情景を焼き付ける。

 後悔をしない、そう決めたのだから。

 だが、俺に衝撃はない。


「なん、だと!?」


 若者の持っていた剣は刀身半分で折れていた。


「虎次さん!」


 視界がぼやける。

 だが、間違いない。

 莉依ちゃんだ。

 目の前にいる。


「虎次さん! 虎次さん! し、しっかりしてください!」


 莉依ちゃんが俺を庇いながら兵達を迎撃している。

 見慣れない武器に、兵達は怯むが多勢を前に、莉依ちゃんは追いやられる。

 莉依ちゃんは手をかざし、俺を治癒しようとした。

 だが、傷は再生する兆しが一向にない。


「ど、どうして!? どうして癒えないの!?」


 焦りの中、兵達は俺達に迫る。

 俺は何もできず、ただ膝を折っていた。


「近づいたら殺します! 近づかないで!」


 強力な武器を持っていようとも相手は子供。

 そうやって甘く見た兵が殺された。

 しかし、莉依ちゃんを前に、兵士達は激昂し始める。

 見目に惑わされ、そして憤る。


「ガキが戦場に出て来てるんじゃねぇぞ!」


 いくら強くとも、兵士達には矜持があったらしい。

 怒り心頭に発し、莉依ちゃんに迫る兵達。

 子供だからと甘く見る人間はいない。

 必死に連射し、倒すが次から次に兵士達は押し寄せる。

 まるでシューティングゲームのような情景だ。

 後方に逃げ場はなく、取り囲まれているため、莉依ちゃんはやがて追い込まれた。


「に、逃げて、くれ、莉依、ちゃん」

「イヤ! 絶対にイヤです! もう逃げない! そのためにここに来たんです!

 あなたの、虎次さんのそばに、ずっといます!」


 俺が莉依ちゃんを思うように、莉依ちゃんも俺を思ってくれているのか。

 それが嬉しく、どうしようもなく悲しかった。

 遠くで朱夏と結城さんが俺達の下へ向かう姿が見えた。

 だがもう身体は動かない。

 意識も薄れていく。

 もう、だめだ。

 ならば。

 せめて。


「莉依、ちゃん」


 俺はか細く声で莉依ちゃんを呼ぶ。

 莉依ちゃんが振り向く瞬間、俺は、シルフィードの少しの合間で回復した魔力を放出した。

 同時に周囲の兵達が風塵と共に噴き上がる。


「虎次さ――」


 ほんの数秒のだけ余裕が生まれ、莉依ちゃんが完全に俺に振り向いた。

 視界を埋める綺麗な双眸。

 ほのかに香る甘さ。


「んむ」


 莉依ちゃんの唇に俺の唇を重ねた。

 僅かな間隔の中、莉依ちゃんは一瞬にして顔を真っ赤にする。

 柔らかな感触が伝わる。

 痛みが嘘のように忘れられた。

 温かな体温が、俺を癒やす。

 ゆっくりと身体を離すと、莉依ちゃんの濡れた瞳が俺に向けられている。

 白い肌は朱色に染まっている。

 恥ずかしさを感じていることはわかった。

 しかしその淡い想いも霧散する。

 莉依ちゃんは俺の顔を見て、つーっと涙を流した。

 瞳が熱い。

 鼻頭が麻痺している。

 頬を伝わるくすぐったい感触に懐かしさを覚えた。

 俺は涙を流し。

 そして言った。


「さようなら」


 莉依ちゃんが何か言おうとした瞬間、俺は莉依ちゃんを抱きしめ、そして頭上に投げ飛ばした。


「ぬまたあああああああああああああーーーーーっ!」


 ほんの少しだけ残った魔力を使い、莉依ちゃんを風で押し上げた。


「ちぃ、わぁったよ!」


 丁度、俺の頭上を通った沼田が、莉依ちゃんを受け取る。


「や、やっ! やだ、と、虎次さん! は、離して!」

「あ、くそ、暴れるな!」

「虎次さん、虎次さん、虎次ぃぃぃーーーーっ!」


 ドラゴンは俺から離れてリーンガムに向かった。

 これでいい。

 魔力の残量を見れば、俺はここから逃れられない。

 体重の軽い莉依ちゃんだけなら何とか逃げられると思ったが。

 目論み通りにいってよかった。

 兵達が体勢を整えていた。

 俺へとジリジリ迫る。

 そう焦るなよ。

 もう、俺は死ぬ。

 身体中血だらけだ。

 これで生きているのが奇跡なんだから。

 痛みはもうない。

 徐々に抗えない感覚が訪れる。

 いつもの感覚だ。

 死ぬ前の。

 そして、いつもとは違う。

 いつも以上に暗く、重く、気持ち悪い。

 怖気の中、俺は暗闇の姿を視認する。

 兵達が俺へ剣を振り降ろした。

 衝撃の中。

 俺は絶命し、意識を完全に失った。

 慣れた死ではない。

 完全な死。

 もう俺は生き返ることはない。

 その思い通り、俺の意識は戻ることはなかった。

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