第73話 決別の中で生まれた感情

 天を切り裂く白刃から逃れることはできない。

 雷撃の如く轟音を発しながら、巨大な剣は俺を押し潰した。


「がああああああああああああっ!」


 断末魔の悲鳴をあげながら、俺は肉体を消失した。

 その場に堕ちた力は場から逃げず、周囲を破壊し続ける。

 生き返る俺も、死んで生き返り、また殺される。

 光が俺を破裂させる。

 意識と肉体が弾け、また元に戻り。

 それは永遠にも思える拷問だった。

 知っている。

 これくらいならばまだいい。

 楽に死ねるだけマシだ。

 そう一瞬だけ思うと、また意識が失われる。

 光のカーテンが視界を覆い、何も見えない。

 大音量が鼓膜を破壊し、そのまま音が消える。

 そして。

 長い長い死の輪廻は終わりを告げる。

 やがて。

 俺は肉体を失い、そして顕現することもなくなる。

 俺の意識は虚空を漂い、自我は消散した。

 俺はこの世から消えたのだ。


「は、ははは、し、死んだ! 殺した! 殺してやったぞ!」


 声が聞こえた。

 その声は明らかに安堵していた。

 くずおれて、高笑いを続ける。

 よほど、窮地だったのだろう。

 脱し、胸をなでおろしていることは明白だった。


「粉微塵に消え去った。消えたんだ。殺した、不死の死神野郎をぶっ殺してやった!」


 狂気を滲ませた口調だった。

 だが、それは一瞬の出来事。

 長府は突然、哄笑を止める。


「は?」


 間の抜けた声音が聞こえ、呆けた顔が見えた。

 地に足がついている。

 体躯に体重を感じる。

 全体は気怠く、立っているのも面倒だ。

 頭もまともに働かない。

 四肢はいうことをほとんど聞かない。

 だが、間違いない。

 俺はまだ生きている。

 五体満足で、再びこの世へ戻ってきた。

 そう。

 いつものように。


「う、そ……だろ、おい。マジかよ。マジで死なないのかよ。

 これだけやっても、これだけ殺しても。冗談じゃねぇ、人間じゃねぇ。

 化け物でもねぇ、し、死神そのものだ……。

 お、おまえは神にでもなったつもりか……っ!」


 長府の声は震えていた。

 俺は緩慢に振り返る。

 怯え、地面に座り込んだまま立とうともしない男に向けて一歩進む。

 そして。


「やめてえええええっ!」


 遠くで江古田の悲鳴が聞こえたが、俺の行動は止められない。


「あ、が、は、ぐぐっ……くそ、やろ、うが」


 長府の胸部には俺の拳が埋まっている。

 俺は渋面を浮かべ、手に伝わる脈動をそのまま握り潰す。

 ドクンと動きを止めた長府は、そのまま地面に伏した。

 確実に死んだ。

 長府和也という男を俺がこの手で殺したのだ。

 俺は冷静さを取り戻し。

 死体を見下ろした。

 身勝手だと思う。

 今まで何人も何百人も殺して。

 なぜそう思ったのか。

 俺は長府の死体を見て、嘔吐した。


「が、はっ、はぁはぁ」


 仕方がなかった。

 殺すしか道はなかった。

 奴と共に歩む道はなかったのだ。

 俺は何度も殺された。

 それは長府自身、殺す覚悟をしていたということ。

 ならば殺される覚悟もしていなければおかしい。

 考えていなかったとしても、殺そうとして殺されないなんて都合のいい世界はない。

 だが、どうしようもない気持ち悪さはあった。

 恐らく、同郷の人間を殺したせいだ。

 日本人を殺したという事実が、俺を苛んでいる。

 異世界人も同じ人間だと頭ではわかっていても、やはり同じ世界の人間とは僅かに違う。

 だから、殺したという事実が、俺に重くのしかかった。

 わかっている。

 今更、後悔なんてするつもりはない。

 これから起こることをすべて、俺は受け入れる。


「勇者様!」


 声に見上げるとカタリナがこちらを見下ろしていた。

 彼女は飛翔魔法が使えるらしい。

 俺や長府に比べると機動力は低い。


「どこ見てるんだ!?」


 こちらに気をとられた彼女の背後から、沼田が攻撃する。


「きゃあっ!」


 背中を大爪で切り裂かれたカタリナは地面に落下する。

 体勢を整える暇もなく、落下の衝撃をすべて華奢な肉体に受けた。

 足音が聞こえた。

 音の方に視線を投げると、江古田が長府を見て、呆然としている。


「う、そよね、か、和也君、死んじゃったの?」


 覚束ない足取りで長府の遺体に近づき、座り込んだ。

 目の焦点があっていない。


「は、はは、じょ、冗談でしょ? だ、だってすごい強いんだもん。

 か、和也君は最強の勇者なんだもん。いつも、言ってたよね。

 俺が一番強いって、他の、異世界人なんて相手にならないって。

 ドッキリなんでしょ? ねえ、ねえ……ねえ!」


 江古田は声をしゃくり上げながら、涙を流している。

 半ば劇的な別れの場面。

 そんな光景でも俺は心に揺らぎはない。

 長府は俺を殺そうとし、俺は長府を殺した。

 それだけだ。

 もしも互いに敵と認識せずにいれば、こんな結末はなかっただろう。

 だが、たらればの話なんてしてもしょうがない。

 言い訳はない。

 罪悪感もない。

 俺は俺の思うまま、俺の譲れないものを守るだけだ。

 江古田が放心状態になっている間、宙のドラゴンは動きを止めていた。

 あれは、金縛り、か?


「ちぃ! またか!」


 どうやら沼田は小倉の瞳術に苦戦しているようだ。

 さて、俺も加勢しなければ。

 そして進軍中の大隊を止めなければならない。

 遠くで小倉の姿が見えた。

 こちらには目を向けず、真っ直ぐ沼田を見ている。

 彼女の能力は見なければ発動しないから当然だ。

 しかし長府の死を知ってなお、動揺している様子は見えない。

 掴みどころがない女だと思っていたが、一体何を考えている?

 俺はその場を去ろうと、脚に力を込める。

 だが、思うようにいかず、全身が痙攣した。

 その瞬間、脳内でけたたましい警戒音が鳴り響いた。

 何が起こっている。

 詳細はわからない。

 だが確信があった。

 俺は危機に瀕している。


「くっ……!」


 身体が動かずその場に蹲った。

 息切れが酷い。

 身体中が鈍麻し、思うように動かない。

 くそ、早くしないと!

 焦燥感の中、酷くか細い声が、明瞭に聞こえた。


「……殺してやる」


 耳朶を震わせる声音は、同様に震えている。

 だが、それは儚さはなく、明確な感情が伝わる。

 憎悪。

 俺は横目で江古田を見た。

 別人のような形相を浮かべている。

 涙で顔中をくしゃくしゃにし、瞳は鬼を思わせるほどに血走っている。

 怒りのあまり、歯を食いしばり口元から血が滴っている。

 狂気に満ちており、心の芯まで震わせる畏怖を与える。

 だが、俺は江古田を脅威とは思っていない。

 俺の中にある焦りは、莉依ちゃん達を、街の人達を守らなければという思いだけ。


 江古田の苦しみも怒りも知ったことではない。

 戦いを挑んできたのはそっちだ。

 殺そうとしたのもそっちだ。

 何を言われようが、何を思われようがどうでもいい。

 俺は江古田を無視して何とか飛び上がろうともがくが、上手くいかない。

 飛んでは、地面に落ち、また起き上がるという行為を繰り返す。

 だめだ、まったくいうことを聞かない。

 シルフィードの魔力もほとんどない。

 江古田はふらふらと立ち上がり、俺に向かい歩き始める。

 それほどに長府に執心していたのか。

 奴は危険だ。

 確実に俺を殺しにかかってくるだろう。

 今の俺の状態では、危険だ。

 『これ以上、殺されてはならない』

 なんとか退避しようと、江古田から離れるように走った。


「ハンゲン」


 その速度が著しく緩やかになった。

 そうか、江古田の能力は、あらゆる現象に対しての演算。

 俺の移動速度を半減させたのか。

 ただでさえ身体がまともに動かないのに。

 江古田はゆっくりと俺へと近づく。

 眼前に顔を近づけ、目をひん剥いた。


「簡単には殺さない。苦しませて殺してやる。和也君の苦しみを少しでも与えてやる!」


 何を言っても江古田は聞きもしないだろう。

 俺の身体はすぐに元通りになった。

 どうやらスキルの効果時間は五秒くらいらしい。

 江古田は近場にあったら大岩を軽々と持ち上げ、俺の頭上に投げた。

 だが、おかしい。

 岩の重さを考慮すれば、あんな挙動はしない。


「解除」


 突然、岩が一気に落下を始める。


「バイバイ」


 俺へと迫り、途中で更に加速する。

 俺はギリギリでなんとか横っ飛びし避けると、地面に転がった。


「α」


 江古田の正面に、目に見える風の塊が現れ、俺へと投げられた。

 顔の前で弾けると、衝撃で上半身が弾け飛ぶ。

 腹部から頭頂部に幾つもの裂傷が走り、右目が潰れた。


「ぎっ!」


 俺はその場から逃げようと、反射的に飛びのこうとしたが、身動きがとれない。


「β」


 身体が重い。

 いや、重力が数倍になっている?

 骨が軋み、圧潰されそうな感覚に陥った。

 内臓が引っ張られ、三半規管が異常をきたす。


「まだ、まだよ。もっと、もっと痛めつける」


 江古田は正気を失っている。

 自暴自棄になっているのだ。

 破壊願望を俺へぶつけ、俺を痛めつけることしか考えていない。

 健常な状態ならば戦えただろうが、今現在、俺は満身創痍だ。


「ちっ! 動けドラゴン!」


 空中では、沼田はまだ小倉の瞳術に捕らわれている。

 どうやら小倉はカタリナが魔術で攻撃するまで耐えるつもりらしい。

 だが、カタリナは地面に衝突した時から気絶してしまっている。

 生きてはいるだろうが、無事とは言い難い。

 どうする。

 考えている暇はない。

 こうなったら一か八か。

 江古田は俺が身動きが取れない状態にも関わらず、気味の悪い笑みを浮かべるだけ。

 そうこうしていると重力は消え失せた。

 俺は立ち上がり、江古田を睨み付けた。

 震える手を掲げる。


「攻撃するの? やってみたらどうかしら」


 余裕のある笑みを浮かべた江古田。

 俺の様子を見れば、そうなるのも頷ける。

 どう見ても、抵抗できる余力はないからだ。

 だが、俺の目的はそっちじゃない。

 俺は地面に手を向け、風を生み出す。


「え!?」


 その力で空中ではなく、地上を転がりながら、強引に身体を加速させた。

 まともに発動しないなら強引に使う。

 向かう先には小倉がいる。

 小倉は視線を空に向けたままだったが、俺が近づく音に気づいた。

 眼を逸らせば沼田は動けるようになってしまう。

 だが、見えないところからけたたましい音が近づいて来る。

 そんな状況になれば、人間はどうするか。


「な、なに!?」


 小倉は耐えきれず俺を見た。

 と、沼田への拘束は解かれ、羽ばたきの音が響く。

 そして俺の体当たりで小倉は吹き飛んだ。

 体勢も方向も加速加減も無茶苦茶だ。

 だが当たった。


「んあっ!」


 妙に色気のある悲鳴を上げ、小倉は吹き飛び、近くの木々に衝突。

 そのまま倒れて、失神した。

 やはり彼女は虚弱だ。

 攻撃さえできれば無力化は簡単だった。


「助かったぜ!」

「だ、だったら……助けろ……」


 自爆覚悟の攻撃だったため、体中が打撲だらけだ。

 痛みに顔を顰め、声を出したが肺が痛み、声量は小さい。

 江古田が走って俺に迫ってくる。

 くそ、もう体力が残っていない。

 俺は何とか立ち上がり、江古田を迎え撃つべく構えた。

 沼田は、一応は俺の下へ向かっているが、まだ少し距離がある。

 江古田の手には長府の剣が握られている。


「おまえは死ねぇ!」


 興奮した様子で江古田は剣を振り降ろした。

 ステータスはそれなりに高い彼女の攻撃。

 俺は回避が間に合わず、腕を斬られる。

 そして痛みの衝撃で地面に転がってしまう。


「はぁ、はぁ、死ね、死ね、死ね、死ね、死んであの世で和也君に殺されるのよ」


 眼を見開き過ぎて四白眼になっている。

 恐ろしい形相だった。

 俺の血が頬を濡らし、余計に不気味だ。

 だがそれがどうした。

 こんなところで死んでたまるか。

 みんなが待っているんだ。

 俺は腕を抑えながら再び地に足をつけた。

 身体中は傷だらけ。

 まともに身体は動かない。

 敵だらけの中で瀕死。

 大群がリーンガムへ押し寄せるのを止めなければならない。


 時間はない。

 余力もない。

 最悪な状況だ。

 改めて考えても意味はない。

 どうせ、いつも最悪なのだから。

 俺は不幸の渦中にいつもいるのだ。

 だったら慣れたもの。

 江古田が俺へと迫る。

 剣を真っ直ぐ俺へ向け、必死の形相で走って来た。

 俺は避けようと足に力を込める。

 が、思うように動かない。

 ガクッと膝が折れてしまう。

 地面に倒れそうになるのを堪えた。

 そして。

 横向きになったところを串刺しにされる。


「うわあぁあぁあぁぁァァッァァーーーーーーッ!!!」


 江古田は絶叫しつつ力のままに俺を押し出し、巨木に叩きつけた。

 剣が俺ごと樹木に突き刺さる。


「がっ……はっ……」


 痛い。

 痛みが、込み上がる。

 嘘だろ。

 なんだこれ。

 今まで感じたことがないほどに痛みが走る。

 スキルがあるはずだ。

 間違いない。まだある。

 なのにこの痛みは。

 痛みは……痛みは警鐘なのだ。

 危険を促す信号なのだ。

 ならばこの痛覚は。

 激しい刺激は。

 いつもの感覚が広がる。

 暗い感情。

 薄れる感覚。

 痛みは失われ、虚無感が満ち満ちていく。

 そして。

 俺は死んだ。


 ――わなわなと震える江古田は、俺を見て激しく動揺していた。


「嘘でしょ……」


 俺は生き返っていた。

 激しい虫の知らせ。

 感じたことがない痛み。

 本能的に得た死への系譜。

 だがそれはどうやら、まだ俺を見離さなかったらしい。

 しかし。

 明らかな変化があった。

 気怠い身体に加え、明確な残滓があったのだ。


「がはっ!」


 俺は吐血した。

 生き返り、傷が完治しているにも関わらず。

 死の代償は少しずつ俺を侵食している。

 俺はその場に膝をついた。


「は、はははは、な、なんだぁ。やっぱり死にかけてるんじゃない。

 不死なんて嘘。みんなが頑張ってあんたを殺したおかげで、もう死ぬ寸前なのよ。

 きっと、もう限界なのよね? だったら、私の手で殺してあげる!」


 江古田は木に刺さった剣を強引に引き抜き、振り上げる。

 だめだ。

 回避する余裕もない。

 ごめんみんな。

 死なないからなんて虚勢を張って一人でこんな場所まで来てしまって。

 でも、これで少しはみんなを助けることができたかもしれない。

 もしそうなら。

 後悔はなかった。

 俺は目を瞑り、最後の瞬間を待とうとした。


「さっさと諦めてんじゃねぇぞ!」


 声に目を開く。

 頭上から沼田が飛び降りて来た。

 なぜ?

 こんな状態の俺を助ける必要なんてないのに。


「火を吐けドラゴン!」


 命令通りグリーンドラゴンは適度に弱めたブレスを吐いた。

 木々は焼かれ、小規模の山火事が起こる。


「もたもたしてるとお仲間が死んじまうぞ!」


 カタリナも小倉も森の中で倒れている。

 彼女達の関係性はよくわからないが、敢えて無視したりはしないだろう。

 その予想通り、江古田は悔しげに顔を顰め、小倉達を助けに走った。


「おら、さっさと乗れ」

「……足が、動かない」

「ああ!? 面倒だな、まったく」


 文句を言いながらも沼田は俺の肩を持ち、立ち上がらせてくれた。

 そのままドラゴンの背中に乗る。


「捕まってろ、急がないとリーンガムに軍隊が押し寄せるぜ」


 まだ時間はあるはずだと思った。

 大隊が出発してそう時間は経っていないと。

 だが、実際は昼近いようだ。

 街からここまで、シルフィードで六時間程度だろうか。

 進軍に倍かかるとして、夕方にはリーンガムに到着してしまうことになる。

 まずい。

 急がなければ間に合わない。


「鱗を掴め、離すと落ちるぞ!」

「わかってる……」


 力が入らないが、弱音を吐いてはいられない。

 ドラゴンが空を舞った。

 風が顔を打つ。

 爽快さはなく、あるのは焦燥感だけ。

 急がなければ。

 いや大丈夫だ。

 莉依ちゃん達は街を出ているはずだ。

 そう思いながらも不安は広がるばかりだった。

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