第70話 死生観

 朝日を背に、ドラゴンは飛翔し、俺達の頭上に厳然と存在している。

 ゴオオオォっと風の通る音が聞こえる。

 ドラゴンは大口を開け、息を吸っていたのだ。

 次に何が起こるのか。

 誰の眼にも明らかだった。


「逃げろぉぉ!」

「ドラゴンだぁァァッ!」


 業火ばドラゴンの口腔から吐き出される。

 炎熱を感じることなく、一瞬の内に、地上は焦土と化した。

 その中央には俺と将軍がいる。


「おのれええええええええっ!」

「ぐああああああああああっ!」

「ひぃっ、ふぶぅ!」


 慟哭、千々に乱れ、兵達は炎にまかれた。

 肉を焦がし、異臭を感じることもなく、激痛の中で命を失う。

 俺も同様に、身体は炎上。

 死に、生き返るとまた轟炎の餌食となる。

 およそこの世の光景とは思えない、無残な情景だった。


「死ね死ね死ねぇ、はーはっはっははっ!」


 沼田は狂乱の中、一人高笑いを浮かべる。

 奴の狙いがわかった。

 俺を餌に、将軍ごと殺すつもりだったのだ。

 俺は死んでも生き返る。

 だから、俺に敵を集まらせ、将を殺す算段だった。

 普通に敵陣で暴れるだけではどうしても敵は分散する。

 仮にドラゴンが強襲すれば敵将達は隠れてしまうかもしれない。

 そのため俺へ意識が集中している中、ゆっくりと近づいた。

 暗闇に紛れ、足音さえもほとんど漏らさないとなれば、ドラゴンと言えど存在を隠しとおせるかもしれない。

 実際、沼田はそれをやり遂げ、タイミングを見て攻撃を開始した。

 炎にまみれている兵は二百程度だろうか。

 かなりの数ではあるが、五千という数を見ると少ない。

 いくらドラゴンでも五千と真っ向対決したら殺される。

 だから、この作戦をとったのか。

 確実に将を殺すために。

 将軍は俺の目の前で炭化した。

 周囲の人間も死に、人間だったものへと変貌する。

 緑火はやがて止み、矢や魔術がドラゴンへと向かう。


「ぜ、全員で攻撃するんだ!」

「しょ、将軍!?」

「将軍が身罷られた……戦死だ」

「仇討ちだ。将軍のためにも奴らを殺せ!」

「そっちの異世界人は捕縛しろ!」


 頭を斬り落としても止まることはなかった。

 思った以上に兵達の将軍に対する信頼が厚かったようだ。

 これは厄介だ。

 トップを殺しても、奴らは止まらない。

 もしかしたら大隊長辺りが一時的な将軍となるかもしれない。

 だめだ。

 やはり半壊させるくらいでなければ。

 俺は大火傷の中、自らの命を絶ち、再び生き返ると、空を見上げた。

 沼田は矢弾を避けつつ、兵達を攻撃している。

 だが、さすがにドラゴンと言えど、集中砲火の中では生きてはいられない。

 俺は炎熱の籠っている中、空中に飛びあがった。

 衣服はボロボロ、ほとんど裸だ。

 鎧は何とか体裁を保っているが、防具としての役割は果たせないだろう。

 沼田の野郎、後で一発殴ってやる。

 そう決意しつつ、俺は宙を移動し始める。

 さっきと違い、ドラゴンという大きな標的がある。

 そのため俺への攻撃は多少は弱まっていた。

 全大隊長の殲滅が急務だ。

 そうすれば状況も変わるだろう。

 まずは大隊長リカルドから殺す。

 俺は空中で矢の雨を避けながら件の標的を探す。

 見つけた。


「殺せ、殺すのだ! 何をしておる、さっさと殺さないか!」


 後方で偉そうに命令をしている姿が見えた。

 俺は頭と心臓を腕で防ぎながら、一直線にリカルドの元へと滑空する。


「ち、近づけるな!」

「はっ!」

「撃て撃て! 撃ち尽くせ! この際、仲間に当たっても構わん!」


 四肢に矢が突き刺さる。

 だが構わない。

 殺せればいい。

 そう思い、俺は加速する。

 矢の速度と、俺の速度が相乗し、威力は増してしまう。

 太腿を貫き抜ける矢を無視する。

 痺れるような感覚も慣れたものだ。

 気にしない。

 数秒の後、俺はリカルドの目の前に移動し、轟音と共に着地する。


「くっ! な、何をしている! 守れ!」

「は、はっ!」


 戸惑いつつも兵がリカルドを守る。

 だが、俺は兵ごと殴りつける。

 全力のパンチに加え、風力の加速。

 俺の持っている最大の膂力で、兵の腹部を貫いた。

 そのまま俺の拳はリカルドの心臓に届く。


「が……はっ……きさ、ま……」


 兵とリカルドの血眼が俺を射抜く。

 だが、感慨はない。

 命を刈り取ると、俺は腕を引いた。

 リカルドは地に伏す。


「い、せかいじ、ん……は、信用、ならぬ、と進言した、のに。

 オーガス、の勇者、さえ……も、勇王、さま、お気をつけ……くだ……」


 リカルドの瞳に光がなくなる。

 どろっと濁り、生気は失われた。


「り、リカルド大隊長まで」

「こ、これでは、先遣隊は、ど、どうなるのだ」

「まだ、まだだ! 他の大隊長殿がおられる!」

「そうだ! 物怖じするな。臆すれば死ぬぞ!」


 兵達のどよめきは止まらず、やがて伝播した。

 しかしさすがの練度を誇るオーガス軍兵士。

 やがて士気を高め、俺をねめつける。

 やはり、すべての希望を摘み取られなければこいつらは止まらない。

 迫る兵達に向き直り、俺は再び構える。

 最早、躊躇はない。

 殺して、殺して、それで守れるものがあるのならば喜んで殺す。

 綺麗事なんていらない。

 俺の手でいいならば幾らでも汚す。

 まともに生きていけるとは思わない。

 転移した瞬間、俺はまともな人生を奪われたのだから。

 だったら、せめて俺の大事なものを守ろう。

 戦うことでしか守れず、奪うことでしか叶わぬならばそれでいい。


 俺は、血濡れの道を最初から歩んでいるのだ。

 そして決めたのだ。

 コロセウムで莉依ちゃん達を助けた時。

 ドラゴンを討伐しようと決めた時。

 長府達と対峙した時。

 沼田を殺そうとした時。

 リーンガムを発つと決めた時。

 すべてで俺は覚悟していた。

 抗うと。

 戦うと。

 そして、手段を選んでいる余裕はないのだと理解していた。

 だから戦う。

 非難されても、受け入れられなくとも、そう決めたのだから。

 死の輪廻から外れた俺が、先頭に立ち、皆の盾になると。


 『そうすることでようやく俺は自分の生を実感できる』


 死がなくなった瞬間、死生観が大きく変わった。

 死なないということは、生に関して価値観が変わるということ。

 死という枷がなくなれば、緊張感もなくなり、孤立してしまう。

 人間は死ぬかもしれないという思いがあるからこそ真剣になれる。

 それが希薄だから真剣さが欠けてしまう。

 だが死を間近に感じつつも、決して死なない人間はどうなるか。

 今まで培ったものが崩れ落ちてしまう。

 結局、俺はみんなが大事だと言いながらも、自分のために戦っているのだ。

 自己満足のため、大義名分のようなものを探し、戦う理由を探しているだけ。

 死ぬ瞬間、生き返る瞬間、絶望と希望を垣間見る。

 そして期待するのだ。

 『このまま死んでほしい』と。

 死にたがっているわけじゃない。

 だが、死を失った俺は死を欲している。

 死の可能性を模索している。

 だが、望んで死にたいのではない。

 矛盾しているが、俺の心境こそが矛盾している。

 死なないからこそ、死という救いを求めている。

 今すぐ死にたいわけじゃない。

 だけど、このまま死なないという現実が俺を苛み続けるとしたら……。

 恐ろしくてしょうがない。

 だから俺は戦い、死に続けているのだ。

 怖い。恐ろしい。だけど、反して望んでいる。

 二律背反だ。

 せめて死の残滓を、死の前兆を俺に与えて欲しい。

 これは力だ。 

 だが同時に呪いでもある。

 相手にとっても、俺は脅威に他ならないだろう。

 だから戦える。

 死を恐れないからこそ、死を享受しているからこそ戦える。


「がああああ!」


 気づけば俺は咆哮していた。

 それは人間のものとは思えない。

 獣を彷彿とさせるただの雄たけびだった。

 叫びで鼓膜は揺れ。

 鮮血で周囲は赤く染まる。

 身体の至る所が痛み、怪我は無数にある。

 死体は数えるのも億劫になるほどだ。

 俺を見る目は一様に恐怖が滲んでいる。

 兵達は俺がどのように見えているのか。


「し、死神」

「こ、こいつは死神だ!」


 強靭で不屈の闘志を持ち、命令には従順、その上、過酷な鍛練を生き抜いただろう。

 そんな彼等でも俺に対して恐怖心を抱いている。

 俺はそれほどに逸脱した存在なのか。

 陶酔はない。

 あるのは、一種の諦めだけだった。

 力に酔いしれる素質は俺にはなかったようだった。

 ――日が明るくなった。


「はあはあはあ、はぁ、ふぅ、ふっ」


 肺が悲鳴を上げている。

 赤が顔中、体中に滴っている。

 こんな姿、莉依ちゃん達に見せてしまったら怖がらせてしまう。

 それでもいい。

 俺を蔑み、俺を忌避するならそれでいいのだ。

 俺が求めているのは、死と生を感じられる戦い。

 そして大事なものを守る強さだ。

 それはただの理由だ。

 莉依ちゃん達を大事だと思っているのは事実だ。

 それでも言い訳にしているという自覚はある。

 俺は、自暴自棄になっているのだと思う。

 正しくいることで正当性を自分に植え付け、戦う理由を探しているだけだ。

 けれど、そうすることでしか理性を保てない。

 死んだという確信があるのに、何度も生き返る形容しがたい、不快感と快感。

 それを幾度も、幾百も経験すれば頭が狂いそうになるのも当然だ。

 当人しかわからない。

 このどうしようもなく、世界から外れてしまったような感覚は。

 周囲は血だまりができている。

 今まで抑え込んでいた、鬱屈した感情が弾けていた。


 何度死んだ?

 三百は超えているはずだ。

 なんだ、まだ俺は死ねるんじゃないか。

 落胆と安堵が同時に去来する。

 兵達は俺を取り囲んだまま近づかなくなっている。

 戦々恐々としているのだ。

 俺は快楽殺人者ではない。

 ただ目的があるだけだ。

 このまま撤退してくれればそれでいい。


「死神、か。まさにおまえにぴったりじゃないか」


 背後で聞こえた声には聞き覚えがあった。

 緩慢に振り返るとそこには長府達の姿があった。

 お仲間達の小倉、江古田、カタリナも一緒だった。

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