第34話 余韻

 そこは赤く染まっていた。

 地面に転がる意思のない人形。

 それが遺骸であると、知っていた。

 俺が殺したのだから。

 人の形をしているそれを山のように積み重ねている。

 俺はそれを見上げた。

 死臭が鼻腔に纏わりつき、そのまま俺の身体の一部となる。

 俺が殺した。

 何人も。

 いつの間にか、足元には何人もの死体。

 いや、生きている。

 手を伸ばし、俺の足首を掴んでいた。


『どうして、殺した』


 耳元で金壺眼になっているメイガスが囁いた。

 殺さなければみんなが殺されていた。


『自分は死なないのに』


 兵士達が唸りながら言う。

 確かに死なない。

 俺だけが安全圏にいる。

 死の輪廻から外れ、人の業を寄せ付けない。

 不死。

 人であることをやめた人外の証拠。


『何の覚悟もなく、殺した』


 武人達の顔が浮かぶ。

 覚悟はあった。

 受け入れている。

 後悔はない。

 だが、それは完全に正しかったと論じているわけじゃない。

 そうするしかなかった、それだけだ。

 くすんだ肌をしている死者達が俺に縋る。

 怨嗟の声を漏らし、光のない瞳を俺に向けている。


『クサカベ様……どうして、助けてくれなかったのですか』


 眼窩は落ちくぼみ、眼球が存在しないサラが俺を見る。

 おまえが俺にしたことを忘れてはいない。

 だが……だが、俺がその気になれば彼女を助けられたのではないか?

 間接的に殺したのは俺じゃないか?

 俺は普通の人間じゃない。

 死なない。

 ……本当に死の重さを俺は理解しているんだろうか。


『クサカベ』

『クサカベ』


 エインツェル村の長ゴルムとカルムが俺を真っ直ぐに見つめていた。

 だが、彼等は全身血だらけだった。


『トラちゃん』


 リンネおばちゃんが俺に向けた感情は悲哀だった。

 ただ名前を呼ぶだけ。

 隣には息子のリガッツが無言で立っていた。

 強い執着心を感じる。

 彼女は人間として死ななかった。

 それでよかったんだろうか。

 ……俺がエインツェル村に行かなければこんなことにはならなかったんじゃないか?

 それとも、そんなことは関係なく同じようなことになっていたのか?


 これは悪夢だ。

 殺人を犯した経験が俺に罪の意識を植え付けたのだ。

 そしてそれは自責の念から生まれたもの。

 でなければこんな映像は見えない。


 ――本当に?

 そう考えることが正しく人間の思考である、と考えているからじゃないのか?

 そうすることが普通であると自覚しているからじゃないのか?

 もうそんな杓子定規な常識は存在しないというのに。

 迎合することで社会に溶け込む必要もないのに。

 まだ、俺は『普通』であることに執着しているだけじゃないのか?

 俺は。

 俺は……。

 俺の肉体を残したまま視点が勝手に動く。

 俺という意思から乖離した俺は、冷めた視線を彼らに向けているだけだった。


   ●□●□


 俺は瞼をゆっくりと開けた。

 やはり夢、だったか。

 寝汗が酷い。

 気温は適温だ。

 転移直後からの経過した月日を考えると、日本では大体夏頃になる。

 ただ、グリュシュナは気候が特殊で地域で季節が変わるらしい。

 まあ地理で気候が変わるのは当たり前だけど、それがより顕著だということだ。

 喉が渇いている。


「ふぅ……」


 息苦しさはないが、妙に疲弊している。

 ステータスを見た。

 HPやSTが減っている様子はない。

 何気なく、大した手間もなく自分の状態がわかるのは助かる。

 まあ、病気とかならわからないかもしれないけど。

 俺はベッドから降りて部屋を出た。

 ニースの家に全員が世話になっている。

 それぞれ客室があるのだ。

 宿、というほどではないが、ニースは村の住民以外の来訪者がいる場合、間借りさせているらしい。

 俺は廊下を進みリビングに移動した。

 と、灯りが視界に入った。

 誰か起きているのか?

 居間に入ると、暖かみのあるランプの光が室内を照らしていた。

 結城さんだ。


「あ、こ、こんばんは」

「あ、ああ、こんばんは」


 俺は気まずい空気を感じ、リビングを通り、台所に向かう。

 床に扉がある。開くと穴が空いており、そこに飲み物が幾つかある、はずだった。

 瓶は全部空だ。


「……飲み物なら、ホットミルクがそこにあるよ。

 温めたばかりだからまだあったかいと思うけど、飲む?」

「あ、ああ。ありがとう」


 いつの間にか、結城さんが傍に立っていた。

 俺は戸惑いながらも結城さんの提案を飲む。

 結城さんは棚からコップを取り出して、ケトルを傾ける。

 コポコポとミルクが注がれ、湯気を漂わせていた。


「はい、どうぞ」

「悪いね」

「どういたしまして」


 手渡されたコップを握り、俺はどうするか戸惑った。

 このまま一度部屋に戻るべきか。

 それともここで牛乳を一気飲みするか?

 いや、死ぬ。

 今の俺なら、喉が火傷して死ぬぞ、多分。

 まだステータスマイナスだし。

 ゆっくりと牛乳を啜る。

 甘くて温かい。

 立ったまま飲んでいたら、結城さんがおずおずと口を開いた。


「……す、座ったら?」

「あ、ああ、そうするかな」


 四人掛けのテーブル。

 俺は結城さんの正面には座らず、斜め前の椅子に腰を下ろした。


「え、と、占い結果どうだった?」

「『最後にわかる』って」

「……どういう意味だ?」

「さあ……それだけ言われた。ババ様もよくわからないって言ってたけど。

 でも当たる確率六割だし、あまり気にしなくていいかもしれないね」


 莉依ちゃんにも聞いてみたけど、話したくないみたいだった。

 プライベートに足を踏み入れるつもりはないし、俺はそれ以上何も言わなかった。


「そうだな」


 俺の言葉を最後に、微妙な間が空いた。

 そして無言。

 気まずい。

 ズズッと飲み物を啜る音だけが響いている。

 昼間の一件がある分、何と言えばいいのかわからない。

 彼女が俺に対して抱いている感情は、間違っているとは思わない。

 見解の相違だろう。

 だから俺の行動や考えを結城さんに押し付ける気はない。


「あの、さ」

「何だ?」


 沈黙に耐えられなくなったのか、結城さんが口を開いた。


「昼間の、ことなんだけど」

「……ああ、気にしなくていいよ」


 結城さんも気にしていたらしい。

 俺は別に彼女に対して負の感情を抱いてはいない。

 だが、結城さんは激しく首を振った。


「あ、あたしが悪かったと思う。あんな言い方して……ごめん」


 俺は呆気にとられた。

 まさか謝られるとは思わなかったのだ。

 人を殺した。

 言葉で言うのは簡単だ。

 相手を恫喝したり憤ったりする時に、虚勢として使う人間もいるだろう。

 だが、実際、そんなことをしている人間は、日本には、いや世界中を見ても、早々いない。

 いつ巻き込まれるかわからない理不尽。

 あるいは意図せず、突発的に殺してしまうかもしれない。

 まさか自分が関わるとは思わない。

 それは非現実的なことであるかのように思っている。


 倫理の外の話なのだ。

 だから受け入れられないのは、正しく現代に生きた人間としての道徳心を培っていると言える。

 間違いではない。

 ただ、この世界では甘いというだけだ。

 けれど、俺はその甘さを否定しない。

 順応性が高いことが、常に最良とは限らないのだから。

 俺は我に返り、緩慢に言葉を紡いだ。


「動揺して当然だし、本当に気にしてないよ。

 俺が正しいと言うつもりはない。ただ、俺はこれでよかったと思ってもいるんだ。

 そして、これからも同じことが起こると思う。でも俺は逃げるつもりはないから」

「強いんだね、日下部君は」

「弱いんだ。弱いから不安なんだよ。だから抗う。それだけなんだ」

「ううん、そんなことないよ。あたしはただ、助けられただけ。

 本当は、君に感謝したかったんだ。けど、怖くて、受け入れられなかった。

 ごめん、それと……ありがとう」


 複雑な感情が彼女の中で渦巻いていると感じた。

 これまで十数年間平和に暮らして、突然こんな場所に転移させられたのだ。

 戸惑って当然、順応できない人間が出て当然だ。

 俺は頭を振る。


「感謝も謝罪もいらないよ。俺が勝手にやったことだしな」


 俺はできるだけ自然に笑みを浮かべる。

 そうすれば少しは結城さんの良心の呵責を払拭できるのではないかと思ったからだ。

 だが、結城さんは慌てて俯いてしまった。

 なんか失敗したかも。


「こ、これからどうするの?」

「俺は少しだけこの集落で世話になってから他の転移者達を探そうと思う。

 ババ様の依頼もあるし」


 それに、俺自身の願いもあるし、帰る手段も見つけなくてはならない。

 色々な目的はあるが、そのすべてにおいて集落に留まっては得られない。

 リーシュとの約束もある。

 確か、城に連れて行く、とか言っていたし、集落を襲うことはしないだろう。

 ……ただ、俺の中でリーシュに対しての認識は変わってきている。

 最初に比べ、少し近しく感じているのだ。

 何より、あいつは無闇に誰かを傷つけたりしていない。

 初対面の時、村人を人質にとったが、結局言葉だけの脅しだった。

 あいつ本当に邪神なのかな。

 なんか、悪い奴じゃないと思うんだけどな……。

 そう思うのは早計なんだろうか。


「そっか。あたしは、どうしたらいいかわかんないんだ」

「帰りたいとかは思わないのか?」

「んー、帰りたくはあるけど、危ない橋を渡るのは……」

「じゃあ、ここに留まった方がいいんじゃないか? ここなら安全だろうし」


 多分、だけど。


「迷惑かけそうじゃん? ほら、あたしのバッドステータス」


 ああ、そういえば。

 結城さんも俺と同じようなバッドステータスを持っていた。

 


●バッドステータス

 ・望まぬ未来

   …時折、自分が嫌い、苦手な出来事に巻き込まれる。回避は不可能。



 これだな。

 ただ、俺のも同じだけど、要領を得ない内容だ。

 どれがバッドステータスで起きたことなのか判断しかねる。

 単純に運が悪かったのかもしれないし。

 しかしだからこそ彼女の気持ちはわかる。

 俺もトロールや拷問、不幸な出来事はすべてバッドステータスのせいだと思っている感じだし。

 ただそこまで自分を中心に考えるのも傲慢な気もする。


「かと言って、この村を出れば世界中から狙われる、わけだし。

 何より、あたしが日下部君と一緒に行けば足手まといになるし。

 あたしは誰かを殺したりは、できないと思う、から」


 申し訳なさそうに結城さんは目を伏せた。


「別にいいんじゃないか?」

「へ? い、いいって?」


 結城さんは俺の言葉の真意がわからず、戸惑っている。


「いや、相手を殺す必要はないだろ。

 そもそも、俺も誰かを殺したいわけじゃない。

 魔物退治くらいはするだろうけど、人殺しはできるだけ避けたいさ。

 それに君は足手まといにはなりにくいんじゃないか?

 結城さんの能力、別に戦うだけのものじゃないだろう?

 例えば、エインツェル村であった逃げる手段に使うとか。

 それに、身体能力を向上する、ってスキルだからこそ殺さなくても済むと思うぞ?

 早く動ければ、相手を殺さず無力化する方法も選べるからな。

 結城さんって、度胸はあるだろ?

 だったら『殺さない戦い方』もできるんじゃないか?」


 結城さんは目を見開き固まっていた。

 数秒、間隔を空けて、ゆっくりと視線を落とす。


「そ、っか。別に殺す必要はないよね」

「ああ。ただ、相手を傷つける覚悟は必要だ。

 生き残るためにも。相手を殺さないためにもな」

「そう、だね。うん……うん! そうじゃん!

 よっし、決まった! なんか悩んでたの馬鹿みたい!」


 甘いと言われようと俺は結城さんの考えを尊重する。

 俺は殺す必要があれば殺す覚悟がある。

 だが、その覚悟を他の人間が持つ必要はない。

 莉依ちゃんにはその重荷を背負わせてしまった。

 いや、背負ってくれたのだ。

 だから、俺は前向きになれている部分もあった。

 結城さんは立ち上がり、手を差し伸べて来た。


「あたしも君の旅について行くよ。他の人のことも気になるし」


 ニコッと笑う結城さんを前に、俺は僅かにたじろぐ。

 そう言えば、この娘、こういう性格だったな。

 最初で会った時、快活な印象が強かったけど、最近は色々あり過ぎて忘れていた。

 俺は薄く笑い、結城さんの手を握る。


「よろしく!」


 結城さんはぶんぶんと上下に腕を動かす。

 ははは、それ以上すると俺の肩の骨が外れちゃうぞー?

 何度目か迎えると、突然手を離される。


「じゃ、頑張ろう! 頑張って、色々頑張って、とりあえず強くなって。

 んで、みんな見つけて、えーと、とにかく! がんばろっ!」


 えいえいおーと手を上げる結城さんを前に、俺は苦笑を浮かべる。


「あんまり大声出すと、みんな起きるぞ」

「はっ!? し、しまった」


 結城さんは咄嗟に口を塞いだ。

 そして気恥ずかしそうに笑うと、小さく手を振る。


「じゃあ、寝るね。おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 俺も手を振りかえすと、結城さんはとことこと部屋に戻って行った。

 なんとも元気な娘だ。

 だけど、なんだか心が僅かに軽くなった。

 気づけば悪夢のことを忘れていた。


「頑張ろう……か」


 端的だが、的確だ。

 頑張る。

 努力する。

 結果を出す。

 単純なことだ。

 やることは沢山ある。

 だが、一先ずは。


「寝るか」


 そうすることにした。

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