第31話 ねこねここねこ

 ざらざら。

 顔がヒリヒリする。

 ざらざら。

 これは何かの拷問か?

 また始まったのか?

 身体が動かない。

 金縛りか。それともまた拘束されているのか。


「ぐ、ぐるしぃ」


 声は出る。

 なんか、重い。すごい重い。

 それに何か独特の臭いが……。

 もさもさする。

 ざらざらする。

 なんだこれ、何をされているんだ?

 意識を覆っていた霧が、少しずつ晴れていく。

 瞼が徐々に開く。

 何かが見えた。


「んにゃ」


 まんまるの瞳が目の前にあった。

 小さい。

 子猫だ。

 まだ頭が働いていないからか、俺と猫は見つめ合った。

 視界に違う猫が入って来る。

 そして猫。

 別の猫。

 さらに猫。

 新たに猫。

 どんどん猫が集まって来た。

 どうやら俺はベッドに寝ているらしい。

 サイズがちょっと小さい。

 衣服は着替えさせられており、血まみれではない。

 身体を見下ろすと、そこら中に猫が寝ていた。


 にゃあ、うにゃあ、にゃあ!


 異世界の次は、猫世界に迷い込んだらしい。

 いいだろう。

 こう見えて、俺は犬よりも猫派だ。

 くくく、遊んでやろうじゃないか。

 だが身体は動かない。

 忘れてた。

 俺、ステータスがまたマイナスに戻ったんだった。

 恐らくは、あの力の代償。

 まさかレベルとステータスを消費して、強大な力を得られるとは。

 あれが俺の能力、なんだろうか。

 そう考えれば、他の人達よりもレベルが異常に低いのも、異常にレベルが上がりやすいのも筋が通る気がする。


 にゃあ。


 それよりも。


 にゃあ。


 この状態。


 にゃあ!


 なんなの?


 身動きが取れず、困っていると、部屋の扉が開いた。

 そこには猫がいた。

 ただし、他の猫と違って、人のように二足歩行している。

 ただ顔は完全に猫だ。

 人型だけど猫なのだ。

 服を着ているが、女性物だった。

 それに猫の割には身体が大きい。

 莉依ちゃんより、少し低いくらいだろう。

 知的な光を瞳に宿している。

 その猫が俺の様子を観察するようにじっと見つめる。


「にゃんだ、起きてたんだにゃ」


 数多の修羅場をくぐり抜けて来た俺もこれには驚いた。

 まさか、二足方向の猫が喋るなんて。

 ……そりゃ、ファンタジー世界だもんな。


「ここはどこなんだ?」

「にゃ? ここはネコネ族の集落にゃ。朱夏にゃんから聞いてないにゃ?」


 おい。


 にゃ、って。


 おい。


 なんだこの、胸の奥がざわざわする感覚は。

 くそ、思わず、よーしよしよし、と撫でたくなるような衝動に駆られそうだ。

 だが、相手は言葉を話す。

 つまり普通の猫のように扱ったら失礼に当たるかもしれない。

 落ち着け、俺。

 俺は平静を装い、会話を続ける。


「いや、何も聞いてにゃ……ないな」


 落ち着け……!


「にゃるほど。じゃあ、自己紹介にゃ。わたしはニースっていうにゃ」

「俺は日下部虎次っていうんだ。よろしくな、ニースさん」

「ニースでいいにゃ。わたしもクサカベでいいにゃ?」

「ああ、じゃあニースで。俺も呼び捨てで構わない。それで、ここはどこなんだ?」

「ここはわたしの家にゃ。他の連中は村の中を見回っているところにゃ」

「じゃあ、到着してあんまり経ってない?」

「にゃにゃ。さっき着いたばかりにゃ。体調はどうにゃ?」

「悪くないけど、できればこの猫たちをどけてくれるかな?

 自分で言うのもなんだけど、虚弱体質なんだ」

「わかったにゃ。それにしてもかなり懐いてるにゃー」


 せっせと俺の上に乗っている猫達をニースがどかしてくれた。

 十数匹いる。

 こんなに飼っているんだろうか。


「この子達に好かれるにゃら、君は良い子みたいにゃ」

「その猫は全部飼ってるのか?」

「にゃ? 飼う? 違うにゃ。

 他の家族のお子さんを預かっているんだにゃ。ウチは広いからにゃ。

 ネコネ族は生まれた時にはこういう姿にゃのにゃ。

 成長すると、あたしみたいになるにゃ」

「そ、そうなのか。想像できないな」


 猫とニースではかなり体格差がある。

 いや、考えてみればそんなにおかしなことじゃない、か?

 俺はふとした疑問を抱きつつも、立ち上がる。


「にゃ、それじゃ外に行くにゃ。辛いなら手を貸すにゃ?」

「いや、いいよ。ありがとう」

「変な人間にゃ。普通、亜人を初めて見た時は驚くにゃ。

 なのに、きみは驚いてないにゃ。それにウチの子達がこんなに懐くのは珍しいにゃ。

 ふみゅ、やっぱり一度ババ様に見て貰った方がいいみたいにゃ」

「ババ様?」

「にゃにゃ。色んなものが見えるすごいお方にゃ。

 それじゃ、あたしは用事があるから行くにゃ。

 きみは、外に行くといいにゃ。お仲間もいるにゃ」

「ああ、ありがとう」


 ニースは手を振り肉球を存分に俺へと見せつけると、外に出て行った。

 足元に猫達がいる。

 足にまとわりつくが、構ってやる時間は今はない。

 早い所、みんなと話さないと。

 状況がよくわからないし。

 とにかく身体が重い。

 またステータスがマイナスだからな……。

 一応、更新部分だけ、もう一度確認しておこう。



・称号:力を喪失せし始動者


・LV:-9,999,999

・HP:10/10

・MP:0/0

・ST:10/10


・STR:-9,999,999

・VIT:-9,999,999

・DEX:-9,999,999

・AGI:-9,999,999

・MND:-9,999,999

・INT:-9,999,999

・LUC:-9,999,999


●アクティブスキル

 ・羅刹・狂鬼兵装(バーサーカー)

   …限界に到達する憤怒の情動が発現した鎧型の兵装。

    発動すれば、憤怒の感情が尽きるまで止まらない。

    バーサーク状態になる。STRとVITが突出して向上する。

    使用条件:レベル、ステータスの数値が一定に達している。

    使用後 :レベル、ステータスの数値が著しく下がる。


●パッシブスキル 

 ・死を熟知した者

   …幾つもの死を超えた者の証。少し死に難くなる。

 ・アイアンイデア

   …肉体による攻撃力が少し上がるが、道具を用いた攻撃が一切できない。

    ただし兵装は別。

 ・超越者の記憶

   …一度、到達したレベルやステータスまで数値が上昇しやすくなる。

    また、到達数値によってレベルやステータスの最下限がプラスに上昇する。

 ・フルデバフレジスト

   …あらゆる状態異常に耐性を持つ。

 ・フルダメージレジスト

   …あらゆるダメージと痛みを軽減する。


●バッドステータス

 ・羅刹の欠片

    …羅刹に堕ちた者の証。強大な力の代償として、生物としての力を一時的に失う。



 『羅刹の欠片』の説明文で『羅刹・狂鬼兵装(バーサーカー)』を使用したことで、今の状態になったのはわかる。

 ただ、マイナスは九百万だ。

 以前はマイナスエラーで、数値が表示されてもマイナス九億だった。

 ということは、多少は強くなっているということか。

 これは『超越者の記憶』の効果によるものだろう。

 このスキルのおかげでマイナス九百万が最下限となった、と。

 あとはマイナス状態でも『死を熟知した者』のスキルで死に難くなっているようだ。

 今までみたいに、何もせずに死ぬようなことはないみたいだ。

 その証拠に俺は死んでない。

 今も、普通に寝ていて起きただけだし。

 まあ、マイナスだから相変わらず最底辺生物だけど。

 それに加えてレジスト系スキルが二つ増えている。

 あらゆる、という文言から、ちょっとした段差でダメージを食らうようなことはなくなったと考えていいかも。


 そして問題のアクティブスキル。


 『羅刹・狂鬼兵装(バーサーカー)』


 これは一体なんだ?


 説明文を見るに、怒りの感情を抱いたことが切っ掛けになっていたと推測はできる。

 ただ、なんでこんな能力が発動したんだ?

 バーサーク状態ではステータスもレベルも異常値を出していた。

 その反動で今、マイナスに逆戻りしているわけだけど。

 やはりリスポーンや死なない能力、それにレベルアップで体力が回復するのは、サブ能力のようなものなのか。

 圧倒的な力を得られるスキル。

 それが発動できる代わりに、それだけの枷がある、と?

 マイナスまで虚弱になるのもそれが理由か。

 レベルを消費して使う力。

 強いけど、一度しか使えないわけで。

 しかも、使うまでにレベルを上げておかないといけないわけで。

 なんというか。


「使い難い……」


 癖が強すぎるわ!

 汎用性、なにそれ? みたいな状態だ。

 ただ羅刹になっても、リーシュに勝ってるのはSTRとVITだけなんだよな。

 神に勝っている部分があるだけでもすごい気もするけど。

 というか、本当にまた使えるんだろうか。

 あの時の感覚、怒りにすべての感情を塗り潰されるような。


 諸刃の剣だ。


 このスキルを頼りにするのは危険かもしれない。

 少なくとも今の俺には。

 まあ、一先ずの危機は脱したわけだし前向きに行くか。

 身体はある程度は動くようになっていた。

 転移時からエインツェル村に向かう時に比べて、現在のステータスは高い方だ。

 その割に、身体が満足に動かなかったのは、プラスからマイナスに転じた反動で身体がついて行かなかったんじゃないだろうか。

 一先ず俺は外に出ようと歩を進めた。

 が、


「にゃあ!」


 猫達が俺の足を掴んで離さない。

 見上げるつぶらな瞳。

 繰り出される猫パンチ。

 転がるけむくじゃらの愛玩動物。


 こ、こここ、ここ、

「こいつぅぅ」


 俺は気持ち悪い笑みを浮かべながら、猫を愛でた。

 耳の付け根、顎の下、尻尾の付け根。

 絶妙な力加減でカリカリと掻いてやる。


「うにゃああ!」

「にゃふぅ」

「んにゃ」

「ここか!? ここがええのんか!?」


 俺は夢中で猫達を撫で続ける。

 様々な種類の猫となれ合っていた。

 そうか。

 ここが天国だったのか。

 なんかこの世界に来て、緊迫し続けていたから心から癒やされる。

 ちょっとくらい羽目を外してもしょうがないと思う。


「く、日下部さん?」


 あまりの多幸感に扉前に立っていた莉依ちゃんに気づかなかった。

 俺は扉側に背を向け、座っている。

 顔は見られていない。

 まだ、大丈夫。

 俺の尊厳は守られているはずだ。

 俺は一拍置き、爽やかな表情のままに振り返った。


「やあ、莉依ちゃん」

「ど、どうも。お、起きたんですね」


 莉依ちゃんは引きつった笑みを浮かべている。

 うわあ……完全に引いてるじゃないか。

 俺は誤魔化すように、猫達の猫なで声を振り切り、莉依ちゃんと共に廊下に出た。


「ほ、他の人達はどこかな?」

「外にいますよ。

 ババ様という方にお話を聞こうってなって、それで呼びに来たんですけど」

「な、なるほどね。ありがとう」

「い、いえ…………猫、好きなんですか?」


 ちらっと上目づかいで見られた。

 気を遣われているのが伝わる。


「え? ま、まあまあかな」

「そ、そうですか」


 静寂が訪れた。

 気まずい。


「と、とにかく外に行こうか」


 この空気には耐えきれない。

 俺は逃げるように玄関へと向かった。


「わ、わかった…………にゃ」


 ……今のは気のせいかな?

 にゃ、って聞こえたのは気のせいだよね?

 俺は思わず振り向く。

 すると莉依ちゃんは顔を真っ赤にして立ち尽くしていた。

 スカートの裾をギュッと握って、恥ずかしさに耐えているように見えた。

 聞き間違いじゃなかったらしい。

 ここは聞こえなかった体で行くか。

 それとも一応聞いた方がいいのか。

 とりあえず萌え死んでおくか。


「えと」

「さ、さっさと行きましょう!」


 莉依ちゃんは小走りで扉を開いて外に出て行った。

 耳や首筋まで朱色に染まっていた。

 なんだろう。

 そんな莉依ちゃんの様子を思い出すと。

 俺も恥ずかしくなってきた。


「突然、あんな風に言われると、そりゃこうなるだろ」


 自分に言い聞かせる。

 それが当然のことなのだと思い込んだ。

 そして、少しだけ深呼吸して、自分を落ち着かせ、莉依ちゃんの後を追った。

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