第30話 渦巻くもの
サラはまさか実の母親に斬りつけられるとは思ってなかったのか、反応ができていなかった。
白刃が煌めいた。
二つの影が交錯する。
そして。
「は……母上……どうして?」
驚愕に打ち震えるサラ。
胸部には真っ直ぐ剣が突き刺さっている。
つーっと剣先から血液が滴った。
数瞬の静寂。
そして、サラは口腔から鮮血を漏らしながら、皇妃を見ていた。
その目にあるのは、著しい悲哀。
「は、母、上……わ、妾は、あ、あなたに……こふっ……あ、愛されて、はいなかった……のはわかって、いました。
そ、それでも、皇女としての……振る舞いは、完璧に……して、いました。
に、日課以外は、り、立派な娘で、あろうと……」
事情を知らない莉依ちゃんは、咄嗟にサラに近寄った。
そして、回復スキルを使用し始める。
だが、出血が止まる気配はない。
つまり、恐らくは……間に合わなかったということなのだろうか。
「私もそこの男もあなたに愛情など抱いてはいません。ただ必要だったから作っただけ。
息子ならまだしも、冷戦状態の現在に娘とは。政略結婚にも使えません。
あなたは誰にも必要とされていませんよ。戯れで生かしておいただけ」
淡々と述べる皇妃を見上げるサラ。
突き放す言葉だったが、サラは驚きもせず静かに目を伏せた。
「……やはり……そう、で、ですか……。
ふ、ふふ……わかってました……。
誰も、わ、私を愛しては、いない、と……」
縋るようにサラは俺を見ていた。
その姿があまりに哀れで、俺は思わず座り込み、サラを見つめる。
「も、もうしわけ、あ、ありま……せん。
わ、妾は、あ、あなたに酷い、し、仕打ちを……。
わかっていた、はずなのに……」
「……もういい、喋るな」
サラは俺の声を聞いてはいない。
聞こえていない、のか。
光のない瞳で、天井を見上げていた。
「はぁ…………やっと、楽に……なれ……」
そんな絶望しかない言葉を残し、サラは動かなくなった。
サラという人間を俺は憎んでいた。
拷問を忘れはしない。
あの痛み、苦しみ、忘れられるわけがない。
しかし、俺の傷は癒える。
だからか、許すつもりはなくとも殺すという考えには至らなかった。
俺は、特殊な力を得たことで価値観が狂っているのかもしれない。
いや……『俺だけのことだったからだ』と、俺は知っている。
「わ、私の力じゃダメでした……回復しても、致命傷だと、な、治らなかった」
「莉依ちゃんのせいじゃない。気にしなくていい。それに……」
こいつは死んで当然の人間だ……そう言いかけて止めた。
環境を全く知らなければ、こんな心境にはならなかったかもしれない。
しかし、今は少しだけサラのことを知ってしまった。
彼女の死を悼みはしない。
けれど。
同情は禁じ得なかった。
親に愛されもせず、手ずから殺されてしまった。
俺は自分の感情がよくわからなかった。
ただ、憐憫だけが明確に浮かんでいる。
俺はサラの手を腹部に持って行ってやると、瞼を閉じさせた。
そんな所作を、皇妃は興味なさそうに見ていた。
怒りはない。
だが、こいつには生理的な嫌悪感がこみ上げる。
皇妃は冷めた表情のまま口を歪ませた。
「改めて、日下部様。私が新たに皇帝となった、エシュト皇国にお迎えしたいのですが。
いかがでしょうか? その力を我が国のため振るって頂きたいのです。
当然、国賓として迎えるつもりです」
「断ったら?」
「仕方ありません、この場で処刑するしかありませんね。
今の日下部様では対抗することはできないでしょう。
それとも他の仲間だけで、この状況をどうにかできますか??」
先程、退避した兵士達が戻って来た。
観客席や今俺達がいる観覧場にも現れる。
妙に、潔く逃げると思ったらこういうことだったのか。
エシュト皇国の内情は複雑らしい。
「ど、どうすれば……」
莉依ちゃんが呟く。
俺にも考えは浮かばない。
いつも窮地に陥っている気がする。
これはバッドステータスのせいなんだろうか。
俺は答えに窮していた。
と、一人の兵士が突然動いた。
「動くな!」
その男は、皇妃の首にナイフを突きつけた。
あれは。
確か、待合室で俺に声をかけてきた男。
希望を捨てるな、と言った兵士だ。
味方、なのか?
「早くこっちに!」
男は間違いなく俺達に言っている。
戸惑う莉依ちゃんに、俺は首肯を返した。
今は選択の余地はない。
「あ、あんた一体」
「話は後だよ! 今はさっさと脱出しないと!」
男は明らかに焦っている。
当然だ。こんな状況で冷静でいられるはずがない。
「結城さんも早く!」
「あ、う、うん」
目まぐるしく変わる状況に、すっかり置いてけぼりされた結城さんだったが、我に返り、俺達の寄って来た。
莉依ちゃんに言われ、俺の腕を肩で抱えてくれた。
「う、動くなよ!」
男は兵士達を牽制しつつ、移動し始める。
観覧場の左右には階段があり、そこから下がれば外に出られるようだ。
俺達は男に続き、兵士達と距離を保ちつつ移動した。
しかしこれからどうするのか。
男にすべてを託すしかない。
階下に降り、通路を歩くと、出口に着く。
そこにはさらに大量の兵士達が待ち受けていた。
と、皇妃を人質にとっていた男が、糸の切れた人形のように倒れた。
矢でも打たれたのかと思ったが、傷はない。
そして次の瞬間、皇妃が不審な挙動をし始める。
ふらついていたが、やがて、毅然とした態度を取る。
「な、何をしておる! この方達に危害を加えることは許さんぞ!」
豹変という言葉が正しい。
皇妃は突然、俺達を庇うような言動をした。
兵士達の間で動揺が伝播する。
「そこをどけ」
皇妃がスタスタと正面に進むと、兵士達も従う。
「こ、こっちに」
皇妃が妙に人間的な声音と表情で俺達に言った。
冷淡な性格の皇妃とは思えない。
どういうことだ。
俺達は疑問に思いながらも皇妃リーンベルに従った。
兵士達も狼狽しながらも放っておくことはできず、そのまま皇妃に追従する。
なんだこれ。
声をかけてくる人間がいない。
これはつまり、皇妃がそれを許さない人間なのか。
それとも皇妃に声をかけていい人間がいないのか。
とにかく、好機だ。
よくわからないが、さっさとこの街から逃げなくては。
コロセウムは街の外れにあるようだ。
周囲には植林がある。
しばらく歩くと街の端に到着した。
街中を通るのか……?
都市は中世を思わせる様相だ。
石畳に、木と石の家屋。
喧噪は活気があるということ。
しかし異様な光景だっただろう。
俺達を筆頭に、背後には無数の兵士がいるのだから。
まるで大名行列だ。
皇妃は無言で先を急いだ。
俺達にとったら、いつ死ぬかわからない状況だ。
事情も理解出来ていない。
不安定な足場を歩いているような気がする。
民衆は俺達を見つけると、ぎょっとし、道を開ける。
突然、馬のいななきが聞こえた。
と、馬車が俺達の前に現れる。
「乗って!」
華奢で、中性的な顔をした少年が乗っていた。
俺達は皇妃を含め、逡巡することなく、瞬時に馬車に乗った。
誰かはわからないが、こんな状況だ。縋るしかない。
馬車が道を駆ける。
「どいてどいて!」
少年が叫ぶと、道を歩いている人達が慌てて逃げた。
顔に似合わずかなり無茶をする。
そのまま正門まで到着した。
門番が内外問わず、行き来する人間を監査している。
だが、少年は構わず馬車を走らせる。
「ちょっと、その人暴れないように捕まえてて! その偉そうな女の人!」
よくわからないままに、その人が皇妃であると気づく。
結城さんが疑問符を浮かべたまま、リーンベルが動けないように抑えた。
すると、突然、リーンベルが周囲を見回す。
「これは……なるほど、誘拐ですか」
皇妃は華奢な身体ながら暴れようとしていた。
結城さんがなんとか抑える。
門を通る。
門番らしき兵士が、乱心したのか他の門番に攻撃をしていた。
そして今度は、近場の商人や通行人、兵士が暴れていた。
暴動が起きているおかげで入り口付近は騒然としている。
そのため俺達を追いかけて来ていた兵士達も、追走に手間取っているようだった。
そして、皇妃がまた無言になり、動きを止めた。
そのまま馬車はすんなりと街の外を走っていた。
逃げられた、のか?
「おっけ! 大丈夫! 僕、一人なら人を操れるんだ!」
操る?
ああ、なるほど。
彼は男、皇妃、門番を順に操っていたのか。
ん?
これは魔術、じゃなくてスキル?
ということは。
「僕は辺見朱夏(へんみしゅか)。もしかして忘れられてる? みんなと同じ異世界人なんだけど」
「お、覚えてますよ」
莉依ちゃんが慌てて否定したが、絶対忘れてたと思う。
そういえば、顔立ちが日本人だ。
服装はこの世界にありそうな感じだからすぐにはわからなかった。
「とにかく、逃げよう。落ち着くまで、話はお預けということで」
「あ、ああ。助かるよ」
「いいんだ。先に僕が助けて貰ったからね。ほら、僕も捕まってたんだ。
リーシュちゃんに助けて貰って、事情を聞いてね。それでなんとか助けようと思って」
邪神を、ちゃん呼びとは。
リーシュは事情を話していないんだろうか。
「そう、だったのか」
「うん、おっと、ここでちょっと止まるよ」
街から大分離れたところで停車した。
皇妃が自ら、下車すると、そのまま俺達とは逆の方向に走って行った。
「あの人、連れて行くと色々面倒そうだからね」
そう言って、再び馬車を走らせる。
追手はない。
いや、あるが、皇妃の方に全員が向かっている。
しばらくは時間稼ぎができそうだ。
「助かった、んでしょうか?」
「あ、ああ、多分」
莉依ちゃんと話すと、窮地を脱したのだと実感出来た。
まだ、気を抜くには早いが、一先ずは安全なはずだ。
「僕がお世話になっているところに行くね。結構遠いから、休んでていいよ」
「な、何から何まで……た、助かるよ」
「どういたしまして」
いろいろ事情を聞きたいところではあった。
様々な事態の中、頭がまともに働いていない。
まだ安心してはいけない。
そう思うのに、身体がいうことを聞かなかった。
疲れた。
本当に、心の底から。
色々ありすぎて、心も体も限界だ。
少し、休もう。
俺は睡魔に身を任せながら、念のため馬車の椅子にリスポーンポイントを定めた。
これで何があっても大丈夫。
「ご、めん……莉依ちゃん、俺、寝る」
「はい。ゆっくり寝てください」
「もし、何か、あったら、俺をおいて……に、逃げて……くれ……」
「絶対にイヤです」
柔和ながら哀しみを含んだ笑み。
共に与えられた即座の否定。
それを受け、俺は著しい安堵を抱いた。
言葉とは裏腹に、莉依ちゃんの言葉が嬉しかったのだ。
俺は身体を支えられず、椅子にもたれかかった。
「お疲れ様でした……虎次さん」
肩に優しい感触が伝わる。
ほのかな甘い香りと、適度な体温。
そして俺は穏やかな感情を抱いた。
安堵すると、一気に意識がなくなった。
●□●□
銀燭の世界。
簡素ながら幻想的な建築物。
そこは神殿だった。
正方形の床板が一部の乱れなくはめ込まれている。
美麗なステンドグラスには五体の神。
右下には妙に開けた空白がある。
周囲の縦長の窓からは光芒が射していた。
ここは天上。そして神域だ。
神殿内には円卓があるだけ。
その周囲に五つの影が見えた。
「状況はどうなっているんだい?」
誠実そうな若者が口火を切った。
どこにでもいそうな風貌でありながら、どこか神秘めいた雰囲気があった。
「知らねェよ、てめぇで見とけや、くそがよ」
苛立ちを隠しもしない若者が吐き捨てるように言った。
煌々と燃えるような赤い髪は彼の心情を表しているかのようだった。
「エシュトの皇帝が身罷ったようですねぇ」
妖艶な笑みを浮かべた女性が、自分の爪を眺めながら答える。
彼女は露出の激しい風貌で、見る者を魅了する。
「ああ……哀しい……死は、ことに、哀しい……。
だが、どうやら皇妃が皇位を継ぐらしい……。
これでは哀しめない……」
痩躯で辛気臭い顔をした青年がぼそぼそと呟く。
俯いて誰を見るでもなく、自分に問いかける。
彼だけが唯一、黒い衣を着ているため浮いている。
「こここ、こ、殺された。こ、殺されたみたいだ。
で、でも、ここ、これでようやく事態が進む」
挙動不審な少女が卑屈な笑顔を顔に張りつけた。
小柄で華奢でありながら、陰鬱で近寄りがたい空気が漂っている。
「神託はここに成ったということだね。
さて『子ら』はこれからどうするか」
「積み重ねた『試練』がどう実を結ぶのか。
そろそろ成果が欲しいものですが」
「うん……ここまでしているのに……同じ状況ばかり。
なげかわしい……大詰め……どんでん返し……期待」
「じゃ、じゃあ、ししし、死ぬ、また死ぬ、死人一杯でる。
たた、楽しみ。いつもの奴、起こる……ひ、ひひ」
嫌悪感を隠しもせず、感情的な赤髪の若者が突如として立ち上がる。
「やってらんねぇ、俺は抜けるぜ」
「アスラガ」
誠実そうな若者に、赤髪の若者、アスラガが呼び止められる。
アスラガは不服そうにしながら、歩を止めた。
「あんだよ」
苛立ちを抑えながらも、覚悟を決めた顔をしている。
何度も見られた対峙だった。
数瞬の緊迫した静寂。
その中で、若者はニコッと笑った。
「いや、君の気持ちはわかる。こういう回りくどいやり方は嫌いなんだよね?
けれど子らには必要なんだ。そうしないと導けない」
「……てめぇらの考えを否定する気は、今んところはねぇ。
だがよ、俺には俺のやり方があんだよ。ここからは勝手にやるぜ」
「規範だけは守ってくれよ」
「わかってるっての」
全員が去るアスラガの背中を見届け、一瞬の沈黙が訪れる。
「じゃあ、見守ろう。グリュシュナの行く末を――」
四人が同時に頷く。
そして若者は言った。
「戦争の結末を」
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