第24話 人外に至る一歩

「――終わりだ」


 転んだせいで、背後には闘技場の壁があった。

 運が悪い。

 ここでなければ、回避のしようもあった。

 だが、壁際では左右にしか避けられない。

 回避の予備動作を魅せれば、エイリアは間違いなく軌道修正する。

 逃げられない。

 この足ではまともに回避行動もとれないだろう。


「無実の者を殺すのは忍びない。だが、私にも都合がある。

 悪いが死んでもらうぞ。恨むなよ」


 エイリアは剣を右方に振りかぶった。


 ここで終わるのか。

 こんなところで。

 なにも成していないのに。

 せっかく見つけたのだ。

 自分の求めるもの。

 強さを得た先にあるものへの羨望を。

 誰よりも強く。

 何者よりも強く。

 理不尽に抗い、不条理を砕く。

 己の価値を信じ、己の可能性を信じようとした。

 仮初めの力でも、それでも強さを求めようとした。


 助けたい人がいた。

 大した時間を共に過ごさなくとも、助けたいと思った少女がいた。

 大した時間を共に過ごさなくとも、絆を感じた女の子がいた。


 それが。

 無残にも壊されてしまう。

 それでいいのか。

 そんなことを許していいのか。

 身勝手な輩に。

 こんな場所で、こんなことをさせられて、仕方ないで済ますのか?

 

 お断りだ!


 そんな未来はいらない!


 すべてを否定してやる!


 許せるか?


 許せるのか、こんな理不尽が!


 こんなことが許されていいはずがない!


 俺は弱い。

 だが、だからこそ強くなりたい。

 勝ちたいと思う

 大きな動機なんてない。

 俺には帰りたい場所も、愛している女性も、心から大切だと思える存在もいない。

 夢も希望も、今まで生きて来て幸福を感じたことも大してない。

 だけど、そんな俺でも。


 生きて、強くなりたいと思ったのだ。


 だったらどうする?


 抗うしかないだろう!

 戦うしかないだろう!

 勝つしかないだろう!



 それが。

「それが男ってもんだろうがよ!」



 左方からは白刃が迫っている。

 軌道は俺の首を通っていた。

 腹の底に力を込め、怠けた身体を強引に立ち上がらせた。


「ウォラアァッ!」


 ガキッと嫌悪感を促す音が聞こえた。

 そして。


「な、んだと……!?」


 驚きおののいたのは、エイリアだった。

 土を染める赤黒い液体。

 それが広がり、俺の足元を汚す。


「むうぅっ!?」


 驚愕に声を張り上げたのは皇帝も同じだった。

 俺は立ち上がりながら右方に身体を傾けていた。

 そのまま左肩を上げて、防御するように左手を掲げている。

 剣の軌道は首。

 俺はその道を左肩と左腕で遮った。

 二点で凶刃を防御したのだ。

 生身だ。重傷は覚悟の上。


 『腕が斬り落とされなければ』それでよかった。

 上腕と前腕に深い裂傷が刻まれる。

 刀身の半分は腕に埋まっており、骨の七割程度まで切断していた。

 腕はまだ繋がっている。

 痺れる程の激痛。

 だが、俺は歯噛みし、敢えて気にせずに右腕に力を込める。

 右拳はすぐに反撃できるように、脇腹付近に引いている。


「くっ、おのれ!」


 悪態を吐きつつエイリアが剣を抜こうと力を込めた。 

 だが、無駄だ。

 エイリアが剣を引いたと同時に、俺は踏み出した。

 そのまま、敵の鎧ごと全力で殴る。


「ぐああっ!?」


 重低音と共に、鎧の胸部にはべっこりとクレーターができた。

 伴って、エイリアの身体が僅かに浮き上がる。

 剣技や鍛練、経験で圧倒的に劣ろうと。

 ステータスは嘘を吐かない。

 俺が殴れば、奴には必ず効く。

 鎧ごと殴るのは賭けだったが、効果はあった。

 エイリアが剣を引いた瞬間、左腕には更に痛苦が生まれる。

 右拳も力に耐えきれず、完全に骨折した。

 だが、俺はそんな感覚に苛まれながらも更に一歩踏み込んだ。

 どうせなら。


「こっちも、持っていけ!!」


 殴り方なんて大して知らない。

 ただ体重と速度と怒りと憎悪と、鬱屈した感情を全て拳に乗せた。

 右拳が殴った場所と、まったく同じ場所を左手で殴った。


「ゴブゥッ!」


 轟音と共に、鎧がひしゃげた。

 そのまま俺の拳を飲み込む、エイリアの身体に吸い込まれる。

 同時に腕から、グシャッ、と気味の悪い音が伝わった。

 俺は構わず腕を振り切った。


「ウオオオオォォォラアアアァァ!!!」


 痛みを忘れた全力。

 その力で、エイリアの身体はきりもみしながら吹き飛んだ。

 三メートル。

 人間の、しかも俺よりも身体の大きい男の肉体が吹き飛んだのだ。

 一度だけ跳ね、地面を転がり、土煙を上げていた。

 ようやく止まった時、エイリアはまったく動かなかった。

 彼の鎧、胸部は内側にめくれ、肉を切り裂いている。

 心臓部分はボコッとへこんでいた。

 肋骨は確実に粉砕されているだろう。

 いや、恐らくは、心臓にさえ届いている。


「はぁはぁ、くっ」


 俺は身体中を走る痛みの波の耐えた。

 エイリアを見た。

 起きない。

 起きる様子はない。

 数秒経過した後、俺は皇帝を見上げた。


「か……勝った、ぞ」


 俺を見下ろす皇帝が、目を見開きながら口を開こうとした時。



 俺の傷が完治した。

 痛みは完全に消散し。

 傷跡もない。

 血の後だけ残し、完全に回復したのだ。


「……これは」


 俺は驚きながらも、自らの身体を見下ろした。

 この感覚、覚えがある。

 ステータス画面を開いた。



 New・称号:人の中ではかなり優秀


・LV:1,812

・HP:110,225/110,225

・MP:0/0

・ST:112,657/112,657


・STR:9,032

・VIT:9,897

・DEX:5,833

・AGI:7,033

・MND:11,399

・INT:6,668

・LUC:*666


●バッドステータス

 New・殺人の衝動

     …初めて人を殺した者の証。殺しに対して抵抗感が薄れてしまう。




 レベルが上がっている。

 どういうことだ。

 殺人……そうか。

 俺は人を殺してしまったのか。

 俺はエイリアの死体を一瞥した。

 互いに覚悟の上だったのだ。

 殺されなければ殺されていたのは俺達だ。


 言い訳はしない。

 俺は殺しを容認したのだから。

 失いたくないものがあったから、戦った。

 それだけのことだ。

 もしも彼に家族がいたら、俺は怨嗟を受けよう。

 だが、それは償うということではない。

 逃げないということ。ただ、それだけだ。

 思いの外、ショックが少なかった。

 もうすでに、俺は色々な物を落としてしまっているのかもしれない。

 そして恐らくは、人を殺したことでレベルが著しく上がったのだ。

 殺されるより、殺す方が経験値が高い、そういうことか。


「………………ふ」


 ここに来て、ゲームのような要素が浮かんだ。

 魔物だけでなく、人相手でも経験値は得られるわけだ。

 だが、数値がプラスの状態で600程度レベルアップした。

 これはかなり大きい。


「ふ、ふふふ、は、ははははは、はははっ!」


 笑いが止まらない。


 レベルが上がったことが嬉しかった?

 違う。


 それとも人を殺して狂気に魅入られた?

 違う。


 では罪悪感に耐えきれなくなって理性を失った?

 違う。


 そうじゃない。

 単純に思っただけだ。

 これが俺に与えられた選択の行く末なのか、と。

 選択を与えられることなく転移させられた。

 無数に及ぶ責め苦に見舞われた。

 何度も何度も殺され、苦しみを味合わされた。

 その苦難を乗り越えた先が……。

 殺すという、血塗られた道だったのだ。

 笑うしかない。

 結局、逃げようが、様々な方法を模索しようが、楽な道はない。

 忌避される道を進むしか望みは得られないのだ。

 これからは殺されても経験値は大して得られないのだ。

 邪神に三百回殺されて、上がったレベルはさほど多くはなかった。

 ならば殺さなければ。

 殺して強くならなければならない。


「くく、ふぅ、はぁ、ありがとよ、皇帝様。あんたのおかげでわかったよ。

 これから俺がどうするべきか。どうしなければならないのか」


 強さを求める思いは、俺の単純な欲求。

 だが生き抜くために力が必要なのは逃れられない現実だ。

 必然と希望は同じ道を辿る。

 もう覚悟は決まった。

 誰かを殺して、誰かを虐げなければ生き抜けないなら受け入れよう。

 他者を挫かなければ、誰かを救えないのなら迷うことなくそうする。

 俺は皇帝を見上げた。

 奴は俺に向けて、不思議な感情を向けていた。

 憐憫と侮蔑と期待。その相反する感情に戸惑いが滲んでいた。

 隣に佇む莉依ちゃんと結城さんは、兵士達に口を押えられていたはずだった。

 だが、今になってその拘束は解かれている。

 兵士達も呆気にとられ俺を見ていたのだ。

 莉依ちゃんも結城さんもわなわなと震えている。

 結城さんは瞳に明らかな怯えを浮かばせていた。

 そこから溢れる感情は畏怖だ。


 人を殺したのだ。

 目の前で。

 そんな人間を見て、普通の、いや日本に住んでいた一般的な人間はどう思う?

 受け入れられるわけがない。

 俺は日本では空気であり、普通な存在だった。

 今までギリギリその価値を保っていたのだ。

 だが、もう無理だ。

 俺は彼女達とは別の世界の住人になった。

 人殺しという名の。

 そんな事実を結城さんが、莉依ちゃんが受け入れられるわけがない。

 そう思っていたのに。

 莉依ちゃんはきゅっと唇を絞って、叫んだ。


「く、日下部さんっ! 私達のせいで迷惑をかけてすみませんっ!

 で、でも、私は日下部さんを信じてますっ!

 が、がんばって! がんばってください! 応援してます!

 何があっても応援してます! 絶対に、何があっても味方でいますから!」

「お、おい貴様、黙らんか」


 我に返った兵士が、莉依ちゃんの口を塞いだ。

 もがもがと抗いながら、莉依ちゃんは何か叫ぼうとしていた。

 だが、俺にはそれで十分だったのだ。

 散々だった。

 不幸という言葉で許容できるレベルを超えていた。

 そんな出来事の中で、かけがえのないものもあったのではないか。

 そう思えた。


「遅れたが、貴様の勝ちだ。一度、戻るがよい」


 皇帝は厳然とした口調でそう述べた。

 俺は返答もせず、前門に戻る。

 瀬戸際だ。

 一歩踏み間違えれば谷底に真っ逆さまだ。

 そんな状態で心も肉体も耐えていた。

 肉体はレベルが上がることで力を得た。

 精神は莉依ちゃんの言葉を貰うことで平静を取り戻した。

 それだけのことで、俺は前向きになったのだ。

 我ながら単純だ。

 だが、今はそれでいい。

 それくらい単純明快な方がいい。

 そうでなければこれから戦い続けるのは不可能だ。


 負けてなるものか。

 もう、奪われるだけの日々は沢山だ。

 これから、俺は何もかも手に入れてやる。

 偉そうにふんぞり返り、詰り、淘汰する奴らを見返す。

 強くなるのだ。

 俺は明確な意思を以って、歩を進めた。

 それは、初めて俺が明瞭に決断した選択だった。

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