第22話 コロセウム

 俺がいた牢屋とは違い、そこはただの狭い部屋だ。

 頑強そうな鉄扉を開けると、中には二つのベッドが見えた。

 左右、離されて配置している寝具は、毛布が膨らんでいる。

 ランプで照らしても顔が見えない。


 何か、おかしい……?


 すでに開錠した音と扉を開いた音がしている。

 気づいているはずだが、もう就寝しているのか。

 サラを見ると、小さく頷いた。

 だが、俺の中で大きな不安が渦巻いていた。

 近づかず、声をかけた。


「……日下部だ。二人とも、起きてるか?」


 返事はなかった。

 が、同時に毛布を払いのけて立ち上がった。

 それは莉依ちゃんでも結城さんでもなかった。

 屈強な男二人。手には剣。


 待ち伏せだ!


 やはりサラが裏切っていたのか。

 最初からこのつもりで!

 今さら詰問しても意味はない。

 俺は咄嗟に踵を返した。

 だが、行く手を人影に塞がれる。


「どこへ行くのかね? クサカベ」


 下卑た笑みを浮かべていたのはメイガスだった。

 後方には六人の兵士がいた。

 前も後ろも逃げ道はない。

 いつだ。いつ、サラは俺の逃亡を知らせた?

 俺は前後を警戒しつつ、後退りした。


「貴様ら、無礼であるぞ! クサカベ様は妾の夫となるお方!

 このような所業は許されぬ! 即刻、道を開けぬか!」


 サラが怒号を放った。

 これはそういう演技、なのか?

 俺は横目で彼女の横顔を窺う。

 必死な形相だった。演技には見えないが……。

 信じるにはまだ早い。

 それに、仮にサラが味方だったとしても、信用に足る人物ではない。


「これはこれは、皇女様。申し訳ございません。

 皇帝であるシーズ・サラディーン・エシュト様の御命なのです。

 如何に、ご乱心なさろうと覆ることはありません」

「貴様! 妾が正気を失っているとでも言いたいのか?」


 元々失っていると思うが、口には出さなかった。

 と、なると、俺達は監視されていた、ということか?

 そうか。だからエインツェル村の人間が殺されたことをサラは知らなかったのか。

 すべては皇帝の指示だったのだろう。


「すでに、皇女様の『日課』も皇帝はご存知です。

 その上で、黙認されておりました。

 ですが、今回に限っては目に余る、と仰っておりました。

 なんせ、帝が欲する駒をあなたが遊びに使っていたのですから。

 これがどういうことか、ご存知ですね?」


 サラは整った顔を歪ませた。

 始めてみせる表情。それは恥辱だった。


「き、貴様……他言するなとあれほど。

 今まで妾が目をかけてやったというに!

 没落貴族の貴様が上位軍に属せている理由を忘れたか!

 恩義も忘れ、皇帝派の犬に成り下がるか!」

「今までお世話になりました、姫殿下。ですが、私もそろそろ限界です。

 そうでしょう? あなたのような狂った上司について行けるはずがない。

 皇帝より、近衛兵団長に擁立して下さるという話を頂きましてね。

 もう、あなたにかしずく必要もない、と判じました」


 サラは文字通り、飼い犬に手を噛まれ、怒りの表情に変えていた。

 俺は逃げる隙を窺っていたが、まるでない。

 さすがに練度が違う。

 ド素人の俺では対抗できそうにない。

 レベルが上がっても、一対一でなければ力を発揮するのは難しいだろう。

 それに、武器の類がナイフしかない。

 くそ! 毎回毎回、いつも周囲に翻弄される。

 いい加減、腹が立ちすぎて腹がよじれそうだ。


 力があれば。


 もっと強くなれば、こんな奴らの思い通りにならないのに。

 俺は内心で舌打ちをする。

 だが、状況は好転するはずもない。


「どうして、俺達が来るってわかった……?」

「……まあいいだろう、教えてやる。理由はいくつかある。

 一つ。姫様を密かに監視していたこと。何をやらかすかわからんからな。

 二つ。捕らえていた一人の異世界人が忽然と姿を消したこと。

 これにより残りの二人も逃亡するかもしれないと考えるのは必然だ」


 つまりサラの安易な行動。

 それに、リーシュが状況を鑑みずにさっさと救出してしまったことが仇となったらしい。

 こんなことなら、もっと後にしてくれるように言えばよかった。


「さて、問答はもうよろしいでしょう。

 おい、捕縛しろ! 姫様は怪我をさせないようにな。

 下手をすれば、拷問されてしまうぞ!」


 メイガスは嘲笑と共に、部下たちに命令した。


「はっ!」


 対抗手段がない俺達は、拘束されるしかない。

 サラはどうにか逃れようと暴れていたが、男の力に敵うはずはなかった。

 抵抗しつつも、両手を縛られてしまう。


「ぶ、無礼者! は、離せ! 触るでないわ!

 妾に触っていいのは、クサカベ様だけだ!」

「さっさと連れて行け、女の声は嬌声だけで十分だ」

「ク、クサカベ様! 必ず、妾が助けて差し上げます!

 それまで、それまでお待ちください!」


 ここにいるのも、何度も殺されたのも、何度も痛めつけられたのもサラが原因だ。

 だがら彼女と親しくなるつもりはない。

 心を許すつもりもない。

 だが、今だけはサラが確かに俺を案じていると伝わっている。

 複雑な心境だった。

 サラが兵士達に連れて行かれた後、メイガスが俺を睥睨する。


「あの姫様を懐柔するとはな。どうやったのか、ご教授願いたいものだな」

「……なんだ? 本当はサラに取り入って、成り上がろうとでも思っていたか?

 残念だったな。変な髭をした、スカした野郎は気に入らないらしい。

 クソ野郎は便器とでも結婚してろよ」


 精一杯の虚勢だったが、顎に伝わる衝撃で、それも続かない。

 殴られた。

 しかし、大して痛くない。

 恐らく、新たに覚えたスキルと、度重なる拷問のおかげらしい。

 最悪な経験だったが、それは俺の中で形となっている。


「そんな態度も、今の内だけだ。行くぞ」

「ははっ!」


 メイガスに言われ、兵士達が俺を移動させる。

 頭に袋のようなものを被せられた。

 何も見えない。足元が覚束ないが、なんとか歩いた。

 他の二人は無事なんだろうか。

 それとも……。

 俺は行く末を、想像しつつ、促されるままに連れていかれた。


   ●□●□


 地下の酸っぱい臭いと冷えた空気の中、俺は歩かされていた。

 様々な音が入り交じり、やがて喧噪が耳に入る。


 ――何か聞こえる。何を言ってるんだ?

 人の声が聞こえるが、遠すぎて内容がわからない。

 と、突然視界を覆っていた袋を取られた。

 光が双眸を射す。

 俺は顔を顰めて、情景を視界に入れようとした。

 少しの合間を経て、やがて眼がまともに働く。


「ここは……?」


 そこにあったのは土と砂。

 正面と背後には頑強そうな門。

 円形で直径が五十メートルくらいある。

 外周は高い壁で覆われ、その上には観客席がズラッと並んでいた。


 俺はここを知っている。


 何度も、創作物の中で登場した。


 ここは。


「コロセウム……かよ……ッ」


 呆気にとられた。

 俺がいるのは、闘技場の真ん中だったのだ。

 観客席には誰もいない。営業していないようだ。

 まだ真新しいということは使用していないのか?

 俺は戸惑いながら、状況を把握するため視界を移動させる。

 正面上方に見えたのは小さな観客席だった。

 煌びやかな装飾と玉座が二つ。

 天井は整った模様が刻まれている。

 左右には兵士達が並んでいる。


 厳かな雰囲気中、正面には一際目立つ空気を纏った人物がいる。 

 胸まで伸びた髭。見るものを竦ませる鋭い眼光。

 豪華な衣服と装飾品。

 その人物は玉座に座っている。

 一国の統治者であることは明白だった。

 隣には番である女性が座っている。

 美貌と雰囲気はサラに似ている。

 だがサラに比べると感情的な部分が薄い。

 サラは常軌を逸した点はあるが、感情はあった。

 しかし皇妃は、張り付いた表情を凍らせたまま動かさない。

 マネキンなのかと思ったが、瞬きをしていたので生きているとわかった。

 両隣にいる兵士が、俺を強引に抑えつけ、土下座の体勢をとらせた。

 額が地面に叩きつけられる。

 痛むが、大したことはない。

 そのままの体勢で、待たされた。

 ――なんだ? 何を待っている?


「面を上げぇい」


 重みのある声が響くと、俺の上半身がまたも強引に起こされた。

 見上げると、そこにいた人物に俺は声を張り上げる。


「莉依ちゃん! 結城さん!」

「日下部さん!」

「ご、ごめん、日下部くん……」


 二人はやつれた様子だった。

 見た感じ怪我はなさそうだが、健康とは言えない。

 そもそも、どうして捕まったんだろうか。

 逃げ切れなかったのか?

 とにかく無事でよかった。

 考えてみれば、皇帝は俺達を利用するつもりなのだ。

 ならば簡単に殺したりはしないだろう。

 尚も何か言おうとしていた莉依ちゃんと結城さんの口を、兵士が押さえた。

 それを合図に、皇帝らしき男が頬杖を突く。


「つまらん」


 大きな声量でもなかったのに、かなり離れた場所にいる俺にも届いた。

 一言で身体を支配しそうなほどに威圧感がある。

 皇帝の視線が俺に突き刺さる。


「聖神の神託は絶対だ。必ず起きる。だが、貴様はなんだ。

 聞けば、死んでも生き返る能力が貴様の力らしいではないか。

 神託では、世界を震撼させるほどの存在だ、と聞き及んでおる。

 だのに、その脆弱さたるや我が国の兵にも劣るではないか。

 自国の兵が優秀過ぎるのか? そうだとしても、貴様の不甲斐なさは拭えぬ」


 何を言っている。

 身勝手に連れて来て、身勝手な道理で監禁している癖に。

 脆弱だって?

 ああ、そうだ。

 だからなんだ?


「思い通りじゃなかったんなら、解放して欲しい」


 勝手に発言したのがまずかったのか、皇帝は俺を睨む。

 その一所作で、俺は何も言えなくなってしまう。

 一国の頂点に立つ人物だ、生半可な人間では務まらない。

 見た目はもちろん、中身も普通の人間であるはずがない。


「貴様ぁ、言葉のみで利を得ようとする愚者か?」


 こいつは何を言っている?

 この問答にどんな意味がわからない。

 俺は黙して返すことしかできない。



「何も成さぬのならば、何も得ぬ。

 何かを成し遂げてこそ、何かを得る。

 結果なき行動も努力も、それはただの自己満足だ。

 結果こそすべて。結果を出してこそ努力は美談となる。

 結果を出すには勝つしかない。勝利こそが、望みを叶える唯一の術よ。

 動物も植物も人も国家も同じ。勝たねば生きる事さえ叶わず、搾取されるのみ。

 だのに愚民は、勝利を得なければならないという環境にいながら、偶然生き長らえているだけで勘違いしている。

 争わなくて済むと蒙昧している。

 否! そうではない。それは単に、そういう状況だっただけのこと。

 では、戦のような状況であれば?

 圧政を強いられるような状況であれば?

 そのような者は強者によって虐げられるだけだ。

 諍いを受け入れ、諍いを講じるものこそが勝者となる。

 他者に、自然に、因果に判断を委ねる愚か者。

 愚者とは、貴様のような存在を言うのだ」



 俺は皇帝の高説を聞きながらも、二人の様子を窺っていた。

 助けるのは難しい。いや不可能だ。

 皇帝の言葉には不穏な空気が漂っていた。

 この場を脱却するにはどうしたらいい。

 俺は静寂の包まれている中、口火を切る。


「勝てば、希望を叶えることができる、と?」


 皇帝は口角を片方だけ上げる。


「然り。小娘共も、捕らえた男も大した能力を持ってはいなかった。

 確かに個人で見れば有用であろうが、国家規模で見れば些細なもの。

 扱いや、今後の展望を考えても『貴様らの価値がないと判断せざるを得ん』のだ。

 だが、仮にも神託によって告げられたもの。放置はできん。

 そして各国には『エシュト皇国には異世界人がいる』という情報が流布される。

 しかし実際、異世界人は無能だ。

 と、なるとどうするのが最善か、わかるか?」


 問われて、回答が閃く。

 口にするのは憚られたが、言うしかない。


「……他の国に見つかる前に俺達を殺すか捕らえたまま、切り札があると見せかける。

 実際には能力がないけど、他国には牽制として使えるからだ」

「その通り。神託では異世界人を殺してはならぬ、とは告げられておらんのだ。

 生かすも殺すも利用するも放置するも自由、ということになる。

 だが、必然、貴様らの情報は各国も持っておるのでな」


 徐々に焦りが大きくなる。

 つまり皇帝の中で、俺達の価値が低くなっているということだ。

 もしかしたら今後、能力が成長するかもしれない、という考えはないらしい。

 この三ヶ月で、俺や莉依ちゃん達を監視していたとすると。

 ……そうか。だからわざとサラを泳がせて拷問させていたのだ。

 俺の能力は死なないだけだとわかったのだ。

 それだけでは大して価値はないと判断されてしまったのではないか?

 サラは莉依ちゃん達は懐柔される予定だろう、と言っていた。

 いや、それはもう終わっているんじゃないか?

 実際には懐柔する際に情報を多少手に入れたのでは?

 それ以前に、俺達が『使えるか使えないか』の判断はされたのではないか。

 使えない人間を扱うのは危険だ。

 特に俺達は異世界の人間でエシュト皇国に肩入れするとは思えないだろう。

 扱いづらい、能力も低い、その上で利用価値がある方法。

 それが『俺達が生きていて能力が高い』という嘘を吐くこと。


 死人に口なし。


 殺せば、逃げられることも、他国に協力されることもない。

 それに他の異世界人が大して能力がないと判明しても『エシュト皇国が捕らえた異世界人は有能だった』という情報を伝えるだけである程度、信憑性が増す。

 実際、神託で各国には、異世界人は世界を震撼させるほどの能力を持っているという情報が回っているのだ。

 交渉や戦術のカードとして使えないこともない。

 国家の総統が神託を信じている時点で、神託の重要性がある程度分かる。

 少なくとも、非協力的で大した能力のない俺達を無理やり戦わせるよりは好手だ。

 現状、間違いなくこの方法が有用だと判断されている。

 俺は事情を理解し始めていた。

 まだ正否は判断できない。

 だが、皇帝の言葉を鑑みれば間違いない。


 皇帝はこう言っている。


 『我々はおまえ達を殺すつもりだ。

 だが能力に価値があると判断すれば生かす。

 勝利すれば、結果を出せば生かしてやる道もある、かもしれない、と』


 それは確定事項ではない。

 だが、今のままでは確実に、俺達は殺されるということ。

 俺は生きていける。

 でも、死ななくとも、真っ当な生活が送れるとは思えない。

 むしろ、狂い姫の遊び道具に舞い戻るかもしれない。

 しかし二人はそれさえも許されない。

 選択肢はなかった。


「何をすればいい」

「聡さは命を繋ぐ。一先ずは合格といったところか。

 この場を見れば、何を求められているか、想像に難くなかろう?」


 わかっていた。

 だが、性急な判断は命取りだ。

 今までにない程に、頭が回転している。

 何か手は、何かないのか。

 ない。

 浮かばない。何もない。

 勝つしかない。

 このコロセウムで。

 この戦いの場で。

 俺はただ、強制的に用意された舞台で舞うしかない。


「五回だ! 五連勝してみせろ! 相手は我が国の武人達だ。

 勝敗は死を以って決定する。一度でも敗北すれば貴様の負けだ。

 その時は娘達を殺す。他の異世界人も見つけ次第殺す。

 貴様は永遠に幽閉だ。死なない人間を欲する人間はいるからな。

 勝利すれば、今一度、貴様らの処遇を考えなおす。

 少なくとも、貴様に関してはそれ相応の地位をやろう」


 クソッタレな条件だ。

 俺は今まで殺されてレベルを上げて来ただけ。

 一度も戦っていない。

 戦い方なんてわからない。

 今回が初戦だ。

 ケンカもしたことがないんだぞ?

 なのに相手が武人だって?


 くそ、くそ、くそっ!

 最悪だ。

 どうやって勝てばいい?

 武器の扱いも出来ないのに。 

 だが、泣き言を言っても始まらない。

 やるしかない。

 それこそ死ぬ気で。

 これが最後だと思い。

 生き返るなどと思わず、本当に死ぬと覚悟して、二人の命を背負うしかない。

 莉依ちゃんと結城さんを見た。

 不安そうに顔を歪ませている。

 助けなければ。

 絶対に勝たなければ。


「……わかった、やってやる」


 言葉を吐くと、不思議と一気に落ち着いた。

 頭の芯が冷え、うるさいくらいに早鐘を打っていた鼓動も平常時に戻った。

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