第20話 狂い姫の願望

 コツコツ。


 いつもの音が聞こえた。

 破壊をもたらす、無邪気な嗜虐の化身。

 軽快な足取りで拷問牢前に現れた。

 満面の笑み。

 一人で、狂い姫、サラは拷問牢の中に入る。


「おや、施錠されておらんな」


 その言葉は予想通りだった。

 俺は拷問椅子に座ったまま、項垂れていた。

 手枷も足枷も施錠されていない。

 見た目ではわからないように、拘束されているかのように振る舞う。

 本来なら、異常を察知し疑いをかける。

 だが、サラは一瞬考えただけだった。


「まあ、よいか。前もあったしな」


 以前、何度か、サラが施錠を怠ったことがある。

 その時、俺は九死に一生を得たと思ったが、拘束は強固で逃亡できなかった。

 それが彼女の警戒心を下げてしまったらしい。

 しかも三ヶ月、毎日行われていることから、慣れが生じている。

 そのおかげで、以降、施錠を忘れることがたまにあった。

 サラがスキップしながら持っていた燭台をテーブルに置いた。


「さて、今日はどうするかの……ん? 何か足りん」


 サラが俺に背を向けた瞬間。

 俺は立ち上がると同時に、片手で羽交い絞めにする。

 そして首元にナイフを突き立てた。

 切っ先が白い肌に埋もれ、つーっと赤い線を走らせた。

 これくらいで罪悪感を覚えはしない。

 俺は三ヶ月、痛めつけられ続けたのだから。


「動くな、叫ぶな、言う通りにしろ」


 言うまでもなく、サラは無言を貫いている。

 それどころか全く身動ぎしない。

 恐れているのか? 

 それとも誇り高く、居丈高な態度を保持しているのか?

 俺は慎重に顔を傾け、サラの顔を視界に入れた。

 笑っていた。


「く、くくく、くふ、くっくっく」


 今まで見た享楽的な笑み。

 いや、それ以上だった。

 赤い三日月がさらに細くなる。


「な、何を笑っている! 殺せないと思ってんのか!?」


 俺は焦りと怖気のままに怒声を放った。

 しかし、サラは笑みを崩さない。


「まさか、こんなことになろうとは。

 まさか、こんなことになってしまうとは。

 まさか、妾の本当の望みを叶えてくれる殿方がおったとは!」


 サラはぐぐっ、と顔を動かした。

 その所作には人間らしさを微塵も感じない。

 不気味で非現実的な存在。

 こいつは人形だ。

 人間ではない。

 こんな人間がいてはならない。


「妾は人を痛めつけることに愉悦を感じる。それが正常とは思わぬ。

 だが、それよりも、誰かに痛めつけられることを望んでおった。

 今までは皇女という立場から望み通りにはできなかった。

 だが、こうなってしまっては『仕方がない』」

「……えぇ……うそだぁ」


 なにこの展開。

 こいつ、あれか。

 ドSはドMにもなれる説は正しかったということか?

 拷問が趣味な人間が、拷問をされたいって嗜好を持っているとか。

 人間が踏み込んじゃいけない領域まで逝っちゃってるだろ。

 なんなの、なんなんだよ、こいつ!

 変態だ! ド変態だぁぁっ!

 もうやだ、こいつと関わりたくない。


「しかし皇女という立場である妾に責め苦を与える存在はおらぬ。

 望めど、恐れ多い、神にも背く行為などとつまらぬ文言を返すばかり。

 辟易としていた。だのに、貴様は……いや、あなた様は望みをくみ取ってくださった!

 エシュト皇国第一皇女サラ・サラディーン・エシュトはここに誓う。

 一生、クサカベ様を慕い続けることを! 死が二人を別っても変わらぬ愛を貫くことを!」


 なんで好感度マックスなの?

 ステータスがマイナスに振り切ってたと思ったら、今度は頭おかしい姫様の好感度が限界突破とか、嬉しくなさすぎるだろ!

 こんなイベントあったら、ギャルゲーならクレームどころか炎上するわ!

 熱視線、もとい死線が俺に注がれている。

 嬉しくなさすぎる告白なのに、妙に一途な内容なのがどうしようもない。

 喜べる人間がいるなら代わって欲しい。

 さすがにいないか。


「さあ、クサカベ様。これからいかがなさいますか?

 とりあえず、拷問椅子に張りつけにしますか?

 いえ、そんな丁寧な手順はいりませんね。

 釘を腕と足に刺して動けないようにしましょう。

 お、おこがましいとは思いますが、できればクサカベ様にしていただきたいのですが。

 それとすぐ死んでしまうと楽しめないので、できるだけ苦しむようにして下さると嬉しいです」


 上目遣いである。

 頬まで染めている。

 あったまおっかしぃんだよ、こいつぅ!


 前後の文言と、シチュエーションと、狂い姫の性格と、今までやられたことを忘れれば萌えるかもしれない。

 でも、俺には無理。

 いくら絶世の美女でも無理。

 もの凄くスタイルが良くても無理。

 豊満な胸の谷間が見えるけど無理。

 甘い香りがするけど無理。

 王女っていう肩書があるけど無理。

 こんな相手でもいいって思ったら、俺の人生は終わる。

 逃げたい衝動に駆られたが、人質にしなければここから脱出するのは不可能だ。

 俺は心底、気が進まなかったが、サラに言った。


「ご、拷問するつもりはない」


 俺の言葉を聞いて、サラは一瞬、意味がわからないとばかりに首を傾げる。

 傾いたのはナイフを突きつけている方向だったので、俺は咄嗟に腕を引いた。

 こいつ、まったく傷つくことを気にしてないぞ!?

 サラは、むーっと唇を突き出していたが、やがてはっとした表情を浮かべる。


「なるほど! まずは今までの鬱憤を晴らすために強姦するのですね!

 そういう方向は……その、まだ心の準備ができてませんが……。

 クサカベ様が望むのなら……し、仕方ないですね。

 ど、どうぞ。貞操は結婚するお方に捧げると決めておりますので。

 は、激しくして下さいね」


 可憐に瞼を閉じる。

 そこは優しくして下さいね、だろうが!

 じゃなくて、もう、何が正しいかどうかわからなくなってきた。

 サラと話していると頭がおかしくなりそうだ。

 まともに取り合うと話が進まない。

 俺は強引に、サラの腰に手を回す。

 初めて女性を抱いたのであまりの細さに驚いた。

 そしてナイフをサラの首の前で倒した。


「きゃ、ご、強引ですね……いいんですよ、好きになさって」


 耳元で囁くな!

 こいつは異常者、こいつは異常者!

 散々酷い目に合わされたというのに、俺は戸惑いを隠せない。

 サラには過剰な色香が漂い始めている。

 分厚い壁が、全壊してしまったかのように。

 サラが生み出していた距離感はなくなっていた。

 媚びるような淫靡な香りに、俺は惑わされないように歯を食いしばった。

 近すぎて甘美な香りが鼻腔をくすぐる。

 柔らかい。

 適度に暖かい。


「うるさいうるさい! もう、何も言うな!

 喋るな、俺が許可するまで何もするな!

 俺が言う通りにしろ! わかったな!」


 顔を真っ赤にしつつ俺は叫ぶ。

 感情的になりすぎて、若干子供っぽい口調になってしまった。

 でも、こんな狂った奴を目の前にしたら誰だって冷静じゃいられない。

 すると、サラは恍惚とした表情を浮かべた。


「何なりと、ご命令してくださいまし。

 妾はクサカベ様の望みに何でも答えます」


 豹変してしまったサラを前に、俺は頬を引きつらせてしまう。

 やりにくい!

 だが、迷っている暇はない。

 俺はテーブルに置いてあった手錠を掴み、サラの手に装着する。


「ああ、初めての感覚。こんなことになるなんて……。

 んっ……な、なんだか身体が熱くなってきましたわ」

「なるな! これ持ってろ!」

「かしこまりました」


 燭台を持たせる。

 そして、サラを伴い牢屋を出た。

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