第19話 救いの邪神

「――捕まってるの、三人じゃない?」


 リーシュの渋面を前に、俺は皇女が言っていた言葉を思い出していた。


『――実際、貴様ももう一人の異世界人も大した能力はなかった』


 もう一人、そう言ったのだ。

 だが、実際は三人いた?

 ということはこの三ヶ月で二人が捕まったということなのか。

 リーシュを見ると、肩をすくめていた。


「契約は一人を助けるってなってるからね。二人は無理かな」

「だ、だったら、新たに契約を」


 柔和な表情だったが、一気に重苦しい空気を孕み始める。


「オレが提案してあげたんじゃなくて、君が提案するんだ。

 それなりに対価は貰うよ。オレは便利屋じゃないからね。

 さっきとは事情が違う」


 別に甘く見たわけではなかった。

 しかし、ほんの少し慣れてしまっていたのかもしれない。

 俺は慄然としながら、リーシュを見上げた。

 俺一人では助けるのは不可能だ。

 どうしてもリーシュの力がいる。

 ならば、契約するしかない。

 どんな暴利を吹っかけられようとも、縋るしかないのだ。


「何回だ? 五百か、千か。それともその倍か?

 いいさ、ここまで来たら、何回でも構いはしない。

 おまえが望む回数でいい」

「本気かい? 言葉を軽んじているのなら後悔するよ?

 邪神たるオレに対しての口約束は、誓約そのものなんだ。

 それを理解して、その上でも同じことを言うのかな?」


 俺は間髪入れずに首肯した。


「……ああ、頼む。俺じゃ無理だ」


 力がない。

 こんな便利か便利じゃないかわからない能力しかない。

 俺には手段さえない。

 死なないだけで、何かを成し遂げる力はないのだ。

 無力だ。それを強く理解しているから、懇願するしかない。


「うーん、このまま君が捕まっているとオレも困るし。

 新たな提案をしようか。最初の三百、追加の二百、更に追加の三百。

 これで手を打とう。但し、別に条件を定める。どうだい?」


 合計八百回。それが多いのか少ないのか、判断するほどの理性はない。

 感覚が狂っていた。

 条件の内容を聞こうかと考えた。

 いいや、もう交渉の余地はないのだ。

 提示された条件を飲むことしか俺には出来ない。


「わかった、頼む」

「よし、じゃあ契約成立だ」


 と、左手の甲に模様が浮かび上がる。

 眩いばかりに光を発した。

 何かに繋ぎ止められたような感覚を抱いた。


「じゃあ、始めよう」


 どうするのか、と疑問を抱いた瞬間。

 リーシュの顔が目の前にあった。


「あ、が……な、に」


 熱が身体の中央に集まる。

 この感触を俺は知っている。

 心臓が貫かれたのだ。

 わけもわからず、命の核を破壊された俺は、膝を曲げる。

 天井からぶら下がった手枷に体重を預ける。

 痛みはない。手首に伝わる異物感が凄まじかった。

 そのまま、意識が遠のく。

 殺されたのだと気づいた時には、俺の生命活動は停止していた。


 目覚めた。

 拷問牢の隣、リスポーンポイントに設定してあるベッドの上に横たわっていた。

 生き返ったばかりの状態では拘束はされていない。

 だが部屋は厳重に施錠されている。

 しかし問題はそこではない。

 俺をまたぎ、佇んでいる子供がいた。


「さて、あと二百九十九回だ」


 その言葉でリーシュが定めた条件がわかった。

 『追加した三百殺は今、回収する』ということ。

 もう好きにしてくれ。

 拷問の次ぐ拷問で俺の精神は摩耗していた。

 さっきの一殺で、痛みは大してないことはわかった。

 苦痛を目的にしている狂い姫サラに比べて、リーシュは殺すことを目的としている分、痛みは薄い。

 どちらがマシかと言われれば、比べるまでもない。

 リーシュが俺の額に手を当てた。

 中指を曲げて親指で固定する。

 デコピンするらしい。

 力を加えると多少震えるものだが、リーシュの手は微動だにしない。

 だからか死への系譜を感じさせない。


「よっ」


 軽い口調と共に、指が放たれた。

 反動で俺の頭部が吹き飛ぶ。

 死んだという感覚は薄く、急激な眠気に襲われたような感覚だった。

 生き返った。

 著しい衝撃だったにも関わらず、ベッドや周辺は無事だった。

 力加減をしているのだろうか。

 神ならばそれくらいは可能か。

 俺は驚きもせず、他人事のように情景を観察した。


「あと、二百九十八回」


 互いに、先ほどと同じ体勢だった。

 リーシュは右拳を引いた。

 様々な方法で殺すらしい。

 限界まで引き絞った腕を放つ。

 巨大なバリスタのように、張力によって俺の上半身が破裂した。

 死んだ。

 生き返る。


「あと、二百九十七回」


 死んだ。

 生き返る。

 死んだ。

 生き返る。

 死んだ。

 生き返る。

 何度も殺された。

 だが、痛苦はなく、精神を蝕むことはなかった。

 俺の中にあったのは、早く終わらせてくれ、という思いだけ。

 目覚めては殺され、目覚めては殺され。


 轟音、不快な音、破壊音、何かが集まる音。

 次第に触覚は鈍麻する。

 俺はけたたましい音を子守唄のようにしながら瞼を閉じ続けた。

 時間の流れを忘却する。

 静寂に感じつつあった中で、俺は違和感を覚えた。


「…………終わりだよ」


 声音に、俺は緩慢に目を開ける。

 ずっと同じ景観だ。

 リーシュは俺をまたぎ、俺を見下ろす。

 俺は見上げ、ベッドに横たわっているだけ。


「三百回。約束通り殺した。まったく殺せる気配はなかったけどね」


 リーシュは呆れ果てた様子で、ベッドから降りる。

 俺が半身を起こすと、腰に手を当てた。


「こんな場所だから加減したけど、試してみてよかった。

 これじゃ、半年後、城に連れて行っても、君を殺せなかっただろうね。

 さて、これで君の願いは叶ったわけだ」


 俺は怪訝に思い、眉根を寄せた。


「どういうことだ?」

「どういうって、君、頭が働いてないのかい?

 オレがただ殺したくて殺しただけだと思っているの?」


 何を言っているのか、と漫然に思いながらも、脳が僅かに稼働した。

 邪神であるリーシュが三百回も『殺してくれた』のだ。

 それがどういう意味を持つのか、俺は気づくと、ステータス画面を開いた。



 New・称号:人の中ではそれなりに優秀


・LV:1,249

・HP:90,001/90,001

・MP:0/0

・ST:91,758/91,758


・STR:6,978

・VIT:8,009

・DEX:3,655

・AGI:4,014

・MND:9,254

・INT:4,351

・LUC:*666


●アクティブスキル

 ・アナライズ

   …対象のステータスが見える。

 ・リスポーンセーブ

   …リスポーン地点を新たに記憶させる。

 New・耐える

   …強靭な精神力でダメージを抑える。著しくVITが上昇する。


●パッシブスキル 

 ・リスポーン 

   …戦闘不能に陥った際に、記憶地点に新たに出現する。

 New・ガッツ

   …即死攻撃に対して、ギリギリで耐える。

 New・リゲイン

   …時々ダメージを軽減する。

 ・ポイズンレジスト

   …毒に耐性を持つ。

 ・グラビティレジスト

   …重力、圧力に強くなる。

 New・フォビアレジスト

   …恐怖に耐性を持つ。

 New・フィジカルレジスト

   …打撃の攻撃に強くなる。

 New・スラッシュレジスト

   …刃物の攻撃に強くなる。

 New・アクアレジスト

   …水属性の攻撃に強くなる。

 New・ダメージレジスト

   …あらゆる痛みを軽減する。

 New・死と隣り合う者

   …死を熟知した者の証。危機感知能力が向上する。いわば虫の知らせ。


●バッドステータス

 ・最悪の災厄

   …禍(わざわい)に愛された者。何をしても不幸になる。

 ・死神の抱擁

   …死に愛された者。何をしても死に向かう。

 ・因果の解放 

   …あらゆる効果を限界以上に増幅させる。

 ・邪神の寵愛

   …邪神と契約した者の証。効力は何もない。ただ逃れられないだけのこと。



 レベルが、上がった……。

 ん?

 上がった!?

 すげぇ、上がってる!?


「お、おお……!」

「あ、なんか元気になった」

「レベル上がってる! めっちゃ強くなってる!」


 最初は虫以下、史上最低辺の生物と称された。

 すぐに死んで、五分程度しか生きられなかった。

 蛇に噛まれるだけで死ぬほどだった。

 そんな脆弱虚弱最弱だった俺が、ついに、ついにここまで来た!

 メイガスと同じくらいのレベル、つまり団長レベルまで強くなったのだ。

 スキルもかなり増えている。

 ただ、なんというか地味だ。

 まあ、大体が拷問で耐えたことで覚えたみたいな内容だけど。

 それでもステータスの数値を見ると、表情が綻んだ。

 LUC、運はカンストしてしまったらしい。

 数値が不穏だ。

 なんというか言わんとしていることがわかってしまう。

 そして、俺は気づいてしまう。

 なぜ、リーシュは、俺が殺されればレベルが上がると知っているんだ?


「その目は、何で強くなるのを知っているんだ、って思ってる?

 オレは君とトロールの戦いを見てたんだ。

 言っておくけど、オレがけしかけたわけじゃないからね。

 で、君の能力が大体わかったってわけ。

 最初に比べて身体能力が向上していたのが見て取れたからね。

 でも、そうか。レベルってのがあるんだね。死んだらそれが上がって強くなるわけだ」


 思わず話してしまったが、まずかったかもしれない。

 リーシュは敵だ。

 今だけは助力を請うてはいるが、抵抗なく俺を殺すような奴だ。

 信用できないし、するつもりもない。

 しかし、バレてしまったものはしょうがない……か。

 そう軽く考えながらも一つの確信を抱く。

 『ステータスの存在は俺にしかわからない』ということ。

 それは邪神であるリーシュ、グリュシュナの住民、地球の人間、すべてにおいて言えること。

 俺だけがレベル、ステータスの存在を知っている。

 それだけでは何の意味もなさない。

 だが、先を考えると、有用なスキルであると思われた。


 ふと気づく。

 いつの間にか、思考は晴れている。

 爽快な気分だった。

 リーシュがなぜ俺を殺そうとしたか、ようやく気づいたからだろうか。

 それともレベルが著しく上昇したからか。

 俺は、鬱屈した感情が霧散しつつあるのを感じていた。

 強くなりたいという欲求は、思っている以上に強いらしい。

 散々拷問された事実は忘れてはいないが、かなり前向きな思考になっている。

 現金なものだ。

 『死に難い身体になっている』ということも忘れてはならない。

 拷問で痛い程、わからされた。

 死ねることは、場合によっては、問題から逃れるための手段であることを。

 とにかく、これで今までのようにやられたい放題ということはなくなるだろう。

 少しは俺も抵抗できるはず。

 それに、一時的ではあるがリーシュが手伝ってくれるはず。


「これで契約は完遂だね」


 ん? 完遂?


「まだみんなを助けてないぞ……?」 

「何言ってるの。君が助けるんだよ」


 思ってもみなかった言葉に、俺はあんぐりと口を開けた。


「た、助けてくれるんじゃなかったのか!?」

「一人はね。あとの二人は知らないよ。

 いいかい? オレは最初に君を三百回殺す対価として村人達を助けた。

 一方的なものでも、契約は契約。互いの利害は一致していたわけだね。

 そして、今回、最初の二百回は君と一人を助けるということだった。

 最後の三百回で二人を助けられる程度に君を強くした」

「ま、待てよ、俺は三人とも助けてくれって言ったんだぞ」

「言ってないよ? 君は新たに契約をしたいって言っただけ。

 何回でもいいって提案に、オレが新たに提案した。

 そしてその内訳は話してないよ?」


 あの時、俺は精神的に疲弊していて、頭が働いていなかった。

 最初の時は交渉したのに、その姿勢を継続できなかったのだ。

 予測外のことが起こって動揺していたというのも要因だ。

 それで細かく内容を詰める前に、契約を進めた。

 俺は『リーシュが、俺を含む四人をここから安全な場所へ移動させてくれ』と言うべきだったのだ。

 条件の内容も勝手に、俺が判断しただけ。

 つまり、まだリーシュは好き勝手に条件を追加できるということだ。


「そんな怖い顔しなくても、別に無茶な要求はしないよ。

 神界も色々面倒でね、前も言ったけど制約があるんだ。

 直接手助けするのは結構危険なわけ。人間界に干渉すると、目立っちゃうからね。

 だから、君に助けて貰う方がいいんだ。約束だから特別に一人は助けてあげるよ。

 それでも結構危ない橋を渡る感じなんだけど」


 俺が助ける?

 何の訓練も積んでないのに敵地から二人を救い出すって?

 俺も捕まっている立場なのに。

 無理難題を突き付けられている。

 だが、リーシュが俺を手助けする義理もない。


「ま、頑張ることだね。君は死ななくても、お仲間は死ぬから。

 とりあえず……三人の内、一人、離れた場所に男がいるみたいだ。

 そいつを助けてあげるよ。それじゃ」


 リーシュは楽しそうに笑うと、忽然と姿を消した。

 現れる時も、去り時も突然だ。


「マジかよ……どうすんだ、これ」


 唯一の光明が失われた。

 可能性はある。だが、それは限りなくゼロに近い。

 マイナスではないだけいいだろう。

 だが、成し遂げる自信が俺にはなかった。

 不自然に、拷問牢と俺がいる牢の扉が同時に開いた。

 どうやら、リーシュが自由に動けるようにしてくれたらしい。

 失敗は許されない。

 俺は死なないが、他の連中は死ぬのだ。

 誰が捕まっているのかもわからないままだった。


 くそっ! こうなったらやってやる。


 これはチャンスだ。

 後ろ向きな思考をすべて排除して、牢屋を出た。

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