第18話 三か月後

 ――どれくらい経ったのか。


 鼓膜にサラの哄笑だけがこびりついている。

 愛している。

 その言葉はただただ俺に恐怖を与えた。

 懸想ではなかった。

 一方的な執着心だった。

 何度死んだかわからない。

 痛みが常態化し、普通の状態に違和感がある。

 俺は立った状態で、両手足を鎖に繋がれているようだ。


 生きていた。

 どうやら、リスポーン能力は健在らしい。

 これを幸福と考えるか不幸と考えるか。

 サラはいないようだ。

 休憩中らしいが、またすぐにやってくるだろう。

 あいつは公務なんてそっちのけで、牢を訪れるのだ。

 服はボロボロ。

 髪も伸びた。

 身体が汚れている。


 ようやくリスポーンの効果が完全にわかった。

 『死ぬ寸前の状態で、体力などを回復してから生き返る』ということ。

 つまり、散々痛めつけられ、最後の最後で殺された場合、痛めつけられた後の状態で生き返るのだ。

 傷は完治するが、服や汚れなどはどうしようもない。

 トロールのように、一撃の元、殺してくれればそんなことはないようだ。

 俺は表情筋の動かない顔を傾ける。

 感情が薄れている。


 痛みには慣れる?

 訓練すれば耐えられる?

 そういう常套句を創作の世界で目にする機会があったことを思い出す。

 断言できる。

 慣れるわけがない。

 耐えられるわけがない。

 彼らのセリフを正確に言おう。

 『死ぬまでならば拷問に耐えられる』

 何度も何度も生き返る俺に際限はない。

 死は救済だ。

 死ねるということは、救いなのだ。

 不老不死の存在がいたら、死にたいという願望を抱く。

 そんな話を見た時、なんてもったいない、と思った。

 だが、今ならわかる。

 知能がある存在を殺すのは、なにも単純な死だけではないということに。

 そう、だからこそ人は自殺する。

 だが、死ねるということは最後の選択であり、全てから逃れる唯一の術だ。

 俺はそれを奪われている。


 死にたい。

 死にたいのだ。

 殺して欲しい。

 もう、痛いのはイヤだ。

 怖いのもイヤだ。

 これ以上の痛苦には耐えられない。

 頭がおかしくなりそうだ。

 理性を保っているのが、奇跡だ。

 それでも、もう限界だった。

 あの狂い姫の相手は、もう無理だ。


 ごめん、リンネおばちゃん。

 ごめん、莉依ちゃん。

 ごめん、結城さん。


 俺は、もう耐えられない。

 誰か。

 殺してくれ。


「ころ、して……くれ」


 呟いた俺の声は、俺の声ではなかった。

 リスポーンすれば完全に元通りだと思っていた。

 だが、実際はそうではなかった。

 肉体は元に戻るが、精神はそのままだ。

 俺は生きるのを諦めつつあった。

 だからか、身体が思うように動かない。

 心は死にかけている。

 けれど、死ねない。


「こ、ころして……殺して」

「いいのかな?」


 俺の切願に応えはあった。

 いつの間にか、牢屋の壁際に人影が佇んでいた。

 体躯は小さく、存在感がないはずなのに、異様な空気を漂わせている。

 しかし、不思議と俺に恐怖はなかった。

 むしろ、望んでいたように思えた。

 これは救いだ。

 左手の甲に模様が浮き上がり、朱色に光った。

 縋るように見つめていると、そいつは俺の方に歩み寄ってきた。

 暗がりから現れたのは俺が想像していた通りの存在。

 邪神、リーシュ。


「やあ、散々な目に合っているね」


 飄々としつつ、片手を上げた。

 中性的な子供。

 そばかすに、簡素な服装。

 田舎の子供に見えるが、実態は神の名を冠している。


「りーしゅ……」

「あぁ! なんてことだ! まともに口も利けないじゃないか。

 オレが殺すはずだったのに、死ぬ前に心が死にかけているね。

 まったく人間は神以上に非道をするよ。オレだったらこんな一方的にはしないのに」


 憤慨している様子だったが、俺は内心でおまえも同じだろと非難した。

 しかし、こいつは何をしに来たんだ?

 もう半年が経ったんだろうか。

 だったら、さっさと連れて行ってくれ。

 拷問されるくらいなら、生き返らないように殺される方がいい。

 少なくとも、リーシュの目的は、俺を痛めつけることではなく殺すことなのだから。


「ああ、何しに来たって顔してるね。一応言っておくけど、まだ期日じゃないよ。

 今は三ヶ月くらい、かな」


 俺は落胆した。

 感情が顔に出ていたらしく、リーシュは苦笑を浮かべる。


「オレとの約束に前向きなのは嬉しいけど、ちょっと心外かな。

 それにオレは『約束したことは破れない』んだ。一応、制約があってね。

 ってことで、君に提案をしに来たんだ」


 何を言っている?

 もう、まともに頭が働かない。

 俺はただ、この状況から逃れたいだけだった。


「ここから逃げたくはないかい?」


 俺は、リーシュに視線を向ける。


「そ、それは、どういう」

「そのままの意味さ。オレなら君を助けられる。簡単にね。これでも一応神だし」


 リーシュの言葉を受けて、僅かに頭が働き始めた。

 こんな提案は、裏があるに決まっている。

 俺が疲弊している隙を狙って来たのか?

 どいつもこいつも、俺達を何だと思ってやがる!

 俺は、ほんの少しだけ心が揺らいでいることに気づいた。

 都合を押し付ける身勝手さにふつふつとわき上がった感情。

 憤怒。

 憎悪。

 微細ではあった。

 しかし、確かに俺の中に後ろ向きで前向きな感情が生まれた。


「で、交換、条件……は、な、なんだ」

「話が早いね。条件は君を殺す回数を増やして欲しいってこと。

 まあ、一殺を一単位として報酬代わりにして欲しいんだよ」


 それならば最初からより多くの回数を提示すればよかったはずだ。


「な……んで、そんな、回りくどいことを……?」

「遊びだって言ったでしょ? これはいわば前哨戦なのさ。

 だから半年も期間をあげたし、最初に三百回って制限をつけたんだ。

 殺す遊びの前に、君がどれくらい頑張れるのかもみたくてね。

 聖神や人間、それにオレに翻弄されながら、君がどうするか、興味があるんだ。

 正直、ずっと見てたけど、君は中々すごいよ。

 普通、三ヶ月毎日、毎時間、ずっと拷問されて殺されて、正常な精神を保つなんて不可能だよ。

 よほど強固な精神力や意思を持っていなければね。

 だけど、君にはそんな様子はない。ただの人間、普通の少年だ。なのに正気を保っている。

 ふふ、興味が尽きないね。だからこんな風に心を殺されてしまうのは忍びない。

 それで手を貸してあげようかな、って思ったわけさ」

「……矛盾してる……さ、最初から、交渉を、持ちかけるつもりだった、んだろ」

「まあね。でも、君があまりに不甲斐なければご破談だったよ。

 簡単に言えば気に入ったのさ。君に興味が湧いた。

 もっと君を殺したくなったよ。同時に、殺せるだけの回数も欲しい。

 で、どうだい? この条件で契約する?」

「回数……明言、してない……」


 きょとんとしたリーシュは高らかに笑う。


「はははっ! そうだね、その通りだ!

 君はこんな状態でも冷静だ。うん、いいよ、君。

 そうだな、三ヶ月頑張ったし、三百回分でどうだい?」


 初期数と同じか。

 妥当と言えば妥当な気もする。

 多分、拷問で殺された回数も同じくらいだ。

 しかし、俺は頭を振った。


「二百だ……三ヶ月耐えた功労賞ってことで、差し引き。

 そ、それに、初回だからサービスしてくれ。

 俺以外にも捕らえられている奴がいる。そいつも……助けて欲しい」

「あははははは、ひっ、ふふっ、くくくっ!」


 リーシュは何が面白いのか腹を抱えて笑った。

 涙を流しながらも、ひぃひぃ言い、二の句を繋げた。


「うん、うん、いいよ。まさかこんな状態で値引き交渉するとはね。

 しかも、貪欲に条件を追加するとは、予想外だったよ。

 君、商売の才能あるよ。オレが君に抱いている感情をよく理解している。

 快く受けてあげる。はー、笑った。くひひ」


 思い出し笑いをしている。

 俺は、そんなにおかしなことを言ったか、と省みたが思い当たらない。

 だが、これでどうにかなるかもしれない。

 絶望しかなかった数ヶ月の中で、俺はようやく希望を見出した。


「じゃあ、契約を遂行しようかな……と、あれ?」


 この状況での、あれ、は不穏以外の何者でもない。

 俺はイヤな予感がしつつも、問いかける。


「どうした……?」


 リーシュは困ったようにうーん、と唸っている。

 俺は言いようのない不安を抱きつつも、次の言葉を待った。


「捕まってるの、三人じゃない?」


 予感は的中した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る