第13話 邪神からは逃げられない

「――君を殺したい」


 リーシュが零した言葉に、俺は生唾を飲み込んだ。

 死を幾度も経験した。

 死ぬこと自体には免疫がある。

 だがそこに至るまでの工程には慣れない。

 蛇に噛まれて死ぬのは怖くない。

 トロールに殺されるのも怖くはなくなっている。

 しかし目の前の、小さな悪魔に何をされるのか、考えるとおこりのように震えが起きた。

 俺は肺に溜まった濁った大気を吐き出した。


「どういうことだ?」

「そのままの意味さ。もっと具体的に言うと、君を殺せるか試したい」


 大したことじゃないだろ、と言いたげに肩をすくめた。

 こいつと話していると頭がおかしくなりそうだ。

 俺はリーシュの言葉を反芻する。

 つまり、こいつは俺が死なないことを知っているのだ。

 今までの行動を併せて、推理を重ねる。

 俺は思案しつつも、口火を切った。


「交換条件を出せ、と?」

「お、よくわかったね」

「今までの言動から、俺を試すような内容が多かった。

 それにわざわざ『君を殺せるか試したい』なんて言わなくても、あんたなら俺をどうにでもできるだろ」

「それがそうでもないんだな。別に勝手に始めてもいいんだ。

 けど、合意じゃないと面倒じゃない?

 逃げられても困るし。殺戮じゃないんだ。

 これは遊びなんだよ。だからお互い理解が必要なのさ」

「従わなければ?」

「殺すよ。ここにいる人間全部ね」


 合理的だ。

 俺は殺せない。殺しても生き返る。

 ならば俺の友人や家族を殺すのが一番効率的だ。

 交渉は奴に軍配が上がっている。

 そもそも、俺に手札はないのだ。

 対抗する手段がない交渉は、ただの一方的な搾取に終わる。

 想像はしていた。だから動揺はなかった。

 単に確かめたかっただけだ。


「……わかった」

「おや、条件を聞かなくていいのかい?」

「俺の条件は俺以外の誰も殺さないこと。

 これくらいならあんたは想定しているだろ。

 そしてあんたの条件を俺は拒否できない」

「ご名答。満点だ」


 パチパチと拍手するリーシュ。

 俺は無感情にそれを見つめた。

 しかし内心では焦燥感が肥大化している。

 どうする。

 このまま奴の言う通りにするしか方法はないのか。

 当然、レベルが違い過ぎる。

 俺が敵う訳がない。

 結城さんも莉依ちゃんも同じだ。

 対抗する術がない。


 こんな化け物、どうしろっていうんだ。

 死なないという自信はある。

 だが、それは非常に不安定な自信だ。

 トロールを前にして揺らいだ程度のもの。

 リーシュと対峙して、死の存在が隣に佇んでいる気がしてならない。

 不安が俺を纏っていた。


「じゃあ、内容を説明しよう。

 僕は君を殺したい。けれどただ殺すんじゃ面白味に欠ける。

 だから制限をつけようと思う。

 トロールが君を殺した回数。三百回。その回数分君を殺したい。

 それで君が完全に死ななければ解放してあげるよ」


 まるでゲームだ。

 こいつは楽しみたいという感情だけで俺を弄ぼうとしている。

 だが、一方的な殺戮でないのは助かった。


「ルールはわかった。それでいい」

「ふふ、自信があるって感じだね。けど、その能力は絶対じゃない。

 殺せない、と断言できないだろ?」


 リーシュの言葉通りだ。

 このスキルはいつの間にか手に入れていた。

 いわば借り物だ。

 いつ消失するかわからない。

 もしかしたら、死ぬ寸前で突然無能力者になるかもしれないのだ。


「オレも鬼じゃない。そうだなぁ半年待ってあげるよ」

「どういう風の吹き回しだ……?」


 何か企んでいるのか?

 リーシュは他意はない、とばかりに肩をすくめた。


「気持ちの整理をさせてあげようっていうんだ。

 その間に、彼女達と別れを済ませておいてよね。

 オレの城に連れて行ったあと、君を殺す。

 なんなら鍛え上げてオレを殺そうとしてもいいよ。無理だけどね」


 言葉の一つ一つが真実であると伝わった。

 先程の言葉通り、文言だけで死んでしまいそうなほど。

 俺は痙攣を抑え込みながら、リーシュを睨んだ。


「じゃあ、契約成立だ」


 リーシュが片手をあげると、左手の甲に火傷したような痛みが走った。

 見ると読めない字と図が並んだ複雑な紋様が浮かんでいる。

 しばらくすると綺麗に消えた。


「な、なんだ?」

「契約の証さ。安心して、オレ達以外には見えない。

 それに害はない。ただの証で、オレ達が繋がっているという証拠さ。

 それじゃ今日から半年後に迎えに来るよ。

 どこにいても何をしても抵抗しても無駄だから。

 楽しみに待ってるよ」


 リーシュは用事はもうない、とばかりに村の入り口側へ歩いて行った。

 そっちは誰もいない、森しかない。


「おまえは一体、何なんだ」


 俺はリーシュの背中に言葉を投げかけた。

 奴はピタッと足を止める。

 肩口に振り返る。


 そして言った。


「邪神さ」


 強烈な言葉を残し、一瞬で姿を消した。


   ●□●□


 更に一ヶ月が経過した。

 撤去作業はまだ続いている。

 半分くらいは終わっている。

 我ながら、一人でここまでよくやったものだと思う。

 作業を終了した区域は更地になっている。

 おかげでレベルも少しだけ上がった。



・称号:蛇よりは強い最底辺の人間


・LV:6

・HP:1568/2212

・MP:0/0

・ST:1125/2301


・STR:10

・VIT:11

・DEX:8

・AGI:13

・MND:14

・INT:9

・LUC:12


・経験値:∞


●バッドステータス

 New・邪神の寵愛

   …邪神と契約した者の証。効力は何もない。ただ逃れられないだけのこと。



 一ヶ月で5レベルしか上がっていない。

 やはりプラスだとかなり上がりにくいらしい。

 それに、単純な肉体労働程度だと経験値も多くはない。

 経験として考えるとあまり希少価値がないのだろう。

 スキルは覚えていないが、ついに蛇を超えた。

 ここまで長かった。

 史上最低辺の生物から、虫以下になり、ついに爬虫類以上になったのだ。

 しかしそんな感動もすぐに引く。

 バッドステータスに追加されている『邪神の寵愛』という文字。

 間違いなく、奴と契約したからだ。

 邪神と名乗った、リーシュ。

 あいつの言葉が忘れられない。


 半年後。

 俺は奴の実験に付き合わされる。

 漫然と待つわけにはいかない。

 何か対策を考えなくては。

 俺は撤去作業を行いながらも、思考は他事に割いていた。

 一ヶ月、一人で作業をしていたおかげで、慣れたものだ。

 邪神のことを莉依ちゃん達に話すべきだろうか。

 いや、ただ心配をかけるだけだ。

 それに一応は信じてはくれるだろうが半信半疑だろう。

 こんな話を誰が信じる。

 突然、神を名乗る存在が目の前に現れたなんて。

 ふと思った。

 あいつが俺達をこの世界、グリュシュナに連れて来たんだろうか。

 それにしては、俺のことを詳しく知らなかった。

 事情を知っているような知らないような感じだ。

 情報が少ないため、判断がつかない。


 とにかく、対抗手段を考えよう。

 能力はどうだ。

 無理だ。

 俺の能力じゃ対抗できるわけがない。

 他の二人の能力も、邪神相手では厳しいだろう。

 なんせステータスの数値に雲泥の差がある。


「だめだ……」


 ここ一ヶ月考えてはみたが良案は浮かばない。

 可能性があるとすれば、俺のレベルアップ。

 リスポーンスキルを使った強引な経験値の取得で、急速なレベルアップを促進する。

 そうすれば能力値は上がる。

 しかしこれには問題がある。

 トロールと蛇との戦いで気づいた。

 殺される経験値は殺される毎に徐々に減るのだ。

 そしてその敵よりは絶対に強くなれない。

 トロールは12000程度のレベルだったが、今の俺は1だ。 

 三百回殺されてそれだ。

 しかも後半は経験値があまり増えていなかった。

 つまり、邪神に殺されまくっても奴のレベルを超すことはない。

 では諦めて、三百回殺されるか?

 一番、現実的な案ではあるし、それくらいしか方法はない。

 だが、それでは完全にリーシュの心持ち次第になるわけだ。

 途中でやっぱりやめた、飽きるまで殺す、と言われれば終わりだ。

 他に条件を追加されるかもしれない。

 俺は奴の言う通りにするしかない。

 奴が約束を守るという保証はない。

 だからといって何かできるのか?

 俺は作業の手を止め、頭を抱えた。


「たった一週間で色々ありすぎだろ……」


 現在は一ヶ月以上経過しているが、リーシュと出会ったのは転移から一週間後だ。

 飛行機事故に遭遇した。

 異世界に転移した。

 能力を手に入れた。

 死にまくった。

 殺されまくった。

 化け物と戦った。

 邪神と名乗る最上級の化け物と出会った。

 そいつに殺すと言われた。


「なんだよこれ、無茶苦茶だろ」


 俺は、異常な程の不幸に乾いた笑いを浮かべることしかできない。

 これも、バッドステータスが影響しているんだろうか。

 そういえば、リーシュのステータスで、数値の前にアスタリスクがついていた。

 あれはどういう意味だ?

 すべて6だった。

 ということは、変動しないということか?


 カンスト、か?


 なるほど、これは有用な情報だ。

 まあ、その前に俺の命がカンストしちゃいそうだけどな!


「何をしているのです」


 怒声に振り向くと、村人が俺を睨んでいた。

 カルムとかいう男だ。多分、二十歳くらい。

 村長の息子らしく、復興作業のまとめ役をしている。

 いつも俺にぶっきらぼうな態度をし、一人で撤去作業をさせているのはこいつだ。

 まあ、別にレベルが上がるしいいんだけど。

 多少は不服だ。


「ちょっと考え事をな」


 最初は敬語を使っていたが、こいつに丁寧な口調は必要ないと判断した。


「手を止めないでください。あなたの作業が一番遅れているんですよ」

「は? いや、俺一人なんだから、当たり前だろ。

 遅れてるってんなら、手伝い入れてくれよ」

「それは無理です。村人は二十人程度しかいません。

 物資もほとんど破壊され、日々、狩猟採取、家事や修繕が必要なのです。

 こちらに労働力を割けません」

「それらしく言ってるけど、おまえら俺より休んでんだろ。

 仮に手伝いを出せないなら、遅れてるのは当然だろうが。

 だったら一々文句言ってないで、おまえが采配しっかりしろよ」


 嘆息しながら半眼でカルムを見た。

 撤去作業が遅れている。わかる。

 人手が割けない。まあ、わかる。

 遅れているんだから、嫌味言われても当然。ん?

 むしろあなた一人の責任ですよね? は!?

 という感じだ。


 なんでここまで非道な扱いされなくちゃならないんだ?

 そりゃ、俺達は雇って貰っている立場だ。

 居候もさせて貰っている。

 けれど、出来る限りのことはしてる。

 というか、村長が言うならまだしも、なんでこいつに言われないといけない?

 むしろ、俺は体力も腕力もないから、休憩なしでやってる。

 まあ、死んだら回復するからなんだが。

 だから、一人分の働きはしているはずだ。

 なのに、一々文句を言ってくるのだ、こいつは。


「ふん、あなたに言われたくはありませんね。

 僕はきっちり仕事はしています。

 あなた方は大して貢献していないのに偉そうだ」

「なんだと?」


 結城さんや莉依ちゃんもきちんと仕事をしている。

 むしろ村人達よりも働いているのだ。

 慣れないことも多いから、最初は手間取っていただろうが。

 今は、間違いなく数人分働いている。


「正直、僕はあなた達を歓迎していない。むしろさっさと出て行って欲しい。

 けど、父が、村長が受け入れろと言うから仕方なく、受け入れてあげているんです。

 それとも、さっさと出て行きますか?

 ここは田舎ですから、近辺に村はありませんけどね」


 俺はぐっと言葉を飲み込む。

 俺だけなら死んでも生き返るから危険を顧みない行動はできる。

 だが、結城さんと莉依ちゃんがいると話は別だ。

 むしろそれが普通なわけなんだけど。

 それがわかっているから、こいつは不遜に振るまえる。

 カルムは鼻を鳴らし、侮蔑するように俺を横目で見た。


「わかっていますか? あなた達のせいでこの村がこうなったんですよ」

「俺達が何をしたって言うんだ」

「どうせ、あなた達の中の誰かの仕業なんでしょう。

 村のみんな、口々に言っています。

 あなた達が来たせいで、あんな大型の魔物が来たんだってね」


 トロールの襲来は俺達のせいだってことか?

 まさか、誰がそんなことをするというんだ。


「根拠がないだろ。言いがかりだ」

「いいえ。僕が生まれる前から、数十年こんなことはなかった。

 なのに、あなた達、よそ者が訪れて一週間程度でこんなことになったんです。

 わかりますか? 時期が重なっているんです。

 原因はどう考えてもあなた達だ」


 だから俺に対する仕打ちが酷かったのか。

 しかし、結城さんや莉依ちゃんには比較的態度は柔らかい。

 ……言外を読めば、俺を犯人だと思っている?

 考えてみれば、俺が村に来た時、トロールは現れたのだ。

 だったら、嫌疑がかかるのは俺か。

 そういうことだったのか。


「俺は何もしていない」

「仮に、あなたが何もしてなかったとしても、原因はあなたにあるかもしれないでしょう。

 例えば、あなたが魔物に狙われているとか。

 魔物を集めてしまうような人であるとか。

 死んでも生き返るような非常識な人だ、あり得なくもない」


 否定はできない。

 なんせ、俺は不幸と死を呼び寄せる人間だからだ。

 俺達のような能力はこの世界の住人にはないようだ。

 村長から話は聞いていた。

 しかし一部、魔術師のような人間はいるとのことだ。

 俺は歯噛みした。


「……ふん、ただ一部ではあなたを擁護している人もいます。

 一応、トロールと戦ったのはあなたですからね。

 ですが何度も殺されて生き返ったという事実を気味悪がっている人も多い。

 とにかく、あなた方は村に不幸を蔓延させる。

 早いところ、出て行って欲しいんです」


 言うだけ言って、カルムは立ち去って行った。

 俺は何も言えず、ただ胸中にうずまく感情を抑えることしかできない。


「なんだよ、くそ!」


 態度は腹が立つ。

 言動に納得できない。

 しかし心境はわからないでもなかった。

 彼等からすれば、俺達が来たことを契機に平穏が脅かされたのだ。

 煩わしく思って当然だろう。

 カルムは知らないが、村人全員が邪神に殺されかけてもいるのだ。

 全部、俺達のせいかもしれない。

 それでも二ヶ月はいなければならない。

 俺はないまぜになった感情を整理しつつ、再び作業に戻った。

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