第30話

「帰った方がいいかな」

「何でだよ」


 エレベーターは午前と違って人が増えてきた。その中に紛れ込み、彼女が振り返り話しかけてくる。その不安さは学業に遅れることより周りに置いていかれるところから近い感情だ。


「もうぼっちのようなものだろ」

「そっか。そうだよね」

「楓がいるからマシだろ」

「うん」

「まあ学校は俺たちを大事にしたくないみたいだけどな」


 学校は俺達の争いを大事に捉えなかった。事態を明確化するために事情を説明させ、責任者を追求しなかったようだ。ただ高校生にもなって暴力で解決するなという勧告があった。北野越しに教室で通達されたことを教えてくれる。彼らは俺の処分を自宅待機だろうと推定しているようで、最終的に会議で決まるようだ。


「期末試験とかどうするんだろうね」

「別室で受けるんじゃないか」


 エレベーターは地面に到着する。サラリーマンやOLが若い俺たちを認識せずに歩いた。

 今からCDショップに向かう。目的はAMAが崇拝するバンドが新譜を発売したので、彼らのルーツを探るために購入する。鳥越の興味の外にあると伝えたけれど、離れるよりはついていきたい。意思を曲げないので買い物を早く終わらせようと決めた。

 指定の階に到着し、あとはまっすぐ進むだけだ。このコーナーはCDの他に楽器屋や服のブランドが立ち並ぶ。ざらついた壁のブランドを過ぎたら顔を出した。


「あれ」


 彼女は隣で立ち止まるから、俺もCDから身体を反対にした。それでも、目を警戒するように回す。


「どうした」

「ついてきて」


 鳥越はCDと反対にある喫茶店の前に来た。そこで、周りの目を気にせず腰を落とす。


「どうしたの? お母さんは?」

「……」


 彼女が小さな子供と話していた。耳が見えるほどに短い短髪に、細い目は伏せている。尖らした唇は開かないまま、彼のキャラクターの靴から気をそらさない。


「どこか行っちゃった?」


 目線を合わせ、笑顔で対応している。教室とは違って安心させられる安らぎがあった。


「……母ちゃんは」やっと開いた口は常識を語った。「知らない人と話しちゃいけないって」


 風が吹いたように静まったら、調子を戻して頷いた。


「そうだったね。私の名前は鳥越えな。隣の男の子は浦賀と呼んで。君の名前は?」

「かずき」

「かずきくん。よろしくね」

「うん」


 かずきくんはビルの中で迷子になっていた。次男がエネルギーに任せて走り回ってしまい、それを追いかける母親とはぐれたらしい。

 彼女は立ち上がって待っててねと教えた。彼が逃げないよう横に立ち、背中を追う。近くの店員に声掛けし事情を説明していた。言われた彼は仲間と相談し、裏方に回っていく。鳥越は帰ってきて、大丈夫だよと安心させた。


「いまから従業員さんが来てくれて、お母さんのところに連れていくってさ」

「……うん」


 やがて二人の前に職員の女性が近づいた。彼女はかずき君のことを鳥越へ質問する。


「小さな子供がひとりで立ってました。周りに親はいないようで不安になり話しかけました。適切な対処が出来たでしょうか」

「大丈夫です。かずき君の母親と思われる方が見えました。迷子センターにいます」

「良かったー」


 気の抜けた鳥越の声。肩の力が抜けて上に顔を動かす。次に横の店員に質問し、従業員は子供と一緒にエレベーターを降りた。


「貴女は子供のことが好きなんですか?」


 男性の店員は緩んだ空気に乗っかって話す。緊張がとれたから、相手への距離が縮まっていた。


「子供は好きです。昔は子供に関わる仕事を目指してました」

「だから声をかけたわけですね。俺なんか巻き込まれなくて逃げ腰でした。あなたは勇敢ですね」

「あはは。ありがとうございます」


 子供に関わる仕事が幼なじみの夢だった。本人から聞けなかったけれど、本音で言ったと仮定している。

 楓が語らなかった夢はこれに指すのか。聞き出したくても言えない空気がある。そして、店員は持ち場に戻り、俺たちもCDショップに行く。



 午後5時から人の出入りが激しくなる。会社員や学生の通学や通勤が頻繁に起きていた。その波に常識から外れた俺達は紛れ込む。階段を上がり、レストランの階層を抜け、駅の屋上に到着した。整理された場に空の清らかさは一致している。夕日の弾丸的な日差しが雲一つない空で反射していた。彼女と俺の間に吹き抜ける風は一人分の間がある。


「ねえ、良。私って自分が好きになれないんだ」


 小学生の頃に同じことを発した。彼女は俺に自分の意見をぶつけて再考する。答えが欲しいわけではなく、日記になってほしいのだ。


「なにか調子乗ると『目』が攻めてくるんだ。その目は私がグループから離反してないか監視してる。皆に順応することが役目みたいに目は光っているんだ。私は目に逆らえない。でも、今はその目が見ていない」


 彼女の顔は血を浴びたように赤く染まり、コンクリに咲く雑草の花みたいで美しかった。


「良はいつも目の役割を代理してる。私を嫌ってくれるから、私は正しくなれたんだ」

「前からあったのか」

「立場が変わる。今は目立とうとして、目立たないと目が痛く刺さる。でもね、それとは別に良のことを深く知りたいって思ってる。何が好きだったんだろーとかね。分からないけど、私には二つの言葉があるんだ」

「そうか」

「もう少しだけ、昔みたいに遊んでくれないかな」

「分かっている」

「多分、好きってやつかも」

「そうだな」


 俺は隣で寒そうにしている女子のことを知らなかった。目のことや俺の役割を理解できていない。話せてスッキリするなら俺も喜ばしかった。

 鳥越は俺のことを嫌っていない。でも、俺は彼女をどう思っているのか。

 埋まる言葉は見つからない。

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