第19話
黒い筒は俺たちを埋めてしまえる大きさで、先には五本の指がある。その指は骨張っており、高齢の女性みたいな形をしていた。浮く姿はさながら風船だ。
「ダンジョン?」
ダンジョンの中は夕焼けと変わらない明るさだ。この情景には既視感があり、佐々木が連れ去られたダンジョンと似ている。違いは白い触手が黒い女性の腕に変わっているところと、ブラウン管のテレビだ。そのテレビは俺が飛び跳ねても上に届かない大きさ。映像は黒い手で縛られた楓を写している。
楓は木の椅子に座らされ、色んな手が立たせないようにしていた。
「楓!」
叫んでも声が聞こえていない。気を失ったのか目を瞑ったままだ。力尽きたように首が下に落ちている。
早くダンジョンをクリアするべきだ。鉱脈はどこで見つけられるのか。
8畳の部屋を土足で周り、黒い手を片手で払い除ける。2階は上下左右に黒い手が漂ってるだけだ。楓はどこにも姿を表さない。台所は腐乱した匂いがして、玄関は手のひらに阻まれている。鉱脈は発見できない。
俺はダンジョンの中を走った。
「浦賀くん……」
立ち止まって横にする。彼女は気絶から回復し、瞳が朦朧としていた。
「え、なに。なにこれ! 誰か、誰か助けて!」
「楓!」
テレビに張り付いた。画面を叩いたら黒い手が右手を強く握る。ここに鉱脈があるかもしれない。
テレビに近づこうと踏ん張った。しかし、黒い手は拘束力を強くし、ふり解けなくなる。
「楓。楓!」
テレビから近いはずなのに、足が動こうとしない。
「浦賀くん……、助けて」
俺は何をしている。ダンジョンに出入りしただけで障害を取り除けない。テレビを破壊してやるという意思を纏う。彼女の被害は片隅で考えたけれど、鉱脈を破壊することが先だ。
正解が分からなかった。助けるにはどうすればいい。そもそもダンジョンの被害は少ないから、助けるよりも救助を待つべきだ。俺はなんの力もないから見てることしか出来ない。でも、出来ることはあるんじゃないか。何が出来るんだ。俺は無力だから何も出来ない。誰も俺を見ていない。楓が苦しそうにしている。楓の中央に手のひらが向かっていた。
「浦賀くん。浦賀くん」
「楓!」
心のどこかが騒ぎ立てる。彼女はやく助けないといけないと。そうしないと取り返しのつかないことになりそうだった。手を出したけど、テレビに届かない。
「浦賀くんといれて楽しかった」
彼女は俺の名前を出すけれど聞こえるような声じゃなかった。その話し方は生存に諦めが含まれている。
「浦賀くん、本当に楽しかったよ」
「楓!」
その後、彼女の腹に風穴が空いた。血液と絶叫がダンジョンで拡散される。俺は黒い手に掴まれて身動きが取れなかった。俺は無力な学生だから鳥越のように打開できない。ダンジョンの雰囲気を変えられないし、月子のような力はなかった。北野みたいな機転もない。
何も出来なかった。
「逃げろ!」
玄関から聞こえ、顔を向ける。顎を引いて眉間にシワを寄せる月子が刀を下に構えていた。
「頭下げろ!」
黒い手のひらに切れ目が走る。錆びるように裂け目が広がり、地面に落ちた。側面から液体が流れている。
月子はダンジョンに突撃してきた。身体の軸を使って刀を回す。黒い手は分断されて風船のような姿を垂れている。そのままテレビに片足を乗せた。
「この部屋は他に何があった」
「な、何もなかった」
「そうか」
上から刀を突き立てる。テレビは液晶を豆腐のように崩れている。普段のテレビは突き立てても壊れないが、ダンジョンは柔らかいものになっていた。
楓の顔は三つに映る。ブラウン管のテレビは壊されてから点滅した。
刀を横に回し、穴を広げる。楓は暗闇の中に取り込まれた。
「浦賀、大丈夫だ」
振り向かないままで配慮した。ガラスが暗闇に落ちていき、穴は広がっている。刀を持ち替えて、右手を先に進めた。
彼女の肩が後ろに下がり、足の組みが変わる。引き抜いたのは鉱石だった。
「ダンジョンは壊れる。私は病院に送るから、君はそこにいてほしい」
ダンジョンは古い空き家に様変わりした。劣化した壁は砂を床に落とす。
「いや、救急車を呼ばせてくれ」
月子はじっと俺を睨んでいた。俺に気付かないふりをして携帯をいじる。
「君の気が済むなら、それでいい」
救急車の方が処置が安全だから、そう言いながら鉱石を鞄に直した。そして、その足で二階に上がる。
「楓は二階にいた」
「楓!」
彼女は瞳を閉じたままで動かない。胸の穴は塞がっている。
「彼女は大丈夫なのか!?」
「命には問題がない」
「命? どういうことだ」
「ダンジョンに食われてしまった」
やがて救急車が彼女を台に乗せた。俺と月子は一緒に乗り込んだ。全てが一瞬の出来事で、俺は無力を痛感した。
目を覚ましたら曲の話をしたらいい。彼女の発言で胸が騒ぎ、不安で心落ち着かなかった。
下を見、手を顔に持ってくる。右手の拳から血が出ていた。
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